姫君は後宮の頂点を目指す
私はマリアネッタ・グラーツィエ。
大陸の西に位置するグラーツィエ王国の第一王女として生を受け、家族やお城の使用人たちにどっぷり甘やかされながら育った純粋培養のお姫様。
労働や苦労とは無縁の優雅で怠惰な生活を送っているけれど、やるべきことはきちんとやるからか、貴族や民からの敬愛は厚い。
自分で言うのもなんだけど、割と出来のいい姫君だと思うわ。
そんな私にはひとつの欠点……いや、趣味がある。
「御苦労。下がりなさい」
晩餐前のおめかしが一通り終わったところで、傍に控えている侍女たちを部屋から追い払う。
本来なら王女を一人にするなんて許されない行為だけど、侍女たちはみんな一礼して去っていった。命令を拒否したら私が癇癪を起して後が大変だってことを、彼女たちはよく知っているのだ。お父様やお兄様方はわたしのこの『習慣』を良く思っていないみたいだけど、口出しはしてこない。というか、出来ないのでしょうね。別に私は、侍女を追い払って悪いことをしているわけじゃないもの。
私はただ、誰もいない部屋で一人、大きな姿鏡の前に立つだけ。
そして鏡の中の自分と見つめ合い、じっくりと観察して、
「ああ……なんて美しいのかしら……!」
恍惚のため息を漏らすだけ。
もちろん陶然たる視線の先には鏡の中の自分。
これが私の秘密の習慣、名づけて「自分鑑賞」だ。
私は美しい。
透き通るように白い肌、絹糸の如きなめらかな金髪、完璧な曲線を描く小さな顔。青空もかくやと言わんばかりの青い瞳はぱっちりと大きく常に潤んでいて、影を落とす睫毛は長い。頬は薔薇色で唇は花びらみたいに可憐。もちろん体型は黄金比で――――え、胸? あるわよ。あるにきまってるでしょう。肩が凝って大変よ。貧乳じゃなくてごめんなさいね。残念ながら、私は頭のてっぺんからつま先まで美しく愛らしい。こんなに完璧な美少女が存在していいものなのかしらと本気で悩んでしまうこともあるのよ?
まったく、美しいって罪よね!
「うふ、うふふ、うふふふふふ……っ!」
ポージングしてみたり、ウインクしたり、微笑んだり。
もう、私ったらなにをしても美しいんだから!
……でも、美しいからこそ、小さな欠点(この場合は私の醜態)が際立ってしまうもの。
私の美貌を妬んで、隙あらば汚点を探し出そうとする人間はごまんといる。
グラーツィエの姫は自己愛者だなんて噂を立てられるのは本意じゃないから、こういうことは一人で楽しむに限るわ。侍女たちを信頼していないわけではないけれど、人の口に戸は立てられぬというし、警戒するに越したことはない。
嫉妬されるのは美人の宿命だから仕方ないけれど、そのせいでこの美しさを秘匿しておかなければならないと思うと、わたしの美しさを妬むお馬鹿な人間どもがひどく恨めしいわ。
この美貌をとくと堪能できるのが私だけと言うのは、まさに世界の損失よね。
「――姫さま、お時間です」
控え目なノックとともに、甘美なひとときに終止符を打つ侍女の声が耳朶を打つ。
たちまち真顔に戻り、鏡に布をかけ、背筋を正して部屋を出る私。
高いヒールに優しくないぶ厚い絨毯を踏んで、晩餐の支度が整えられた広間に向かう。
シャンデリアが輝く広い空間には、もうすでにお父様と二人のお兄様方がいらっしゃった。
「マリア!!」
私の姿を視界に入れた瞬間、喜色満面で立ち上がる三人。この方々は、私を目に入れても痛くない、いやむしろ入れたいというほどに溺愛している。
もちろん、私もお父様とお兄様方が大好きよ。お優しくて、お強くて、聡明で、そして、なによりもとびっきりお美しいもの!
「お父様、アロイスお兄様、ランベールお兄様、ごきげんよう」
頬にキスをして、熱い抱擁を受けること計三回ずつ。私はやっと席に着き、使用人が晩餐の品を運んでくる。今日の前菜は私の好きなホワイトサーモンのスモークだった。私は笑みを浮かべて上品にサーモンを口に運ぶ。うん、おいしいわ。
「――マリアネッタ。実は、私から大切な話があるのだ」
次々に料理を平らげていき、フルコースも終盤のサラダに突入したころ、お父様がやけに神妙な顔でそう切り出した。尋常なない雰囲気を感じてわたしは銀食器をおいた。お父様が私を愛称で呼ばないときは、決まって真面目なお話をなさるときだもの。
一体何かしら?
