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君がいるから頑張れる

作者: 音無
掲載日:2025/10/23

 この高校3年間は好きなことだけをして過ごすんだ。


 高校入学式の日、小此木おこのぎ 杏花きょうかはそう胸に誓いながら正門をくぐった。周りを見渡すとまだ高校の制服が丈に合わずブカブカな新一年生ばかりだ。そんな中、妙に丈が合っている自分は浮いていないだろうかと、つい心配になる。


 小此木は一浪して今の高校に入った。教育熱心な親の元で育てられ、中学までほとんど勉強漬けの日々だった。高校受験時、親は県で一番の進学校への入学しか認めなかった。現役では受からず、一浪して必死に勉強し、満を持して臨んだ二度目の受験で、小此木は失敗した。


「もういいわ、あなたには何も期待しない。自由に生きなさい」


 両親はそう言い、私に第二志望の高校への入学を許可した。それ以降、私に干渉することなく、家ではまるで空気のように扱われるようになった。


 今まで散々期待されていただけあって、見放された時はとても悲しかった。でもそれと同時に、もう頑張らなくてもいいんだ、という安堵が心の中で広がった。


 この高校生活では私の思いのままに過ごそう。自堕落に生活し、好きなことだけをする。いいじゃないか、今まで散々頑張ってきたんだから。

 

「ねぇ、小此木ちゃん。これからみんなとカラオケ行くけど来る?」


「あ、行く行く!ちょっと待っててー」


 高校に入学して半年、私は望み通り毎日遊び呆けていた。気の合う友人に恵まれ、学校生活も順調。後は彼氏でも出来ればな、と思っていた。そんな矢先だった。


「小此木さん、消しゴム落としたよ」


「あ、あぁ、ありがとぅ、ございます・・」


「あはは、俺達同級生だから敬語なんていらないよ」


 トゥンク。心臓の鼓動が高まった。


 運命の出会いは突如として訪れた。小此木は一目惚れした。


 彼の名前は新井あらい けい。誰にも分け隔てなく優しく、塩顔のイケメン優男だ。


 もし新井君が彼氏になったら高校生活どれだけ素敵なものになるだろう、そう妄想を膨らませていた時、ふと新井君と仲良さそうに話す女子が目に止まった。


 女子陸上部の池田いけだ 陸美りくみ。詳しくは知らないが陸上界では随分有名で、時々彼女の部活風景を取材してくる記者がいる。更にスタイルも良くて顔も整っている。当然校内で彼女を知らない人はいないし、なんなら男女問わず憧れの的だ。


 そんな彼女が新井君と仲良さそうに話している。私にとっては耐え難い事実だ。加えて新井君は女子陸上部のマネージャーときた。常に池田と接する機会があるからいつ池田になびいてもおかしくない。


 どうにかして新井君の目を池田から引き剥がしたい。そもそもどうして新井君は池田なんかと親しげに話すのだろう・・。池田は陸上界の有名人、当然新井君でなくとも彼女に興味を持つ。ならば彼女より私の足が早ければ?新井君だって私を注目せざるをえないはず・・。


「ねぇ、池田って知ってる?」


 ある日の昼休みの時間に池田と同じクラスの友人に聞いてみた。


「もちろん知ってるよー、女子陸上の有名な子でしょ?」


「そうそう。その子ってさ、来月の体育祭で陸上種目に出るよね?」


「あー出るよ。確か1,000m走だったっけな」


「・・・よし、じゃあ私もそれに出るわ」


「え?急にどうしたの?」


「いや、池田に勝とうと思って」


「は、なんで?てか、無理でしょ。池田さんって一年生で陸上部のキャプテンになるくらい早いんだよ?」


 突然の妄言に唖然としている友人をよそに、小此木は決意を固める。


 うちの体育祭は10月に行われ、今はちょうど9月の始まり。練習時間は1ヶ月程度しかないが、それだけあれば十分練習できるだろうと思った。しかしすっかり自堕落な生活に慣れてしまった小此木は結局ろくに練習しないまま時だけが過ぎていった。


 迎えた体育祭本番。体育祭なんてかったるい行事だと思う人のさぞ多いことだろう。特に陸上種目は疲れるし辛いし、かといって走るのが遅すぎると恥ずかしいしで誰も参加したがらない種目だ。そんな陸上種目1000m走に嬉々として参加を申し込んだ小此木がトラック上に姿を見せた。


