4 儚い桜の祝宴に
ここから先は、この物語の主人公である八剣くんの視点で進みます。
春は出会いと別れの季節だ。無事に9年制の義務教育学校を卒業した私は、4月から始まる高校生活に胸を踊らせていた。
保育所からのクラスメイトである15人は、全員地元の金蘭魔法高校に進学した。だから、友人と別れる寂しさはない。友だちが出来るかな、という不安も皆無だ。
高校の新入生は、全員合わせて42人。今までの倍以上だ。学校には寮もあるから、私が知らない遠方の地から訪れる生徒もいるだろう。どんな人たちなんだろう。楽しみだな。
天気は快晴。ポカポカ陽気。ベッドでゴロゴロしているだけとか、罪深い気がする。通学の下見も兼ねて、高校まで行ってみようか。高校までは家からバスで30分。金蘭に進学しなければ、訪れることはなかったかもしれない、見知らぬ町にある。高校のそばの美味しいものを出すお店を開拓していくのも悪くない。
そうと決まれば、ベッドから勢いよく起き上がる。待てよ。寝癖とか着いてないよね。
鏡をのぞく。今の今まで寝てました、という髪。私は無言で髪に櫛を通した。鏡の中では、ピンクと銀のオッドアイの瞳が油断なく私を観察している。
外に出るなら、情報が多すぎるな。新しい医療用の眼帯を取り出す。春だから、今日はピンクの瞳の方を出そう。銀の右目を白い布で覆う。
私の目は、見えなくていいもの、隠されているもの、知らなくていいものまで見えてしまう厄介な目だ。八剣が百発百中の占いの力を持つ、強力な巫女を始まりとしている影響か。だから、例えば猫の妖怪が人間に化けていたとしても、私の目は猫として認識してしまう。
絶対に妖怪に騙されることがない、と考えると便利かもな。魔法の照準だって、人よりはるかに合わせるのは容易い。その気になれば、世界中どこでも見える。目の負担が大きすぎてその後激痛に苦しむことになるから、やらないけど。
だが、右目を閉じて左目だけで見れば、視界は普通の人と同じになる。両目だと多く取り込みすぎる情報が、片目だと半減するからか。とにかく、片目でありさえすればいいので、左目を隠しても同じ効果だ。
私としては、厨二病が抜けないヤバい奴みたいだから眼帯はしたくないのだが仕方ない。目立たない医療用にしているのもそのためだ。
だが、両目だとその場所の過去の情景やら道行く人の個人情報や感情、地下に埋まっているもの、姿を隠して潜む妖精や精霊の姿まで際限なく拾ってしまうから、片目を隠さないとまともに日常生活が送れない。情報の処理事態は出来るのだが、見ている景色が違い過ぎて、人との会話もままならないのだ。
どの程度までが普通の人が見えていい世界なのか、今見ているのは本当に存在する景色なのか、私には判断がつかないからな。お陰で、幼少期は会話の上で随分と母親の度肝を抜いてしまったものである。
財布をズボンのポケットに入れて部屋を出る。
「あら、舞桜さん。お出かけですか?」
ちょうど母さんに出会った。今日もきっちりと着物を着ている。八剣家直系の人間の証である、鋼の刃のような銀の瞳が私を驚いたように見た。
「うん、高校まで通学の練習がてら行ってくるよ」
「そうですか。行ってらっしゃい。お気をつけて」
「行ってきます」
箱入り令嬢な母は、その物腰に似合った気品溢れる綺麗な礼をした。実の子どもにまでそこまで礼節を弁えなくて良いと思うんだけど。敬語だし。
だが、それが母の性分だから仕方ない。こちらにまで要求されなくて良かった。
金蘭魔術高校へは、家から歩いて15分のところにあるバス停から1本で行ける。バスに揺られながら、春に染まる街を眺める。だんだん知らない街並みになっていくのが楽しい。高校のそばには、賑やかな商店街が目に入った。
バスを降ると、かすかに海の香りがする。高校は丘の上にある。もしかしたら、学校から海が見えるかもしれない。バス停の前には美味しそうなクレープ屋さんもあって、嬉しくなる。甘いものは正義。
「学校の中って入れるのかな」
スマホで学校のサイトを見れば、誰でも自由に入れる博物館があるそうだ。確かにこの近辺は古墳とか遺跡が多い所だもんな。学校の敷地内にも、確か古墳があったはず。博物館の収蔵品は全て生徒が、実習で発掘したものなんだって。それは気になる。
