宇津美凪
「どうぞ」
「ありがとうございます」
店主が淹れてくれたのはミルクティーで、テーブルの上に置かれたガラスのティーポットの中には、ツンと尖った葉が入っている。
「レモンバーベナのハーブティーだよ。リラックス効果がある。ミルクで割ってるからお腹にも優しいはず」
豆皿にはチョコレートが四粒あり、至れり尽くせりな対応に、私はもう一度店主にお礼を言った。
「ありがとうございます。……あの、とても失礼な質問なんですが、店長さんは男性ですか? 女性? どちらでもいいんですが、どちらか分かっていたほうが対応しやすいというか……」
昨今、ジェンダーの話題が取り沙汰になる中、我ながら無神経な質問をしている自覚はある。
けれど愚かしいとは思うけれど、相手が〝どちら〟なのか分からないと不安に思う自分がいた。
怒らせてしまうかな? と不安に思った時、店主はニコッと笑って言った。
「宇津美凪」
「はい?」
いきなり名乗られ、私は聞き返す。
「常連さんからは『凪さん』って呼ばれてる。だから君もそう呼んで。……何ちゃん?」
「あっ、私は羽根谷千秋です」
「オッケー、千秋ね」
(……『何ちゃん?』って聞いた割には呼び捨てか)
私は思わず脱力する。
でもやっぱり、不思議とこのフランクさが嫌じゃない。
「私の性別についてだけど、どっちに見える?」
向かいに座った凪さんはそう尋ね、意地悪そうに笑う。
というか、一人称も『私』で余計に分かりづらい。
「え……と」
私は少し迷ってから、おずおずと答えた。
「……女性?」
どちらにも見えるけれど、私の回りにここまで美しい男性はいないからそう答えた。
SNSを見ていると信じられないぐらい美しいコスプレイヤーがいるけれど、美形の男性キャラの場合、女性が男装している事が多い。
コスプレ用の筋肉スーツもあって、女性でもムキムキで腹筋の割れた男性キャラを演じる事も可能だ。
逆にとてもリアルな女性の胸部パーツもあるらしく、女装した男性だと知らずに、美少女キャラの男性コスプレイヤーに、セクハラコメントを送る男性もいるとか。
私はそんな事を思い出しながら性別を当てようとしたけれど、結論が出なくて言葉を迷わせる。すると凪さんはニヤリと笑って曖昧な事を言った。
「じゃあ、女性と思っていいよ」
「なんかそれ、ズルくないですか?」
目を瞬かせて言うと、凪さんは闊達に笑う。
「何でも白黒ハッキリつけなくていいんだよ。曖昧にしておいたほうがいい事もある。〝どちら〟であるかが分かったほうが自分を納得させやすいけど、世の中そう簡単じゃないんだ。すべてのものはグラデーションになっていて、自分を女性と思っている千秋の中にも、男性っぽい部分があるかもしれない」
確かに、私も友人に『千秋はシューティングゲームをやると性格が変わるよね』と言われた事がある。
「失礼な質問をすみませんでした。お気を悪くしましたか?」
謝ったけれど、凪さんは相変わらずケロリとしている。
「いいや? まったく。私の性別については本当にどーでもいいんだけど、世の中の事について、四角四面に捉えていると千秋が苦しむ場合もあるよ、って言いたかっただけ」
「分かりました。ご助言ありがとうございます」
お礼を言ったあと、私は今までの事を伝えた。
「あの、私、今まで自分がどうして夜の新宿を彷徨っていたのか分からなかったんです」
「ふぅん、記憶喪失になった?」
凪さんは人の一大事だというのに軽い調子で言ったあと、ハーブティーを一口飲んで「何があったのか話してみて」と促した。
私は温かいお茶を飲んでから、自分が謎の黒い靄に追いかけられ、この店に逃げ込んだ事を話す。
「……凪さんは外で黒い霧状のものを見た事がありますか? あれ、実体はないのに意志を持ったように追いかけて来るんです。纏わり付かれている通行人もいるのに、本人はまったく気づいていないようで……」
凪さんは脚を組んで私の話を聞いていたが、お茶を一口飲んでから言った。
「今はまだ外に出ないほうがいいと思うよ。魔除けを作る事はできるけど、千秋の場合は根本的な対処をしない限り、この状況を打破できない」
謎めいた言葉を聞いた私は、凪さんの言った言葉を脳内で反芻し――、ポツンと呟く。
「魔除け? ……あの黒い靄は悪霊的なものなんですか? 私、霊感ないのに……」
すると凪さんは眉を上げて目を細め、愉快そうに笑って尋ねる。
「私は彼らの事を〝迷い人〟って呼んでる。……まぁ、千秋が考えているような存在だと思っていいんじゃないかな」
「はぁ……」
私は生返事をし、腕時計を見る。
時刻は二十時半を過ぎていて、門限がないとは言え、そろそろ帰らないといけない。
親からは「夜遊びするんじゃない」と言われ、大学生になった当初、少し遊んだものの「やっぱりいいや」と思って健全な生活を送っている。
「……あの黒いのが怖いから、親に迎えに来てもらおうかな」
そう思ったけれど、自分がバッグを持っていない事に気づいた。
「えっ!? ヤバッ……」
私は顔面蒼白になり、ポケットをまさぐる。
けれど硬貨一枚すら入っておらず、目をまん丸に見開いた。