「まさか本当に池田と勝負することになるなんてね」


 友人がそう言いトラックの方に目を向けると一番右端に池田が準備体操をしながらスタートラインに立っていた。


「もちろん、そのためにクラスで誰もやりたがらない1000m走に立候補したんだから」


「そうね、みんなからは感謝されてたけど。池田に勝つ自信はいかほど?」


「そんなんもう」


 そう言って笑顔で胸の前に親指を立ててウィンクをする。


「うっっわ、あんたのその自信どこからくるの?やるって言ってた練習も結局サボって私と遊んでいたくせに」


「まあまあ、見てなって。たかが走るだけでしょ?大丈夫よ、私小学校の頃は男子より早かったんだから」


「いや、小学校の頃の話をするなし」


 あきれた友人をおいて、小此木はトラックに入りスタート地点につく。小此木の他に5人の一年生女子が並んでいたが、誰もが一番端のスタート位置にいる池田に目をやる。


 どうせみんなあの有名人の池田と走れることに浮かれてるんだろう。どいつもこいつも浮かれやがって。


 しかし、勝敗は一瞬のうちに決まった。スタート直後、池田は異次元の速さでトラックをかけていき、あっという間にゴールされた。


 競技が終わった後、他クラスや先生陣に関わらず誰もが池田に盛大な拍手を送った。それに対し池田は周りに軽く会釈をしつつ、早々に自分のクラスの方に戻っていった。


 一方、池田に勝つと豪語していた小此木は結局最下位での到着で、汗だくになりながら友人の元に駆け寄った。


「はぁ、はぁっ、クッソ!何なんのあいつ!速すぎでしょ!意味わかんない!」


「まーそりゃそーでしょ。あの子、女子高校生の最高記録保持者だよ?」


「そんなの関係ない!ここで勝たなきゃいけなかったのに・・」


 ちらっと新井君の方を見ると、池田に笑顔でタオルを渡しているところを見て、余計腹が立った。そうやって熱い視線を送っていると、気のせいだったかもしれないが、池田がこちらを見て一瞬微笑んだように見えた。


 そのあらゆる意味で勝ち誇ったような顔が小此木に火をつけた。


「次こそは!来年こそは、負けない!あいつにギャフンと言わせてやる」


「ギャフンっていう人初めて見たよ」


 そして次の登校日の放課後、ちょうど友人が小此木を探して靴箱の方を見に来ると、そそくさと靴紐を結んで帰ろうとする小此木を見つける。


「え、小此木ちゃん今日は遊びに行かないの!?」


「うん、今日からちゃんと毎日ランニングする」


「えぇ!?」


 大声にびっくりして小此木は靴紐から手を離してしまう。


「あんたまさか池田にリベンジするって、本気?」


「そうだよ!だからこれから来年の体育祭に向けて練習するって言ってるんじゃん」


 小此木の語尾が強くなる。


「この前の体育祭前に練習するするって言って、結局一日もせずに遊んでいたくせに?」


「うっ」


「池田どころか、他の運動部所属じゃない子にも負けてたくせに?」


「ううっ」


「・・今日クラスのみんなでカラオケ大会やるけど、それでも遊びに行かないの?」


「くうっっ・・」


 小此木の決意が揺れる。正直放課後にランニングするのもかなり面倒だ。本音を言えば友人達とこのまま遊びに行きたい。でも・・・


「ええい、走ってくる!」


 そう言い残し、誘惑を断ち切るかのように走り去る。自分の意思の弱さはわかっているつもりだ。それでも池田に勝って新井君を振り向かせたいという気持ちの方が上だと自分に言い聞かせる。


 それからほぼ毎日、登校前の早朝や、放課後に1000m走の練習をした。高校のトラックは陸上部しか使えないので河川敷の道路でタイムを測りながら練習に励んだ。


 その間、何度も練習するのが嫌になり辞めようとしたが、学校で新井君のことを見るたびに、そして何より新井君と池田が仲良くしているところを見かける度に燃えるような嫉妬で自身を奮い立たせた。


 そして季節は巡り、高校2年目の体育祭当日。校庭のトラック端でストレッチをしながら体操服に身を包んでいる小此木の姿があった。


 出場種目は去年と同じ1000m走。天気は雲一つない快晴で、太陽の光が惜しみなくトラックに注がれる。もちろん、池田も同じ競技に出場することは確認済みだ。


 他の選手達はこの暑さとこれから行われる1000m走というダルさ極まる競技を前に誰もが嫌々な顔をしていたが、小此木だけはさながらインターハイに出るかのような緊張感をかもしだしていた。


