第55話 ウーシア教徒として
―陽光が燦々と降り注ぐ昼下がり...彼は一人、公園のベンチで項垂れていた。
その隣に"一緒にお買い物よ!"と意気込んでいたローズの姿はない。
服の仕立てと称して彼を連れ出した張本人は目に入ったブランドショップに誘惑されるがまま、ブティック街の奥へと消えていってしまった。
彼は荷物持ちですらなく、ただの置き石にされてしまったらしい。
............
「何であんなこと、考えたんだろうな....」
ふと、昨夜の記憶が蘇る。
無防備に眠るローズを見て、僕の胸に沸き起こったあの一節....
確かに彼女は紅顔の美女だ。
朝日に照らされた寝顔に心を揺さぶられるのは男としての本能かもしれない。
だが、僕はあんな情熱を垂れ流すタイプだったか?
違うだろう?
闇と結びし契りが精神に干渉している可能性はあるが....それにしてもおかしい。
まさか、新しいステータスの副作用か?
「"ステータス表示"」
新しく追加された項目は....これだけか。
《演算スキル....思考を加速させ、あらゆる数式の演算処理を代行する。》
《システムが全リソースを管理するため、使用者は脳を明け渡すだけで問題なし!》
「脳を.....明け渡す?」
要するに強制的に脳をフル稼働させて計算させているわけだ。
とんだ化け物スキルだな....
「それにレベル1でこの説明文....これが最高レベルなのか。」
斬撃のスキルは数十冊の辞典を引いて調べてみたが見当たらなかった。
もっとも、代わりに"衝撃波"というそれらしいスキルはあったが....
"演算"すれば衝撃波も忽ち斬撃に、ということか....?
いや、そんなもの連発したら脳が処理不全になるな...
――"ロッソシュナイダーは筋肉も脳なんですって!"――
―彼の脳裏にギルドで聞いた彼女の言葉がよぎる。
..........
筋肉まで脳....なら納得だ。
脳が全身に分散していれば焼き切れる心配もない。
ズルいな...おっと、本音が。
でも"演算"の負担に関しては、そもそも使ってないからな....これが原因ではあるまい。
そうだ。
きっとビールの仕草だ、全てはビールの仕業...
「これは僕の信仰心が至らぬゆえ....あぁ、主よ! 罪深き我を赦し給え!」
導き出された結論は一つ....
懺悔だ、教会へ行こう!
................
思い立ったが吉日...
向かったのはウーシア教エール教会の研究棟だ。
近代末期の銀行を思わせる重厚な石造りの外観が僕を迎えてくれる。
後は守衛にIDカードを提示し、入り口で白衣を羽織るだけだ。
手慣れた足取りで目的の研究室の扉を開けると、そこには一人の女性がいた。
「ブラザー? 今日は非番のはずでは?」
「シスターよ、天啓が下ったのだ...私もこの研究室の構成員、来訪に異論はあるまい?」
「天啓か....ククッ、我が琴線を刺激する言葉だ。
我が魔力の奔流が、そのカオスを蹂躙するッ!」
この人も相変わらずだなぁ...
スタンピードの時も"奔流が"と叫んでいたが、よほどそのフレーズが気に入っているらしい。
「だが貴様には、乙女の守護という名の命題があるのだろう?
何故、この“亡者の墓場”へ来たのだ?」
「先程も言っただろう...天啓だ。」
「ふっ、ならば我は我が深淵を深めるとしよう....」
―彼女は机の上の硝子ケースを見つめる。
その中には数十頭のウィザードラットが蠢いていた。
彼はふと、周囲を見渡すが他の研究員の姿はない。
「他の同志はいないのか?」
「奴らは愛という名の鉄鎖に繋がれた哀しき玩具なのだ...」
「要するに、みんなデートか。」
―"ところで"と彼はケースの中のラットに視線を戻す。
「そのウィザードラットを使って、何の実験をするつもりなんだい?」
―その問いに、彼女はなぜか怒りの色を露わにする。
「貴様.....血の契約を廃するか!
何故、羊どもの如き凡庸な言の葉を謳う!」
「否、我は深淵への潜行を試みていたのだ(今は眠いから、中途半端なものは避けたい)。」
「さ、あらば....あ、ラットってこれのことですか?」
シスターの口調が急に丁寧になった.....これに合わせろということか。
まったく、面倒な人だ。
―自分のことをキャビネットの最上段に置いておき、よく言うものだ...
だが、彼女から返ってきたのは否定ではなく疑問であった。
「そう言えば、アルフレッドさんは入信されてからすぐここに配属されたと伺ったのですが、何を研究されていらして?」
「入信からすぐ...君は違ったのかい?」
「私の場合は、改宗から四週間と三日でここに配属されました。
これでも早い方なんですよ?」
「へぇ、そうなのか...」
確かに、僕がここへ招かれた経緯は少し特殊だったかも知れない...
ローズと契約した日、神父様から学問の嗜みを聞かれ、数学や生物学への造詣を語ったところ、"変態学者のアルフレッド"としてスカウトされたのだ。
早朝のギルドで魔力理論のノートを一心不乱に(二、三回発狂しながら)書き殴っていた姿がどうやら見られていたらしい。
「....ザ.........ラザー........ブラザー? 聞いてますか?」
「あぁ、すまない。 少し記憶を思い返していて....」
「そうですか。 それで何を研究されているんです?」
「魔素について、かな。 根源を知りたいと思うのは人の常だ。」
「魔素ですか....挫折する人も多いですが、頑張ってくださいね。」
―彼女の激励を背に、彼はふと異変に気づく。
「ところでシスター.....そのケースの蓋、開いているように見えるのは僕だけかな?」
「ケースの....蓋.....!? まずいです、一匹逃げ出しました!
捕まえてください、アルフレッドさん!」
―彼は反射的に体を動かした、その瞬間...
「うわっ!?」
―彼の体は派手に宙を舞い、背中から大理石の床へ叩きつけられた。
足元を見てみれば、凍りついているではないか。
勿論、逃げ出したラットが放った"フリーズ"だ。
「大丈夫ですか!? あっ、待て! ――"ブラッディ・バインド"!」
―彼女の手から放たれた血の縄が逃亡者を見事に締めつける。
ラットの捕獲を喜ぶシスターの声が遠くに聞こえる中、彼は仰向けのまま目を見開いた。
"クワッ"という擬音語が良く似合う程までに...
「おぉ...」
―彼の脳に火花が散った。
演算スキルが起動したわけではない。
転倒した衝撃、凍りついた床の魔力残滓、そして今までの自己研究....
バラバラだったパズルのピースが一気に組み上がる。
........
「エウレーカ!!!!!!!!!!!!」
「わぁっ!? 急にどうされたんですか!?」
「これだ....これだったんだ! あぁ、完璧に見えたぞ!」
―床に転がったまま叫ぶ彼の脳内には今、この世界の真理を解き明かす"魔力理論"の完璧な順序が黄金の光となって溢れ出していた。




