ep.07:ぷるっと実験中
「──さて、そろそろ“実験”の時間だね」
淡い光に包まれた研究室の中央で、私はウキウキとした気持ちで試験管を両手に構えた。
生前の理科や科学の時間も、実験って響きが好きで座学なんかよりもずっと前向きに取り組んでいたものだ。
そう遠くもない過去を思い出し、にやける口元をどうにか抑えながら真剣な表情を取り繕う。
まだまだ再生できていないボロボロゾンビフェイスでにやけたって、ただのホラー画像にしかならないしね。
試験管の中に満たされた半透明の液体は、昨日までの私の努力の結晶……そう、七百リットル以上の“スライム粘液”だ。その光沢は、まるで上質な美容液の様である。
スライムの粘液全てから、それぞれの成分を抜き出し、分けて、配合分を変えながら混ぜ合わせ……。
(これが、スライムのしずく美容液──か……!)
寝ずに研究を続けた結晶が、目の前にある。
────だが、どうしても課題がひとつ残っていた。
粘液そのものの保湿力は高いが、その分どうしてもべたついてしまう。
前世の自分も美容液を塗りたくった後は、愛犬の毛が顔中にひっついてしまうのがそれはもうストレスだった。
今でこそペットは飼っていないが、配下には毛むくじゃらな種族もいるため、今世でもべたつきは大きな課題になりそうだった。
「モルガント、このべたつきを抑えたいんだけど……。
美容液をそのまま肌に塗布する以外に何か方法ないかな」
「ふむ……、そもそもこうした液体を肌につけるという概念がなかったものですから……。
私から良い考えを提案することは難しいですね」
モルガントは骸骨であるにも関わらず、その眼窩が微妙に動くため表情が読みやすい。
今も、私の問いかけに知識を振り絞るが、役に立てる知識がないことを憂いている様子が読み取れる。
「……そっかぁ、昨日言ってた“ゲル化”の理論って……どうにか使えないかな?」
「ふむ、魔力の干渉を極力抑え、核だけを破壊すれば、スライムの体組織は“ゲル”として安定する可能性がありますな」
「つまり──生け捕りすればいいってことか!」
私はヒントを掴むと、勢いよく立ち上がった。
その声に、傍で書類を整理していたルシファーが眉をひそめる。
「まさかとは思いますが……
沼地に直接向かわれるおつもりでは?」
「え、何か問題ある?」
ルシファーの反応に、私は眉根を寄せた。
困惑する私に、ルシファーは丁寧に説明してくれる。
「魔王様、”これ以上信仰値が振り切るのはヤバイ”と仰っておりましたので……。
また魔王様ご自身が戦地に立たれようものでしたら、信仰値はそれこそ振り切れる勢いで上昇しますよ」
「うわ、それはダメだ。
これ以上信仰値が上がったら、何かしらの法に触れそう」
ほんとに信仰爆上がりイベントやめてほしい。
そう切実に願う。
これ以上信仰値が上がって、「魔王様のために」をスローガンに、私に害を成す人間を滅ぼそう!とか過激な考えをする人が出てくるかもだし、手柄を立てようと逆に人間に害を成す人が現れたら、それこそ私は勇者に討たれてしまうだろう。
今はまだノエルに出会うこともできていない。
更にレベルもまだまだ底辺だし、このままでは下手したらその辺の冒険者にだってやられてしまう可能性がある。
次にまた魔王としてこの世界にリスポーンする可能性も未知数。
もしかしたら今世が最期になるかもしれない。
そう考えると志半ばで人生の幕を下ろすわけにはいかないのだ。
とはいえ、やることは決まっている。
「────バアル、いる?」
「は、ここに」
声掛けにすぐに応じ、目の前に現れ頭を下げるバアル。
数日前に名付けた時とは服装を変え、今では執事のような燕尾服を着用している。
「北の沼地からスライムを数体、生け捕りにするよう現場に伝えてきて」
「魔王様の御心のままに」
「物理攻撃やちょっとした刺激で増えちゃうから、
生け捕りにする際は布、もしくは瓶に入れて密閉するように。
布の場合は柔らかく包むように捕獲して!」
「承知いたしました」
バアルは腰を折りお辞儀をすると、そのままするり、風のように消えた。
「はぁ~、部下が優秀で何より」
気持ちを切り替えるよう、ぐっと伸びをする。
パラパラ、悲し気かな。
落ちてくるのは皮膚の欠片たち……。
( 朝、枕に落ちた抜け毛を見るお父さんの気持ちが、今分かったよ…… )
切ない気持ちを閉じ込め、私は試験管の中身を隣の試験管に移して、を繰り返し、実験を続けた。
美容液をそのまま塗るだけではべたつくし、浸透性が悪い。
スライムのあのぷるぷるボディを上手く利用できれば、現世でも流行していた「ハイドロゲルフェイスパック」が出来るかもしれない。そうすれば、液体が垂れてしまうこともないし、浸透率も上がる筈。
そう予測を立てて、私はほくそ笑む。
あのひんやりとした感触、吸い付くような潤い。
(まさか異世界で、自分で再現することになるとはね……)
***
生け捕り依頼を出した翌日。
バアルがうっすらと青い、半透明の物体が入った瓶を三つ持って研究室へと戻って来た。
「あ!スライム!?
