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月曜日。事件の顛末を報告した後。わたし達は事件の謎? を解いたお礼としてケーキがふるまわれた。
校長先生と教頭先生のおごりだ。
ちなみに、教頭先生が怪しい動きをしていた理由は、飼い猫が校長先生のお饅頭を食べたと疑っていたからだ。
猫さんの頑張りを知った教頭先生は、海よりも深く反省し、猫さんに大量の猫用おやつを現象していた。おやつを食べる猫さんの幸せそうな顔はなんとも可愛いかった。私もちゅーるをあげさせてもらったけど、癒されるな。
「うーん、春限定さくらモンブラン。気になっていたけど、やっぱりおいしいー!!」
てっぺんに桜の花の塩漬けが飾られた、クリームのさくら色が綺麗な見た目にも美しいケーキだ。だが、極上なのは見た目だけではない。味も一級品である。
ほんのりとした桜の香りが花に抜ける、上品なお味の桜クリーム。サクサク食感のタルト生地とも相性抜群である。さらにモンブランの中には、甘いイチゴが丸ごと入っているという、嬉しいサプライズ付きだ。洗練された、上品なお味。まさに日本の春が、お口の中で展開される。日本人に生まれて良かった!
「お前、もうそんなに食べたのか?」
千波が驚いたように言う。美味しいものって、すぐに無くなることだけが憎いよね。
「でも、シュールな光景だよね」
千波が、校長先生が満面の笑みで猫におやつをあげている光景を見て言う。
「どうして?」
「だってイメージできないだろ」
見た目冗談が通じなさそうな、厳格な女性だからな。分からなくはありませんが。
「本当にありがとう。新しい環境になって大変だったでしょうに」
「いえ、いいんです。楽しかったし」
私は膝に乗ってきた猫さんをなでて笑う。ひとしきり猫と遊んだあと、お礼を言って校長室を出た。
さて、私は次のお礼に向かわないとな。職員室で居場所を教えてもらい、ペリカン像が建つ池に向かった。
「春海先生」
「八剣に、白石か。土曜日のことは聞いているよ。大変だったみたいだね。2人ともケガがなくて良かったよ。僕が一緒に行けなくて悪かったな」
あくまで、自分は関わりないことにするのか。だが、私も助けられてお礼を言わないのは座りが悪い。
「春海先生、助けてくれてありがとうございました」
埴輪の周りの空気が、一瞬驚いたように揺れる。空虚な穴でしかない目が、私を見上げる。
「礼を言われる心当たりがないのだが」
「桜の妖を倒すときに、手伝ってくれたでしょう?」
桜の動きを止め、その精神を支配した魔法は春海先生が放ったものだ。巧妙に隠されていたから、眼帯をしていたら分からなかっただろうが、あの時は両目で魔法を観測していたから気づくことが出来た。
生徒のことをきちんと見守って、ピンチの時には助けてくれるいい先生なんだな。
「……よく気づいたな」
春海先生も私たちに知られない自信があったのだろう。本気で驚いている声だ。
「はい、まぁ。あの、ありがとうございました。助かりました」
「春海先生、ありがとうございます」
千波も春海先生に深々と頭を下げる。埴輪が慌てたように揺れ始めた。
「そんな、お礼など必要ない。生徒を守るのは教師として当たり前だ」
「でも、私は感謝を伝えたいので。マフィンを焼いてきたので良ければどうぞ」
この学校は使用許可さえ取れば、材料を持ち込んで調理室を使って自由に料理ができる。今回は、レシピ本を見て美味しそうと思った、イチゴとクリームチーズのマフィンを作ってみた。春らしいピンクが可愛いマフィンだ。味見をしたから、多分大丈夫。
「八剣の手作りなのか? 料理が出来るんだな」
空気に若干の警戒が混じる。私はハッとした。
「すみません、素人の手作り品は食べられないタイプでしたか! すみません。ちょっとその辺で花でも買ってきます!」
「春海先生、舞桜が作るお菓子は本当に美味しいので食べないと後悔します」
千波が重々しい口調で言った。
「もう他のマフィンが食べられなくなるくらい美味しいので、覚悟してください。あと、気を引き締めて食べないと初めては美味し過ぎて意識が飛びます。なので、初回は倒れても良いところで食べた方が良いです」
「私のお菓子は劇薬か何かか」
「舞桜はお菓子作りの腕で世界征服ができると思います」
千波は真顔で冗談を言うからな。ほら、春海先生が本気にした。マフィンを見る目が真剣だ。覚悟を決めた顔をしている。
「生徒からのお菓子を無下にする理由はないな。いただくよ。ありがとう」
小さな埴輪の手が差し出されたので、ラッピングしたマフィンを手にのせる。
「どうぞ。これからもよろしくお願いします」
「あぁ。白石と八剣はもう帰るだろう? 気をつけて帰れよ」
「はい。春海先生、さようなら」
「さようなら、また明日」
帰り道。私は千波との別れ際に、用意していたマフィンを手渡す。春海先生に渡したのと同じものだ。
「うわぁ、舞桜の新作マフィン私も食べていいのか!? ありがとう。大事に食べるよ」
涙ながらにお礼を言われた。私は気が向かない限り料理はしないからな。まさかここまで喜ばれるとは。いっそ、学校で新しく知りあった人たちにお菓子を配り歩くか? もっと仲良くなれるかもしれない。
「気に入るかは分からないけど」
「お前の作った菓子が不味いわけないだろ。最低でも殺人級の美味しさだ。気をしっかり持って食べないと」
大げさではないか。確かに家族も喜んで食べてくれるが、そこまでの反応じゃないぞ。
「それじゃ、また明日ね」
「あぁ。またね」
バイバイと手を振って別れ、帰路につく。
夕焼けが世界を赤く染める。長く黒々とした影が伸びる。
私と同じ年頃の少女が前から歩いてくる。逆光で顔はよく見えない。どこかの学校のモノと思われるセーラー服。セーラー服の赤いスカーフはともかく、赤いチェックのスカートは若干派手め。あんな制服の学校、この地域にあったんだ。
なんとなく、視線が少女へと吸い寄せられる。癖のある黒髪のショートヘアー。だんだん近づく距離に、顔が見えた。
黒目がちのパッチリとした大きな瞳。白磁の肌。ふっくらした赤い唇。大和撫子、という言葉が脳裏をよぎる。全てが調和した、完成された美だ。
「見つけた」
強い光を宿した黒曜石の瞳に、視線が強奪される。視線が絡み合う。少女は満足そうに口角を上げた。
「いずれまた、お会いいたしましょう」
「え?」
すれ違いぎわ、甘い口調で囁かれた。すぐに振り返るが、幻だったかのように少女の姿は消えていた。
今の。私にもついにモテ期が到来したのか!?
千波さんのアドバイスに従って、春海先生は八剣くんお手製マフィンを自室に持ち帰って食べました。一口食べて感動にむせび泣き、完食した後はあまりの美味しさに安らかに意識を失ったようです。八剣くんの料理は、立派な武器。