第10話
「どのようなお顔に整形いたしましょうか」
外科医の加藤正は目の前の患者に言う。
「しわなどをお取りしましょうか」
患者は加藤とほぼ同年配、五十歳前後の女性だった。
「少し若く見えるようにしてもらえませんか」
患者が言う。
「細かいところはお任せしますわ」
診察室には加藤と患者が向き合って座っている。
患者は北島公子と名乗った。どこがで見た顔だが思い出せない。
ただ上品な立ち居振る舞いから、上流階級や富裕層の人間らしい。
診察室の隅には看護師の若い女性の他、患者の付き添いのスーツ姿の男性が二人佇んでいる。彼らが何者なのかわからないが、患者の秘書のようでもあり、ボディーガードのようでもある。
先ほど八重樫祥子から電話があり、一人の婦人が整形手術しに『加藤外科クリニック』に来院するとのことだった。取引先の上客なので丁重に扱うようにとの指示も受けた。
治療費は保健適用外になるだろうが、すべてエイトナインスリー社に請求書を出せとのこと。つまり祥子の会社が費用をすべて立て替えるという意味だ。
「若頭のご指示ならしたがいます」と加藤が答えると、「若頭はやめなさい。社長と呼びなさい」と祥子からたしなめられた。
『加藤外科クリニック』は八重樫ビルの3階にあった。
もともと八重樫組のヤクザの”出入り”、つまり他の暴力団との抗争による怪我の治療を目的とした診療所だった。
ドスで刺されたならともかく、銃で撃たれたとなると通常の病院で治療したら後が面倒だ。警察に銃刀法違反などの罪状をかぎつけられやすい。
これを防ぐため、あらかじめ八重樫組と癒着した医療機関が必要となる。
最近は中絶手術がクリニックの主な収入源だった。
八重樫組傘下のデリヘル店の風俗嬢や、同プロダクション所属のAV女優など、堕胎の依頼が多かった。
ところが美容整形の依頼もなぜかこのところ増えつつある。
「こちらをどうぞ」
加藤は公子にカタログを手渡す。
「このカタログをご覧になって、お好きなお顔を選んでいただけますでしょうか。
もともとのお顔から大きく変えることは難しいですが、できるだけご希望に近いお顔に近づけるよう努力させていただきます」
公子はカタログのページをめくり、丁寧に写真を見ていく。
女はいくつになっても、きれいになりたいんだろうか。
加藤は公子に気づかれぬよう、横を向いてほくそ笑む。
こっちも商売だが、その年で若いイケメンでも引っかけるつもりなんだろうか。
東京ビッグサイトはいつになくものものしい警備体制が敷かれていた。
半導体業界の展示会が午後2時から東展示会場で開催され、南野静子首相が開会式で祝辞を述べ、その後テープカットにも参加する予定になっていた。
野島真一はスマホとブルートゥースで接続したワイヤレス兼コードレスのヘッドセットを右耳にかけ、2階の吹き抜けから眼下の会場を見回していた。
「青木、そっちはどうだ」
野島がヘッドセットに話しかける。
「異常ありません」
青木の声がヘッドセットから聞こえる。
青木正樹は1階にいた。右耳にヘッドセットをかけている。
「ところで鉄仮面はどうした」
野島の声がヘッドセットから聞こえる。
「会場にいるはずです」
青木が答える。
「鉄仮面は首相のヒットマンを探して狙撃するつもりです」
「ヒットマンのヒットマンか」
「ええ。われわれ警察だとヒットマンを見つけ次第、逮捕しないとまずいですが、その前に彼がヒットマンを処分するつもりのようです」
「そういう汚れ仕事は彼に任せた方がいいな」
野島は2階吹き抜けから眼下の青木の姿を確認した。
「ちなみに鉄仮面と連絡取れるか」
「警部、あなたの反対側にいますよ」
鉄仮面の声がヘッドセットから聞こえる。
野島が顔を上げると、吹き抜けの反対側に冴島陽介の姿が見える。
通話アプリで三者通話していたことを野島はようやく思い出す。
1階の演台では南野首相のスピーチが終わり、拍手が聞こえる。
TK(=鉄仮面)はふと清掃員の緑の制服を着た金髪の白人男性が野島の背後にいるのに気づく。
白人男性はしゃがみ込み、清掃用具に見せかけたアサルトライフルを素早く組み立てる。
「警部、後ろ」
TKがヘッドセットに叫ぶ。
野島が振り向くより早く、白人男性は野島の頭をアサルトライフルの銃床で殴る。
野島はうずくまる。TKはジャケットを左右に開き、拳銃をショルダーホスルターから抜く。
白人男性は銃口を1階の南野首相に向ける。
銃声が響き、アサルトライフルを抱えた白人男性の体が2階の吹き抜けから1階に落ちる。
会場から悲鳴が上がる。白人男性の額から血が流れ、2階のケッヘラー&コッホの銃口から煙が漂う。
1階で清掃員の恰好をした黒人男性がテープカットの舞台に小走りで近づく。
黒人男性の手に拳銃が握られていることをTKは咄嗟に気づく。
銃声が数発響く。
警備の警官たちも銃を抜き、応戦する。
会場の一般人たちは頭を抱えて床に伏せる。
銃声がやむと、南野首相が血まみれで仰向けに倒れている。
なんでことだ。TKは胸の中で舌打ちする。スナイパーを二人も用意していたとは。
黒人男性も腹などを数発撃たれて死んでいる。だが遅かった。
「今日は暇ですね、外来患者はゼロですし」
看護師の女が言う。
まったくだ。加藤正はそう思う。こんな日もあるだろう。
待合室に行ってみるとだれもいない。
加藤正は何の気なしにリモコンで待合室のテレビをつける。
「断じてこのようなテロ行為は許せません」
テレビ画面では南野首相が記者会見の席で毅然と言い放った。
「犯人は逮捕されたという情報が入ってますが、警察および関連部署には事件の全容解明と再発防止に全力をつくすよう強く要請いたします」
テレビ画面は切り換わり、祭林明容疑者という中国国籍の男の顔がクロースアップになる。
アナウンサーの説明では、先ほど東京ビッグサイトで首相暗殺未遂事件が起きたとのこと。
犯人は銃で首相を狙ったが警備員に現行犯逮捕され、首相に怪我はなかった。
不意にクリニックの自動ドアが開き、人を載せたストレッチャーが入ってくる。
「急患よ」
八重樫祥子だった。
「早く応急手当てして」
血だらけの初老の女を載せたストレッチャーを二人の男たちが運ぶ。彼らはおそらく八重樫組の組員だろう。
加藤に指示でストレッチャーを診察室に運ばせ、患者の腕を取ってみると脈がない。
「君、ペンライトを頼む」
と加藤。
看護師が加藤にペンライトを手渡す。
目にペンライトを当てると瞳孔が開いている。
「残念ですが」
加藤が言う。
「もう患者さんはお亡くなりになりました。念のため、心電図でも調べてみますが……」
「ちょっと遅かったかしら」
と祥子。
加藤はふと亡くなった患者の顔をまじまじと見つめる。
先ほどテレビで見た南野静子首相にそっくりだ。
まさか、本人ということはないだろうな。さっき、テレビでは生きていたし……。
加藤の脳裏には様々な憶測がうずまいた。
(つづく)




