プロローグ
ルースカリエ帝国第43代皇帝ギボン3世は、間もなく帝国を襲う暴力と破壊について、予見はしていなかったものの、不安は感じていた。
1000年の繁栄を誇る帝国は、版図の拡大を止めて久しい。武は衰えているかもしれなかった。
北方にガリエルという蛮国が起こり、周辺を飲みこみながら帝国に迫っていることは知っていた。
皇帝家の、柔らかい色彩に包まれた居間には、皇帝の一番下の弟とその新婚の妻のほか、7人の妻たちが産んだ子と、孫たちのうち、まだ皇帝家に残っている者が集まっている。その日は、皇帝家の祖先を偲ぶ家族の日だった。
7人娶った妻のうち、4人を喪った。最初の子は死産、愛した帝妃もともに逝った。
最後の子は娘で、こちらは元気そのものだ。今も乳母子となにやらきゃっきゃと話しては笑っている。
「ドナティエール公」
皇帝は弟を呼ぶ。
「御前に」
「そなた、妃を伴い、東の領地へ赴くがよい」
「御心のままに」
「その折に、末の姫を連れて、見聞を広めさせよ」
「承りました」
「頼むぞ、あの姫は宮廷に置いておくより戦姫にふさわしい。
皇家の伝統である。
戦う血は男だけで継ぐことはできぬ、妻になる女にも戦う血が流れてこそ、強い子が血筋を継ぐ。家訓だ、よいな、そなたも忘れるな。
帝姫の中であの姫が最も強く戦姫たる血を受け継いでおる」
「御意」
「ベニステラ卿」
皇帝は次に皇太子を呼ぶ。
「第二妃を伴って滝の城に行け」
「御意」
「皇太子宮は、正妃に代理権を与えよ。
第二妃と二妃のふたりの姫を伴うのだ」
「陛下、何か御心にかかることでも」
「帝国にガリエル侵攻の報がある。報告は信に足るが、わが国が敗れるとも思えぬ。
ただ、皇太子領と水道橋を護れ。事態が収まるまで帰ってはならぬ」
「御心が安んじられますなら」
賑やかに子どもたちが遊んでいる皇帝家の居間が、飛び散った皇家の血で赤く染まるのは、わずか2カ月後、空に白く大きな広姫が掛かる夜明けのことだった。