「小此木ちゃんだけだよ、この中で本気でこの種目に臨む人は」


 友人は相変わらずだるそうに彼女を眺めるが、去年の小此木との違いにしっかり気がついてた。1年間の練習のせいか、小此木の体型は以前よりシュッとし、無駄な肉が落ちていた。それに去年は競技前に余裕そうな表情を見せていたが今年はいつもになく真剣な面持ちだ。


「それで、自信の程は?」


 軽く質問する友人に対し、小此木は少し眉間に皺を寄せる。


「・・・勝つ」


 ヒュー、と友人は口笛を吹く。そう言ってスタートラインに向かって歩いていく小此木に、友人はもう一声かける。


「小此木ちゃん!池田にギャフンと言わせてやりな!」


 友人からのエール。小此木はありがたく受け取り、前に進む。


 スタートラインに立っている池田を一瞥すると、向こうも気づいてかこちらに笑顔を向ける。くっ、これが強者の余裕か。一方で自分の手を見ると手汗でぐっしょりだ。こんなに緊張したのは受験の時以来だろうか。


 そしていよいよ始まるレース。選手全員がスタートラインについたのを確認して体育の先生がスターターピストルを宙に掲げ、空砲を放つ。それを合図に一斉に選手たちが駆け出してゆく。


 序盤は全員横並びで走っていたが、徐々に力がある選手と無い選手で距離が分かれてゆき、500m付近でその差は歴然とする、はずだった。


「え、誰あの子?」


「ちょっとあれ、すごくない?」


 観客が目を見張っていたのは女子陸上のホープ、池田・・・ではなく池田を追走する小此木だった。本来であれば後半に差し掛かるあたりで池田と他の選手とでは大きな差が開いているはずだが、小此木は必死にあの池田に食らいついていた。


 一方、当の本人も僅かな勝機にすがる思いで必死に池田のあとを追っていた。


 全身から滝のように流れる汗。呼吸も浅くなり、自分が吸った空気がきちんと体内に回っているのか疑問に思うほど息が絶え絶えだ。


 ただ確かに言えることは、今までの練習の成果が出ていること。腕も振れているし、足もしっかり上がっている。池田の背中もまだ射程範囲内にいる。


 この1年間、池田に勝つことのみを考え練習してきた。彼女がどのタイミングでスパートをかけるかなど手に取るようにわかる。幸い、池田は今まで数多くの大会に出場してきただけのことはあり、彼女の映像資料がネットに転がっていた。研究材料としては十分だった。


 ついにその時が来た。池田と小此木の間にあった距離は徐々に縮まっていき、そして並んだ。その瞬間、周りからドッと雄叫びが上がる。


「うぉおお!小此木いけぇえ!!」


「頑張れ小此木ちゃん!」


 観客の方に目をやると多くの知らない人が自分に声援を投げかける。応援されるのってこんなに気持ちいいんだ、池田はいつもこんな中で走っていたのか、と不意に思う。


 その声援の中に、一際耳を引く声が聞こえた。今一番自分を応援してもらいたい声。彼のためにこの1年間ひたすら苦しい練習に耐えてきたと言ってもいい。もし彼の声援が聞けたならば池田など簡単に追い抜いてみせよう。


 たくさんの観客の中から一目で声の主を、新井君を見つける。トラックを駆け、彼の前を通り過ぎる刹那、彼の大声が聞こえた。


「負けるな池ちゃん!!」


 ・・・え?


 聞き間違えようの無い、新井君の声。彼に振り向いてもらうために、この1年間血の滲む思いで努力してきた。そんな彼が応援しているのは私、ではなく池田だった。


 どうして、だって池田より早いんだよ?すごいんだよ??どうして私じゃなくて彼女を応援するの?


