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私の勘はよく当たる。ほとんど呪いのように。このまま桜を放っておいたらマズイことになる。
チリチリと肌を焼く嫌な予感は、時間をおうごとに大きくなる。全く面倒なことだ。
最悪、神域に不法侵入することも考えなきゃな。とにかく情報が欲しい。八剣家の書庫にも郷土の伝説や怪談を集めた本はある。母にも探すのを手伝ってもらい、関係がありそうな本を片っ端から引っ掴み昨夜から読んでいるが、赤い桜の怪異はマイナーな伝承なのか。それらしき記述には中々出会えない。
なんなら、狐の妖と人間の娘との悲恋の物語が面白すぎてそちらを読み通してしまった。日本の異類婚姻譚って、結構悲劇で終わるから好きじゃないけど、やっぱりこれもか。
大体最後は相手の動物は恋人か、恋人が依頼した術者の手で祓われるか殺されるよな。
途中まで平和なラブラブだから大丈夫だと思ったのに、やっぱり村人たちの入らぬ心配で、最後はその娘によって狐は殺されている。
モフモフの恋人とか最高なのにな。私だったら、一度好きになった相手ならどんな邪魔が入ろうと、そんなもの蹴散らして一緒に幸せになるのに。
納得いかないモヤモヤを抱えてうなる。いや、待て。私は赤い桜の伝説を追っていたんだった。
一晩で読み終わらなかったから、私は本を学校に持ち込んでいた。葉擦れの音が心地よい、新緑の木の葉を茂らせた木の下のベンチに座って山と積んだ本をまた1冊取って開く。今日は1日読書の日と決めた。
「どうしたの? さっきからずっと難しい顔しているね」
「うわっ!」
いきなり頭上から声がして驚いてしまう。驚きすぎて後ろに倒れこみそうになるのを、力強い腕が支えてくれた。
「ごめん。驚かすつもりじゃなかったんだ」
「いえ、大丈夫です」
うひゃあ、美人が近い! 心配そうに私の顔を覗きこんでくるのは、昨日私が階段で転んで下敷きにしてしまった先輩だった。
「ずいぶんと熱心だね。校長先生のお饅頭が盗まれた事件を捜査してるって、会長が言ってたけど何か参考になりそうな記述はあった?」
「まぁ、そんなところです」
まさか赤い桜の件を調べているとは言えないので、誤魔化すように頷いておく。
先輩も私たちが即席探偵団になって、まんじゅう事件の調査してるの知ってたんだ。
先輩の目線が、私が積んでいる本。そのタイトルをなぞる。
「あ、この本。俺も読みたかったんだけど絶版になってたんだよね。図書館で探してもなかったと思うんだけど、どこにあったの?」
「これは家の書庫にあった本なので、私が読み終わり次第お貸ししましょうか。午後でいいですか?」
「本当に? 嬉しいな。ありがとう」
ふんわり、と日だまりの笑顔を向けられる。ふーん、こんな顔で笑うんだ。
お昼時。カフェで千波とおちあって、日替わり定食を食べながらお互いに調べたことを報告する。
結論としては、やはり大元の桜の怪異を鎮める以外に道はないようだ。
「そうそう。新入生向けに配られたチラシの中に、おあつらえ向きのがあったぞ」
悪い顔した千波が、郷土研究部の新入部員募集のチラシを見せてくる。高校って、本当に部活が多彩だな。これって学校の博物館を運営してる部じゃないか。
活動内容を見ると、件の桜が咲く千寿山の神社の調査・保全という項目があった。
「今は仮入部期間だからな。新入生向けに歴史散歩、という企画をやるらしい。そのコースには千寿山の神社も入っているから、上手くいけば桜の大妖とも出会えるかもな」
千波が意味深にウィンクした。気配さえ捕らえられれば、私が魔法を使う上で距離は関係ない。郷土研究部の皆を安全な場所で守りつつ、桜の妖だけ始末しよう。
「これは幸運だね。金蘭の生徒で良かった。やっぱり何事も出来れば合法的に進めたいからね」
「幸運過ぎていささか怖い気もするが」
「大丈夫だよ。あー、いよいよあの神社の社殿を見れるのか。楽しみだな」
「放課後に郷土研究部の部室に行って、歴史散歩の参加申し込みをしよう」
