4.サリア城内
「閣下、ようこそ」
「騒ぐなよ、儂は気まぐれにサリア夫人を訪れたのだ」
「御意」
フィエール伯爵は、乗馬ハイランドデューの手綱をとり、護衛の騎士10名を連れ、先行させたペイジと荷物輸送の3台の馬車に順次追いつき補給と世話を受けつつ、宿営地1泊でサリア城下に現れた。
公式の訪問は手間がかかる。こういう時のためのサリア夫人でもある。1年ほど前から何度かサリア城を訪ねる伯爵の姿は、サリア夫人への寵愛であると思われていた。実際、サリア夫人は伯爵の子を授かっており、その子は3歳になっているから、サリア城下では2人目も間近ではないかとうわさが飛び交っている。
だが、政略と甘い生活はなじみが悪い。
伯爵は、サリア城の目と耳を考慮して、まずサリア夫人の居間に入った。
直ちにウイレム制作の魔晶具で音声遮断する。
「サリア、伯爵夫人から下賜の反物である。のちほど馬車で運ばれてくるゆえ、謹んで受けるがよい」
「まことにありがたきことにございます」
「伯爵夫人は、サリアを高く評価しておる。よく勤めているとの誉め言葉を伝える」
「ご期待に応えるよう、精一杯お勤めいたします」
「伯爵夫人に伝えよう」
「感謝と尊敬をお伝えくださいませ」
「うむ」
サリア夫人は控えの部屋へと退室し、入れ替わりにサリア領主が入室した。
護衛もメイドも、夫人を訪れる伯爵の邪魔など許されない。まして、音声遮断の魔晶具が発動しているなら、あとは推して知る。これを利用している。
「どうだ、熊とハチミツ亭は」
「まちがいありません」
「ジョーイは現れたか」
「はい」
「どのように見張っておる」
「熊とハチミツ亭のちょうど裏にパブがありましたので、買い取りました。
パブの亭主が、これは偶然ですが、私の昔の部下で、老骨ですが忠誠心に疑いがありません」
「まちがいないな」
「はい、乱戦の中わが叔父を庇って右の脇に槍を受け、肺を一部やられて戦場に立てなくなりました。
父が与えた一時金と恩給でパブをやっておりました」
「そのパブを買い取ったのか。その者の今後は」
サリア領主は、古い馴染みのオヤジを気遣ってくれる伯爵を得難い上司と再認識した。
「引退して、未亡人になっている娘の世話になるそうです」
「そうか、労ってやれ」
「お心を伝えてよろしいですか」
「うむ、俺からだと密かに渡せ。娘にやれ、と伝えろ」
伯爵は、内懐からビロード張りの小さな箱を取り出した。サリア領主が中を改めると、銀の鎖に下がった、水色の石のペンダントが納められている。貴族から見ればそれほど高価なものではないが、庶民の生活なら2,3カ月を支えることができる金額で売ることができる。
「閣下、これは?」
「心配するな、誰かのために用意したものではない。公にはできないが褒美を与えたいときのために、簡単なものをいつも持っている。伯爵夫人からの助言だ。
男は、自分のための褒美は受け取らないときも、娘や妻のための美しい装飾品はつい受け取ってしまうもの、とのことだ」
「閣下、伯爵夫人に敬愛と感謝をお伝えください」
「それは今日、もう充分受け取ったがな」
「決して多すぎることはございません」