無事生け捕りできたのね!」
「は、しかし、やはりちょっとの刺激で分裂してしまうため、数は多く捕れず……。
情けない限りです」
しょぼん、とするバアルに私はにこやかに駆け寄る。
「三匹も捕えたんでしょ?
上出来上出来!
できなかったことより、出来たことをまずは褒めようよ!」
そう言って、私はバアルから瓶を受け取り、実験台の上に一匹取り出す。
モルガントが魔法でスライムの動きを制御しながら、雷系の魔法でそっと中央の“核”を砕いた。
緻密な魔力操作に、思わず見とれてしまう。
――パリンッ。
淡い光が弾け、スライムの体はふるりと震えて静止し、その場に溶けた。
そこに残ったのは、ぷるぷるの半固体状ゲル。
「……おお!ゲル状だ!!!」
興奮冷めやらぬ声は、定番の“ズガァン!”ボイス。
しかし、さすがは選ばれし幹部たち、誰も驚かない。
私の爆音ボイスにはもう慣れた様で、特に驚いたり反応したりすることはなく、目の前のスライムに注視する。
「なんと、美しき透明度……!」
とろり、形状を保たなくなったゼリー状の物体は核を壊した瞬間綺麗な無色透明に変わった。
生きている時はうっすら青みがかっていたのだが、それがなくなり本当に透き通ったゲル状になったのだ。
「スライムのあの色は魔力の色だったりするのかな……。
ルシファー、この現象をしっかり書き残しておいて」
「承知いたしました」
ゲル状になったスライムは、顔に張り付けるには容量も多いし何より分厚い。
これを薄くスライスして美容液をしみ込ませることができるかが、次の課題となる。
「薄く、スライスして、厚みによる美容液の浸透率を見よう」
「では、風魔法の応用でこの物体を数ミリ単位で厚みを変えながらスライス致しましょう」
「そんなことできんの?
モルガント、すご~」
そんなやり取りをしていると、不意に室内の影がわずかに揺れた。
黒い霧のようなものが床から滲み出て、形を成す。
「……魔王様。ご報告がございます」
低く、艶のある声。
レイヴンだった。
「レイヴン? 今ちょうどパック実験中なんだけど……何かあった?」
「ええ、“人間界”より少々、気になる話を。……例の、少年についてです」
一瞬で、心臓が跳ねた。
「……少年?」
「名を、ノエル。北方の辺境領にて“呪われし子”として差別されているとか……」
「ノエル……」
血の気が引く音がした。
ノエル。それは確かに私の《 SEVEN SI NS ONLINE》で推していたキャラの名前であった。
(──今、この世界の時間軸、完全にノエルの幼少期だ……!)
「……ちょ、ちょっと抜けるね、モルガント!」
「承知しました。ゲルの実験はこのまま継続しておきます」
試験管を置くと、私はレイヴンと共に部屋を飛び出した。
向かう先は執務室。
執務室でレイヴンから現状掴んでいる情報を一言でも聞き逃すまいと、《思考》スキルをフル活用する。
「……ノエル……」
今現状ではノエルの所在を完全に把握していないようだが、その不遇なノエルの人生に拳を握る。
ゲームで彼が“僧侶”として覚醒する、その前の出来事。
すべての始まり。
( ノエルを救わなきゃ! )




