家族がバラバラになった理由
だが今年のゴールデンウィーク頃から、兄貴はその身に〝黒い何か〟をべったりと憑かせるようになっていた。
（視えるだけの俺じゃ対処しきれない）
俺は慌てて祖父に兄貴の状態を話し、お祓いをしてもらよう訴えた。
祖父は最初、なぜか渋ったが、必死に頼むとお祓いをしてくれた。
しかしその黒いモノが兄貴から離れる事はなかった。
（まだ憑いてるのに……！）
そう思ったが、俺は壱島家で絶対的な権力を誇っている祖父に、『お祓いが効いてない』と言えなかった。
憑かれている兄貴は、自分がどういう状況にあるか分かっていないようだった。
祖父や父も言っていたが、憑かれている本人は自分の状況に気づきにくいらしい。
俺は今でも深く後悔している。
兄貴に憑いていたものが完全に消えるまで、祖父に何度でもお祓いをしてもらえば良かった。
俺は憑かれている兄貴を見捨てる気持ちになりながら、『タイミングが合ったらまた来る』と言って神田に帰り、普通に暮らしていた。
が、――六月の終わりに兄貴は自殺した。
遺書はなく、猛スピードで車を運転し、車ごと海に突っ込んでの最期だった。
兄貴が亡くなったとおぼしき晩、一瞬だけ〝橘〟の香りがフッと鼻腔をかすめた。
その時は気のせいかと思ったが、あれは兄貴の最期の挨拶だったのかもしれない。
大好きな兄貴をそんな形で喪い、ショックでならなかった。
祖父母も両親も妹も、全員が兄の死を悼んだ。
だが俺は『あの時、兄貴に憑いていたモノを完全に祓っていれば、こんな事にならなかったのでは……』と思ってならなかった。
兄貴は家族のムードメーカーで、彼を失った壱島家は火の消えた蝋燭のようだ。
数日間、俺たちは自宅で大人しく喪に服したあと、それぞれの日常に戻った。
『……祖父ちゃん、父さん。話したい事があるんだけど』
俺が二人に声を掛けたのは、八月中旬にあった五十日祭で納骨した日の夜だった。
五十日祭とは、神道式の葬儀である神葬祭における、四十九日だ。
兄貴の事について話すタイミングは〝いつ〟がいいか悩み続けていたが、亡くなったあとにベストタイミングなんてない。
あるとすれば兄貴が亡くなる前しかない。
重苦しい悲しみとやるせなさに包まれた壱島一家に、不用意な一言は大きな起爆剤にもなりかねない。
だから慎重に家族の感情を読み、『今じゃない』と自分に言い聞かせ、納骨を終えた今なら……と思って意を決したのだ。
『……なんだ？』
普段着に着替えて居間のソファに腰かけた二人は、億劫そうに俺を見る。
喪服を着たままの俺は視線を落とし、意を決して言った。
『……兄貴が亡くなる前、祖父ちゃんにお祓いをしてもらったけど、黒いモノは兄貴に憑いたままだったんだ。……兄貴はアレのせいで……』
『光輝！』
父が大きな声で俺の名前を呼んだ。
『……和輝は心を病んで自殺した。それだけだ』
『……でも……』
『いいか！ 霊が見えても満足なお祓いができないお前じゃ、何も言う権利はないんだ！ お祓いが足りなかったと父さんを責め、和輝を助けたかったと後悔するぐらいなら、何かにおいて〝一人前〟になってみたらどうだ!? 神職にはつかず中途半端、会社員になっても昇進する事はなく平社員のまま。今のお前はただの出来損ないだ！ 何を言っても説得力がない！ これ以上俺たちを煩わせるな！』
『お父さん！』
母が非難めいた声を上げ、祖母は溜め息をつく。
澄佳は聞こえよがしに『納骨したばっかりなのにやめてよ』と言い、自室に上がっていった。
――出来損ない。
その言葉が俺の心を深く刺した。
何も言い返せなかったのは自分でも『その通りだ』と思ったのと、兄貴を助けられなかった後悔、無力感があるからだ。
実家を飛び出た俺は神田のマンションに戻り、しばらく八丁堀に寄りつかなかった。
あとで母から『お父さんも和輝を喪って悲しんでいるから、本意ではない事を言ってしまったの。分かって』と連絡があった。
母の言う事は理解したし、父の気持ちも分かる。
同時に悟ったのは、『今だ』と思ったタイミングがまったくの間違いだった事だ。
祖父も父も俺を『素質がある』と言って特別扱いしてきたから、悪霊の事なら聞き入れてくれると思い込んでいた。――――そんな自分が馬鹿で嫌になる。
霊が見える事や、実家が神社だからという事に気を取られた俺は、優秀な長男を二十八歳という若さで喪った親の気持ちなどまったく理解していなかったのだ。
この世ならざるモノを見続け、宮司になるための道を歩み続けた俺は、人の気持ちを理解しない常識ズレした大馬鹿者になっていた。
それを自覚したのが酷く苦痛で、父の言う通り自分は〝出来損ない〟なのだと思い知るようになっていった。
その後、実家にはあまり帰らなくなり、呼ばれた時だけ顔を出すようになった。
