カク
どことなくだけれど、彼女は意地悪な言い方をして、質問から逃れようとしているように思えたからだ。
先ほど私を助けられないと言った時も感じたけれど、この人は〝訳あり〟で色々隠している事がある。
普通に生きている人には想像できない事情を持っているだろうし、おいそれと不思議な世界の秘密を話せないのかもしれない。
「知ってしまったなら、生かして返せない……」なんて言葉もあるし、常人が身の丈に合わない知識を得るのは良くないんだろう。
本当は興味があるし、知りたくてウズウズしている。
でも仮にこの世の真理を聞いたとして、今後もこの世界と関わり続けるなら絶対に嫌だ。
だから好奇心はあっても、適度なところで引くのが賢いやり方だと思った。
(そもそも、死者に追いかけられていたところから、突っ込み所が満載だもんな……)
それにあのスケールの大きすぎる星見の部屋の説明をされても、理解できないだろう。
すんなり引き下がると、凪さんは少し安堵した表情になる。
話題を変えようと思った私は、壁際に並んでいる香料の瓶を見て尋ねた。
「凪さんは調香師なんですか?」
「一般的な香水を作る調香師とは少し違うかな。どっちかというとアロマセラピストに近いかも」
「アロマセラピスト……。聞いた事はありますけど、どんな事をやっているんですか?」
「一般的には体の不調に合わせて選んだ精油でマッサージをしたり、自宅でも自分で対処できるように、精油の入ったスプレーやジェルを作ってあげるとか。ほら、ラベンダーの香りを嗅ぐとリラックスするとかあるでしょ?」
「はい」
「元気のない時は、柑橘系の匂いを嗅ぐと気持ちがシャキッとする。そういうのを、お客さんの体調に合わせて調合しているんだ。体調によって好む香りが異なるし、嗅覚から体調やストレスの程度とかも分かる」
「へぇ……」
年中肩こりに悩まされている私は、興味深く聞いて頷く。
「勿論、本当の意味での体の不調は病院に行くべきだけどね。……ただ、『病は気から』っていう言葉があるけど、症状を訴える人の中には、気持ちからくるものが原因の人もいるし、取り憑かれている人もいる」
「えっ」
また話題が心霊になり、私はギクッとする。
「少し話が逸れるけど、仏壇に手を合わせる時って、線香に火を点けるでしょ? あれは線香の煙を故人に捧げているんだ。神仏はいい香りがするものとされているし、心身共に健康な人もいい匂いがする。逆に憑かれている人は、どこかしら悪臭が混じっている。ちょっとやそっとの霊なら、部屋を綺麗にして換気すれば大丈夫だけど、中にはお祓いをしてもらったほうがいい時もある。場合によっては引き寄せてしまう体質の人もいるから、そういう人には魔除けを作ってあげてるかな」
そこまで言い、凪さんは自分のお茶を一口飲む。
「大昔の医者は、ホロスコープとハーブを組み合わせて、患者に合ったハーブを調合していたんだ。匂いは心に作用するし、逆もしかり。だから私は店を訪れた人のホロスコープを読み解き、その人に合っている香りを使ってオイルやジェル、スプレーなんかを作ってあげてる。一般的な精油も使うけど、二重の世界ならではの物も使う。……だから、普通のアロマセラピストではないけど、やっている事は大体似たようなものだ」
「……凪さんが凄い人なのは分かりましたけど、魔除けであの黒い人たちを遠ざけられるとしても、この世界から出られるわけじゃないし……」
私が溜め息をついた時、「お客様のご来店」と男性の声がした。
「うわぁっ!」
声を上げた私は、文字通り跳び上がらんばかりに驚き、声の主を探して左右を見る。
けれど店内のどこを見ても、私と凪さん以外の人なんて見当たらない。
「あっはっはっは……! おっかし。やっぱり初めての人はそういう反応をするよね。黙ってた甲斐があったじゃん、カク」
凪さんはお腹を抱えて笑い、姿の見えない誰かに同意を求める。
「話しかけたいところ、ずっと黙ってた僕は偉い!」
何……? 誰が喋ってる……?
キョロキョロと店内を見回した私は――、壁に飾られてある鹿の頭にウインクされて「うわっ!」と声を上げ、立ちあがった。
「凪さん……っ、鹿っ、鹿の頭がっ!」
私はワナワナと手を震わせ、鹿の頭を指さす。
「彼はカク。話せるんだ」
「話せる!? 百歩譲って鹿が話せるとして、首だけですよ!?」
「そういう事もあるって」
凪さんはまたお決まりのフレーズを口にし、手首のスナップを利かせて空中を叩く。
駄目だこりゃ……。
項垂れていると、カクが話しかけてくる。しかも妙に声がいいので悔しい。
「僕は色々と事情があってここにいるんだ。凪も訳アリだし、お互い話し相手になっていい関係を築けているよ」
「はぁ……、そうですか……」
まだ引き気味に頷いた時、ドアベルがカランカランと明るい音を立てて鳴った。
大きな音を聞いてビクッとした私は、そういえばカクが「お客様のご来店」と言っていたのを思い出す。
入店してきたのは、身長一八十センチメートルはありそうな、スポーツマン風の若いサラリーマンだ。
彼は不思議そうに目を瞬かせ、店の中を見てキョロキョロしている。