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 デニムとパーカー。足元はスニーカー。動きやすい格好に着替えて、私は歴史散歩の集合場所である公園に向かう。



 念のため、今日は眼帯を外しておく。目を酷使することになるが、明日1日寝ていればどうということはない。



 千波は何事か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わなかった。


「おはようございます」


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


「おはよう! 早めに来たねー。感心、感心!」


 公園の噴水前では、腰に手を当てた部長がウンウン頷きながら待っていた。


「おはよう。八剣くん、白石さん」


 爽やかなな笑顔で東雲先輩も挨拶してくれる。このまま清涼飲料水のCM が出来そうだな。


「じゃ、少し早いけど皆集まったから行こうか」


「え、今日は私たちだけなんですか?」


「そうだよー。言ってなかったっけ? 新歓のこの時期は皆忙しいみたい。うちはかけ持ちの人が多いからね」



 ある意味好都合かもしれないな。



 両目に映る景色は、情報の濁流だ。慣れである程度の取捨選択は出来るが、余計なことを口にしないよう発言には気をつけないと。

 相手はこちらをギリギリまで引きつけるつもりのようだから、罠にかかった哀れな獲物のフリをしないとね。





 最初は、公園から歩いていける石室内に赤い染料でクジラが描かれた古墳を見学する。学校の近くにこんな立派な横穴式石室の古墳があったとは。古代のロマンに思わず胸を震わせる。

 次は地域の郷土資料館に行き、地域の歴史遺産を勉強した。そして最後に、今回のメインイベントである千寿山へと向かう。




 ちょっとした山登りをしたが、赤や黄色、青に紫といった綺麗な花が咲き乱れる野の道を通っていくのは大変に癒された。

 数千本もの桜が咲く、桜の森の真ん中にその社殿はあった。ピンクの花の海の可憐な様にまず圧倒される。桜吹雪の中で見る、黄金の屋根と極彩色の装飾の社殿の幻想的な美しさはあまりに現実感がなかった。神が宿っていてもおかしくない。


「すごいな。こんな神秘的な神社だとは思わなかった」


「ずっと、この綺麗な社をこの目で直接見てみたかったんだ」


 震える気持ちのまま、スケッチブックを取り出す。普段と違い指が震えるのに笑ってしまう。この感動もそのまま鉛筆に載せよう。

 社殿の壁には、一面に生き生きとしたタッチで神仙の姿や四神に鳳凰、麒麟の姿が描かれている。実際に本物を見て描いたようにリアルだ。



 四神も鳳凰も麒麟もこの世に実在する。めったに人前に姿を現さないから幻扱いされているが。とはいえ、この絵師は本当に彼らを目の前で見たのかもしれない。これだけの力量があれば、四神たちだって自分の姿を絵に描いてほしくなるよな。私も精進しよう。



 あ、お賽銭あげてなかった。絵に描かせてもらうなら、ここの神様にご挨拶くらいはしないといけない。近づいて、お賽銭を入れて祈る。

 顔を上げると、社の中の五色の龍の装飾も見事だった。天井画には、春夏秋冬のそれぞれの季節を彩る花や野菜の絵が色鮮やかに描かれていた。マジで美術館。恍惚としたため息が漏れる。

