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あばばばば。どうしよう。
こんなところに隠れるんじゃなかった。
美しい薔薇が咲き誇る5月のお庭で、ヒルベルト=エンリケ公爵様とリカルド=エンリケ公爵令息様の会話が聞こえてきました。待っっって、今なんて??
「前に話していた件だが、本当にドロシーを?」
「ええ、早ければ3ヶ月後には解雇を言い渡す予定です」
kkかかかkkッ解雇!!?
薔薇庭園で水やりをしていたら、ちょうどお二人がテラスへやってきたのです。
挨拶でもして邪魔するのも申し訳ないと思い、静かに立ち去ろうとしたところ、私の名前が聞こえてきたので思わず足を止めてしまった訳ですが……。どうしよう、ショックすぎて目眩が。
「ははは、ドロシーが聞いたら卒倒しそうな話だな」
現在進行形でございます、公爵様。
ええっと、何が原因だ……?
薔薇の陰でしゃがみ込み、しばし黙考する。
だめだ、思い当たる節が多すぎる。
(普段から甘い物を控えていらっしゃるリカルド様のお部屋の菓子盆に、こっそり追い菓子したのが良くなかった……? だって、お食事も取られていないとお聞きしたから!!)
盆の中の菓子が減っているタイミングで「しめしめ」と、リカルド様の目を盗み、ちょっとずつ菓子を追加してみました。まさかバレていたとは……、ちょっと待って、違うんです! 料理長直々の指導の元、健康に良い素材をぎゅっ…と詰め込んだクッキーの制作に成功したのです!! あやしいもの? そんなもの入れませんって!!
私もっと欲を言いますと、無理にでも時間を作って、きちんと温かいご飯を食べていただきたい所存でございます。
いや、待て。
そんなことより、もっと思い当たる節があった。
(まさかこの間の雑談……。飾っていた花を褒められたのが嬉しくて、お礼だけでは飽き足らず、調子に乗って『冥土の土産にします。メイドだけに。なーんて』なんて、寒いギャグを申し上げてしまったから?)
ハァァァァーーーーーッ……。
寒すぎたのか、次の日お花は枯れていた。
いや、そんなぁ。いくら何でも。ちょーっと気の利いた冗句を披露しただけじゃないですか。そんなことで解雇なんて、あり得ない、あり得ない。は……はは……。
普段の私はもっとこう……淑やかなのです。ちょっとこの日は! 嬉しくて!!
……もしかして、アレか??
(この間、ご主人様のお部屋を掃除した時に、ベッドの裏にとんでもない性癖の官能小説が隠されていたのを見つけてしまったから? でもこれは誰にも言っていないはず……)
初めて手にする官能小説に興味が沸いてしまい、少しの間「ほうほう、Mも我々メイドと同じく、主との主従関係なのですね……それにしても、なんと従順なこと……」と読みふけってしまいましたが、これも誰にも知られていないはず。
違う、もっと現実的な理由があるはずだ。
まさか、あの時の……? いや、ちょっと待てよ。あの件も怪しいぞ……
どうしよう、思い返せば粗相ばかりしている。
一体何が原因なのですか、ご主人様。
一生懸命原因を考えている間に、二人は話を終え、帰っていった。
私もそろそろ戻らなければ。戻る前に、顔をリセットして……。
「? ……何を呆けた顔をしている、ドロシー」
ああ、ほら~~。戻って早々、メイド副長に怪訝そうな顔をされてしまった。
落ち込んでる場合じゃない。解雇されないように、まずはお仕事を頑張らなければ。特に、この3ヶ月は気を引き締めていこうと思う次第でございます。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
日は沈み、窓の外から涼しい風が入ってきた。
少し肌寒いと思い、リカルド様の邪魔にならぬよう、静かに窓を閉める。
「ドロシー」
「はっははははいっ!!」
待って、静かにとか無理。声が裏返る。
「どうした?」
「いえ、別に……ナニモ……」
ご主人様、解雇なんて嘘ですよね? まさか、私の聞き間違いなんてことは……さすがにないか。聞けない。聞けないよう。
「何でしょう」
平常心、平常心……。深呼吸をして、私はリカルド様に向き直る。
座ったまま、静かな瞳で見上げてくる顔が美しすぎる。
整った眉毛、すらっと通った鼻筋に薄い唇。目つきが少し凶暴なのか、「え、あの顔怖くない?」なんて言う大馬鹿者のメイドもおりますが、はあ……、相変わらず、見れば見るほどカッコイイ。ちょっとやつれてるけど。
無愛想であまり笑わないが、不器用なだけで優しい方であることを私はようく知っていた。
自分にはとてもストイックで、いつも難しい顔をして仕事をしているが、他人が失敗した時は「気にするな」と一言声をかけてくれる。例えば、私が来客中にティーカップをひっくり返してしまった時など。……まさか、あれが解雇の原因か? 考えるとキリがないことに私は気づき始めている。
人と話すのはあまり好きではなさそうだ。でも、側に控えていると、時々気を遣って話しかけてくれる。特に、これから来客があるとかで緊張しながら準備している時など、こちらが話しやすい話題を投げかけ、和ませてくれるのだ。
偉い立場の人なのに、威張っているところがないのも素敵だ。
ここでは語りきれないほど、うちのご主人様、パネェんです。
このような方に仕えることができて、私は幸せ者だと心底思う。
時々見合いの話が来ているようだが、相応しい相手はなかなか見つからないらしい。
やっぱり求めるものも高いのかしら。幼い頃から仕えている身としては、そんなリカルド様が心配なような、結婚してしまったらそれはそれで、寂しいような。
(寂しいなんて、身の程知らずにも程がありますね……)
解雇されるのはショックだが、私も女である以上、あと数年経てばお暇をいただき、嫁に行かねばならない。遅かれ早かれ、大好きなリカルド様とは離れる運命なのである。そもそも、田舎から奉公に出てきた娘が、公爵令息様と同じ空気を吸えていることが奇跡なのだ。
それこそ、この部屋に入ることを許されるくらい一生懸命やってきたつもりなんだけどなあ……。
……解雇かあ……。
(いけない、いけない……。集中!)
