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「おっはようございまーす!」
警戒されないためにはまず元気な挨拶からだ! 私はこれ以上ないってくらいの満面の笑みで教室に入った。
いかん。普段こんな全力笑顔しないから、もう頬が筋肉痛を訴えてくる。
一緒に登校してきた千波は、何故か他人のフリをするように距離を取ってくる。解せぬ。
「おはよ、八剣くん。朝から元気だねー」
「おはよう、浮舟」
茶色がかった明るい黒髪にメガネの男子が、座ったまま小さく手を振ってきた。小学校から一緒のクラスメイトだ。
私は手を振り返し、空いている席に座る。教室における座席の指定は基本的にはない。
「今日臨時の全校集会だって。何かあったのかな?」
浮舟が不安そうに言う。基本、自由をウリにしている学校で全校集会とは珍しい。天変地異でも起こったか?
「修一朗くんはどう思う?」
「いや、俺はエスパーじゃないんだから知らないよ」
少し癖のある茶色の髪の男子生徒、香坂修一朗は読んでいた本から顔をあげて、面倒くさそうに吐き捨てる。
そこで、校内放送がかかり、体育館に向かうよう指示される。
ぞろぞろと教室にいた生徒が立ち上がり、体育館へと向かう。どことなくいつもと違う雰囲気だな。
「校長先生から、昨日おこった事件について説明があります」
事件? うちの高校で何かとんでもないことが?
ざわざわとみんなが騒ぎ出す。生徒指導らしき先生の一喝でその場は収まるが、生徒たちらどこか不安そうだ。
「昨日、大変なことがおこりました」
こんなにみんなが校長先生の話を集中して聞いたことが、かつてあっただろうか。みんな一言も聞き逃すまいとして聞いている。
「校長室のおまんじゅうが何者かに食べられ消えました」
「「「そんな、大変なことが!」」」
なんでも、盗まれたお饅頭は特別な桜の花を餡で包んだ特別なお饅頭らしい。価格は1個1万円。でも、1万円を払うのが少しも惜しくないほどにその桜饅頭は美味なのだという。一度この饅頭を味わえば、二度と他のお饅頭を食べたいと思わないくらいに。
校長先生は、新学期を頑張る糧とするために、入学式後にこのお饅頭を食べるのを楽しみにしていたのだ。
貴重なお饅頭だから誰にも盗られることがないように、饅頭の周りには結界を張り、侵入者を感知する魔法もレーザーのごとく校長室内に張り巡らせていたそう。なのに、お饅頭は最初から無かったかのように忽然と姿を消した。犯人は、探知魔法に引っ掛かからなかったのだ。どこぞの泥棒さんみたいに鮮やかな手口だな。
一体誰がそんなひどい事を? 楽しみに取っていたひとのお菓子を奪うなど、どんな犯罪よりも罪深いことだ。
早く犯人が捕まるといいけど。
高校になったとしても、授業があるわけではない。1日は自分のペースで自由に過ごせる。
1時間ごとに各教室では、先生による講義が行われる。こちらの参加も自由だ。
スマホでシラバスを読んで、気になる講義を受けたり、スケッチブック片手に校内の絵になりそうな風景を探したり、校舎内をちょこちょこ歩く愛らしい猫さんを追いかけて観察していれば、あっという間にお昼の時間になった。
午後は今出ているレポート課題をチェックして、取り組めそうなものは進めておこうか。
義務教育学校の頃は給食で、皆同じ昼食を食べていたからなんだか不思議な気持ちになる。金蘭高校には食堂が2つある。営業時間は11時から14時までの間だ。どれだけ食べても料金は一切かからない。生徒は時間内であれば、好きなだけお腹いっぱいになるまで食べられるのだ。
私は図書館の隣に併設された食堂に入った。白を基調とした、日の光が差し込む明るい店内。メニューは日替わりか、サンドイッチのプレートか、野菜たっぷりのひき肉カレーか。日替わりのチキンのレモンステーキが美味しそうだからそれにしようか。甘いケーキの誘惑にも抗えなくて、デザートも頼む。
注文して、食事が載ったトレーを受けとる。サラダには好きなだけドレッシングかけていいんだって。色々種類あるな。ここはイタリアンドレッシングが合うかな。
