ep.09:意外と義理人情派なんです
「ダリオン様、本日の報告書になります」
「はぁい、ありがとう」
朝から晩まで書類に埋もれる毎日。
前世でもこんなに机にかじりついたのは、定期テスト期間だけだぞ……。
と心の中で文句を言いながら、今日も今日とて書類にサインをしていく。
ルシファーが有能で、書類の仕分けを完璧に行ってくれているから書類作業もそこまで苦ではないのだけれど、それでも毎日執務室内に缶詰状態だと、外で羽を伸ばしたくなるものである。
「────……魔王様、本日のノエル少年の報告書です」
「わぁ!ありがとう、レイヴン!」
自分のときと随分態度が違うな?
と言いたげなルシファーの視線を感じるけれど、気のせい気のせい。
私はレイヴンから報告書を受け取り、心の中が温まるような感覚で文字に視線を滑らせる。
内容はなんてことない日常を切り取っただけのものではあるが、今の私にとって唯一の娯楽といっても良いだろう。
『朝5時、陽も上りきらぬ頃に起床。
井戸水で洗顔をし、朝食の準備────』
こういった具合で、一日のノエルの様子を纏めてもらっているだけなのだが、端々に気になる点が見受けられる。
「……席は末席、食事量は他の子の三分の一……ね」
怒りがふつふつと腹の底で煮えていく。
しかし、これをこのまま爆発させると、今そばにいる人たちを巻き込んでしまう。
それを学習している私は大きく深呼吸をして、怒りの波を落ち着かせた。
***
────ノエル見守り隊が、私の名のもとに発足されて早一週間。
ノエルが送られた教会を特定したのが五日ほど前になり、ノエルは既に五歳になっていた。
この世界、カメラなどはないため文字だけでの成長記録ではあるが、それでも最初はノエルが平穏な日常を生きていてくれていることに、喜びを覚えていた。
『推しは人生の光。
つまり、推しにかかるお金は全て光熱費』
そんな名言を前世で見て、大変感銘を受けたので“ノエル見守り隊”のスローガンに掲げている。ノエルのことに関して掛かった費用は全て経費で落とすように伝えているのだ。
それに関してルシファーからの視線が時々とんでもなく痛いけれど、魔王覇気をほんのり滲ませることでその話題を回避しているのは、ここだけの話である。
ノエル見守り隊が毎日しっかり詳細な報告書をあげてくれる為、日々、ノエルの成長を微笑ましく見守っていたのだけれど、教会での腫れもの扱いはほんの少しずつ加速しているように思えた。
「はぁ……一体ノエルは今、どういう気持ちでどういう感情でいるんだろう。寂しいかな、寂しいよね。辛いかな、逃げ出したいかな。いっそ逃げ出してくれれば攫っちゃうのになぁ。
ていうか、ノエルに嫌がらせする奴全員────」
……おっと、この先は禁句禁句ぅ!
危うく“殲滅”なんて言葉を口走ってしまいそうになったのを、僅かに引っ掛かった理性で喉の奥へと引き戻して飲み込んだ。
「……いっそ殲滅すれば良い」
おっとぉ?この発言は私じゃないぞ、断じて。
お口にチャック。私ではない、とアピールしながら周囲を見渡すと、執務室の端で眉根を寄せ、難しい表情をするバアルがいた。
“冷静沈着”という言葉がぴったりなルシファーとは違い、感情型・激情型のバアルの思考はやや過激派である。まあ、憤怒を司る私の配下なんだから、バアルみたいなタイプの方が違和感はないんだけどね。
「簡単に言うけどさぁ……。
ノエルが今の環境をどう思っているか、彼の感情までは
この報告書じゃ読み取れんのよ。
それこそ、分からないだけでノエルを庇う大人が
いるかもしれないし、仲良しの子がいるかもしれない。
そんな中、突然攻め入ってみ??
ノエルに恨まれたら、私生きていけないもん」
ふんす、鼻息荒く捲し立てると、目の前の書類の山が吹き飛んだ。
ごめん、ルシファー。余計な仕事増やして……。
「ならば、レベル上げをするのは如何でしょうか」
そう切り出したのはモルガントだった。
ハイドロゲルパックを無事完成させ、実験にずっと付き合ってくれたモルガントの肌……というか、骨?はつやつやのピカである。
開発した美容液が、骨にまで効果があるなんて嬉しい誤算。
かくいう私の、ちょっと動かすだけで皮膚の欠片がパラパラと落ちていた時に比べると、肌のひび割れは減って、ほんの少しだけ乾燥もマシになったように思う。
「北の沼地のスライムを一掃してからは、魔物を狩っていないし他に経験値の吸収源もないからレベル上げが停滞していたんだった」
美容液の元となる粘液は五千リットル……およそ五トンも集まり、身内だけで使用する分には当分困らないほどの量を手に入れた。
そもそもスライムという雑魚中の雑魚を数多く倒したとて、得られる経験値など微々たるもの。
レベル上げも停滞していたことは悩みだったし、とモルガントの意見に前のめりになる。
「なんか良い案ある?」
問い掛けると、モルガントが自身の顎を触りながら視線を上に向けた。
「そういえば、ゴブリン村から意見書が届いていたような気が……」
そのモルガントの一言に、ルシファーが該当する書類を差し出してきた。
「────そのことでしたら、こちらかと。
辺境に住むゴブリン村からの意見書なのですが……」
ルシファーから書類を受け取り、ざっと目を通す。
《思考》スキルのおかげで、一瞬で内容を理解することができた。
「……狂暴化した魔物による襲撃と、その被害率ね……。
狂暴化の理由が記載されていないけど……、心当たりある?」
「は、そのゴブリン村があるのが、“怠惰の谷”の近くでしたね」
私の問いかけにルシファーが早速答える。
ルシファーを中心に、バアル、モルガントがそれぞれ意見を出し合い始めた。
