二重の世界
店に入ってさっきの椅子に座った私は、深い溜め息をつく。
「……なんなの、……一体……」
「まぁ、お茶でも飲みなよ」
動揺し、混乱しているのに、マイペースに言われて若干腹が立つ。
「私、幽霊になったんですか?」
「今の状況だと、そうとも言えるね」
「どうしたらいいんですか? 私、死んだんですか?」
強張った表情で尋ねたけれど、凪さんは意味深に微笑むだけだ。
苛立った私は少し強い口調で尋ねる。
「凪さん、何か知ってるんじゃないですか? 困っている人が目の前にいるのに、そういう態度をとるのは性格が悪いと思います」
「そう言われてもねぇ……」
凪さんは半笑いで言い、組んだ脚をぶらつかせる。
我慢ならなくなった私は、彼女に怒りをぶつけた。
「凪さんは話を聞いてるだけだからいいですよね! 私は家に帰れないし、よく分からないモノに追いかけられて、この店に逃げ込むしかできなくて……!」
苛立った私は声を荒げたけれど、途中で言葉を失い――――、ストンと理解した。
――勝手にこの店に逃げ込んで、お茶を出して話を聞いてもらってるのは私だ。
――世話を焼いてもらっているくせに、苛ついて相手に怒りを叩きつけるなんて、何様?
私は居酒屋でバイトをしている。
だからこそ、理不尽な事を言う客がどんなに嫌なものか分かっているはずだった。
――なのに私は……。
自分の事ばかり考えて状況を俯瞰して見られていなかった事に気づいた私は、深い溜め息をついて両手で頭を抱える。
「…………もぉ…………」
冷静に考えてみれば、物凄く失礼な事を言った。
(ちゃんと謝らないと)
私はハーブティーを飲んで気持ちを落ち着かせ、凪さんに謝った。
「……すみません。もてなしてくれているのに、とても失礼な事を言いました」
「気にしなくていいよ。千秋みたいな状況になれば、誰だって混乱するだろうし」
普通の人なら「そうだね、気をつけて」ぐらい言いそうなのに、やはり凪さんは動じない。
(思っている以上に、この人は大物なのかも)
思えば凪さんは終始私を受け入れる態度をとり〝味方〟でいてくれた。
ビジネス的に考えれば、買い物をしない客なんて「出て行け」と追い出せるだろう。
でも凪さんは「可哀想だね! どうしよう!」と感情的にはなっていないけど、冷たく切り捨ててもいない。
(……それにこの人、何かを知ってそうだし、ちゃんと助力を乞えば力になってくれるかも)
決意した私は深呼吸し、改めて凪さんに向き直った。
「私は家に帰って家族に会い、安心して眠りたいです。……そのための助言をもらえないでしょうか。お願いします」
私は凪さんを見つめて言ったあと、バッと頭を下げた。
しばらく凪さんは黙っていたけれど、「まー、いっか」と言って立ちあがると、ハイバックチェアに座り直した。
そして椅子を回転させてこちらを見ると、脚を組んで説明し始める。
「回りくどいと思うけど、必要な情報から順番に伝えていくから、最後まで聞いて」
そう言われ、私はコクンと頷いた。
「この店は千秋がもといた世界とはちょっとずれた場所にある」
「……異世界ですか?」
昨今ライトノベルで流行りのワードを口にすると、凪さんは「転生はしてないよ」と笑う。
「外には普通に人が歩いていたでしょ?」
「はい」
「千秋の世界の新宿をAとすると、ここはAダッシュと言える。同じだけど違うんだ」
「……あの、言っている事があまりよく……」
眉間に皺を寄せて尋ねると、凪さんは「うーん」と首を傾げ、腕を組む。
「パソコンのデータをコピーしたとしよう。元データAとコピーされたAダッシュの中身は同じだけど、厳密にまったく同じA同士じゃない。……これなら意味は分かる?」
「それなら分かります」
「どっちも本物だから、コピー元っていういい方は語弊があるけど、仮に今いるこの世界がAダッシュだとすると、こっちは限られた人しか認識できない場所なんだ」
「……やっぱり異世界……、隠世みたいな?」
私の頭の中に、ライトノベルで得た単語が浮かぶ。
「まぁ、そう思ったほうが理解が早いかな。この店はAとAダッシュの狭間にあってね。Aの世界のお客さんが来る事もあるし、千秋みたいにAダッシュに属している人が駆け込んでくる事もある。……ただ、隠世っていうのは完全にあの世の事を言うから、厳密にはここは隠世じゃない。……まぁ、私は暫定的に現世と隠世、二つの世界が重なっている所――二重と呼んでる」
徐々に理解してきた私は、「なるほど」と頷く。
「どちらにも繋がっているなら、このお店から現世に戻る事はできますか?」
期待を込めて尋ねたけれど、凪さんはあっさりと否定した。