 心の奥底から湧き上がる疑問で頭がいっぱいになり、今までかろうじて出来ていた呼吸がさらに浅くなる。同時にそこはかとない恥ずかしさと無力感が込み上がる。自分はなんて馬鹿だったのだろう。思い上がりも甚だしい。愚の骨頂だ。


 途端に足が重くなり、一気にスピードが落ちる。並走していた池田がどんどん離れていく。今ここで距離を取られては勝ち目がなくなる。しかし、もう私には池田に勝つ理由が無い。


 なんでこんな必死に走っているんだろう。不意に両親の顔を思い出す。頑張ったって意味無いのに、なに熱くなってるんだろう。涙で前が見えなくなり、足が止まりそうになった。その時だった。


「大したことないわね、あなた!」


 確かにそう聞こえた。小此木は耳を疑う。それは紛れもなく自分の前を走っている池田から発せられた。そして池田は一瞬こちらに振り向き、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた。


 プチンと、自分の中で何かが切れる音がした。


 その瞬間、全てがどうでもよくなった。1年間の努力も、新井君が振り向いてくれなかったことも。ただ一つ、池田に対する怒りだけがマグマのように噴き出てきた。


 負けたくない。あいつにだけは。


 小此木は大きく息を吸い、再び腕を振り上げる。勢いが戻り、スピードもどんどん上がっていく。


 追いつく、追い越す。もう新井君のことなんてどうでもいい。人の気も知らないで。池田に勝つ。


 怒りとも殺意とも取れるその感情に突き動かされ、先ほどまで重かった身体が嘘のように動く。少し、また少しと池田の背中に近づき、そして彼女の背中が見えなくなった。隣からは池田の激しい呼吸音が聞こえる。


 極限まで上がった集中力でひたすらに走る。後から聞いた話、ゴール前争いの時にものすごい歓声が鳴り響いていたらしいが、全く聴こえていなかった。


 限界を超えた走りをしたせいか、視界がどんどん狭くなり、世界が端から白くなってゆく。隣から池田の呼吸音が聞こえる。意識が遠のいていく中、かろうじて目の前にゴールテープが見え、そしてそこで視界が暗転した。


・・・


 私はいつも退屈だった。


 天才、美人、神童。私、池田いけだ 陸美りくみが子供の頃から常に言われてきた賛辞だ。


 何をやっても上手くいく。勉強も授業を一度聞いただけで内容を覚えれるし、応用問題も解ける。すぐに出来ちゃうから、面白くない。


 スポーツも同じだ。どのスポーツも、他の人の動きを見ればすぐに再現できたし、誰よりも上手くなった。中学の頃にやっていたバトミントン部の部員たちも最初はライバルとして張り合っていたが、私に勝てないとわかるや否や腰巾着のような態度になっていった。


 この高校に入学したのは有名な進学校というのもあったが、何より陸上部の強豪校と聞いたからだ。初めての競技、さらに強豪校であれば強敵と切磋琢磨できる環境が整っていると思った。


「君、陸上は初心者?うちはインターハイ上位を狙いにいく陸上強豪校だから入部はあまりおすすめできないなぁ」


 私が女子陸上部に入部届を出した日、キャプテンにかけられた言葉だ。しかし入部3ヶ月後、私はその人より早いタイムを叩き出し、キャプテンの座を勝ち取った。


 結局、私は天才だった。入部当初に初心者の私を嘲笑っていた先輩や、中学で輝かしい大会成績を残してきた同級生たちも、誰も私に勝てなかった。


 あぁ、退屈。そろそろ部活もやめようかしら。


 そう思い始めた頃、思わぬ出会いがあった。一年生の体育祭でえらく敵意の籠った目で睨まれた。同級生の、確か小此木という名前の子だった。


 そして体育祭の1,000m走で負けてから一段とこちらに敵意を向けるようになった。


「ねえ、なんかあの子めっちゃ池田さんのこと睨みつけてない?」


「あーわかる!最近すごい形相で池田さんを見てるなって思ってた!」


 部活の同級生たちが池田を囲んでヒソヒソと呟く。一方池田はそんな媚びるような態度で自分に接する彼女たちを冷ややかな目で見る。


 でも確かに小此木さんの私に対する態度は気になった。そして彼女を観察しているうちに、女子陸上部のマネージャーを務めている圭ちゃん(家が近所の幼馴染)と話している時に特に敵意を向けてくることに気がついた。


 ははーん、もしかして小此木さん、圭ちゃんのこと・・。なるほどだわ。


 それから私は小此木さんのことを知りたくて彼女の跡を付けるようになった。彼女がいつも放課後に近くの河川敷で1,000m走の練習をしていることも、次の体育祭で私にリベンジをしたいことにもそこで気づいた。


