7.個々の夜
もうそろそろ矛盾点が生じてきそうです(←
よく覚えておいてください。まだ一日目です。
2009.10/9 文章の微修正
「っ!」
「? どうしたんですか? 立花さん」
「……いえ、なんでもないわ」
今一瞬だけど、確かにムタンの気配がした。
保護する人ができたから少し過敏になっているのかもしれない。今はすでにムタンの気配はない。
「ごめんね。で、彼がどうしたの?」
「あ、はい。それがお兄ちゃんったら寝坊しちゃってですね」
彼、というのは三枝恭史のこと。呼ぶときはそうすることにした。
そして今、前ではピンクのクッションを抱いてその上に顔をちょこんと乗せている三枝魅奈という彼の妹がいる。
私は漫画を読んでいたのだけれど、一緒にいた彼女はどうやらその雰囲気に耐えかねて私に話をふってきた。…ちなみに、いうまでもないけど、彼女というのは三枝魅奈のことである。
何を話すのかと思えば、ほとんど彼の愚痴ばっかりだった。最初こそは学校の話とか、ある程度こちらにも質問されていたけど、そのうち彼女はお兄ちゃんがああだこうだ、と愚痴を言い始めたのである。
ちなみに、今は小学校のときの運動会に彼女のお兄ちゃんが絶対にいく、と約束をしていたのに寝坊して彼女の出る競技が終わってしまった、という話だった。
「あの時は本当に怒っちゃった。だって、あたしの出る競技は全部終わって、あと出るものっていったら、最後の体操ぐらいだったんだもん。だっていうのに、お兄ちゃんは『体操うまかったな』なんていってくるから、一発蹴りいれて一人で泣いて帰ったの。お兄ちゃんも悪いと思ってたみたいなんだけど、どうしても許せなくてお兄ちゃんとはその日一言もしゃべらなかった」
一度しゃべりだしたらなかなか止まらないのか、彼女はしゃべり続ける。
それでも彼女が楽しそうなものだから、私はそれをただ聞き続ける。……もちろん、自分にはわからないようなことでも。
「ほんと、無駄な褒め言葉をするものね」
「そう思うでしょ!? あっ、そういえば立花さんにはお兄ちゃんとかいるんですか?」
「………………」
まあ、流れ的にいつかくるとは思っていた。
「いえ、いないわ。そういえば、お風呂借りてもいい?」
もちろんですよ、と彼女は答えて、私は彼が運ぶのに苦戦していた荷物の中から下着を取り出す。
「それじゃ、お先失礼するわね」
「どうぞどうぞ」
私は部屋から出て、お風呂場へと向かった。
◇
「もうそろそろあがるかな……」
のんびりとつかって三十分ぐらい。あまり長風呂するとのぼせるし、もうそろそろあがろうと俺は風呂から出る。
少しひんやりとした外気が気持ちよく、風呂のドアを開ける。
「それじゃ、お風呂お借りします」
外から声が聞こえた。その声は女のもの……?