 再びスケッチブックを開いて、衝動のまま目に映る美しい社殿を絵に描いていく。この素晴らしさを再現出来ない自分の力量不足が嫌だ。きっと今日だけじゃ描ききれない。

 待てよ。この神社の保全も活動内容なら、ここに来放題ってことだよな。郷土研究部、入部するか。





 視界を邪魔する1つの情報に、諦めてスケッチブックと鉛筆をしまう。現れたか。


「最期に良い思いをさせたんだから、もういいでしょう。旨そうな、その魔力をよこせぇ!!」


 天羽先輩から、恐ろしくしわがれた声が発せられる。黒い瞳が爛々とした血のような赤に変わる。魔力の圧に体が重くなっていく。


「桜なのにずいぶんと猫を被るのが上手いんだな」


「これ、どういう事だ。天羽先輩に桜の妖が乗り移っていたのか!?」


 千波の呆然とした声に頷く。東雲先輩も厳しい顔だ。


「このまま普通に攻撃したら、天羽さんを傷つけてしまう。まずは彼女の中から、桜を引きずり出す」


 東雲先輩の言葉には、私も同意だ。天羽先輩は完全に獲物狙う目をしている。周りの桜も同調するようにその色を変える。





「赤い桜。この森の桜自体、やはり普通じゃないか」


「ホントだ。たしかに流れ出た血みたいに赤いね」


「お前、もうちょい健全な表現の仕方はないのか」


 どす黒い色の花びらが風にあおられ舞っている。



 妖気。



 普通の人間でさえも、何かしらの恐怖を感じて近づかないレベルだろう。


「俺が天羽さんを必ず助けるから、君たちは逃げろ」


 静かな口調で東雲先輩が言う。いや、それ死亡フラグ立つ台詞だよ! それに、こんな面白いことは見逃せない。


「ふふふ。私の大好物だな」


 是非とも、あの桜を解剖して生体について調べ上げたい。

 その意思が桜にも伝わったのか、どことなく震えているような。気のせい……だよな?

