どうやら幽霊になってしまったみたい!?
「……スミマセン……。オカネガアリマセン……」
「そのようだね。身一つなのは見れば分かるよ」
凪さんは調子を崩さず、飄々と言う。
「…………なんでぇ……。私、そんなうっかり屋じゃないんです。いや、人間だからちょっと忘れ物をする事はありますけど、バッグごと忘れるなんてないですよ?」
私は絶望して溜め息をつき、両手で顔を覆う。
家は三鷹にあり、徒歩だと三時間はかかるだろう。
「あの、電話を貸していただけませんか? 家にかけて迎えに来てもらうので……」
「別にいいけど、多分話せないと思うよ」
凪さんはそう言うと、ポケットから赤いカバーのついたスマホを出す。
私は「変な事を言う人だな」と思いながらもお礼を言い、自宅の電話番号をタップする。
やがてコール音が鳴り、《もしもし》と母の声がする。
「もしもし、お母さん? 私、千秋。悪いんだけど、新宿まで迎えに来てくれないかな? バッグごと忘れちゃったみたいで、身動きできないんだ」
そう言ったけれど、母は何も言わない。
《もしもし?》
母は何も言わないどころか、私の声が聞こえないと言わんばかりに聞き返し――、《なんなの、もう……》と言って電話を切った。
「…………え?」
何が起こったのか分からない私は、慌ててもう一度自宅に電話をかける。
また母が電話に出たけれど、《いたずら電話ならお断りです!》と切られてしまった。
実の母に拒絶された私は呆然とし、もう少し経ってからまた自宅に電話を掛けた。
けれど迷惑電話設定をされてしまったのか、母が応答する事はなかった。
「…………ありがとうございます…………」
私は呆然として凪さんにスマホを返し、しばらく考えてから彼女にお願いをした。
「……す、すみません……。あの、電車代を貸していただけないでしょうか。必ずお返ししますので! なんなら、拇印を押して誓約書も作ります!」
私は凪さんに向かってガバッと頭を下げる。
「別にいいけど、今と同じ結果になると思うよ」
「……どういう事ですか?」
嫌な予感を抱いて尋ねると、彼女はポケットにスマホをしまいながら言う。
「外に出て黒い靄に追いかけられながらも三鷹の家に帰ったとしよう。でもご家族に会えても応じてもらえないし、認識してもらえない」
「~~~~っ、なんでそんな酷い事を言うんですか!」
苛立って声を荒げると、彼女は試すような目で私を見てきた。
「じゃあ聞くけど、この店に来る途中、黒い靄に追いかけられて逃げてたんでしょ?」
「はい」
「声を上げて助けを求めた?」
「……はい」
私は嫌な汗を浮かばせつつ頷く。
「……悪いけど、多分みんな千秋に気づいていなかったと思う」
言われた瞬間、私はガタッと音を立てて立ちあがり、ツカツカと歩いて店の外に出る。
(あの黒い靄は怖いけれど、確かめなきゃ!)
意を決した私はリンッとドアベルを鳴らして外に出た。
そして通りを歩いている人に、思い切って話しかけてみる。
「あのっ、すみません!」
結構な大声を上げたつもりだけど、通行人はまったく私を見ない。
「すみません! あの! 私が見えますか!?」
私は両手を大きく振り、時に通行人の前に立ちはだかって一生懸命目を合わせようとする。
けれど誰一人として私に気づいてくれないどころか――。
(あっ、ぶつかる!)
急ぎ足に歩く男性の前にいた私は、とっさに避けようとするものの間に合わずにぶつかってしまう。
――が、
「えっ!?」
私の体はスッと男性の体を通り抜けてしまった。
「…………ええ……?」
呆然と立ち尽くしていると、カランとドアベルの音がし、店の中から凪さんが顔を出した。
「ね? 言った通りでしょ? 悪い事は言わないから店に入りなよ。また迷い人が寄ってきてるよ」
言われて周囲を見れば、建物の陰からあの黒い靄が顔を出し、ジリジリとこちらに近づいてきているところだ。
「あ……、あぁ……」
私は信じられない思いを抱きながら、「あの黒い靄に捕まるのだけは絶対に嫌だ」と思いながら店に入った。