歴史散歩に行くさいは、スケッチブックを持っていかなきゃ。この世のものとは思えない、美しい社殿を是非絵にして残しておきたい。絶対に忘れないように。
私はご機嫌で今日の日替わりケーキである、レモンのチーズタルトを頬張った。
ハチミツ漬けのレモンの酸味とほのかな甘味が見事にマッチしてる。クリームのレモンの風味香る爽やかな酸味と、濃厚なチーズの風味がまた堪らないな。
「あ、そうだ。先輩にこれ渡さなきゃね」
読み終わった郷土の歴史の本を千波に見せる。約束したからね。
「そうだな」
「先輩、どこかな?」
しまった。待ち合わせ場所を指定しておくべきだった。
ふと外を見ると、先輩が中庭のベンチで本を読んでいた。ナイスタイミング! 私達は中庭に出て声をかけた。
「あの、すみません。本を読み終わったので、これお貸ししますね」
「ありがとう」
「そういえばまだ自己紹介してなかったですね。私は八剣舞桜です」
大事なことを忘れていた。先輩は面食らったような顔をする。
「白石千波です。よろしくお願いします」
千波も小さく頭を下げてから自己紹介する。先輩はお辞儀を返すとふわりと微笑んだ。男から見てもやっぱ美人だなぁ。
「そうか、俺は東雲晶。この本わざわざ届けてくれてありがとう。そうだ。お礼として教えてあげる。教頭先生の連れている猫、飼い主に似て和菓子が好きだからあげると一発でなつくよ」
「そ、そうなんですか」
飼い主に似てってことは教頭先生顔に似合わず甘党なんだ。なんか意外。
「本を返す時に場所が分かるように、連絡先を交換しておこうか」
東雲先輩がポケットからスマホを取り出す。おっと、早々に連絡先をゲットしてしまったぞ。
「え、いいんですか。ありがとうございます」
自分もスマホを取り出し、無料通信アプリを起動させる。連絡先を追加する。
「遅くても1週間したら返すから安心して。本を貸してくれてありがとう」
「そんなに急ぎませんから、ゆっくりで良いですよ」
読書の邪魔をしては悪いから、お辞儀をして私達はその場を離れた。
「学校にいる間に、まんじゅう事件も考えないといけないな。優先度は桜が上だが」
「そうだね。まあ、真相が見えてきた気もするけどね」
学校の中に残る、桜の妖の気配の残り香をそっと目で追う。
「本当に教頭先生がまんじゅうを食べたわけないよな? 誰かをかばったとか?」
千波はウンウン唸りながら、事件の謎を考えていた。
放課後。1号館の3階にある、郷土研究部の部室である歴史学教室に向かった。教室の前には机が置いてあり、歴史散歩ツアーの申し込み用紙が置いてあった。
「あれ、眼帯取るのか?」
眼前に、突如増える情報量の多さに顔をしかめる。
「初対面の先輩相手にこの格好は失礼かと思ってね」
実際は他の理由があるが。どうにも気になることがある。
必要事項を記入し、扉をノックをすると人懐っこい笑みを浮かべた女子が扉を開けてくれた。
「こんにちは! あれ、見ない顔だね。もしかして入部希望?」
「とりあえず部活見学に来ました。あと、歴史散歩が面白そうだから参加してみたくて」
にっこり営業スマイルで言った千波の言葉に、先輩が感動にうち震える。
「やった。やったよ。先生、東雲くん。明日出発の歴史散歩に、ついに参加者が現れたよ!」
おや、なんだか聞き覚えのある名前が。
どうぞ、どうぞと恭しく中に案内されると、こちらに微笑む東雲先輩と春海先生がいた。世間は狭いな。
東雲先輩は郷土研究部の部員だったから、歴史の本を読みたがっていたのか。研究の参考文献で使うのかな。
埴輪な春海先生は、教室の奥に作られた祭壇らしき場所に祀られていた。お菓子のお供え山と積まれているから、私もした方がいいのかな。
ポケットからバタークッキーを1枚取り出して、お供えする。
「拝むな、拝むな」
「八剣、僕はまだ死んでないよ」
私が献上したクッキーを、春海先生はボリボリかじる。小さな埴輪の口で食べてるの、なんだか妙な癒しを覚えるな。