 なんか、東雲先輩からも若干引いている気配を感じる。



 そのとき、雰囲気の変化を感じた。



 追い詰められた鼠が猫に向かって牙をむけるような。桜の生存本能からか、大量の桜の花びらが刃となって辺りを切り裂きながら襲ってくる。

 すぐに反応した千波が結界を張って事なきを得る。私は社殿をスケッチしながら仕込んでいた魔法を発動させた。


「小癪なぁ! 人間ぶぜいがぁ!」


 桜の妖が今まで吸ってきた魔力を、強制的に元の持ち主に返す術式を刻んだ魔法円を、この土地全体に書き込んでおいたのだ。



 桜の妖力が弱まった隙を、東雲先輩は見逃さない。最後の力を振り絞って放たれる桜の枝の滅茶苦茶な攻撃を飛んで避けると、手に召喚した刀で切り刻んだ。

 運動神経良いのうらやましい。私だったらあんなアクロバティックな動きしたら、すぐ転ぶ。

 東雲先輩は瞬時に天羽先輩まで近づくと、その顎を手で掴んで無理やり上向かせ、目を合わせる。爆発する魔力。


「それはお前が好きにしていい体ではない。失せろ」


 パンっと何かが弾ける音がしたと同時に、黒いモヤが天羽先輩の体から吹き出し、次いで弾けて消えた。天羽先輩から桜の妖が抜け出る。



 衝撃で意識を失った天羽先輩を、東雲先輩は軽々と横抱きにすると、優しく社殿の中に寝かせた。確かに、神の社は一番安全か。


「ただの、我らの食い物のクセして! 許さない! 許さない! 許さない!!」


「舞桜!」


 桜の怒りは、妖力を奪う魔法を発動させた私に向かったようだ。私に向かって、桜の妖の本体が枝を伸ばしてくる。


「うわっ!」


 反射的に枝を避けるが、元来運動神経が皆無な身である。素早い動きに体が着いていかず、足がもつれて盛大に転んでしまう。仕方ない、と覚悟を決めるが。


「え、嘘でしょう……」


 私を庇うように前に出た東雲先輩に、桜の枝がまきついた。

 先輩に巻きついた桜の枝は、ポンプのように動き何かを吸い取っているみたい。

 その桜の枝の動きに合わせて、さらに花の色が濃くなっていく。これ、東雲先輩の魔力を奪っているんだ。


「ぐ……あっ! かひゅっ!」


「おい、やめろ!」


 抵抗を封じるためか。桜の枝が東雲先輩の首を締め始める。このままでは危ない。


「俺は……ぐぅう! いいから……ひぐっ! 早く……逃げろ!」


 東雲先輩の顔には、私たちに対する心配しかない。先輩からしたら、ここで邪魔な私たちが消えた方がやり易いのは分かる。


 だから、ここからは私のエゴ。


 私はブンブンと首をふる。驚愕した顔を真っ直ぐに見て誓う。


「貴方を置いていかないし、死なせないから、いい子で待っていて」


 先輩に巻きついていた桜の枝だけを、燃やし尽くして灰にする。


 全く、誰に向かって喧嘩を売っているのだ。


 倒れこんできた東雲先輩を受けとめて、よしよしとその頭を撫でる。

 首に残った痛々しい痣に、眉をひそめる。治癒の魔法をかけて元通りに治す。


「体、きついでしょう? 眠ってしまっていいですよ」


「だけど……」


「大丈夫だから、任せてね」


 そのまま頭を撫で続けると、安心したようなトロンとした表情になる。可愛いな、と不覚にもキュンッとしてしまった。

 魔力を吸いとられてやはり限界だったのか、東雲先輩はトロトロと眠りに落ちた。

 彼の体から力が抜けるが、覚悟はしていたのでさすがに一緒に倒れこむ愚はおかさない。

 起こさないよう優しく抱き上げ、天羽先輩の隣に寝かせる。


「千波、2人を任せた」


「あぁ、大丈夫だ。任された」


 私は、千波の防御結界に全幅の信頼をおいている。彼女が大丈夫というなら、その守りが破られることない。



 だから、安心して桜の妖との戦いに集中できる。








「反省しろ!」


 ステンレス製のいかにも重そうなタライを空中に召喚すると、一気に加速させてそのまま桜に当てる。


「その攻撃は桜には有効なのだろうか?」


 千波が後ろで遠い目をする。普通ならここで活動不能になるのに、桜はまだ動いていた。ゴキブリ並みにしぶといな。往生際が悪い。

 怒りに任せて、桜が大きな枝をこちらに振り下ろそうとする。

 だが、そこで不自然に動きが止まる。動きを無理やりに押さえつける、体の主導権を奪う精神干渉魔法の術が桜にかけられたのが読みとれた。

 鋭い風が吹き抜け、次々と木をばらしていく。見覚えのある魔力のパターンに、後でお礼をしなきゃなと自然と笑みが浮かぶ。一体いつから見ていたんだか。




 あらかた桜を弱らせたところで、遠距離の魔法が消える。

 私は巨大なハンマーを取り出すと、現れた桜の妖の核となる部分に思いっきり振り下ろした。

 パリンっと、粉々に砕け散る音が響く。

 背筋が凍る断末魔の叫びと共に、桜の妖は完全に動きを止めた。





「天羽先輩を操っていたのは、あの神社を根城にしていた桜の妖怪だよ。神社の社殿が長らく立ち入り禁止になっていたのも、人喰いの性質を持つ桜を封じるためだ」


「なるほど。やたら渦巻き模様が社殿の壁に描かれていたのも、結界の効力を強めるためか」


「そして、ここに人が立ち入ったことで結界の効力が切れた。そして、天羽先輩の中に宿り高校の中まで入ってきた。人間を喰らうために。桜の妖怪は弱っていたからこそ、学校の結界には弾かれなかった。いや、部長と同化していたから、生徒だと判定されたのかもしれないな。そこで、桜の霊力がこもったまんじゅうを食べたことで、より力を増したのだろう」


「じゃ、まんじゅうを食べた犯人はこの桜の妖怪か!」


「桜の妖怪の侵入に気づいた教頭先生の猫は、校内を巡回しながらずっと桜の妖怪から生徒を守っていたんだよ。だから、桜の妖怪は生徒を食べることが出来なかった。力が増したことで、学校に張り巡らされた守護の結界に弾かれる危険性も出てきた。そこで、部長を操って部員を外に連れ出し、本体たる桜の木がある、一番力の増すこの山で私たちを襲って食べようとしたんだ」


「なるほどな。で、この桜はどうする? まだ完全には死んでないようだが」


「分かっているくせに」 


 両目で桜をとらえて、魔法の照準を合わせる。久しぶりに使うな。


「私の結界は少々特殊なんだ」


 桜の妖怪を結界で囲んで魔力を注ぐ。桜の妖怪の体が光、瞬間愛らしいマスコットの大きさになった。禍々しい血の色をした桜から、桜の花の髪飾りを着けた、幼い女の子へと変わる。桜の妖精みたいだ。


「やっぱ、可愛いは正義だよね」


「先ほどまでの醜悪さが嘘のような愛らしさだな。公式マスコットキャラとかにいても違和感がない」


 私の結界は特殊で、一度結界に入れてしまえば、どんな醜悪な妖怪も無害な可愛い萌えキャラへと変えてしまうのだ。

 魔力の消費が激しいから、そう易々とは使えないけど。


「桜の妖の妖力の高さは失くすには惜しいからね。今度はこの地域の守り神になってもらおう」


 私の言葉に桜は心得たように頷いた。それから、本体の桜の中へと還っていく。もう、この桜が脅威になることはない。








 心配したが、天羽先輩と東雲先輩はその後すぐに目を覚ました。深刻な後遺症などは残っていないようで一安心である。

 遅くならないうちに、とその日は帰って、月曜日に私たちはことの次第を学校に報告した。

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