カフェ『フルール・カナン』にて
《ほらほら、動揺してるとあいつが調子に乗るから。スッと澄ましてな。……まぁ、千秋には無理かもしれないけど》
カクは鹿頭なのに憎たらしい表情でニヤリと笑い、私の背中に手を当てて自分のほうに引き寄せた。カクのくせに。
「光輝さんの体を勝手に操るのやめてよ」
どうやらカクが現れた時、光輝さんの体は意のままに操れるらしい。
光輝さんから触られた事はないのに、ファーストタッチがカクだなんて悲しすぎる。
《パイプが通った以上、僕がどう降りようが、何をしようが自由だしねぇ……》
カクは横を向いて《ふふん》と笑っている。
《まぁ、とにかく、さっきも言ったように感情と匂いは密接に結びついてる。怒った時、悲しい時、楽しい時、なんなら色気づいて盛ってる時もそれぞれ匂いが異なる。生身の人間でも、嗅覚が敏感な人はそういうのが分かるもんなんだよ》
「マジですか……」
私は呆然として呟く。
《一般的な死者が元気のある生身の人間に取り憑こうとしても、大して生命エネルギーを削る事はできない。でも今の千秋は霊体だから、感情と共に生者の匂いがブワーッと広がって彼らを刺激する。加えて死者は自分たちを怖がってる者、興味を持ってる人へのアピールが強い。だから可能な限り恐怖心は持たないほうがいいし、気にしてる素振りも見せないほうがいいよ》
カクから真面目なアドバイスを受け、私は頷いた。
「ありがとう。気をつける」
《じゃあ、またねー。バーイ》
カクはそう言ったあと、スッと光輝さんから抜けていった。
「はぁ……」
光輝さんは溜め息をつき、確かめるように自分の体をポンポン叩いている。
「カクが降りた時ってどんな感じになるんですか?」
[うーん、グイッと意識が後ろに引っ張られる感じかな。目線は同じだし、触った物の感触も分かる。聴覚も嗅覚も働いているけど、自分の意志では動かせない。そんな感じ]
「なるほど……。不快感とか、自分が自分じゃなくなる感じとか、弊害はないですか?」
いくら光輝さんが自分の意志で神降ろしに応じたとはいえ、私を手伝うためとなれば責任感がある。
もしも私のせいで光輝さんの体調が悪くなったら、申し訳ないじゃ済まない。
[大丈夫だよ。凪さんもカクも、色々と事情はありそうだけど基本的にいい人だと信じてる。それでなかったら千秋ちゃんを助けないだろうしね。神降ろしについても、危険な行為を勧めるとは思えないんだ。長期的に見たら危険かもしれなくても、短期間なら問題ない。彼らはそう捉えてると思うよ]
「そうですね。今はあの人達しか頼れませんから」
そこまで話した時、柚良が姿を現した。
柚良は中肉中背で、ウエーブの掛かったミディアムヘアをクリップでまとめ髪にし、ミントグリーンのモヘアニットに、白いチュールスカートを穿いている。
あれだけ光輝さんを警戒しながらも、柚良はしっかりメイクをしてよそ行きの格好をしてる。
残念ながら、女子大生という生き物はそういうものなのだ。
(でも光輝さんに先に会ったのは私だからね!)
彼に聞かれてはいけないので、私は心の中で宣言する。
「お待たせしました。行きましょうか」
柚良は光輝さんに言い、彼から少し離れて駅に向かって歩き始めた。
柚良が向かったカフェ『フルール・カナン』は彼女のお気に入りの所で、店内に花が溢れる素敵な所だ。
どことなく凪さんのお店を思い出した私は、妙な安堵感を覚えていた。
光輝さんはコーヒー、柚良はフルーツティーを頼んだ。
随分久しぶりに感じられるカフェに入り、私も何か頼みたくなったけれど我慢しておいた。
光輝さんは店の奥のほうを見ていて、なんだか様子がおかしい。
――と、柚良が先に口を開いた。
「まず、失礼ですけど、あなたが本当に千秋のお兄さんだという証拠はありますか?」
もっともな事を言われ、光輝さんは不安そうな表情で免許証を出す。
事前にそうなる事も考え、凪さんが彼の身分証すべてに〝おまじない〟をかけていた。
光輝さんが「羽根谷光輝だ」と強く念じると、その時だけ身分証の名前が変化して見える、ちょっとした魔法みたいなものらしい。
「……ありがとうございます」
柚良は彼が私の兄だと信じたらしく、先ほどより和らいだ表情になって溜め息をついた。
それから彼女は水を飲み、知らずとまた息を吐く。
「……私も千秋の事、心配しているんです。最後に会った時は喧嘩別れをしてしまったとはいえ、親友ですし嫌いになったわけじゃありません。……ちょっとムカッとくる事を言われたから怒鳴ってしまったけど、まさかあれが最後の会話になるなんて……」
ちょっと待て。最後の会話って縁起が悪いからやめてほしい。
「……まぁ、まだ亡くなったわけじゃないですから、希望を持ちましょう」
光輝さんが慰めるけれど、柚良はさめざめと泣き始める。
「でも行方不明になってもう一週間ですよ? 千秋のお母さんだってあんなに憔悴して……」
彼女の話を聞き、家族が心配してくれているのだと知って胸がギュッと痛くなった。
「柚良ちゃん……、と呼んでもいい?」
「はい」
「柚良ちゃんは、千秋が失踪した心当たりはないかな? 警察にも聞かれているだろうし、うちの両親にも質問されたあとだと思ってる。重複するのは承知の上で、些細な事でもいいから何でも教えてほしい」
「……そう言われましても……」
柚良は本当に心当たりがないようで、視線を落とす。
……っていうか、さっきから柚良が臭いと思うのは私だけだろうか。