少しの間があり、リカルド様が口を開く。
「お前がこの部屋に出入りするようになってから、いつも色取り取りの花が飾られるようになった。そして、この部屋で花が萎れているのも見たことがない。賞賛に値すると思う」
「……そんな、恐縮です……」
「俺はこの通り忙しくて、外を散歩する余裕がないときも多い。そんな時、この部屋の花を見て癒やされるのだ」
突然何だ、何だ??
3ヶ月後に解雇される私を哀れんで、優しい言葉を投げかけてくれているように感じられる。なぜなら、表情が固く、私のことを睨み付けるように言うから。
「何色の花が一番好きだ?」
えっ、まさか退職時に渡す花束を今から考えてるんですか。3ヶ月も先のことでしょう。困ります。泣きそう、悲しすぎて。
「あ、ああああ、あ、あの、なぜでしょう……」
「理由なんてない。仕事に飽きたから、雑談を振っただけだ」
「そんな、突然」
震えながらモタモタしていると、「いいから答えろ」とさらに怖い顔をされた。
すみません、大馬鹿者は私でした。かっこよくてイケメンでも、怖いものは怖い。主に目つきが、2、3人殺ってそうなそれで。
「ええっと……、白色が好きです。ふわふわしていて、雪みたいで」
「ほう……?」
「あああ、あ、あと、桃色も好きです。可愛くて、ずっと見ていたくなります」
「昨日から飾ってくれている花は黄色だな?」
「黄色も好きです! 飾っていると、元気になるので」
こちらを見る疲れた目つきが、ふっと和らいだ気がした。
リカルド様がお臍の位置をこちらに向けたので、「ああ、お話していいんだな」と無意識に安心して、ついまた、調子に乗ってお喋りを始めてしまう。
いや、このムーブは危険だって。冗句さえ言わなければ、大丈夫?
「昨日飾ったあのお花は、アルストロメリアといいます。まだら模様と縞模様の花弁が、最高にキュートだと思いませんか?」
「……ああ、綺麗だな」
「うへへ、黄色のアルストロメリアの花言葉は『持続』。このまま元気に、ご主人様の元で働けたらいいな……なんて……」
やばい。つい、心の声が漏れてしまった。
慌ててリカルド様の表情を窺ったが、特に何も気にしていないようだ。それどころか、仏のような顔をして「そうか」と穏やかに笑ったのであった。
「結局、どの色も好きなんじゃないか」
「~~~っ、ほんと、みんな綺麗で、可愛くて、……愛しくて、困ります」
そう。ここを離れるということは、四季折々、色々な表情を見せてくれる庭園たちともお別れになるということだ。自室のベランダで大切に育てている植物たちも、全てを持って帰ることはできないだろう。
それなら、折角育ててきた花を、枯らせる前に誰かに見せたい。
「あの……実は今週、自室で育てていたパンジーが綺麗に咲いたんです。ご主人様にお見せするには素朴すぎるかと思い、持ってきていなかったのですが、やはり誰かに自慢したいので、少しの間、そこのベランダに置いていてもいいですか? ……これくらいの植木鉢なんですけど」
「ああ、お前の好きにすればいい」
「えっ……やった……っ! じゃなくて、ありがとうございます!! 明日持ってきますね!!」
ぃやっっったーーーーー! 許可が下りた!!
……って、喜んでる場合じゃない。こんな好き勝手してるから解雇されるのか?? いや、逆に加点ポイント?? お花綺麗だしね。
「あと、ドロシー、お前な」
「えっ、なんでしょうっっ!?」
振り返る。
「……手作りクッキーは……流石に」
リカルド様が、机に片肘をつき頭を抱える仕草をした。
真っ青になる。
「はぁぁぁぁああああぁあぁっすみません!!!! お口に合いませんでしたか!! ですよねぇ!!!!」
解雇の原因、これか!!!! お菓子作りは業務外ですからね!! 気をつけます!!!!
「気をつけるので!! どうか解……っ、いえ、どうかお許しください」
「え?」
「あっ、いえ、あの、以後気をつけます」
公爵様との会話を盗み聞きしていたなんて知られたら、余計たちが悪いと思われてしまう。一気に萎んでいると、リカルド様の腕がおずおずと伸びてきて、大きな手のひらが私の頭をぽんぽんと叩いた。
え、と思って顔を上げると、困ったような顔でリカルド様が宣う。
「違う、違う……。美味しいクッキーが知らぬ間に増えるのが問題なんだ。ええっとだな……、俺も置かれた分を全て食べてしまうから、程々に、な」
「え?」
「たまにでいいから、また作ってもらえると有り難い。どうやら俺のために、健康にいいものを選んで入れてくれているらしいからな……。ただ、砂糖が入っていることに変わりはないので、程々の量を。俺もその……できるだけ良い姿を保ちたい」
「は……はいっ!! 勿論ですっ、気をつけます!!」
確かに、これは叱られても仕方ありません。まずはご主人様の意思を尊重すべきでした。
解雇にならないよう、善処します!!
公爵令息様の、愛しいものを眺めるその表情に、ポンコツなメイドはまだ気づかない。