「ふふっ、楽しみ」


 小此木の練習を覗いた帰り道、つい口に出して笑ってしまった。嬉しかった。こんなにも私のことを越えようと考えて、努力してくれるなんて。


「あれ、珍しいね。池ちゃんが居残り練習なんて」


 とある部活の日、練習後に居残りしている私に圭ちゃんが声をかけてきた。ちょうどワンセット走り終わって息が上がっていたので手を胸に当てて息を整える。


「ええ、ライバルに負けないようちゃんと練習しないとって思ってね」


「ライバル?君に?誰だいそれは?」


「内緒♪」


 そう言ってまたトラックへ駆け出す池田を、新井は少し嬉しそうに見守った。


 迎えた二年目の体育祭。トラックに立った小此木の立ち姿を見ただけでこの一戦のためにどれだけ準備してきたのかが伺えた。


 スタートラインに立つと小此木からの視線を感じ、微笑みを返す。どうやらそれが癪に触ったらしく、怒った顔で前に向き直る。それでいい、少しでも私に勝とうという意思を持ってくれるのであれば。


 ・・・あら?自分の手のひらを見ると、わずかに手汗をかいていた。今までどんな場面でも緊張することなんて無かったのに。まだ始まる前なのに、笑みを抑えられない。


 先生のスターターピストルを合図に、選手たちが一斉に走り始める。


 前半は肩慣らし程度で走って、後半から少し本気で走ろうかしら。さて、小此木さんはどこまでついてこられるかな。


 正直、いくら小此木さんが頑張ったとて、私には勝てないと高を括っていた。それが間違っていたとわかったのは後半になってからだ。


 あれ、おかしい。だいたいどの子もこのくらいのスピードでちぎれるのに・・。


 途中から本気で走り始めても、まだ小此木は自分に張り付いてた。スパートをかけてもしっかりと付いてくる。それどころか徐々に間隔を詰められていく。周りからは大声援が小此木さんに送られる。


 はぁ、はぁ!


 池田の息が大きく乱れる。いつも通り手も足も動かしているのに、まるで水の中を走っているように進まない。


 不意に背中に悪寒が走る。とてつもないプレッシャーを真後ろから感じる。小此木だ。その瞬間、一気に横に並ばれる。まずい、このままのペースで行かれたら、もしかして・・負け・・・。


「負けるな池ちゃん!!」


 突如聞こえてくる声援。聞き覚えのあるその声は、幼馴染であり、部活のマネージャーの圭ちゃんからの声援だった。


 途端、隣を走っていた小此木が後方に下がる。先程まで感じていたプレッシャーもなくなる。あれ、私早くなった?・・・違う、彼女が遅くなったんだ。


 みるみる池田と小此木との間隔が空いていく。すぐに圭ちゃんの声援が原因だと気づく。あいつ、余計なことを言いやがって。


 嫌だ。せっかく私といい勝負ができる人を見つけたのに、これでおしまいなんて。どうすれば小此木さんを立ち直らせる?私もスピードを下げる?


 違う。いつだって彼女は私に敵意を向けていた。ならば私からかける言葉は


「大したことないわね、あなた!」


 煽りの一択しかない!


 さあどうだ、来るか!?


 そう思いながらも、足は一切緩めない。これで私に追いつけないようじゃ、結局あなたも他の周りの人たちと同じということだから。


 来る。決して目で見たわけじゃないけど、肌で感じることができた。彼女が、ものすごいスピードで私を追いかけてくる。先ほどとは桁違いの速さだ。


 みるみるうちに私の視界に彼女が入る。まるで鬼神の如き表情で一気に追い上げる。また周りから喝采が起こる。


 負けない、負けてたまるかぁっ!


 池田も最後の力を振り絞って駆ける。その気持ちに応えるかのように、足も動く。ここまで早く走れたことは今まで一度もなかった。これ、私の新記録出ちゃうかも。


 勝負は最後まで分からなかった。ゴール手前、小此木が私の前に躍り出る。すかさず私もスパートをかけて追い越す。でもすぐに並ばれてしまう。二人の呼吸がシンクロする。


 あぁ、楽しい。この時間がもっと続けばいいのに。しかしその願いは叶わず、ゴールテープが腰元にまで迫っていた。


・・・

 気が付いたら地面に仰向けで倒れていた。太陽が燦々と降り注ぎ、眩しさでつい目を庇う。走っている時はそこまででもなかったのに止まった途端吹き出す汗がシャツに滴る。でも不思議と嫌な気持ちにはならなかった。