私は校門をくぐって校内に入った。見上げる巨大なブラウンの校舎。ここで3年間過ごすのか。中庭には、蓮が浮かぶ大きな池とその中央には翼を広げたペリカン像が堂々と立っている。
義務教育学校には、学校を守る式神として5匹の子だぬきがいた。兄弟でじゃれあっている姿は大変に可愛いかったし、仲良くなると撫でさせてくれるモフモフの毛並みは大層癒された。高校でも、動物型の式神がいいんだが。気配を探っても、式神がどこにあるか分からない。入学してから地道に探すか。
眼帯を外して上を見上げれば、青空に透けて学校の敷地全体を覆うクモの巣型の防御結界が見てとれる。精細かつ強固な出来はさすがだな。結界に込められた魔力から、校長先生レベルの人が張ってそうだ。
一定以上の魔力を持ち、学校に悪意を持つ者全てを強制的に排除する効果がある。生徒や学校関係者は、バッチで見分けているようだ。こんなに効果を重ねて、結界の術式が破綻しないのがすごい。高校の先生方からも、たくさん有益なことが学べそうで嬉しくなる。
両目が、過去の学校の風景を写し始めたので、私は再び眼帯を着けた。
特徴的な白い塔が印象的な、オシャレな外観の白亜の博物館。緩やかに波打つデザインの屋根とか珍しい。まだ新しいな。入ってすぐ、受付でパンフレットをもらう。
博物館は2階建てで、1階が収蔵品の展示スペースや保管庫になっているようだ。2階は考古学や歴史学の本を中心にした図書室やカフェ、ホールがある。ホールでは定期的に吹奏楽部や軽音楽部、演劇部の講演が行われているらしい。
玄関ホールの奥は、壁が一面ガラス張りになっていて街並みと、白い大きな橋。青く美しい海が見える。ちょうど大きな船が航行していて、なんとも絵になる風景だ。
校舎からもこの景色が見えるかな。私の趣味の1つに絵を描くことがある。心行くまでこの景色をスケッチするのも楽しそうだ。
展示品もなかなかに素晴らしく、創作意欲を掻き立てるものだった。特に人の顔が彫ってある、人面石なんかは面白かったのだが、こちらに何事か叫び続けていたのでちょっと辟易してしまった。分厚いガラスの壁に隔たれて何を言っているのかは分からなかった。あの人面石の叫びは、一体何を主張していたのだろう。
解説も丁寧で分かりやすく、勉強になった。展示品の収集だけでなく、この説明文も全て生徒が書いているというのだから恐れ入る。
展示品の土偶や埴輪も皆個性的だ。彼らを描くなら、その歴史を知りたい。眼帯を外し、それぞれに宿る過去からの物語を紐解いていた時だ。
「これはずいぶんと可愛いな。博物館のマスコットか?」
視線を感じて振り向けば、どーもとばかりに手を上げた格好の埴輪が一体。ぽかん、と口を開けたユーモラスな表情は愛嬌たっぷりである。金蘭高校の式神かな?
両目で見れば、多くの情報が読みとれる。埴輪の姿がぶれて、若い男の姿にも見える。男の方には、こんがらがった呪いが鎖のようにまとわりついていた。
「八剣」
可愛い埴輪から、思ったより低音の声が聞こえてビックリする。やっぱり可愛い埴輪ではなく、男の方が本性か。可愛いしゃべる埴輪が良かった。
「おや、私の名前をご存知とは。どこかでお会いいたしましたか? うーん、でもこの魔力。もしや先生でしたか? それは失礼いたしました」
男はなんとも言えない表情をした。警戒、とも違う。やっぱりピンクの目ってなかなかないから、気になるのかな。
「ああ。社会科の教員だ。僕は春海という」
男の探るような目つきに戸惑う。不良じゃないか疑われてるのかな。
「八剣は歴史が好きなのか?」
「はい、嫌いではないです」
埴輪を熱心に見ていたからかな。実際は、絵の参考にしようと思っていただけだが。
「そうか。僕は郷土の歴史を調べる郷土研究部の顧問をしているから、良ければ入ってくれると嬉しいな」
美術部に入るつもりだったんだが。曖昧な笑みで誤魔化しておく。
「とにかく入学おめでとう。4月からよろしくね」
「はい、よろしくお願いいたします」
差し出された手をそっと握る。その手、動くんだ。