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後編

 本橋柚葉、一生の不覚。


 まさか、学校で居眠りをしてしまうとは。帰りのHRがいつ始まっていつ終わったのか、全く気が付かなかった。

 それもこれも、今日の6限の世界史のテストのせいだ。

 世界史の授業はどれだけ真面目に話を聞いて、ノートをとっても横文字ばっかりで全然頭に入ってこない。きっと、先生との相性も良くないのだろう。お経みたいなテンポでダラダラ話すだけの授業はいつも頭の中に霧がかかっているみたいだ。大体、進級したばかりでテストがあるのも納得できない。

 だからといって、これまでクールキャラで通してきた私がテストで赤点を取るわけにはいかない。クールキャラはある程度なんでもそつなくこなしてこそ、が私の持論だ。

 そう思って、図書室で何冊か参考書を借りて昨日の晩遅くまで勉強してテストに臨んだのに、終わった途端に緊張の糸が切れて爆睡してしまうとは。これでは本末転倒だ。

 慌てて飛び起きた時には既にHRは終わっており、教室にはまだ顔と名前が一致しないようなクラスメートがまばらにいるばかり。

 なんだか居た堪れなくなり本を抱えて教室を飛び出してきたものの、すぐに戻るのも何となく気まずい。そう思って図書室で何となくただダラダラと過ごしていた。

 適当に本を手に取り、広いテーブルの端の席に腰を下ろす。暖かい空気と柔らかな椅子の感触に包まれると、再び睡魔が私に襲いかかってきた……


 「……はっ!危ない危ない……」


 身体がガクンと傾いた衝撃で飛び起き、咄嗟に口元を拭いながら周囲に目を回す。幸い、私の他には誰も居なかった。


 「……さっきはよだれ、垂らしてなかったよね……?」


 ふと、悪寒が身体を走り抜ける。もし、よだれを垂らしながら爆睡しているところをクラスメートに見られていたら。もうこの学校では生きていけない。

 慌てて確認するが、幸い口元に跡は無さそうだし、制服の袖も濡れてはいなかった。ほっとして内心胸を撫で下ろした。


 軽く伸びをして席を立とうとしたその時、図書室のドアノブが音を立てて回った。びっくりした私は、何故か席を立つのをやめて机の上に開いていた対して興味もないフランス文学に視線を戻した。

 ゆっくり扉が開き、男子生徒が顔を覗かせた。見たことのある顔だ。あれはたしか……


 「……あっ……松……下くん?」


 松下雄亮。たしかそんな名前だった。去年同じクラスだった男の子。

 もう少し1人の時間を過ごしたかったが、まあ、同じクラスの人じゃなかっただけマシか。少なくとも、彼は私が居眠りしていたことは知らないだろう。


 「う、うん。久しぶ…………っ!!?」

 「? どうかした?」


 松下くんは私の顔を見て一瞬動きを止めたが、すぐに慌てた様子で顔を背けてしまった。

 何故だか分からないが彼は随分緊張しているらしい。私に向ける笑顔もぎこちないし、歩き方もどことなくロボットみたい。もっとも、彼の挨拶がぎこちないのは今に始まったことじゃないので、大して気にはならなかった。


 ある一点を除いては。


 遠目からでは分からなかったが、彼が近づいてきた時にハッキリと気付いてしまった。


 彼の鼻の穴から、一本の鼻毛が飛び出していることに。


 松下くんがもう一度こちらに顔を向ける。同時に、松下くんの鼻毛もこちらに顔を出す。目を凝らしてよく見たが、やはり見間違いではなかった。黒く逞しく伸びたそれは、堂々たる貫禄でもって彼の鼻の下に鎮座していた。

 当の松下くんはというと、何故だか先ほどよりも落ち着かない様子でもじもじしながら私の顔をチラチラと見ていた。


 (松下くん!あなたどういうつもりなの!?その鼻毛、もはや「出ている」んじゃなく「出している」と言っても過言じゃないわ!まさか、その鼻毛を私に見せにきたって言うつもりじゃないでしょうね!?)


