大司教イズナルト――冒険者ギルドでひと稼ぎ
アケシュナーの大聖堂――その名を知らぬ者はこのミストレア王国内にはいないだろう。
国内のみならず、隣国のザルナックからも巡礼者が多数訪れる。
中央には真っ白な尖塔、両翼に金色の寺院を持つ構造は、遠くから見るとまるで巨大な鳥のようにも見える事から、ここは鳳凰神殿とも呼ばれる。
大聖堂前。
イズナルトは大聖堂を今日も見上げる。
自らの信仰の拠り所を確かめるようだ。
だが、今日の彼は少し曇った顔だ。昨日受けた報告が彼の胸に僅かな引っかかりを残している。
――歌、とは何だ?
イズナルト、視線を元に戻し聖堂の中に入る。
堂内は明るく、広大な空間だ。
高い天井、壁には大きなガラス窓がはまっており、外からの光を豊かに取り込んでいる。中央から伸びた通路の先に祭壇があり、通路の両脇には無数の木のベンチ。
――今日も一日、神への祈りを。
イズナルトは中央通路をゆっくりと進む。
『その女は、群衆からの問いかけに、歌だ、と答えたそうです』
詳しい調査に行かせた者からの報告。
女から発せられたという奇妙な声――歌。
それがどんなものなのか、直に聞いていないイズナルトは想像するべくもない。
祭壇に辿り着くイズナルト。
跪き、いつものように胸の前で両手を組み合わせ神に祈るが、今日は上手く集中できなかった。
出来ることなら歌というものを聴いてみたい――その気持ちが、彼の集中を妨げていた。
――あー、失敗したな。
ある日の昼間。
リーンは一人で酒場で足りない食材を買い出しに、市場に来ていた。
この世界にスーパー、コンビニといったものはない。基本的には露天商が特定の場所で軒を連ね、買い物に来た客は必要なものをそこから個別に購入していく。
ちょうど昼時、市場は人で溢れ返っていた。
リーンは苦労して人混みを抜け、肉や魚を買って行く。
――気をつけて管理してはいたんだ。
だが、街から街へ渡りながら、時には野宿もあって――要は支出が予測しづらい。宿の泊料も街によって開きが大きい。
リーンは野菜を手に取り、店の主人と値段交渉後、購入して肩から提げた鞄に入れる。
――うーん、何だかずっとお金に困ってるなぁ。
向こうに居た頃は金に困ったことなど、何に幾ら掛かっているかなど気にしたことすらなかった。
それがこっちに来て、全てを自分でやらなくてはいけなくなって。
――おまけに歌も歌えない。
リーンは市場を一通り冷やかした後、帰路につく。
――ファンテ、どこに行ったのかな。
彼は朝から出かけていた。
その日の夜。
「あ、ファンテ」
酒場の一階で待っているとやっとファンテが帰って来た。
「どこ行ってたの? 今日はお休みもらってたらしいけど」
既に閉店作業を終えた店内は、薄暗いランプ一つテーブルに置いたリーンが座っているのみだった。
「ああ。ちょっとな」
見ればファンテは武装している。剣を帯び、部分鎧を装備していた。
「て言うか、ど、どうしたのっ」
テーブルから立ち上がり、ファンテの立つ入口に駆け寄るリーン。
傷だらけだ。深い傷は一つもないが全身が擦り傷や切り傷で溢れている。
「たいへん! 傷薬取って来る!」
「いいんだ、リーン」
ファンテは彼女の腕を取る。
「で、でも――」
「見た目程じゃない」
部屋に戻って自分で薬でも塗るさ――とファンテは柔らかく微笑んだ。
「本当に大丈夫?」
リーンは彼と一緒にテーブルに座り、カウンターから出した水をグラスに注いで彼の前に置く。
「ああ、ありがとう」
「ん? ひょっとしてさ……」
とリーン、彼の目を覗き込みながら。
「――何か一気に稼ごうとかした?」
飲みかけた水。ファンテは盛大にむせる。
――な、何て嘘のつけない人なの。
呆れるリーン。
「お、お前、勘、良すぎ……っ」
――いや、ファンテが分かり易いだけなんじゃないかな。
とは思うが口には出さない。
「どうしてそんなことを? と言うか、何をしてきたか聞いていい?」
落ち着いたファンテ、改めて水を飲んで。
「街の組合で魔狼の討伐を受けたんだ」
街の近くで魔狼が群れをなしており、往来に支障ありとのことで冒険者ギルドに依頼が出された。
ファンテは今回臨時の要員として討伐隊に参加した。
結果として、撃退に成功はしたのだが。
「思ったほどは稼げなかった?」
苦笑いのファンテ。
「俺はそもそも派手に立ち回ったりしないからな」
どうやらアピール不足で報酬が減らされたらしい。
「そんなことって――」
「あるんだよ、残念ながら」
と、ファンテがテーブルに置いたのは十枚の銀貨。
「足しにしてくれ」
「……何のよ」
「いや、旅の? かな」
それを聞いて、リーンは何とも言えない表情をした。
――ありがたい、それは当たり前だ。でもね。
「ファンテの気持ちは嬉しい。でも、危ないことはして欲しくない」
「いや、俺はお前の護衛だぞ? 危ない目とか今更――」
「違うよ。私の見ていないところで勝手に危なくならないで。私を守って危なくなるのは別に、良いけど」
――何だそりゃ。
変な理論にファンテは思わず吹き出す。
「何、笑ってんのよ」
「いや、すまん」
言いつつも笑いが止まらない。
「ふざけないで、私は――」
「分かった。これからはお前を守る為に危ない目に遭うとするよ」
じっとファンテに見つめられ戸惑うリーン。
「わ、分かればいいのよ」
「しかしなぁ、路上ライブとやらも出来ないし、酒場での臨時雇いだってそういつまでも――」
「うん。ファンテに給金だって払わないとだし」
「いや、それは」
別にどうでも、と言いかけてファンテはリーンの不安そうな目に気付く。
――ふむ。分かった気がするよ。
「な、何よ」
ファンテは歯を見せる。
「大丈夫だ。俺がお前と旅をするのは、本当に金の為じゃない」
「――ほんと?」
「ああ。この前も言ったじゃないか、俺達は旅の仲間だって」
「う、うん」
あまり納得していない様子のリーン。
――金で成り立つ関係が多かった、ってことだよな。
ファンテは、リーンが昔かなり裕福だったと見ている。
だからこそ、金以外の関係に不安があるのだろう。
「とにかく、給金は私が払うと言ったら払う」
「ああ、分かってるよ」
その場はそれでお開きとなり、二人はそれぞれの部屋に戻った。