緋一の家へ
《もしもし》
やがて緋一さんが電話に出ると、沙織さんは私たちに声を発しないようにとジェスチャーして彼に話しかけた。
「もしもし、緋一? 会って話したい事があるの」
《俺はないよ。また説教?》
嫌そうに言ったのを聞いただけで、今まで二人の間にどんなやり取りがあったか想像できた。
「そうじゃないの。お母さんが緋一にって、渡したい物があるみたいで」
すると緋一さんは少し黙ったあと、面倒臭そうに言った。
《仕方ないな。……受け取るだけだぞ》
「じゃあ、これから家に行くね」
言ったあと、沙織さんは彼の返事を聞かずに電話を切った。
「……結構強引でしたけど、大丈夫ですか?」
私は光輝さん越しに沙織さんに尋ねる。
「いいのいいの。いつもこんな感じだから」
そのあと私たちは、目黒駅近くにある緋一さんの家に行く事にした。
途中で光輝さんは、チラリと他所を気にする素振りを見せる。
「どうかしたんですか?」
尋ねると、彼は返事をした。
[……気のせいと思いたいけど、前にも見た事のある〝人〟がついてきてる]
「ひぇ……っ」
ゾアッと鳥肌を立たせた私は、光輝さんが見ていたほうを振り向かないようにする。
「……どんな感じの〝人〟なんですか?」
[……あまり口で説明できる形をしていないんだ。……化け物、って言ったらそれまでだけど]
その言葉を聞き、私は泣きそうな表情になる。
「以前に電柱の陰から見ていた〝人〟?」
[ああ]
「……私の事、狙ってるのかな……」
[多分、そうなんだろうな。……お守りもあるし、いよいよ近づいてきたら守ってみせる]
「はい……」
勘弁してくれ、と思いながらも、私は光輝さんに「守る」と言われて少し喜んでしまった。
沙織さんの母から届け物があるというのは嘘だけれど、渡す物を用意しなければならないので、彼女は途中で寄ったスーパーで干し芋を買っていた。
「干し芋なんですか」
光輝さんが意外そうに言うと、沙織さんはおかしそうに笑う。
「そうなの。ああ見えて干し芋が好きなのよ」
たわいのない話をしながら歩く途中、遠くからこちらを見てくる迷い人に怯えた私は、「今は光輝さんとカクがいるんだから」と自分に言い聞かせた。
彼の家に着くと沙織さんがチャイムを押し、私と光輝さんはカメラに映らない所で待機する。
やがて緋一さんが応答し、オートロックが開く。
私たちは沙織さんがドアを開いた間をすり抜け、エレベーターに乗って緋一さんの部屋へ向かった。
「……なんで光輝がいるんだよ」
ドアを開けた緋一さんは、不機嫌を隠さず沙織さんと光輝さんを睨む。
彼は黙っていればとてもイケメンだ。
身長はスラッと高く、センターパートで分けた髪はサラサラだ。眉が濃く、目の大きいくっきりとした顔立ちは人気俳優に似ていて、柚良が緋一さんに夢中になったのは理解できる。
バリバリと働く傍ら、運動もきちんとしているらしく、Tシャツにジーンズというシンプルな格好だけれど、均整の取れた体つきをしているのが一目で分かった。
多分だけれど、緋一さんが周囲の女性に対して『好きな人がいる』と言っていたのは、沙織さんの事ではないかと思っている。
距離が近い大切な人だからこそ、想いを伝えられなくなるのは、よくある事だと思う。
柚良が緋一さんと付き合い始めたのは、ナンパされてだった。
ゴールデンウィーク前に、二人で池袋のイタリアンバルで食事をしていた時、緋一さんは友人らしき男性と二人で声を掛けてきた。
柚良はしっかりした子だし、遊び半分で男性と付き合わないタイプなので、誰に何を言われても頷かなかった。
けれど緋一さんに声を掛けられたあの時だけは、『一目惚れしたの』と言って周りが見えなくなり、あっという間に交際を始めてしまった。
私も、もう一人の男性に声を掛けられたけど、『いや、いいっす』と断った。
私は二人が付き合う事に強い違和感を抱いていたけれど、『柚良が一目惚れしたなら……』と見守っていた。
でも柚良から聞く緋一さんはモラハラ気質のクズ男だった。




