ep.04:ヒアルロン酸万歳
「……何はともあれ、まずはスキンケアだよね」
誰に言うでもなく呟いた瞬間、
近くの魔族たちが一斉に膝をついた。
「王が……! 再び“清め”を始められる!」
「おお……この地に潤いの風が吹き始めたぞ!」
( 乾燥してるのは世界じゃなくて、私の肌なんだよなぁ…… )
半分溶けかけた、というより崩れかけた腕を見下ろす。
カッサカサの皮膚はひび割れ、見るたびに心が折れそうになる。
推しのノエルにこの状態で会えるわけがない。
むしろ、見られた瞬間に浄化される。
( とりあえず、保湿から始めよ )
スキンケアにおいて、保湿は基礎であり全てである。
そこでふと脳裏をよぎったのが、スライムの存在だった。
ゲームの中ではレベル1でも倒せるチュートリアル敵。
意思もなく、ただ“ぴょんぴょん”と跳ね続けるだけ。
攻撃手段といえば「はずむ」「ふえる」「ひかる」の三種。
( ……マップの端で跳ねてるだけなのに、勇者パーティを認識した瞬間攻撃をしかけてくるエネミーだったなぁ )
でも、私は知っている。
この世界は“SEVEN SINS ONLINE”の中。
ゲーム内で読んだ素材図鑑の情報が頭にある。
《スライムの粘液には微量の魔素と、肌に潤いを与える成分が含まれている》
──そう、その成分とは恐らくヒアルロン酸のこと。
( よし、決まり。最初の素材はスライム粘液だ )
方向性は決まったが、問題は倒し方だ。
スライムは物理攻撃を受けると分裂する。
つまり、うっかりパンチすれば美容液どころかスライム地獄が完成する。
( 確か、“火球”が最初に使える魔法だったっけ )
私はステータスで自分の使える魔法を確認すると、しっかりと初級魔法である“火球”を使えることを確認する。
私は頭の中で美容手順を組み立てた。
( スライムを発見したら、“火球”で討伐。
そしてドロップした粘液を採取……。
……うん、完璧。まさか魔王としての初仕事が保湿になるとは)
私は軽く咳払いして、立ち上がる。
「よし、スライム狩りの準備を──」
その瞬間、玉座の間がざわついた。
魔族たちが次々と立ち上がり、武器を構える。
「王が……再び討伐を宣言なされたぞ!!」
「全軍、潤いの地へ進軍せよ!!!」
「ちょ、待っ────」
私の爆音ゾンビボイスすら、配下たちの雄叫びにかき消された。
( 潤いの地って、なんかの聖地みたいじゃん )
魔王なのに、配下の魔物たちのテンションに完全に置いてけぼりを食らうこの状況、もはや誰か通訳してくれと願いたくなり、すぐ傍にいた人型の魔物に声をかける。
「ねえ、ちょっと。
なんでスライム討伐ごときがこんなお祭り騒ぎになるわけ?」
「は、スライムはわずかな刺激────自分たちでぶつかり合うだけで
分裂してしまいます。
それ故に現在おびただしい数が北の沼地に発生しており、
そこを領とする龍人族が困窮しているとのこと」
思っていた百倍まともな返事が返ってきたことに驚きつつ、現状をしっかりと理解する。
「なんで自分たちで対処しなかったの?」
「“龍人族”は高位種でなければ魔法が使えませんゆえ」
「なるほど、物理攻撃だと増えちゃうもんね」
「は、流石は魔王様。ご明察でございます」
落ち着いた声と正確な受け答え。
この人型の魔物……種族は確か“悪魔族”。
ゲームでも中盤以降のボス級だったはず。
私はふと、その顔をまじまじと見つめた。
「そういえば、あなた名前は何て言うの?」
ゲーム内で魔物に名前が付いていることはなく、戦う時も種族名が表示されるだけだった。
けれど、転生した現実を受け入れた今、目の前の魔物はただのキャラクターではない。
実際に存在しているのだ。できれば名前で呼びたい、と思いそう問いかけるが、悪魔族は困ったように眉尻を下げた。
「名前はありません。悪魔族と呼んでいただければ十分でございます」
「それじゃあ、他の人と区別ができないじゃない。
この世界で生きるからには、あなたをあなたとしてちゃんと区別したいの。
名前がないなら、つけてあげる」
言うと、悪魔族は一瞬、息を呑み、
それから――涙目で私を見上げた。
( いや、そんな潤んだ瞳で見られても……その潤い、肌に分けて? )
「────き、恐悦至極にございます!