 ……もちろん、そんなつもりじゃないだろうことは分かっている。私としたことが少し冷静さを欠いていた。松下くんはそんな古典的なボケをするようなキャラじゃないし、私がここにいることを知っていたはずもない。

 松下くんのことは嫌いではないが、今の状況はかなりキツい。このまま2人でいたら、確実に笑ってしまう。それはもう、我慢した分盛大に。

 そうなったら最悪だ。松下くんも傷つくだろうし、何より私が築いてきたクールなイメージが台無しだ。

 どうにかして、松下くんには早くここを立ち去ってもらいたい……


 「……松下くんも、何か借りにきたの?」

 「……えっ?……あっ……う、うん!そんなところ……」


 松下くんお願い、早く本を借りてこの場を立ち去って……

 しかし松下くんは一向に本を探しに行く様子もなく、ただその場に立ったまましきりに私の方に視線を走らせていた。

 このまま松下くんの顔、というか鼻毛を見てたら絶対笑ってしまう……私はたまらず手元の本に視線を戻したが、中身は全く目に入っていなかった。

 それにしても、松下くんは本も借りようとせず、返しにきたわけでもなく、一体何をしにきたのだろうか。この状況、何かおかしい……鼻毛が出ていることを抜きにしてもおかしい……

 その時、私の脳内に一つの可能性が浮上した。


 (もしかして松下くん……私に告白しようとしている!?)


 単なる私の思い上がりかもしれない。しかし、心当たりがないわけじゃない。

 去年、幼馴染の舞香が「松下くんて、ゆずのこと好きらしいよ〜」なんて言ってきたことがあった。あの時は舞香の冗談だと思ってまともに取り合わなかったけれど、もしかしたらあながち冗談でもなかったのかもしれない。

 

 ただ、彼が告白をしにきたのだとしたら、非常にまずい事態だ。


 別に松下くんのことが嫌いなわけではない。いきなり告白されてはいオッケーとは言えないけれど、お友達からなら……なんて。

 ただ、それは鼻毛が出ていない松下くんのことだ。

 正直大変申し訳ないが、鼻毛丸出しの男子に告白されてはい喜んでといえる女子はそう多くはないだろう。もしいたとしたら、その子とは是非一度じっくりお話してみたいと思う。

 では断る?なんて言って?


 「ごめんなさい、私、鼻毛出ている人はちょっと……」


 ……流石に松下くんが気の毒すぎる。もし私が同じ立場だったら二度と立ち直れないだろう。最悪そこの窓から飛び降りる。

 ……帰ろう。もしかしたら松下くんはがっかりするかもしれないが、鼻毛が出たまま告白させるよりはマシだ。


 「……じゃあ私、帰るね」

 「えっ!?」


 ずっと何かを考え込んでいた松下くんはかなり驚いた様子で大きな声を出した。やはり私に用があって、それも十中八九告白をしに来たのだろう。

 松下くんには申し訳ないが、今日は諦めてもらおう。できれば今度は鏡を見ながら顔を洗って出直してください。

 そういえば、鞄は教室に置いてきたままだった。取りに戻らないと……

 

 「ちょ、ちょっと待って!」


 松下くんの震えた声が響く。

 間に合わなかった……。観念した思いで顔を上げると、緊張した面持ちの松下くんと目があう。同時に、彼の鼻毛も視界に入る。

 やっぱりダメだ。どうにかして告白される前に松下くんを傷つけずに鼻毛が出ていることを伝える方法はないものか。

 

 「……あー!ここ、夕陽が綺麗に見えるね!いい景色だなー!」

 「え……夕陽?」

 「ほら、こっち来てみなよ!図書室って、こんないい眺めだったんだなー!」


 私が必死に考え込んでいると、松下くんは唐突にそう言いながら窓に近づきカーテンを大きく開いた。たちまち図書室はオレンジ色の光で満たされる。

 この状況でなんで急に景色の話を?正直意味が分からなかったが、つられて窓の方に目を向けたその時、あることに気が付いた。

 ____窓ガラスに映る自分の顔。それを見れば、松下くんも鼻毛に気付くかも。


 「……!そうだね!確かに、綺麗な景色かも……!」


 偶然訪れたこのチャンス、逃すわけにはいかない。

 松下くんの隣に並び、窓に顔を近づけてみる。夕陽に照らされたグラウンドはそれなりに情緒あふれる光景だが、別に見とれるほどではない。だが、そんなことは今はどうだっていいのだ。松下くんが窓に映る自分の顔に気付いてくれれば。


  「あっ、あそこ、陸上部が練習してる。今走ってるの、髙橋じゃない?去年一緒のクラスだった……」

 「うん、そうかも……」


 グラウンドの隅を走ってるのが誰かなんてどうでもいいが、多分あれは髙橋じゃない。髙橋は幅跳びの選手だったはずだし、もっと痩せている。

 というか松下くん、全然外の景色に集中していない。さっきからずっとソワソワしているし、私の方ばかり見つめてくる。

 隣に並んで気付いたが、松下くんって意外と背が高い。私より丸々頭ひとつ分くらい。そのため、さっきよりも鼻毛がよく見える。改めて見ると、信じられないくらい飛び出ている。松下くんが深呼吸をすると、飛び出した鼻毛はさらさらと揺れた。春のそよ風に吹かれるたんぽぽのように。

