逃げ込んだ店は
「…………わぁ…………」
店内に入った瞬間、私は賛嘆の声を漏らして逃げていた事を失念した。
店の中は屋内だと忘れてしまうほど、花に満ちあふれていて美しい。
十月だからか店内はハロウィンを意識した内装になっていて、黄色やオレンジのドライフラワーが下がり、天井が見えないほどだ。
店は雑貨屋なのか、棚にはアンティークな道具や銀製品、床の上には一メートルはありそうなアメジストの結晶が置かれてある。
小さく区切られた木箱には宝石のルースが入っていて、動物の骨や外国のお守りっぽい物もある。燭台に地球儀、時計に動物の置物、アクセサリーも置いてあるし、ティーカップなどの陶器もある上、独特のデザインの香水瓶も沢山並んでいた。
頭上にある重たそうなシャンデリアが柔らかな光で店内を照らし、商品でもある和洋中問わない様々なランプにも明かりがついていた。
壁際には装飾の見事なチェストやサイドテーブル、和箪笥、様々な形の椅子もあり、ハンティングトロフィーと言ったか、立派な角が生えた鹿の頭も飾られてあった。
他にも狼や狐、鴉や兎など、色んな動物の剥製もある。
私がゆっくり歩きながら商品に見とれていると、「いらっしゃい」と声がした。
「わっ」
油断していたところで声を掛けられ、私は跳び上がらんばかりに驚く。
声は女性にしては低く、男性にしては高い。
「す、すみません、お邪魔してます……」
私は遠慮がちに返事をし、店主に挨拶をしなければと思い、店の奥に歩いていく。
「わ……」
私は店の最奥を見て思わず声を上げた。
そこにはびっしりと香料の瓶が並び、声の主は白いファーがかけられたハイバックチェアに座って、こちらに背を向けて香水の調香をしている。
「いい匂いですね。……あっ、だから外にいてもこの店の匂いが分かったのかな」
私は店主の顔が分からないながらも、滅多に見られない光景を目にして、感心しつつ話しかける。
香料の瓶が沢山あるし、店主は調香師だろうか。
初めて世の中に調香師という職業があると知ったのは、テレビでドキュメンタリー番組をやっていたのを見た時だ。
その時はまだ子供だったので『珍しい職業だな』としか思わなかったけれど、お洒落に目覚めた今は香水を買う事もあるので、匂いの大切さは分かっている。
「外は臭いでしょ。ところで君、節分に玄関先に飾る、柊鰯って知ってる?」
(……いきなりだな)
突然、振り向かない店主に脈絡もない質問をされ、私は閉口する。
しかも客への丁寧な口調ではなく、友人と話しているような気さくさだ。
私は居酒屋でバイトをしている事もあり、お客様への接し方を叩き込まれている。
だから一瞬「なんだかなぁ……」と思ったけれど、この店主の場合、不快さを感じなかった。
(スナックのママはどんなお客さんに対しても〝ママ〟として接するし、そういう感じでやっている店かもしれない)
思い直した私は、質問について考え始めた。
(……柊鰯か。……確か、節分の時期に焼いた鰯の頭を柊に刺して、玄関先に飾る風習だっけ)
知っている事は知っているので、私はおずおずと答える。
「祖父母の家でやっていたと思います。うちではやらないんですが……」
店主はなおもマイペースに続ける。
「あれって魔除けの意味があるんだよ。鰯を焼いた臭さと煙とで鬼を寄せ付けず、近づいても柊の棘が鬼を刺す。だからうちの店の軒先にも、柊やバレリアン、オレガノを束ねた物を飾っている。横に植えているキリスト教の三位一体を表すクローバーも代表的な魔除けだね」
そう言われ、私は店のドアにあった物を思い出して尋ねる。
「……蹄鉄も?」
「そう。あれは蹄鉄の形というより、魔物は鉄を嫌うというところからだけどね」
言ったあと、店主は「こんなもんかな?」と言ってカチャンと小瓶を置き、クルリと椅子を回転させた。
「あっ……」
私はようやく見られた店主の顔を目の当たりにし、驚きの声を漏らした。
(…………綺麗…………)
私は店主を見つめ、呆然と立ち尽くす。
ハイバックチェアに座ったまま私を見て、意味深に微笑んでいるのは、男性とも女性ともつかない美しい人だ。
細身の体にはゆったりとした中華風の服を纏っていて、マンダリンカラーの下にチャイナボタンが脇に向かって斜めにつき、黒い地模様のついた服はワンピースのようになっており、スリットの間からは黒いスキニーに包まれた脚が見える。
服は男性が着るチャンパオに似ているけれど、女性向けのデザインも混じったような独特の形だ。
その上にファーのついたガウンを羽織っているので、余計に性別の判断がつきにくい。
おまけに艶やかな黒のロングヘアは一本の緩い三つ編みにして胸の前に垂らしていて、爪にはボルドーのネイルを塗っているので女性かと思いきや、その手は割と節くれ立っていて大きい。
(でも骨格ナチュラルの人は、女性でも手が大きくて関節が目立ってるしな……)
そう思いながらも、私は店主の美貌にうっとりと見入る。
キリリとした眉の下にある目は大きく、二重がくっきりしている上に赤いアイシャドウが艶めかしい。
陶器のような肌には染み一つなく、通った鼻の下にある唇にはマットのボルドーリップが塗られていた。
私は目の前の麗人に圧倒され、しばし言葉を失っていた。
(凄い美人……。女性? でも身長が高そう。男性と言ってもおかしくないし、男性だってメイクをするし……)
呆けていると、店主は微笑んでから立ちあがった。
「せっかく店に来てくれたんだし、お茶でも飲んでいったら? 息が切れていたし、走ってきたんでしょ」
「あ……、はい。ありがとうございます」
立ちあがった店主の身長は、百七十五センチメートルはありそうだ。
男性とも言えるし、モデル体型の女性とも言える。
失礼ながら胸の膨らみで判断しようと思っても、ゆったりとしたガウンを身に纏っているので分からない。
「そこの椅子に座っていなよ」
店主は私の後ろを指さす。
振り向くと応接セットがあり、アンティークなデザインの長方形の木製テーブルを、四脚の赤いビロード張りの椅子が囲んでいた。
「は……、はい。すみません」
おずおずと腰かけると、店主はバックヤードに続くビーズカーテンをくぐり、奥でお茶の準備をし始めた。