「大丈夫?」


 こちらを覗き込む顔が頭上に現れた。池田だ。


「ん、大丈夫」


「あら、そ」


 あっさりとした返事に少し苛立ちを覚える。思い返せば彼女と話すこと自体、これが初めてかも。そういえば、確かレース中に何か言われたような。


「・・思い出した!あんた走ってる時によくもっ」


 怒りに任せて上体を起こし、立ち上がろうとする小此木に対して、池田は手を差し伸べる。一瞬手を取ることを躊躇ったが、渋々手伝ってもらい立ち上がる。


「ほら、そんなことより周り見て」


 そんなことってなによ。心の中で毒づきながら周りを見渡すと、競技を見ていた先生、生徒から一斉に拍手喝采を浴びた。


「え、な、なにこれ」


「何って、あなた、あの私に勝ったのよ?」


 小此木の口元がへの字になる。勝った、私が、池田に?なにかの冗談かと思ったが、周りの歓声がその事実を証明してくる。勝利の余韻に浸る間もなく、池田は更に続ける。


「ねえ、あなた陸上部に入らない?」


「陸上部?」


「そう、とても素敵なことだと思うの!だって私に勝ったもの!!才能があるわ」


 才能がある。人生で初めて言われた言葉だ。池田はキラキラした目でこちらを見てくるのでつい顔を逸らしてしまう。ああ、こいつムカつくほど顔が整っているなと、そうでもいいことを思う。


「陸上部には入らないよ。今日勝ったのはまぐれだし。私もっと友達と遊びたいし」


「まぐれ?そんな訳無いわ。私に勝つために練習していたの知っているんだから。あなたの努力でこの結果を勝ち取ったこと、ちゃんと認めなさい」


 池田は目力いっぱいで小此木を睨む。それに対して顔を合わせないように逆を向く。何かが込み上がって、涙目になっているのを見られたくない。


 そんな彼女の反応に、池田は頭をかかえる。困ったわね、どうしたら陸上部に入ってくれるかしら。そうしてしばらく悩んでいると、ふと、良いアイディアを思いつく。そして小此木の耳元に近寄り、呟く。


「いいの?このままじゃ私、圭ちゃんと付き合っちゃうよ?」


 圭、新井の下の名前を聞いて小此木の表情が一気に赤くなる。


「なっ、そんなことっ」


「ふふっ、気づいていないと思ったの?いつも圭君に熱い視線送ってるのバレてるんだから」


 ニヤリと微笑む、さながら小悪魔のような表情の池田。そんな悪魔とエンカウントしてしまった、哀れな一般市民のような表情をする小此木。


 小此木は想像する。もしここで部活に入ることを拒んだら、間違いなく池田と新井君は付き合うだろう。何しろ周りの誰から見ても二人はお似合いのカップルだ。あぁ、想像しただけで虫唾が走る。


 でも、もしここで部活に入れば?確かに部活漬けの日々になってしまうが、少なくともマネージャーの新井君とはずっと一緒にいられる。そうすれば新井君と話す機会も増えるし、アタックするチャンスだってきっと出来るはず。


 この高校3年間は好きなことだけをして過ごす。


 入学時に自分に誓った言葉と、この練習に明け暮れた1年間を思い出す。決して楽な1年間ではなかったけど、池田に勝つために練習してきた日々は確かな充実感があった。


「私は・・・」


「あ、いたいた池ちゃん!」


 噂をすれば、だ。まさにこのカオスな状態を作る原因となった男が近寄る。


「やっぱりさっきの走り、最高記録だったよ!おめでとう!」


 嬉しそうにストップウォッチを掲げながら近づいてくる新井を見て、小此木は慌てて背を向ける。汗だくの自分を見られたくない。


「それに小此木さん!すごいよ。正直池ちゃんの最高記録を上回るタイムを出すなんて・・」


「ぁ、いや、そんなこと、ないですょ?」


「また敬語だ。タメ語でいいのに」


 あどけなく笑う新井に、小此木は赤面する。新井の前ではつい調子が狂う。


「そうだ、小此木さん。もしよかったら陸上部に入ってくれないか?」


「え、あ、はい、入ります」


「えっ、即決!?」


 新井の誘いに対し間髪入れずに承諾した小此木に対し、さすがの池田も驚きを隠せなかった。私が誘った時はあんなに迷っていたのに、圭ちゃんからの誘いを即決したのは流石にショックだった。


 でもすでに目の形がハートになっている小此木には圭ちゃんの言葉以外、何も届かなそうだった。


 クスッ。池田は静かに笑う。本当に久しぶりに陸上が楽しいと思えた。新井との会話に緊張しっぱなしの小此木を遠目に見つつ、池田はこれからの部活に思いを馳せた。


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