尊敬できる先輩の変化
「私、今日はお昼で終わりなの。自分のお店だし、土曜日は毎週半休にしてるのよ。着替えてくるから外で待っていてくれる?」
「分かりました」
そのあと、沙織さんは会釈をしてテーブルを離れた。
「緋一さんの幼馴染みなんですか?」
彼女の背中を見送って尋ねると、光輝さんはコーヒーを飲んでから頷く。
[彼女は花南沙織さんと言って、緋一さんとは子供の頃からの付き合いで、実家も近所らしい。大学も同じで、社会人になった今も交流が続いてる。この店は彼女の祖母が花屋をやっていたのを継いでカフェにまで事業拡大し、彼女がオーナーとして営んでいる。緋一さんは頻繁にこの店に来ていて、俺もその付き合いで何回も来ているんだ]
「柚良が選んだお店なのに、凄い偶然ですね。……あっ、緋一さんの行きつけだから彼女として一緒に来た事がある?」
[だと思う]
光輝さんは肯定したあと、苦笑いして溜め息をついた。
[……沙織さん、彼の前では言ってないけど緋一さんの事が好きなんだよ]
「えっ?」
私は嫌な予感を抱き、思わず声を漏らす。
[緋一さんも彼女を憎からず思っていて、時が来たら結婚するものと思ってた。……それがいきなり、見せつけるように柚良ちゃんと付き合い始めたから俺も混乱した。緋一さんの性格が変わったのは、その頃からなんだ]
光輝さんは苦悩混じりの表情で続ける。
[……もともと、緋一さんは凄くできる人だった。柚良ちゃんが言っていたようにエリートなのは勿論、顔もいいし人当たりもいいし、皆から好かれていた。……勿論、やっかむ人もいたけど、ほとんどの人は緋一さんを慕っている。……中でも俺は緋一さんに可愛がられてた……と思っている。……でも……]
彼は深い溜め息をつき、お腹の前で手を組む。
[……性格が変わった時期から、彼にきつく当たられるようになった。人格者の緋一さんが言うとは思えない言葉をかけられ、……結構……、傷付いたよ]
自嘲めいた表情を見て、私まで胸が痛くなる。
[『何か理由があるんだ』と自分に言い聞かせていた。……緋一さんの変貌を目の当たりにしていたから、さっきの柚良ちゃんを見て確信した。彼女が憑かれていたように、緋一さんにも何かが憑いている]
彼は強い目で前方を見据えたまま、ギュッと手に力を込めた。
[……さっきみたいにカクが祓ってくれたら……と思ったけど、根本的な解決になってないなら……]
苦悩する光輝さんの姿を見て、私は純粋に「彼の力になりたい」と思った。
私だって体が見つからないし、親友も取り憑かれていて踏んだり蹴ったりだ。
でもここまで縁ができた光輝さんが苦しんでいる姿を見て放っておけないし、皆でハッピーになりたい。
「……きっと緋一さんが正気に戻ったら、多分柚良は失恋しますね」
[だろうね。……申し訳ないけど、緋一さんの本来の女性の趣味とは合わないと思う。彼は前に『落ち着きのある、一緒にいて安らげる人が好みだ』と言っていた。……どうして柚良ちゃんを選んだかは分からないけど、弄ばれた彼女も気の毒に……]
光輝さんの脳裏には、先ほどの柚良の姿が蘇っているんだろう。
あそこまで緋一さんに執着する彼女は異常だったし、原因を根本から断たなければならない。
[……そろそろ出ようか]
「はい」
私たちは立ちあがり、会計に向かう。
「……あの、すみません。柚良ったらご馳走してもらったのにお礼も言わないで……」
今になって、親友が何も言わずに出て行った事が、自分の事のように恥ずかしく思えた。
[構わないよ]
「お金の問題もですけど、ご馳走してもらうのにお礼もないなんて……」
仕方のない状況だったとはいえ、申し訳ない。
[千秋ちゃんはお気楽女子大生に見えて、結構しっかりしてるよね]
「えっ?」
いきなり褒められ、私は彼を見上げる。
[さっき柚良ちゃんに酷い事を言われた時も、きちんと言い返せて偉いなと思ってた。あまり深く考えない子だったら、売り言葉に買い言葉で『友達をやめる』と言いかねない。でも千秋ちゃんはとっさに自分の考えを述べ、彼女の考えがどう間違えているか、明確に言語化していた。大人でもなかなかできる事じゃないよ]
「……えへへ……」
光輝さんに褒められ、私は照れ笑いする。
[そういう千秋ちゃんだから、俺も協力したいと思ってるんだ。頑張って一緒に体を探そう]
「はい!」
本当は柚良に心ない言葉を言われて悲しかったし、傷付いた。
信じていた親友にあんな事を言われたら、誰だって大きなショックを受ける。
もしも光輝さんがいなくて私一人だったら、もっと違う反応をしたかもしれない。
けど、今は隣に彼がいるから、みっともなく喚く事だけはしないでおこうと思えたのだ。
イケメンに良く思われたいという下心ありきだけど、いい人である光輝さんと一緒にいると、「自分も良くありたい」と願ってしまう。
彼だって信じていた緋一さんに酷い事を言われたけど、悲しんでも悪口は言っていない。
だから私も〝本当の柚良〟を信じたいと思った。