そして目の前のドアが開かれようと……。
「って、ちょっと待った!!」
開きかけていたドアを引いて閉める。
扉の向こうの人は驚いたようでドアノブから手を離したようだ。
「あの、誰かいるんですか?」
丁寧に聞いてくるこの声の主は――
「立花、か?」
「……貴方だったの。何? 今着替え中かしら?」
「そ、そうだ。だから少し待ってくれ」
当たり前よ、と言い捨ててドアの前から退散したようだ。
俺は心臓がバクバクンと鳴っているのを抑えられなかった。もうちょっと俺の反応が遅ければ俺の全裸姿を立花に見られていたところだったんだ。そんなラブコメ的展開はこの世にはないはずだ! ……いや、実際に漫画的な出来事が今日起きてしまったわけだが、それはそれ、これはこれだ。
ブリーフのパンツを穿いて-ハイテ-ついでに寝巻きを着る。
「どうぞ」
ハンドタオルを最後に取って、浴室から出る。
立花は何も言わずに浴室へ入っていってドアを閉め、おまけに鍵まで閉めやがった。俺も鍵を閉めとけばよかったな、と思ったのはそれを見てからだ。
最後に一つ大きく安堵の息をはいて、俺は自分の部屋へと戻っていった。
部屋に戻ってからすぐにベッドへと寝転ぶ。
「ふぁあぁ……風呂あがったあとなのに眠ぃ……。今日は疲れたし、もう寝るかな」
今日はいろいろあったんだ。それ相応の睡眠時間はとらなきゃな。
明日だって夏休み。明後日だって夏休み。まだまだ日にちはあるんだし、今日はぐっすりと眠ろう。
クーラーの電源を入れて、布団に入って眠ろう、
「お兄ちゃん! 裸見られたの!?」
とした俺を邪魔者がドアを勢いよく開けて、いきなりそんなことを聞いてきた。
「見られてねえよ!!」
「だって、お兄ちゃんさっきまでお風呂入ってたんでしょ? そこに立花さんがいっちゃったから」
「見られてない。ああ、ギリギリだったけど見られてない」
「ギリギリって?」
「ドア開けられる寸前に閉めたから全然見られてないってことだよ」
それを聞くと、なーんだと残念そうに言い残して自分の部屋へ戻っていった。なんだってんだ、せめて寝ようとしていた俺に詫びの一言ぐらい入れろ。
俺はそのまま部屋の電気を消して寝ることにした。
◇
溜息を一つついてあたしはベッドに寝転ぶ。
立花さんがお風呂にいって、お兄ちゃんの裸を見て幻滅、っていうのを期待していたあたし。
「でも、よく考えたらそういうので仲がよくなるってよくある話なのかな……?」
よくわからないけど、あたしはそういうことを望んでいた。
なんというか、あたしはお兄ちゃんが好きなんだ。――もちろん“兄”としてである。人として好きって感じじゃない。
あたしがまだ幼稚園児ぐらいのときに、お兄ちゃんはよく泣いているあたしを慰めてくれた。
『そんなみりょくある魅奈のことは、おにいちゃん絶対に守るからな!』
思い出して少しニヤけてしまう。
そんなお兄ちゃんのことが大好きだった。……そりゃ、そんなにがっしりした体系でもないし、たまに頼りないときもあるけど、そこもあたしは好き。他のどんな兄より頼れるに違いない。
中学三年生にもなって、まだお兄ちゃんのことが好きなんてあたしもバカだと思う。たとえるなら、親離れできない子供みたいなものかもしれない。
あたしは、そんなお兄ちゃんが誰にも取られたくなかったから、密かに目を光らせているつもりだ。
それが今日――今まで見たこともない美人さんがうちにやってきた。
名前は立花竜仔。さっき聞いたところ、お兄ちゃんより一つ年上の高校二年生らしい。
どこか大人びていて、カッコイイお姉さんだ。
髪型はポニーテールで、腰ぐらいまでありそうな長さなのにとても綺麗な黒色をしている。
あたしの理想像のような人なんだけど――なんだかあたしは立花竜仔という人が気に食わなかった。
お兄ちゃんがあたしの部屋で立花さんと一緒に寝ろ、っていったときは正直嫌だった。けど、お兄ちゃんの部屋で二人だなんてそれは許せないし、何かあたしにとっていけない方向に進むかもしれない。それに、他人の部屋に預けるぐらいならそんなに親密な関係ではないのかもしれない、と思っていた。
そう考えると、別にあたしの部屋で一緒に寝てもいいか、なんて思って了承したんだ。
でも、もしもお兄ちゃんと立花さんがすでにやっちゃってたら……?
「いやだいやだいやだーーー!」
駄々をこねる子供みたいにじたばたとする。
最近読む漫画でも、よくそんな展開はあるし、もしかしたら……? いや! そんなことはない! というか、認めない!
お兄ちゃんはあたしのものなんだ!
拳を握って固く誓う。だって、あたしの頼れるお兄ちゃんはあたしのお兄ちゃんだけなんだもん……!
