第50話 ロッソシュナイダー戦-Ⅴ
―彼らの眼前を陣取るそれは、もはや"仕立て屋"ではない。
脅威の技術を振るう怪異の格は消え、ただ目の前の獲物を咀嚼することのみを目的とした一匹の大熊である。
変わったのは構えだけではない、その外装には焼け爛れた肌を突き破るようにして武骨で無機質な鎧が現れた。
恐らく、皮下に忍ばせてあった死細胞の積層構造か何かだろう....
.......
「フレッド、下がって....!」
―その場で立ち尽くす彼にローズは叫ぶ。
だが、彼に下がる場所などない。
背後には渓谷の冷たい風が吹き抜ける断崖が無慈悲に口を開けているのみである。
フレッドは言葉を返さず、震える指先で魔力を集中させる。
「"フォトニックセイバー"!」
本格的に矢は役立たずか.....近接戦ならもうこいつしか頼りはない...!
―"フォトニックセイバー"
光を極限まで収束させたその刃は触れるもの、その殆どを断つ。
また、その強力は特性は"刀身"にのみ発揮される....
..........
「...ッ!」
消えた...一体、どこに!?
―"紅毛"の爆発的な踏み込みはフレッドの視覚フレームを追い越し、次の瞬間にはフレッドの懐へと潜り込んでいた。
「うぐッ....あぁぁっ!」
―その様子は防戦一方...
赤毛の爪はもはや"裁断"ではなく、質量を伴った"破砕"へとフェーズを移行させていた。
―彼は脇腹を潰されながらも"閃光の剣"を即座に叩きつける。
光の刃は鎧を紙のように易々と切り裂いた...
だが、狩り途中の強者は自らの肉が両断されることを恐れない。
そのまま強引に軸をずらし、急所を守った。
「しまっ....!」
―狙いを見失った一握りの刹那、刃は奴の体を通り抜けるが致命傷に至らない。
逆に、回避行動によって威力を増した獣の体当たりがフレッドの衣を突き破り、その体を断崖の縁へと弾き飛ばした。
.......
「がはっ...!」
―肺の空気が強制的に絞り出され、彼の視界は火花を散らす。
フレッドの体は渓谷の縁で辛うじて止まった。
だが依然、背後は奈落の底である。
........
「....ぁ....ぁ.....ッ!」
―肺が酸素を拒絶し、指先から力が抜けていく。
立ち上がろうにも膝が笑い、視界は暗がりを視る...
まさに"絶体絶命"
彼の耳元へと揺れる死の足音が迫っていた。
「フレッドッ....!!」
―響きわたるはローズの悲鳴。
フレッドの意識が虚無に染まりかけたその時、雷鳴のような衝撃音が彼の鼓膜を震わせる。
―ゴォォォォォンッ!!
横から飛び込んできたローズが、自身の体重と遠心力の統べてを乗せ、ロッソシュナイダーの横面を強烈に"殴打"する。
それは、ポンメルを犠牲にしての特攻である。
それは剣術ではない。
愛する者を救おうとする女の、剥き出しの蛮勇...
巨獣の首が不自然な角度に曲がり、フレッドを奈落へ押しやっていた圧力が一瞬だけ霧散した。
......
「今のうちに、立って! フレッド!!」
―彼女は意識朦朧とするパートナーの腕を掴み、引き上げる。
「大丈夫、あなた?」
「あぁ...」
「さぁ、ここから攻勢に出るわよ!!」
―彼女は意気揚々に語る。
だが、いつの間にか背後に回っていた"野獣"には気付かなかった......
「うわぁぁぁっ!!!」
―体勢を崩しながらも、ロッソシュナイダーは反射的にその鋭利な鉤爪をローズの無防備な右腕へと叩きつける。
その軌道上に位置していた高硬度の剣身は横からの加圧に耐えきれず、白銀の粉を散らして玉砕する。
「……っ、あ、ああぁぁぁっ!!」
―まるでハムでも切り分けるような音の直後、女性の悲鳴がその場を包む。
流血が全体を覆うローズの右腕を見れば、理由は自ずと分かるだろう。
..........
―だが、時を同じくして苦しむのがもう一人いた....
彼女の守護者、アルフレッドである。
「ぐ、あああぁぁぁぁっ!!.....くっ、この獣ォ!」
―自身の腕が砕かれたかの様に焼き付く激痛...
契約の縛りによる痛みという名の戒めである。
だが、その絶叫するほどの痛みが麻痺しかけていたフレッドの脳に冷水を浴びせた。
恐怖を塗りつぶすほどの痛みが、彼を再び戦場へと駆り立てる。
.......
もう、魔法を編む時間はない。光を収束させる集中力も残っていない....
―フレッドは右腕の痛みを食いしばり、動く左手で腰のコンバットナイフを乱雑に引き抜く。
泥を噛み、獣の咆哮を正面から浴びながら、彼は死の淵から這い上がるように跳んだ。
「うわぁぁぁ!!」
― 狂的な雄叫び...実に野蛮で美の欠片もない行為である。
だが、そんな存在でも今の彼には十分だった。
........
―"絶対に...ここで仕留める!"―
―迫り来る野蛮人に対して、ロッソシュナイダーは顎を下げ、牙を見せる。
素早い筋収縮が牙を剥いた主体を前方へと推進する。
だがその牙が届くよりも早く、フレッドは獣の眉間....唯一装甲に覆われていない剥き出しの急所へ左手のナイフを全体重とともに突き立てた。
.........
"ズブり"と吸い込まれるような確かな手応え....
「これで....終わりだ!!」
―彼は魔力を再度、集中させる。
それは単に魔力を流し込むのではない。
血管の中に、神経の中に、フレッド自身の存在すべてを冷たい殺意に変えて叩き込むのだ。
「"フリーズ"......眠れ、永久に....!」
―ナイフを起点に青白い冷気が爆発的に伝播した。
ロッソシュナイダーの咆咆が肺の中で氷結する。
狂気に染まった瞳が瞬時に白濁し、熱を失った巨体は音を立ててその場に沈み込んだ。
.........
―静寂が渓谷を支配する。
フレッドはナイフを握ったまま、荒い息を吐きながら冷たくなった獣の体の上に突っ伏した。




