親友の異変と、神降ろし
覚えている限り、柚良はお洒落に気を遣っていて、臭くなるまでお風呂に入らなかったり、汗を掻いて放置している人じゃない。
改めてまじまじと柚良を見ると、その輪郭から黒いオーラみたいなものが滲んでいる。
気をつけてみなければ分からない程度だけれど、体の輪郭が少しブレて見える程度に黒いオーラが波打っているのが分かる。
「……光輝さん。気づいていますか? 私だけかもしれませんが、柚良から黒いオーラみたいなのが出ているように見えるんです。……それに、なんか臭い」
隣にいる光輝さんがいい匂いだからこそ、余計に柚良の悪臭が鼻を突く。
彼は柚良が話し始めるのを待ちながら言った。
[感じてる。匂いもそうだし、彼女から良くない気配を感じている。それに俺も彼女と話していると頭痛がするんだ]
やっぱり……。
私は緊張して柚良の動向を見守る。
彼女は溜め息をついて前髪を掻き上げ、もう一口水を飲んでから曇り顔で言った。
「……千秋、私に『彼氏と別れろ』ってしつこかったんです。いつもは軽い感じの、平和なおバカなのに、私の彼氏にだけやけに敵対心を持っていました。私の彼氏は格好いいし、エリートだから、皆『お似合いだね』って言ってくれます。……なのにどうして親友だけ……」
柚良が声に怒りを滲ませると、それに呼応するように黒いオーラが揺れる。
「きっと羨ましがってるに決まってます。……あの子、口には出さなかったけど、私の家が裕福な事に嫉妬していたと思うし、おまけに彼氏がイケメンエリートだから別れろって言っていたんだと思います」
「そんな事ない!」
私はとっさに大きな声を出し、立ちあがった。
「そりゃあ、確かに人間だから、羨ましいなっていう感情は抱くよ? でも柚良の事は親友だと思ってる! 私の家が一般家庭なのは仕方がないし、『お金ほしいな』って思う事もある。でもバイトして自分の欲しい物は手に入れてるし、それなりに楽しくやってるつもりだよ!? 柚良が今言った事は、私の誇りを否定する言葉なの! 親友なのにそんな事言わないでよ!」
けれど、その声は柚良には届かない。
彼女はさらに続ける。
「あんな子だなんて思わなかった。優しいし気が合うし、笑うポイントも同じだし、生涯の親友になれると思ったけど……、結局生まれが違ったから駄目なんでしょうかね」
「柚良!!」
私は涙を流し、テーブルをバンッと叩く。
その時、光輝さんが冷静に言い、私はハッとする。
「……少し感情的になって決めつけていませんか? 千秋がどうして交際に反対するのか、理由は聞きましたか? うちの妹は金銭的な事で友達に嫉妬し、足を引っ張る子ではありません」
彼は私の気持ちを知り、代弁してくれようとしている。
光輝さんは冷静な物言いをしたと思うし、多少私(妹)の肩を持つ発言ではあるけれど、喧嘩腰になって柚良を否定したわけじゃない。
でも彼女は予想外の反応を見せた。
「はぁ!? 私が悪いって言うんですか!? 私はただ緋一さんが好きなだけ! 彼と結婚する事だけがすべてなのに、別れろって言う千秋が悪いに決まってるでしょ!?」
柚良はまるで別人に思えるほど表情を歪め、憎々しげに光輝さんを睨む。
思わず「誰あんた」と言いたくなる急変ぶりに、私は閉口して鳥肌を立てた。
同時にブワッと柚良の全身から悪臭が立ち、あの黒いオーラも大きさを増している。
(……これ、柚良じゃない)
本能的に心に浮かんだのは、そんな思いだった。
肉体も精神も、間違いなく柚良だ。
でも、言うなれば別の第三者の悪意みたいなものが、彼女を支配している。
本当の柚良も、本心では「嫉妬してるんじゃないか」と思っていた可能性はある。
彼女は過去に家が裕福な事で嫌がらせを受けた経験があるから、必要以上に懐疑的になっている節はある。
けど彼女は裕福な家庭の子として高い水準の教育を受け、老成した考えを持つ人だ。
だから私は柚良が大好きだし、一緒にいて心地良さを感じている。
その友人像を信じているからこそ、今の彼女には心の闇を何百倍にも膨らませ、人格を変えるほどの〝何か〟が取り憑いていると確信した。
光輝さんは周囲の人から注目を浴びて焦りつつも、両手を前に出して柚良を宥める。
「とにかく落ち着いて。俺は君と喧嘩したいわけじゃない。千秋がどこにいるか原因を知りたくて話を聞こうと思ったんだ」
けれど柚良は話を聞かない。
「どうだか! 千秋のお兄さんなら、あなただって彼女から私の悪口ぐらい聞いてるでしょ? 千秋に頼まれて、私と緋一さんを引き離そうとしてるに決まってる!」
柚良はヒートアップして、止まらなくなっている。
凪さんみたいな知識がなくても、今の柚良が異常だという事は分かる。
周りの人たちもヤバイ物を見る目でこちらをチラ見しているのに、柚良だけはこの状況に気づいていない。
――と、
《――――黙れ》
低い声がし、ハッと横を見ると光輝さんにカクが降りていた。
《我を誰だと心得る。神に向かって汚い口を利くつもりか。――――疾く、去ね》
カクは柚良を見据え、低く轟く声で告げる。
いつもの軽さからは想像できない迫力に、私は全身に鳥肌を立てた。
これが神様の気配というんだろうか。
普段の光輝さんから香る匂いに混じって、桃みたいな甘くていい香りが加わっている。
馥郁とした香りにうっとりとしたいところだけど、全身に伝わるピリピリとした畏れ多い覇気を前に、緊張を解く事ができない。
私は自然と背筋を伸ばし、冷や汗を垂らしてテーブルの上を見つめていた。
今までは気やすくカクと話していたのに、今だけは畏れ多くて隣を見られないし、顔を上げる事もできない。
(……こんなに凄い力を持っていたなんて……)
ただ俯いて、神の怒りが収まるのを待っていた時――。
「ア……、アァアアアァアアァアアァ…………」
柚良が肺の奥から絞り出すような声を漏らし、私はハッと顔を上げる。