粗相をした覚えは無――もしかして、花壇の薔薇を握りつぶしちゃったことかしら? それとも、ダンスの練習をさぼったこと? いや、あるいは公爵の息子をけちょんけちょんにしてやったことかもしれない。……って、わたしったら粗相しまくりじゃない!
戦々恐々としながらお父様の言葉を待つ。
「実は、以前話した例の件なのだが……」
「……例の件?」
「そうだ」
「…………」
「……マリアネッタ?」
「あ、ああ、アレですわね! アレがどうかしましたの?」
さも分かっているかのような体でうなずいたけれど、実のところ例の件が何であるのかちっとも理解していない。
例の件って何よ!? 私、そんなこと聞いた覚えがないのだけど!!
「あの話、受けてくれるか?」
「…………」
だから、あの話って何ですか、お父様。
お兄様方に助けを求めようと視線を向けるも、「大丈夫」と言いたげな謎の微笑みをくださっただけに終わった。
みんなして、一体なんだって言うのよ!!
「悪い話ではないと思うのだが……嫌か?」
嫌かと問われても……なにがなんだか分からないのだから、対応の仕様がないじゃない!
冷や汗をかく私。そして、そんなわたしに向けられる三対の憂いを含んだ視線。
よくわからないけれど、例の件がかなり大切な話だということは理解した。そして、私の愛しいお父様とお兄様方が私の快諾を望んでいることも。
私の許可が必要なお話って何かしら。女の私は政や軍事に関わらないから、そういう話ではないでしょうし。とはいえ、新しいドレスやお茶会のことについて尋ねられているような雰囲気でもないし……。でも、私にとって悪い話でもないのでしょう?
まったく、謎は深まるばかりだわ。
私が深刻な表情で押し黙っていたからか、お父様は少し心配そうに声をかけてきた。
「マリアネッタ、そなたが嫌ならば無理強いはーー」
「いいえ、すべてお父様の御心のままに」
まあ、お父様の御心はちっても分かっていないわけですけれど。
……あんな表情されて、断れるわけないじゃない。
「その言葉が聞けてうれしいよ、私の可愛いマリア」
お父様がやっと表情を崩した。お兄様方も安堵の笑みを浮かべる。
やっぱり、アレで私の答えはあっていたみたいね。
笑みを返しながら、内心ほっと息をつく。
――――このときはまさか、この答えが私の人生を大きく変えるなんて思ってもみなかった。
あれから約三カ月が経過したある朝。
太陽の昇らぬうちから侍女に叩き起こされた私はたいへん不機嫌だった。
「いくらなんでも早すぎるのではないかしら?」
いつもは日が昇ってから何時間も経った後にやっと起きるって言うのに、今はまだ外が薄暗い。昨日は少し夜更かししていたから、もう少し寝ていたかったわ。私の身の回りの世話をしてくれる侍女たちとは長い付き合いだから、そういう些細なことも分かってくれると思っていたのに!
主の不機嫌を悟ったのか、私の背後に回って髪を梳いていた侍女は微苦笑して、「でも姫さま、仕方ないですわ」とやんわり告げる。
「仕方ない? ……今日、なにかあったかしら?」
「まあ、姫さまったら!」
私が首を傾げると、周りでくるくる動きまわっていた侍女たちはそろって声を上げた。
呆れたような、困ったような表情。目はまんまるに見開かれている。
私が眉をひそめることで続きを促すと、それを察した侍女の一人がこう言った。
「今日は姫さまのお輿入れでございますよ」
……はい?
「冗談はよしてちょうだい。驚いて眠気が吹き飛んでしまったじゃない」
「冗談ではございませんわ。でも、眠気が消えたのはようございました。姫さまは今から陛下や殿下方に最後のご挨拶に参られるのですから」
鏡越しに見る侍女は笑っている。
話している間に髪はきれいに結われていて、その速さと言ったらまるで魔法みたい。
鏡の中で、侍女が私の髪に品よく宝石が嵌めこまれた髪飾りをそっとのせた。恭しげに、そして、どこか寂しげに。
「ちょっと待って。その、雰囲気たっぷりな視線はやめて!」
本当にわたしが輿入れするようじゃないの!
偶然なのか髪飾りは花嫁の印でもある白百合をかたどっているし、示し合わせたようにドレスも白だし、よく見ると全体的にいつもより上等な品で固められている気がするわ。
……冗談にしてはお金がかかっているのではなくて?