のり! のりのドレッシングだって!? これはなんだか挑戦しないといけない気がする。
さて、どこに座ろうかな。キョロキョロと席を探していると、千波がいた。
こっちに来い、とばかりに手招きされたのでそちらに向かう。
「この事件私達で解決しないか?」
これ幸いと、千波の隣の席に座る。そこで、千波が突然そんなことを言い出した。
やっぱり人の大切なお菓子を盗むような奴は、許してはおけないよね。
「なるほど。私に探偵になれと言うんだね。任せてくれ」
「その自信はどこから……。いや、やる気になっているならいいか」
いただきます、とメインのチキンのレモンステーキを早速頬張る。お肉が柔らかくてとってもジューシー。しょう油ベースの甘辛いソースに、レモンが織り成す爽やかな酸味。これはご飯にピッタリだ。ご飯も雑穀米なのが嬉しい。白米も美味しくて好きだけど、雑穀米だとより風味が豊かで食感が楽しい分美味しく感じる。
シャキシャキ新鮮な野菜のサラダ。のりのドレッシングってどうだろうって思ったけど、これは良い。のりの風味が癖になる。面白いドレッシングを考えるな。それが違和感なく新たな野菜の美味しさを引き出すのだから、さすがだ。
スープは、玉ねぎにキャベツ、ニンジンにひよこ豆という野菜がたっぷり入ったトマトスープである。はぁ、あったまる。野菜の旨味がとけだした、優しい味わいのスープは癒される。トマトスープってあまり飲まないけど、こんなに美味しいんだ。トマトの旨味が、他の野菜と調和して素敵なハーモニーを奏でている。
そして、お待ちかねのデザート。散々悩んだが、やはり最初は看板メニューのチョコバナナケーキにした。
つぶつぶのチョコチップと、バナナが沢山入ったケーキ。ここからでも、ふんわりと甘いバナナの香りがする。
ケーキを一口食べると、ふわふわの食感とほろ苦いチョコの味。そしてバナナの甘さが口一杯に広がって幸せになる。チョコとバナナの相性はやはり良い。王道は強い。もはやマブダチである。
添えられている生クリームを着けると、より美味しさが増した。これ、美味しさが進化することあるんだ。これは天才の作るケーキだ。看板メニューになるのも頷ける。
明日のケーキも楽しみだな。私はこのケーキを味わうために、学校に行くのかもしれない。
「聞き込みは鉄則だよね」
「のりのりだな」
善は急げだ。昼食後。私は早速校長先生に事件のあった日のことを詳しく聞きに向かった。
お饅頭は昨日の放課後までは確実にありました。私は桜饅頭を食べようとしていました。そのとき相談があると西崎先生にいわれて、第二相談室まで来てくれるよう言われました。相談内容を聞いた後、校長室に戻るとお饅頭が全部消えていました。校長室へ帰るまでの時間? だいたい30分くらいかな。留守にした時間は、午後3時から3時半までです。怪しい人物を見なかったか、か。残念ながら人の気配は私が通った時はありませんでした。相談の内容は、プライバシーだから言えません。
校長先生から聞き出せたのは、これだけだ。
「西崎先生の相談っていうのが、気になるよね」
千波もその可能性に気づいていたらしく、口を開きました。
「たとえば西崎先生と犯人がグルで、西崎先生が相談で時間をかせいでいる間に、犯人が饅頭を校長室から盗んだ。しかし動機はなんだ? 大人なんだから買えばいいだろ」
「そうだね。他に目撃証言がないか聞いてみよう」
「私たちが帰ったのは13時ぐらいだから、帰るときにまだ残っていた人に聞くか」
入学式の片付けは、確か生徒会が中心に動いていたはずだ。
私たちは、生徒会室に突撃した。運良く生徒会長に話を聞けた。会長も事態を重く見ていたようで、快く協力してくれた。
昨日の放課後だよね。職員室に片付けが無事終わったことを報告しに行って、校長室の前を通ったのは3時過ぎくらいかな。そのときちょうど教頭先生が出てきて挨拶したんだ。ちょっと驚いてたかな。挨拶返すのかみかみだったもん。うん、本当だよ。役に立ったかな?
