「あの場に留まられた方が面倒だから、構わないよ」
民主主義の弱点は、国を潰しやすいところだ。
たいして能力の無い者も参加するため、衆愚政治に陥りやすいのである。
ネタのような話だが、自分達がやっている事の意味もわからずに、誰かが言う「僕の考えたとっても凄いプラン」に賛同して、思ったような結果が出ないことに憤るのである。
某政党の「埋蔵金」など、子供が考えても大嘘だと分かるような話に、大の大人が飛び付いたのだ。選挙権を持つ基準の緩さがよく分かる。
これを回避するには、一定の能力がある者だけに選挙権を与えるという手法を思い付くが、そうなると「基本的人権の侵害」と言われ、実現には至らない。
また、少数で民主主義をすると、意見が通る側と通らない側の対立が起きやすくなる。
人数が少ないという事は意見の統制がしやすいという事で、勝ち組と負け組が明確化することがあるのだ。
こうなると勝ち組の意見だけが毎回通り、負け組は常に負担を強いられる。日本のそれとは違うが「上級国民様」ができてしまうのだ。こうなると、本当に民主主義と言えるか怪しい社会となる。
残念ながら、高町たちのいるオアシスは、民主主義の悪い所だけを煮詰めたような状態であった。
全員の意見を聞いているフリだけをして、数人だけが意思を通すようになる。
大衆は負け組になりたくないから、勝ち組のリーダーに従う。
人はそれを、独裁と言う。
「逃げ場があれば、意外となんとかなるんだよな」
こんな状態で人が逃げないのは、逃げ場がないからだ。日本の政治に不満がある人たちが日本を出ていかないようなものだ。
海に囲まれた日本は特殊な立地というのもあるが、問題のある国から海外に出ていくのは、一つの選択肢である。
これは難民が一番分かりやすい。
国が受け入れがたい状態なら、難民になるというデメリットを背負ってでも、逃げられそうな国があるのなら、そちらに向かうのだ。死にたくないのなら、故郷がどうとか、甘い事を言ってられない。
そこで、例えばだが、逃げたい誰かに逃げられる場所があると教えたらどうなるか?
逃げたいけど、逃げた先で悲惨な生活をすることになるかもしれない。その不安が解消されたら?
答えは簡単だ。
餓えた魚は、釣り針があると分かっていても、餌に食らいつく。
新庄という、かつてオアシスを作り上げた実績のある人間が保証する逃げ場に、高町たちは賭ける事にした。そういう選択肢があることを思い出したのだ。
「手間をかける」
「あの場に留まられた方が面倒だから、構わないよ」
ほんの数人の亡命者が、出てしまった。
そして、これが崩壊の始まりだった。