「絶対渡さないもんっ!」
もう一度口に出していって、あたしは拳を握った。立花さんには悪いけど先に寝かせてもらおうとあたしは床に広げた布団で寝ることにする。ベッドには立花さんに寝てもらう予定だ。
掛け布団をかけて、あたしは小さくつぶやいた。
「お兄ちゃんはあたしの」
◇
「保護対象……か」
湯船につかって呟く。
まだ一日目なのに、なんだか私はすごく疲れている。
ムタンを追いかけてて、あまりお風呂なんて入ってなかった。奴は愉快犯だ。
自分が愉しむために殺し、愉しむために私を弄ぶ。そこにはきっとフォーカスも入っているだろう。
何より、人の絶望というものに愉しさを見出したのかわからないけど、ムタンは私が絶望する瞬間を見て笑っていた。いや、実際に見てはいないけど感じ取れた。声もなく大笑いしていたんだ。
だから、私はそんな絶望する瞬間を他の人に与えたくなくて、彼を初めて保護対象に入れた。
だけど……なんで私は自分から保護対象に入れたのだろう?
今日一日中思っていることだ。なんで自分から絶望に堕ちるようなことをしているのだろうか、と。
だからって、今から切り離すわけには行かない。一度守るって決めたんだから、私は彼を守る。これは私の意地というものだ。
「……私って、莫迦なのかな」
そういって私は口までお湯につかる。
汚いとはわかっているけど、ぶくぶくとお湯の中で息を吐いてみる。
私は身体を洗おうと湯船から出た。
後は身体洗って、髪の毛も洗って、お風呂から上がったら彼女の部屋で寝よう。きっとムタンは今日は行動を起こさない。
それに私も慣れていないことで疲れた。
ぼーっとこれからのことを考えながら、私は身体を洗い出した。
……それにしても、私にはいまいちはっきりしない疑問があった。
「ムタンの“本当”の目的って、何?」
◇
町が眠りにつく。だが、行動を起こそうとは思わなかった。
夜中だってのに、警察が何人かうろうろしている。もうそろそろいなくなるはずだが、さすがに俺としても迂闊-ウカツ-だった。
ムタンの挑発に乗りすぎたらしい。あくまで住宅街の中だというのに銃を撃ってしまった。
「服装も変えなきゃいけねえな……」
一応見られたかもしれないし、俺はつけているアクセサリーをじゃらじゃらといじりながらつぶやく。
「東京のほうじゃ俺みたいな奴がうじゃうじゃいるからなんの不自然さもなかったのによ。ったく、結構したのにもったいねえな」
とはいっても、今ここで外したって捨てる場所もないし、逆にそれが見つかれば怪しまれる。
今夜はおとなしくするのが一番なのだろう。
「畜生。気にくわねぇ」
吐き捨てて、俺はどこか人気のなさそうな場所に移動することにした。
――にしても、引っかかることが一つある。
今までムタンとは何度も闘ってきた。奴は人を殺すことでなにかの愉しさを得ていやがる。
奴の殺し方は至って簡単――型を奪い取ることで、奪い取ったモノの身体で人を殺すのだ。
自分に罪はもちろんない。むしろ、奴を視ることさえ普通ならできないのだから、何をやったって奴はこの世からはいないことになっているんだ。
いや、そんなことはどうでもいいんだ。俺が知りたいのは――ムタンの本当の目的。
奴があの時から持っている目的。人を殺すことが奴の本当の目的ではないはずなんだ。あの時、奴は――合わない、といっていたから。意味はわからないが、確か奴はそういったんだ。
その一言に、ただ偶然いっただけかもしれない一言に意味があるはず……。
「今考えてもしょうがねえな。ここら辺で寝るか」
人気のない住宅街の裏手のほうにやってきて、俺は壁に背を預けて寝ることにした。
登場人物たちは何度も何度も同じことを思い直していますので、「またかよ」と感じることもしばしばあるかもしれませんが、どうかご了承ください!