大変な事実がきた。教頭先生が犯人なのか。
「もう少しみんなに聞いてみよう」
私達は職員室へと向かう。
「あれ、さっきの猫さんだー。お昼寝かな」
職員室に行く途中、先ほど観察していた猫が中庭のベンチにいるのを発見した。
「あれ、教頭先生の使い魔でもある猫だよ。魔力の気配がするだろ」
千波が小声で教えてくれる。
「え、そうなの?」
「あぁ。なんでも教頭先生に拾われてすごく懐いてるらしくてさ。家に置いていくと、転移でついてきちゃうから、特例で連れてきていいって今の校長先生が許可を出したそうだ。人見知りしないし、人を噛むこともないそうだ」
「へぇ、いい子」
「そう思っていたよ」
疲れたような声。私はびっくりして振り返る。
「今の教頭先生だよね?」
「あぁ、とにかく追いかけよう!」
私達はぱたぱたと職員室へ向かう。
「あれ、いない? 瞬間移動?」
「阿呆か。ここが教頭先生の机か」
先生の机にはボストンバックがかかっていた。
「そのバックで猫を運ぶらしい」
「そうなんだ」
「うん。頭だけ出しててとっても可愛いって、校内新聞の猫特集記事に書いていた」
見回してもいないので、私達は聞き込みを続けることにした。
だが、昨日は入学式ということもありそもそも登校している生徒も少なく、他に有力な情報は得られなかった。
生徒に下校を促す放課後のチャイムが鳴る。早く帰ろうと階段を下りる途中で、大きく転んだ。やばい、落ちる!
「舞桜!」
あれ、痛くない? 目を開くとどうやら天国ではないようだ。人のうめき声が下から聞こえるし、なんだか柔らかい。ま、まさか……。
「大丈夫?」
「平気です! ごめんなさい! 巻き込んでしまって」
慌てて立ち上がる。やばい、人を潰してしまった! 千波も私のそばにきました。
「舞桜、怪我は?」
「ない。あの、本当に大丈夫ですか!」
私の差し出した手を握って、下敷きにしてしまった人が立ち上がる。
漆黒の髪と瞳をした整った、美しい顔立ちのどこか人間臭さを感じさせない男だ。こんなにカッコよくて、綺麗な人がうちの学校にいたようだ。
「大丈夫だよ。君にケガがなくて良かった」
なんて優しい方なんだ。
「ありがとうございます。あの、念のため保健室に行きましょう」
「そんなに柔じゃないよ」
「いいえ、頭のケガを甘く見ちゃいけません。あとで大変なことになるかもしれないのですよ!」
私は彼の手を無理やり引っ張って、保健室に連れて行った。
「なんともなくて良かったです」
「ホントに」
千波も安心したように言う。
「心配してくれてありがとう。俺は大丈夫だから、もう気にしないで。ところで、急いでいたみたいだけど、時間は大丈夫?」
「あ、そうだった。すみません。失礼します!」
「え、舞桜。ちょっと!」
私はお辞儀をして、千波の手をひいて急いで学校を出た。
「あんな人先輩にいたんだな」
「毎年バレンタインのプレゼントがすごそうだよね」
「ねぇ。なんか桜にさらわれそうな美青年だったな」
同じ男から見ても思わず見惚れてしまうほど、美人だったな。あんな出会い方じゃなければ連絡先を交換したかった。
教室の窓から見える校庭の桜並木が可憐な薄いピンクではなく、毒々しい赤い色をしていた。桜ってこんなに赤い色をしてたかな?
