正気に返って
彼は腰に提げている目に見えない刀を手に、遠くを見たまま両手で掲げるように神様に捧げ、迷いのない足さばきで淀みきった空間を切り、ダンッと力強く足を踏み出す。
光輝さんが舞うたびに、どんどん空気が清浄になっていくのを感じる。
緋一さんと柚良の体からは黒いものがモヤモヤと揺らめきながら抜けていき、光輝さんが発する清らかな力にかき消されていく。
私は彼の奉納の舞いを見ながら全身に鳥肌を立たせ、感動のあまり涙を浮かべていた。
(格好いい……)
初めて彼が店に入った時にイケメンだと思い、それからずっと光輝さんを気にしてきた。
でも自分は割とミーハーな性質をしているし、出会ったばかりの彼を意識するのは、ただ顔がいいからという浅い理由かと思い、自重してきた。
けれど今、彼が真剣に舞っている姿を見て強く感じた。
――私、この人の事が好きだ。
宙を舞う髪の動き、真剣な眼差し、存在するか分からない神様に対して真剣に心を捧げられる彼への尊敬。
清く尊いものを前に、私は心を震わせて感動していた。
いつしか私は涙を流し、両手をギュッと握って食い入るように光輝さんを見つめていた。
光輝さんは目に見えない刀を持って舞い続け、最後に両手で恭しく刀を奉納したあと――――、それを両手に構え、彼だけが見える乖離線を見据える。
緋一さんと柚良は苦しみもがいたあと、今は魂が抜けたように呆然としている。
「…………寄る辺なき者よ、在るべき所へ帰れ」
光輝さんは低く呟いたあと、上段に構えた見えない刀をスッと振り下ろした。
「ぐぁっ……」
「あぁっ!」
その途端、緋一さんと柚良は糸が切れたように崩れ落ち、倒れ伏す。
同時にどこかで何かが割れた音がし、どんよりとしていた空気がパンッと一気に晴れた。
「緋一!? 緋一!」
「柚良!」
沙織さんは倒れた緋一さんに駆け寄り、私は親友のもとへ行って彼女の顔を覗き込む。
残念ながら私は現世の物を動かす力はなく、倒れた彼女を抱き起こす事もできない。
ままならない体に歯噛みしていると、汗を掻いて息を荒げた光輝さんが膝をつき、私の顔を見て「大丈夫」と頷いてみせる。
「柚良ちゃん」
彼は柚良を抱き起こし、軽く揺さぶる。
顔色を悪くした柚良は、少しの間ぐったりとしたけれど、やがて小さく呻いて目を開く。
「……どなたですか?」
私は柚良の態度がいつもの彼女らしい事に安堵し、さらに確認しようと光輝さんをせかす。
「何か話しかけてください。もっと柚良の反応を見たいです」
彼は小さく頷き、自力で床の上に座り直した柚良に問いかけた。
「先日、君の家を訪ねてから、一緒に『フルール・カナン』に行った事は覚えている? 羽根谷光輝と名乗った者だけど……」
詳細を説明されてはじめて、柚良は「ああ……」と瞠目して頷いた。
「あの時の……。……いや、……でも待ってください。……私、凄くボーッとしていて……。このところずっと、自分が自分でない感覚があったんです。あの日の事も覚えていると言えば覚えているのですが、どうしてあんなに攻撃的になっていたのか分からなくて……。お兄さんには大変失礼な事を言いました。申し訳ございません」
頭を下げた柚良を見て、私は心の底から安堵して涙を流した。
「良かった……!」
光輝さんは私を見て微笑み、柚良に言う。
「俺はいいから、今度千秋と再会できたら彼女にも謝ってあげて。君の様子がおかしくなって、一番心配していたのは彼女だから」
「っ、そうだ……、千秋! あの子、まだ見つかってなくて……っ」
その時、緋一さんが溜め息混じりに言った。
「……光輝? ……悪いけど、状況を説明してくれないかな?」
緋一さんは理知的な表情を取り戻している。
けれど今の状況をよく分かっていないのか、酷く混乱している上に体調も少し悪そうだった。
「緋一、キッチンを借りてもいい? お茶を淹れて皆で話さない?」
沙織さんに言われ、彼は「ああ」と頷き「俺がやるよ」と立ちあがる。
けれど彼女はそれを制し、そっと緋一さんの肩を押した。
「本調子じゃないんでしょう? 座って待ってて」
「……分かった」
「あとこれ。干し芋!」
沙織さんが干し芋の入ったビニール袋を手渡すと、緋一さんは一瞬毒気を抜かれた表情をし、クシャッと笑った。