「怠惰の王が討たれたの、何年前だ?」
「正確には分からんが、“魔素溜まり”ができるには十分の時間があっただろうな」
「怠惰の王亡き今、あの地は荒廃していましたね」
スキル《思考》をフル活用しながら、ルシファーたちの会話に耳を傾ける。
“怠惰の谷”とは、その名の通り、“怠惰の王”が支配していた領地のこと。
────原則として、“魔王”という存在は核さえあれば復活できる。
勇者だけが扱える聖剣と、勇者特有の《魔王葬滅》というスキルを使用して魔王を倒すことで魔王の核が破壊され、魔王は復活しない。
そのため、勇者を世界が求めるのだ
( ……あれ、でも私は勇者に討たれた筈……。なんで…… )
あの日、交通事故で私の女子高生としての人生があっさり終わったのだけれど、目覚めた先での人生も爆速バッドエンドを迎えた筈。
( SEVEN SINS ONLINEシリーズではそうだったけど、
最終章だけ違うエンディングだったとか……? )
"セブオン"のファンであり、そこそこやり込んだ私だけれど、残念ながら最終章と言われる"the lastchronicle"だけはクリアできなかった。
そこだけ今までのシリーズと設定が違う場合、私には知る術がないのである。
今考えたってわからないし、ということで、目の前のルシファーたちの会話に意識を戻した。
「あの荒廃ぶりからして、魔素溜まりは相当ひどくなっていそうですね」
ルシファーの言葉に、この世界の歴史を脳裏に浮かべる。
怠惰の王編は第三作目だった筈。
ストーリーの歴史背景的には、今から五年前の出来事。
ルシファーたちがしきりに口にする“魔素溜まり”というのは、いわゆる“残滓”のような物。
魔王を倒しても、その残滓がその地に溜まり、数年から数十年は人が住むことができない土地になると言われている。魔素溜まりに関しては人間で処理できるものではないらしく、自然と薄れていくのを待つしかないらしい。
( 現世でいう放射性物質みたいなものだよね )
《思考》スキルで得た情報と、目の前の会話を繋ぎ合わせながら、ルシファーたちの話に相槌を打つ。
「つまり、魔素溜まりの影響で魔物が狂暴化している可能性がある、ということ?」
私の言葉に全員が一斉に視線を向ける。
モルガントの眼窩の奥に見える青白い光が、ちょっと怖い……。
「さすがは魔王様!」
「その可能性が高いです!」
「ご明察です!」
尊敬の眼差しを向けられ、ちょっぴりむず痒い。
だってこれ、私個人の考察というよりスキルの力によるところが大きいんだもん。
「領民が困ってるなら、助けない理由はないね」
そう言い切ると、ルシファーたちが驚きに目を見張る。
え、そんな変な事言った?
困惑していると、私の感情を読むスキルでも持っているんじゃないかっていうくらい、適格な返答を持っているルシファーが切り出す。
「いえ、失礼いたしました。
ゴブリンのような弱小種族、放っておかれるのかと……」
え、嘘でしょ。私そんな冷徹に見えるの?
ルシファーの言葉に、今度は私が驚いて見せる。
「しかも辺境だしな……。
こっちまで被害が出ない限り、放っておくのかと思いました」
過激派だと思っていたバアルからも、至極冷静な回答を叩きつけられびっくりする。
突然まともにならないで欲しい。心臓が変な動きしちゃうから。
「弱小も何も、領民ってことは、私の民でしょ?
困ってるから意見書を寄越したんだし……。
それを見てしまった以上、知らぬ存ぜぬはできないよ」
そう答えると、モルガントが涙腺なんかない筈なのに涙を零した。
え、ほんと仕組みが知りたい。どうなってんの?
「っ、モ、モルガント……、感服いたしました……。
辺境の村ごと、面倒毎を殲滅してしまえば良い等
提案してしまったこと、恥ずかしい限りです」
ちょ、嘘でしょ。そんなバアル以上の過激な意見だったの、あれ。
私としてはゴブリンの村を襲う魔物だけを退治して、経験値を稼ぐ提案かと思ったよ。逆にごめんね、そこまで読み取ってあげられなくて。
「と、とりあえずゴブリンたちは助けてあげよう。
狂暴化した魔物についての情報が欲しいな……。
レイヴン、いる?」
誰もいない筈の空間に呼びかけると、
「ここに、魔王様」
私の影からするりと出てくるレイヴン。
私の独り言とか、どこまで聞いているのだろう……という心配は一先ず置いておいて、私はレイヴンに命じる。
「辺境のゴブリン村へ向かって、情報の収集を。
もし既に臨戦状態であれば、ゴブリンを守ってあげて」
「承知いたしました。
部下を数名連れて行っても構いませんか」
「もちろん。人選は任せるよ」
「ありがとう存じます。
では行ってまいります」
再びするり、影の中に潜るレイヴン。
相変わらず便利な能力だこと。
***
その日の夜。
────ピロン、
聞き慣れた音が鳴った。
ステータスに変化があったのだ、とすぐにステータス画面を開いてみる。
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【STATUS】 名前:ダリオン・ラス
種族:悪魔族
ランク:魔王(憤怒)
レベル:8→9
体力:40→50
魔力:20→30
信仰値:上昇中(上限突破)
役職:ノエルを見守り隊隊長 ⇦ new
スキル: 《カリスマ補正》《鑑定》《再生》《魔力増幅》《筋力増強》《不眠》《思考》《調合》《労働管理》《魔王覇気》
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レベルが上がった音。
それは、────開戦の狼煙だった。