鏡越しに私の胡乱な視線を受ける侍女は、視線など素知らぬふり(というかたぶん気付いていない)でうっとりと微笑む。
「姫さま、お美しいですわ……ほんとうに」
「大陸広しと言えども、姫さまほどお美しい花嫁はおりませんわ」
「今日の日まで姫さまにお仕えできた私どもは、本当に幸せ者です!」
「どうかお嫁に行かれても私どものことを忘れないでくださいませっ!」
「姫さま、姫さまぁ……っ!」
ななな、なんなのよ一体。
私が美しいことなんて当然でしょうに。私以上に美しい女がいないことくらい、言われずとも知ってるわよ――じゃなくて!
「いやだわ……泣かないでちょうだい。私はどこにもいかないわよ」
おろおろしながらも、私を囲んで泣き崩れている侍女たちをなだめる。
しかしどうしてか、
「いいえ! 姫さまは結婚なさるのです!」
「気を使わせてしまって申し訳ございません。どうか私どものことは気にせず、笑顔でお発ちくださいませ」
鋭い光を瞳に宿してこちらを見上げる侍女たちに言い含められていしまう。
あいかわず喜怒哀楽が激しい侍女たちね……。
ていうか、どうして私が結婚することになってるのよ……。
「――とにかく、まずはお父様方に朝のご挨拶をしてくるわ」
侍女曰く、元よりその予定だったようだしね。
挨拶がてら、この訳のわからない噂についてお聞きしましょう。
「姫さま……」
「ほらっ、早く支度をしてちょうだいっ!」
「は、はいっ!!」
わたしの声でやっといつもの調子を取り戻し、きびきび動きはじめる侍女たち。
しかし、どこかノスタルジックな視線が向けられるのは相変わらずだ。
ああもう、鬱陶しいったら!!
「御苦労だったわね。ここで待っていてちょうだい」
「かしこまりました」
お父様方がお待ちになっている玉座の間の前に着くと、わたしはつき従ってきた侍女たちを下がらせた。この謁見を「最後のひととき」だと思っているらしい彼女たちは、瞳をうるうるさせながらわたしが扉の向こうに歩んでいくのを見つめていた。違うって言ってるのに……。
イライラしながら早足で赤絨毯の上を進み、玉座の前で跪く。
「第一王女マリアネッタ、ただいま参りました」
早口でそう言うと、許しを待たずに顔を上げ立ちあがり、お父様を睨みつけた。
すると、玉座にゆったりと腰かけていたお父様はぎくりと肩をはねさせる。その両脇にお座りになってらっしゃるお兄様方も然り。彼らのエメラルドの瞳は所在なさげに彷徨って、私と目を合わせようとしない。
やっぱりお父様方は、あの噂に一枚噛んでいるようね。
「いったいどういうことですの、お父様、お兄様! 輿入れなんて、私、一言も聞いておりませんわ!!」
「お、落ちつくんだマリア」
「落ちついてなんていられますかッ! さっさと嫁に行って欲しいならばそう言ってくださればいいじゃない」
「いや、そうじゃなくて」
「そうじゃないなら何なのですか!? 北でも南でも、お望みのところに嫁いで差し上げますわっ」
「そ、そんな……っ!」
「お父様もお兄様方も、大っきらい!」
プイッと顔を背けると、お父様とお兄様方が青ざめた顔で石化する。
あら……、ちょっと言いすぎちゃったかしら。
「――マリアネッタ、落ちつきなさい」
「……お父様」
いち早く石化状態から復活したお父様が、諭すように語りかけてくる。
でも、そんな穏やかな笑みを向けられたって、懐柔されてあげませんからね!
「そなたは三月前の話を覚えているか?」
「三月前……?」
なんのことかしら?
残念ながら、さっぱり覚えがないわ。
「やはり覚えていないか……」
「ええ、さっぱり。なんのことですの?」
「晩餐で話した例の件だ」
「ああ!」
思い出したわ。
あの、指示語ばかりでなにがなんだかちっとも分からなかった“あの話”ね。
たしか、話の内容も理解できぬままに、お父様の頼みを承諾したのだっけ。
「あの話がどうかなさったの?」
「ああ、どうかした。大ありだ」
お父様と、いつの間にか復活していたお兄様方が神妙そうにうなずく。
「あのとき、お前は私の願いに是と返事をしただろう」
「ええ」
「だからだ」
「……へ?」
だからってなによ。
話の核、大事な大事な部分が抜けていると思うのだけど。
「父上、マリアが理解できていません」
「もう少し詳しく説明して上げてください」
目を白黒させる私に助け船を出してくれるお兄様方。
お父様は「う、うむ……」とうなずいて、咳払いをひとつ。
「例の件――つまり、東のヴィジェニア帝国への輿入れの話だ」
え?
