第2話
刑務官、牧田典之の府中刑務所での初仕事は”鉄仮面”に昼食を運ぶことだった。
新卒で千葉刑務所に勤務した後、一年後にここ府中刑務所に異動になった。
昼食の盆を持ったまま、別館最上階にエレベーターで上る。
ほぼフロア全体が受刑者一人用の部屋だった。
床一面に絨毯が敷かれ、ダブルベッドのある寝室の他、ソファーのあるリビングルーム、ダイニングキッチンと冷蔵庫、デスクと本棚がある書斎、壁際のドアを開けるとユニットバス。
入口が鉄柵で囲われた檻になっていなければ、独房ではなく、高級ホテルのスイーツルーム顔負けの豪華さだ。
受刑者はソファーに座り、膝に載せたノートPCで遊んでいる様子だった。
覆面プロレスラーのようなマスクをかぶっているので顔は見えない。目、鼻、口が開いており、特に口の部分はしっかり開いているので、マスクをかぶったまま食事もできそうだ。
この覆面受刑者は他の受刑者と違い、受刑服は着ていない。普通のカジュアルウェアを着ている。
「203号、昼食だ」
牧田はそう言い、盆出し入れ用の鉄柵の小さいドアを鍵で開け、持ってきた昼食の盆を入れる。入れるとすぐドアを閉め、鍵をかける。
盆全体がクローシュで覆われていたので、牧田は今日の食事メニューを知らない。
覆面受刑者が無言のままソファーから立ち上がり、盆を受け取ると、再びリビングルームに戻り、テーブルに盆を置く。
受刑者がクローシェを開ける。
牧田は思わず、吐息を漏らす。
フォアグラ入りビーフウエリントン、エッグスラット、トリュフとキャビア入りのサラダ、クラムチャウダー……。
こいつ、おれよりいいもの食ってるぞ。なんで受刑者のくせにこんなご馳走にありつけるんだ。
牧田は不審な面持ちで受刑者203号の独房を後にする。
鉄仮面のうわさは牧田も職場で散々聞かされていたが、まさかここまでとは思わなかった。
府中刑務所には覆面をかぶった謎の囚人がいる。彼はVIP待遇で豪華な独房に収監されている。
上司から、受刑者203号には私語を慎むこと、やむを得ない理由がないかぎり彼の素顔を見ないことが厳命された。
フランスでは17世紀後半から18世紀初頭にまたがるルイ14世治下、バスティーユ牢獄に仮面をかぶらされた謎の囚人がいた。彼は特別待遇で豪華な独房に収監されていた。
この実話をもとに作家アレキサンドル・デュマが小説「鉄仮面」を書き、ベストセラーになった。「鉄仮面」は何度も映画化され、実話より小説の方が有名になった。
実話の囚人は鉄の仮面ではなく、黒ビロードの仮面をつけていた。
この囚人の正体はだれか。デュマの小説では国王ルイ14世の双子の弟ということになっている。
実話の囚人の方は諸説あるが、1987年、ハリー・トンプソンが「鉄仮面――歴史に封印された男」を書き、鉄仮面の正体は近衛連隊長の息子、ユスターシュ・ドージェだと説いた。これが現在のところ一番有力な説らしい。
実はルイ14は先代ルイ13世の血を引いておらず、近衛連隊長と先代皇后が不倫してできた子だが、これは国家機密となった。ところが近衛連隊長の息子が異母兄弟のせいでルイ14世そっくりの顔をしていた。しかも息子は10代半ばに反抗期に入り、不良グループのリーダーになった。またこの国家機密を人通りの多いパリの広場でばらそうとして警察に逮捕された。
受刑者203号は現代の鉄仮面と言ってよかった。
あらゆる点でフランスの本家鉄仮面と共通している。
牧田はエレベーターの中でそう思う。
特に一番共通しているのが、鉄仮面の正体が国家によって厳重な秘密にされているということだ。
一体、あいつは何者なのか。
牧田が刑務官の事務室に戻ると、見知らぬ刑事たちが来ていた。
(つづく)




