第1話
週末の夜、歌舞伎町に来たのはひさしぶりだった。だが喧噪はいつも通りだった。
どうも落ち着かない。ここは健全な人間が来るところじゃない。
警視庁捜査四課、通称マルボウの野島真一警部はそう思った。
マルボウは暴力団担当部署という意味だった。
「今日も混んでますねえ」
部下の青木正樹巡査が言った。
野島にそれに答えず、不愛想に進んでいく。
野島は四十過ぎの中年、青木は二十代後半の青年。ともにスーツ姿で筋肉質の体型だ。
景観を破壊する派手で毒々しいネオンサイン。
風俗店から連呼される大音響の下卑たアナウンス。
「のぞき部屋、2000円ポッキリだよ」
呼び込みの若者は茶髪にピアス。腕にヘフナタトゥーを入れている。
脳をかきむしるようなヘビーメタルの狂ったリズムが飲食店のカレーの臭いに溶け混じる。
そしてそれらすべてをごった煮にする通行の人ゴミ。
野島は道に飛び出した「性感メンズエステ」の看板に思わずぶつかりそうになる。
おれたちはこの街では異端者かな。
野島は胸の中で独り言ちる。
やがて目指すビルは見つかった。
『八重樫ビル』は一見、ペンシルビルに見えるが奥行きがかなり長い。
1階がパチンコ店『ガチンコ』で客は満席に近かった。
野島たちはエレベーターで2階に上る。
会員制カフェバー『ユイット・ナフ・トロワ』はエレベーターを降りるとすぐ入口が見つかる。
豪華なマホガニーのドアだ。
野島はICカードをドアの横のリーダーに差し込む。ICカードはリーダーに吸い込まれ、またすぐ出てくる。ドアが自動的に開く。
野島と青木は中に入る。
薄暗い空間に巨大なスクリーン。80年代のロックとそのミュージックビデオが流れている。
手前にテーブル席、店の奥はカウンター席が並ぶ。
客はまばらだった。
ウイスキーを飲みながらサンドイッチやショートケーキをほおばっている客がいる。
野島と青木はカウンター席に並んで腰かける。
「ご注文はお決まりですか」
カウンターからバーテンが訊く。
「サイトーカクテルないかな」
野島が答える。
「あいにく、そんなメニューはありませんが」
「カルピスの原液にウイスキーを混ぜるんだよ」
バーテンは意味ありげにうなずく。
「ではシークレットバー『酒池肉林』にご案内します。こちらです」
背後から蝶ネクタイをした店員が野島たちに声をかける。
野島たちは立ち上がり、店員が進む後をついていく。
「今のは」
青木が言う。
「暗号だったんですか」
「そうだ」
野島が言う。
「地階の別の店に行くための暗号なんだ」
店員は壁の隠し扉を開けると、下の階に続く、螺旋階段が現れる。
店員は螺旋階段を降りていく。
野島たちもその後に続く。
「1階はパチンコ店『ガチンコ』ですが、この階段はその下の地階まで続いています」
店員が説明する。
「『酒池肉林』は地下1階にございます」
やがて地下1階に着く。入口の上には『酒池肉林』の電光看板が見える。
照明は『ユイット・ナフ・トロワ』よりさらに薄暗く、ピンク色の証明が全体を包んでいた。
広い空間に丸テーブル席が並び、中央のステージではマイクロビキニ姿の二人の若い女性ダンサーがポールダンスを踊っている。
丸テーブル席の客たちの何人かはカクテルなど酒類を飲んでいたが、残りの客は白い粉を鼻から吸ったり、腕に注射していた。
白い粉は覚醒剤に違いなかった。
「手はず通りいくぞ」
野島が青木につぶやく。
青木は拳銃を取り出し、天井に一発、発射する。
銃声がつんざき、ミラーボールの一つを壊す。
客席から悲鳴が上がる。
「警察だ。おとなしくしろ」
野島は警察手帳を周囲に見せる。
「この店の責任者はだれだ」
野島は周囲をにらみつける。
しばらくすると小太りの中年男が現れる。
「このフロアは私が店長をやってますが」
「おれは警視庁の野島だ。オーナーの八重樫祥子に司法取引の話があると伝えてくれ」
「……」
「早くしろ。もたもたしてるとおまえら全員、逮捕だ」
中年男はそそくさと店の奥に引っ込む。
中年男と入れ違いにやせぎすの青年が現れる。
「オーナーは野島警部にお会いになると申しております。こちらへどうぞ」
青年はフロアの端のエレベーターに野島と青木を案内する。
「警部さん、こんな派手なことなさらなくても、最初から私にご連絡下さればいいのに」
八重樫祥子が言う。
30歳にしては若く見える。黄色いシャツにカーキのロングスカート。
この女はなにを着ても似合う。
野島はそう思う。
応接室のテーブルには祥子と野島が向かい合って座り、野島の隣に青木が座った。
先ほど『酒池肉林』の店員がエレベーターでビルの最上階、6階の祥子の自宅に野島たちを案内した。
店員はそこで帰り、野島たちは祥子に応接室に連れて行かれた。
「しかし、今回は大きい案件なんだ。絶対にしくじるわけにはいかない」
野島が言う。
「おれも直接おまえに要件を話そうとしたんだが、警視総監から直々の命令でね……。
司法取引で脅迫すれば先方も断れない。これがの警視総監の作戦だ。『酒池肉林』で麻薬吸ってた連中だけでなく、麻薬を販売していた店員たちも全員無罪にしとく。
それからそちらの言い値で払う必要経費以外に成功報酬で3億円用意する。前金で5000万円支払う。どうだ」
「ただし、すべては八重樫さんがこちらの依頼を受けていただくことが条件ですが」
青木が口を挟む。
「マネーロンダリングしたいから」
祥子が言う。
「とりあえす報酬は1階の『ガチンコ』でパチンコ玉に換金してくださらない。まともに3億円稼いだら、税金払うのたいへんだし」
「あいかわらず、おまえは金融リテラシーが高いな。もちろんマネロンには協力する」
野島が言う。
マフィアが麻薬取引など非合法な手段で儲けた金をマネーロンダリングする手口は様々だが、よくあるのがカジノを利用する方法だ。
マネーロンダリングしたい金でカジノのチップを買い、そのわずか一部のチップを使ってカジノで遊んで負けた後、残りを現金に換金する。カジノで負けた額がカジノへのマネロン手数料となる。
カジノから換金された金は後で役所から調査が入っても出所不明となる場合が多く、脱税もやり放題だ。
「ところで警部さん、どんな要件なんですの」
「実は例の”鉄仮面”が必要になりそうなんだ」
「えっ?」
「つまりおれたちは鉄仮面にだけ要件と言うか作戦を話し、おまえはただ鉄仮面に言われた通りに動けばいい。あいつが必要と判断したときはおまえにもすべてを教えるだろう」
「われわれの方で鉄仮面を保釈しておきますから」
青木が言う。
「八重樫さんは彼をしばらくかくまってほしいんです」
「冗談じゃないわ」
祥子は怒って立ち上がる。
「話の全貌がわからないんだったら、協力なんかできません」
「じゃあ、おまえを今逮捕しなきゃならん。麻薬取締法違反でな。それでもいいのか」
「そんな脅しは怖くないわ。私を逮捕しなさいよ」
祥子は両手首を合わせて野島に差し出す。
(つづく)