 もうダメだ、これ以上は耐えられない。私は覚悟を決めることにした。

 

 「「あの…………



   顔に何か、ついてるよ?」」



 「「……えっ?」」



〜〜


 

 学年主任の長い話からようやく解放され、疲れ切った足取りで教室へと向かう。

 

 「あーー疲れた……うわ、30分もかかってるじゃん」

 「こんなにかかったのは舞香が遅刻してきたからでしょ?次は気をつけてよ」


 呆れた顔の伊織から冷たいツッコミが刺さる。それを言われると何も言い返せない。


 「うっ……気を付けます。じゃ、またね」

 「うん、バイバイ」


 伊織は手を振ると自分の教室に入っていった。

 なんだかんだ真面目な伊織の手前ああは言ったものの、これから毎週放課後に集まりがあるのかと思うとうんざりする。やっぱり修学旅行の実行委員なんて気軽に引き受けるべきじゃなかった。

 教室のドアに手をかけると、ガラガラと大きな音を立てて開いた。案の定、ほとんどの生徒は既に下校しており、教室に残っているのは数名だった。


 「ゆずお待たせ〜、いつまで寝てんの、もう帰るよー?……あれ、ゆずは?」

 

 ぐるっと教室内を見回したが、柚葉の姿はどこにもない。おかしいな、珍しく爆睡していたはずなのに。

 誰ともなしに呟くと、机に座って談笑していた池谷が気付いて振り返った。


 「ゆず?ゆずって……誰だよ?」

 「ゆずはゆずでしょ。本橋柚葉。……もしかして、もう帰った?」


 ふと、嫌な予感が頭をよぎり、背中に冷たい汗が走る。

 よく考えたら柚葉は私が呼び出される前からずっと寝ていたのだし、起きた時に私がいなければ先に帰ったと思うかもしれない。

 いや、荷物は置きっぱなしにしてたからそれに気付けば待っててくれてるかも……

 ……あまり期待はできない。どっちにしろ、待っててなんて伝えてないし、寝ぼけた状態の柚葉ならそもそも気付かずに帰ってしまうだろう。普段はともかく、寝起きの柚葉は特級のバカだ。

 ただ、もし柚葉が帰ってしまったとしたら、非常にマズい……


 「あー、本橋か。本橋ならまだ図書室にいるんじゃねーの?なあ、田口」

 「うん。まだ戻ってきてないもんね」

 

 奥で自習していた田口は一瞬顔をあげ同意するように頷くと、すぐにテキストに視線を戻した。

 図書室!そういえば、柚葉はこの前やたらと世界史の参考書を借りていたような……

 そう聞くやいなや、私の足はすぐに図書室へと向かって駆け出していた。背後から池谷の「……本橋って、人気者なのな」と呟く声が聞こえた。

 柚葉はまだ学校にいる。首の皮一枚繋がった思いだが、まだ安心はできない。もし、誰かが柚葉の顔を見て、おでこの落書きに気付いたら……


 私は柚葉に殺される。


 全速力で渡り廊下を走り抜け、階段を駆け上がる。校内をこんなに走り回るのは、中学時代に所属していたテニス部の中練以来だ。


 柚葉のおでこに落書きしたのは、ほんの出来心だった。柚葉が学校で居眠りしているところなんて初めて見たし、いつもカッコつけてる柚葉をちょっと揶揄うくらいのつもりでちょっと落書きしてちょっと内緒で写真を撮ったらすぐに起こすつもりだったのだ。

 それがまさか急遽実行委員の集まりに駆り出され、30分近くも拘束されることになるとは……まあ、私が忘れていただけなんだけど。

 とにかく、プライドの高い柚葉のことだ。落書きしたくらいだったらその場で怒られるくらいで済むが、落書きされたまま気付かないで校舎を歩き回り、誰かに見られて笑われたなんてことになれば、よくて半殺し、最悪1週間は口を聞いてくれなくなってしまう。

 それだけは避けないと。今ならまだ間に合うかもしれない……!

 最後の直線を一気に駆け抜け、勢いよく図書室の扉を開く。お願い柚葉!1人でいてー!

 

 ……しかし、現実はそう甘くはなかった。図書室には柚葉のほかにもう1人男子がいた。あれは確か……松下だ。

 しかも、2人は並んで椅子に腰掛け何やら会話している。

 あの距離で、おでこの落書きに気付かないはずがない。


 終わった…………。……でも……、


 「……なんか楽しそうだし、まあいっか」

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