魔王様からお名前をいただけるなど……!」
「お、大袈裟だなぁ……。
えっと、悪魔族、悪魔……そうだ。“ルシファー”は?」
悪魔系で有名な名前といえば、で出てくる名前上位に食い込んでくるであろう名前。
壊滅的なネーミングセンスだと自覚している。
が、悪魔族はその場に崩れ落ちた。
え、そんな絶望するほど嫌だった……??
そう焦っていると、彼は顔を上げ、満面の笑みを見せる。
何その顔、心配した分返して欲しい。
「な、なんっと美しい響き……!
素晴らしき名前、しかと賜りました!
このルシファー、命を賭してその名に恥じぬ忠誠を誓います!」
「あ、はい……うん、存分に賜ってください」
( めちゃくちゃまともな人だと思ったのに……
誰よりも変な奴だったかもしれない )
そう後悔したのはここだけの話。
ルシファーとのやり取りに気を取られ、気づけば数百の魔族が整列していた。
魔法陣が輝き、旗が立ち、角笛が鳴り響く。
もう完全に“出陣式”のテンションだ。
「王よ、スライムの地は北の沼地にございます!」
「我ら、命を賭して粘液を献上いたします!」
( 粘液を献上って言い方やめて?
そもそも、そんな簡単に命を賭さんでくれ )
だが、彼らの信仰スイッチはもう入っていた。
私はため息をつきながら、仕方なく彼らの後を追った。
北の沼地――そこには、ぴょんぴょんと跳ねる
青く半透明のスライムたちが静かに群れていた。
「おお……これが、王の試練の相手か……」
「可憐なる弾性……まさに神の創造物……!」
( いや、ただのゼリーだからね?
なんなの、みんな。スライムと初めましてなの?)
私は呆れながらも手のひらを前に出し、呪文を唱える。
「"火球"」
ボッ、と淡い火がスライムを包む。
“じゅうっ”と音を立てて弾けたスライムが、
キラキラ光る滴を残して消えた。
それを拾い上げると、指先が少し滑らかになる。
元々保有していたスキル、《鑑定》で粘膜を鑑定すると、『ヒアルロン酸』の文字を確認した。
「良かった、ちゃんとヒアルロン酸だ」
そう零すと、すぐ傍にいた魔物の顔が輝いた。
ああ、またカリスマ補正が変な影響与えているな、と思うと予想通りに魔物が声高らかと宣言する。
「おお……!
魔王様が奇跡を起こされた!」
「王の御業が……!」
「見よ、潤いの奇跡だ!!
ヒアルロンサン万歳!」
( ちがう! 保湿確認しただけ!! )
指先がほんのわずかに潤っただけなのに。
魔物たちの咆哮は止まらない。
魔族たちは次々とスライムを狩り、
沼地のあちこちで火柱が上がった。
「全軍、潤いの儀を継続せよ!」
「我ら、乾きを恐れず!!」
その光景はもはや、戦場というより美容セミナーである。
「あちこちで火球使うから、結局空気が乾燥してんだよねぇ……」
はぁ、とため息を吐いたその瞬間、ステータスがピロンと鳴った。
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【LEVEL UP】
レベル:1 → 2
信仰:+200%(※美容効果なし)
美容:乾燥+130%
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