校長室からお饅頭はなくなるし、なんだか奇妙なことが続くな。
「新聞部の記事でも読んだが。あの桜、やはり気味が悪いな」
千波が不安そうに言った。
「今のところは桜が赤くなっているだけよね」
「ああ。でもあれが、桜自身の力でそうなっているんならいいんだけどな」
「どういうこと?」
「生徒の魔力を吸い取っていたりな」
でも、そういう妖怪もいる。もしそうだとしたら、犠牲者が出る前になんとかしないと。
チャイムが鳴り、私は興味を引かれた古典の講義に参加していた。
ノートに予習していた現代語訳の間違いを訂正しながら、先生の話を聞く。
作品はタイムリーなことに桜のでる話だったので、クラスの話題は知らず知らずに桜の話になる。
「先生、どうして桜の花が赤くなっているんですか?」
小学校時代から、興味があることはすぐ先生に質問しないと気がすまない性分だった城咲希さんが、予想通り真っ先に手を挙げる。
「専門家の方が調べているけど原因は分からないみたいよ。そういえばこのあたりの伝説が書いてある本があったんだけど」
みんなの目が輝いた。程度の違いはあるものの、この手の話はみんな興味があるみたい。私だってその一人だ。
「数百年に一度、この辺りの桜はすべて赤く染まってしまうらしいの。山奥にある妖となった桜が、弱まった妖力を回復させるために地上の桜を媒介にして人間や他の妖から精気を吸いとるの。精気を吸い取った証として、花が血のような赤に染まるそうよ。とはいえ、これはただの民話だから、原因は別でしょうけどね」
先生はそう言って笑ったけど、私はそれが伝説なんかじゃないと思った。
これは直感。私はその本を読んでみたいと思った。
「先生、その本ってどこにあるんですか?」
先生はちょっと驚いたような顔をしたけど、教えてくれた。
「文芸部室の本棚に残っていた、文芸部の部誌よ。題名は『金蘭高校およびその近辺の伝説』だったかしら。昔のこの学校の先輩達が調べてまとめた本みたい」
そういえば笹原先生って文芸部の顧問だったっけ。この学校は歴史も古いし、本にできるくらい怪談もあるんだろうな。大体、魔法なんてオカルトの頂点だ。
そこでチャイムが鳴り、 授業が終わる。
「あの桜の話が、やっぱり今起こっていることの原因なのかな」
窓から桜を眺めていた千波を発見し、私は古典の講義での話を早速した。
「可能性はあるな。とりあえず放課後にその本を借りて調べてみるしかない」
「そうだね。問題はなんて理由を付けるかだけど」
桜が赤くなっているのは、その桜が悪い妖だからです。なので、それを倒す方法を知るために借りたいんです、という本当のことを言ったらイタイ子確実だし。さて、どうするか。
「単純にこの学校の怪談に興味があるんです、とかでいいんじゃないか?」
「なるほど、採用。しかし、千波ちゃんの言ってたこと当たったね」
「そうだな。これだけ赤くなるとは、相当な量の精気を吸ったんじゃないか?」
「早くなんとかしないと」
放課後。私達は文芸部の部室の前に来ていた。深呼吸して扉をノックする。
扉はすぐに開いた。文芸部の方かな? 小柄で小動物系だが、おそらく先輩だ。
「こんにちは。私は1年の八剣舞桜です」
「同じく1年の白石千波です。あの、実はとある本をお借りしたくて尋ねてきたのですが」
「先生から聞いてるよ。この本でしょ。あたしは2年の本条桃香。宜しく」
笹原先生、話を通してくれていたんだ。マジで有難い。
大きな木の机が1台と椅子が数脚。壁一面の本棚には、ぎっしり分厚い本が収まっていた。さすが文芸部室だ。
本条先輩が件の本を見せてくれる。
「すみません。あの、出来ればこの本を貸していただけませんか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
私はパラパラと本をめくってみた。うちの学校にも七不思議ってあったんだ。イラスト付きで書いてあるその本の中に、桜のことも書いてある。
「この本は必ず返しますね。本当にありがとうございました」
そう言って私達は部室を出た。
「早速読んでみよう」
手近な教室机に座り、本をめくる。
本に載っていた話は先生の話していたことと同じだった。
しかし、場所が書いてある。桜の妖が住むのは千寿山。
この地名は覚えがありすぎる。この山一帯がとある神社の神域になっているのだ。神社の本殿のさらに裏手にその桜は咲くそうだ。
本殿の極彩色の装飾の美しさは有名だ。私には、一度実物を見て心行くまでスケッチがしたいという夢がある。だが、所詮叶わぬ夢だとも思っていた。
その神社、及び千寿山は極めて神聖な神域のため、何人たりとも足を踏み入れることが許されてはいないのだ。