「先々代の時代までずっと戦火を交えていたが、先代の時代に和平を結び約三十年――……このたびの輿入れは、両国の友好の証となるであろう」
輿入れって……本当の話だったの!?
「私、そんなこと聞いてないわ!!」
「マリアは人の話を聞かないところがあるからねえ」
「うんうん。でも、そそっかしいところがまた可愛いよ、僕の妹姫」
狼狽する私とは対象的に、のんびり落ち着いていらっしゃるお兄様方。
おっしゃることは屈辱的だけど、否定できないのが悔しい……!
「マリアよ、どうか我慢してくれ。今回の婚姻が、グラーツィエとヴィジェニア両国の民に安寧ををもたらすのだ」
「それはつまり、政略結婚ということ?」
「……ああ」
うなずくお父様。端正なかんばせは、娘を政略結婚に出すことへの苦しみでいっぱいだった。
対して私は、それほどショックを受けているわけではない。むしろ、やっと来たか、という思いだった。
政略結婚なんて一国の姫君なら当然のことで、いつかはそうなるだろうと思っていたもの。女が政治の道具として使われるのは仕方のないことだ。
それに私は、私を一国の姫君としてではなく、“マリアネッタ”個人として大切にしてくださったお父様やお兄様方が大好きだもの。敬愛するお父様方が望むのならば、どこに嫁ぐのだってへっちゃらだし、それで私がお父様方のお役にたてるのならとっても嬉しいことだわ。
「いいのよお父様。私、ヴィジェニアに嫁ぎます」
「ああマリア、分かってくれるか!」
「ええ、もちろんですわ」
私は微笑んで、ぐっと拳を握って見せた。
「覚悟は決まりました。このマリアネッタ、母国グラーツィエの威信をかけて戦って参ります」
「え?」
お父様方が目を瞠り、固まる。
きっと私の勇ましい宣誓に感動してらっしゃるのね。
私は嬉しくなって、さらに言葉を重ねた。
「待っていてね、お父様方。必ずヴィジェニアの後宮の頂点に立ってみせるわ!」
後宮の頂点。
それはつまり――皇帝の正室たる皇妃のこと。
後宮を制するものは大陸を制すということわざがあるくらいだもの。私が皇妃の座を得れば、今回の政略結婚も大いに意味を持つことでしょう。そうしたらきっと、お父様方もお喜びになるはずだわ。
そう思ったのに、お父様方はなぜか大いに狼狽し始めた。
「ままま待て、本当に待ってくれマリアネッタ!」
「なにか勘違いをしていないか? 別にそんな大それたことを考えなくたっていいんだよ?」
「そうだよマリア、はやとちりはよくないぞ。なにしろ今回の婚姻は――」
「いいえ、止めないで! 私はお父様方のお役に立ちたいのっ!!」
「マリアーーーッッッ!?」
私の言葉に胸を打たれ涙しているお父様とお兄様方に向かって優雅に一礼して、回れ右。
後ろで三人が何かおっしゃっている気がするけれど、すべて無視した。
三人とも、私に対して過保護というか……溺愛がすぎるのよね。
気にかけてくださるのは嬉しいけれど、少し困ってしまうわ。
私はもう立派なレディなのに、いつまでも子ども扱いするんだもの!
それに、いつまでもお父様方の愛に甘えているわけにもいかない。
私は私なりに、大好きなこの国を守りたい。そう思うの。
だから私は振り返らなかった。
愛しい家族が私を呼ぶ声に後ろ髪をひかれながらも、純白のドレスの裾をさばき堂々と玉座の間をあとにする。
(政略結婚、上等じゃない!)
なにも恋愛結婚だけが幸せになれる手段じゃないもの。
愛がないならば、はぐくんでいけばいいだけの話。
よろこばしいことに、時間ならたっぷりあるわ。それに私は、大陸一と名高い美貌だって持っている。
――だから心配しないで、お父様、アロイスお兄様、ランベールお兄様。
たとえ政略結婚であろうと、私は私なりのやり方で、絶対に幸せをつかんでみせるわ!
この姫様ならやってくれると思います。
姫の冒険はこれからだ。
*つづけますか?
はい
▼いいえ