今日は両目だから、埴輪の後ろに先生の本体が見える。満足そうな顔してるから美味しかったようだ。甘いもの好きなんだ。
「どうぞ。好きなところに座って」
先輩に促されて、椅子に座る。教室を見回すと、歴史学と名がつくだけあってズラリと埴輪や土器や勾玉が並んでいる。ミニ博物館だな。
申し込み用紙を先輩に手渡す。
「確かに。八剣くんと白石さんね。はじめまして。私は郷土研究部部長の3年、天羽琴梨。よろしくね」
部長さんだったのか。よろしくお願いします、と私達も頭を下げる。
「もう会ってるけど一応。副部長で2年の東雲晶です。今日は部活見学に来てくれてありがとう」
東雲先輩は副部長だったのか。
「そして、この埴輪がなんと驚き我が部の顧問の春海先生だよ。この埴輪の写真を撮ってスマホの待ち受けにすると、幸運が訪れるんだって」
「天羽、適当なことを言うんじゃない」
埴輪の後ろの先生が、憮然とした顔で腕を組む。
「えー、でも最近話題になってますよ。写真待ち受けにしたあと、自販機で当たりが出てジュースもう1本手にいれたとか」
「最近やたら盗撮されるのはそれが理由か」
埴輪な先生も大変なんだな。
「郷土研究部はただ今幽霊部員を含めて部員は5人。毎週金曜日にここ、歴史学教室に集まってミーティングしてるの。基本的には、部員それぞれが興味のあるテーマを設定して、それに関する文献を調査したり、実際に現地に赴くこともあるよ」
滅茶苦茶きちんと活動する部だった。なんでも、毎年夏に開催される全国大会の常連だそう。郷土研究部に、全国大会とかあるんだ。世間は広い。
明日は土曜日だから、歴史散歩は朝から行われる。服装や持ってくるもの、当日の予定といった説明を受けてこの日は終わった。
このままだと新入生の参加者は、私と千波だけみたいだな。
両目できちんと景色をとらえたことに、収穫はあった。気分は最悪だが。
千波は用事があるということで、私は1人で帰っていた。知り得た情報を頭の中で整理していたせいか、いつもと違う道を行っていた。いけない。いけない。
この雑貨屋があるということは、自宅から反対方向の道を行っていたようだ。
「ボーっとしていたら、またころぶよ」
聞いたことのある声に振り返ると、晶先輩が笑いながら立っていた。
「どうも。先ほどぶりです。東雲先輩は、家こっちなんですか?」
うなずきが一つ返ってきた。
「何か悩み事?」
東雲先輩には、悟られてはいけない。私は脳ミソフル回転で誤魔化す方法を考えた。
「あー、錬金術理論の課題で。この金属を錬成する術式の編成で悩んでいて……」
とっさに出てきたのは、中学時代に悩みまくった問題だ。
「あぁ、それなら……」
私のつたない説明でも、晶先輩は理解してくれたようだ。空中に魔術式を描きながら丁寧に説明してくれる。頭の出来が違いすぎてビックリした。高校生ってすごい。
「ありがとうございます。ようやく分かりました」
「いえいえ」
その時私はふと、嫌な気配を感じた。
わたしはとっさに東雲先輩を押した。妖怪? らしきものがいるところをにらむと、気配が消えた。
伊達に目つきが怖いと言われ続けた訳じゃない。初めてこのコンプレックスが役に立ったと感動を覚えた。
しかし、この体勢はまずい。思いっきり先輩を押し倒してしまった。なんとか誤魔化さねば。
「ごめんなさい! また、ころんで巻き込んでしまいましたね」
東雲先輩の顔を見て驚いた。表情は厳しく、私が妖怪の気配を感じたあたりの宙をにらんでいる。
なぜそんな表情をするのか分からず、戸惑っていた雰囲気を察したのか、先輩は笑って私の頭を撫でると気を付けてね、と言ってくれた。
「はい、そうですね。じゃあ、また明日」
それだけ言って、私は先輩から離れました。おそらく狙いは私でしょう。気づいたのを気づかれたかな。
夜、千波に電話でその事を話すと、実は先輩をねらっていたりね、という答えが返ってきた。
私は先輩が狙われる理由に思いあたる節があったので、明日は彼の護衛をする意志をより強く固めた。