「きっと、やらないよりはマシ程度なんだろうな」
一般的な本に対する印象は、「金持ちの家に有る物」でしかない。
字が読めない人間にしてみれば、だいたいそんなものだ。
普通の彼らの感覚は、海外旅行に近い。
数字は分かる。
欲しい物の名前も分かる。
だから買い物に支障は無い。
よく使う単語をいくつか覚えておけば、何とでもなるのだ。
支障が無いので、そこで学びが終わる。
そして欲しい物の名前が「読める」ではなく、「分かる」のは、文字を文字として認識せず、記号、絵として覚えているだけ。
あとは現物を見ればだいたいの事が分かるので、物の名前が分からなくても“なんとなく”でどうにかなる。
読み書きを覚える必要性が無いのだ。
現地の国の言葉が分からなくても通訳なしで歩き回る旅行客のように、なんとでもなるのだから、何もしない。
それが普通の、一般人である。
ただ、海外旅行客の全てが現地の言葉を学ばない訳ではない。
中にはより旅行先を楽しむために、現地の言葉を学ぶ人もいる。
生活に余裕があるとか無いとか関係なく、学びたい、興味を持った人は出てくるものだ。
吟遊詩人がどれだけ影響を持つかが鍵になる。
新庄は相手の興味を引いて、学ぶ場を用意すれば、いずれ本も売れるようになるだろうと考える。
売りに出す本はイラスト多めを用意しているので、絵を見るだけでもなんとなく話が分かるようにしているし、取っ掛かり易い物を作ったつもりである。
漫画までいくと慣れが必要になり読みにくくなるかもしれないが、絵本や挿し絵入りの小説ならば、まだこの世界の常識から外れていないので受け入れられるはず。
また、貴族用で初版本はそうと分かるようにして相手のコレクター魂を刺激するようにもしている。
稀少本は写本よりも原典が尊ばれるように、同じ本でも二版三版より初版が高値で取引されるのはマニアの中では常識だ。
何が稀少本になるか分からなければ先物取引として本を買う人間も必ず出てくる、というのが新庄とオズワルドの読みである。
買わせてしまえば、あとはなんとかなるものだ。
内容は検閲しているし、国内では問題にならない話を用意した。むしろ王様の素晴らしさを讃える物語なので、推奨される側になる。
問題は神を貶す内容なので、宗教色の強い国は避けなければいけない事だが、そこはオズワルドが上手くやる手筈になっていた。
「きっと、やらないよりはマシ程度なんだろうな」
人事を尽くしたかどうか、まだやれる事があるかどうかは、新庄の視点では判断できない。
だが、仕事に一区切りついたので、新庄はほっと息を吐いた。
「じゃあ、次の手を打たないとな」
そうして、新庄は新しい行動に出る。




