「貴方達には、異世界を救っていただきます」
離婚から2年後、新庄は物産展の運営スタッフとしてイベントに参加していた。
パンデミックによる昨今のイベント離れにストップをかけるため、感染防止を考慮しつつ行えるイベントの試金石として、会社の未来を占う重要なイベントだった。
物産展というイベント開催にあたり、電話で中止を求める声が寄せられた。
「武漢コロナの蔓延するこのご時世、人の集まるイベントを行うのは如何なものか?」
そういった意見に対しては「そんな時期でもできるイベントが必要なのです」と、感染症拡大に配慮したイベントになるよう努力していると返して理解を求める。
しかし電話で文句を言う者にしてみれば、自分の意見こそ正しく、相手の意見など求めていない。
新庄ら会社のスタッフがどのように対応しようとイベントは中止すべきで、自分の正しい意見に従わない会社スタッフを口汚く罵る者も多くいた。
中には、脅しの言葉を使う者までいた。
それでも会社は「自制の中で出来るイベントを」とスローガンを掲げ、脅しの声に屈することなくイベントを開始した。
「こんな時代だからこそ、何も出来ないと諦めず、自分たちに出来る事を探そう」
社長はそういって、社員を励ましていた。
3日続く物産展の初日は盛況で、大きく盛り上がった。
感染症対策の為に場所を広く取らざるを得ず、場所代が高い。
また、対策のために人への負担も大きくなっている。
普段よりも、場所や人のコストが高いイベントになってしまった。
しかし、それでも参加した人が笑顔になり、物産展を開いた事は成功になると思われた。
誰も彼もが、この閉塞感に押し潰され笑顔を失っていた中で、ようやく先に進むための方向性を見出したのだ。
この物産展が成功すれば、日本に活気が戻る一助になる。
そして成功までの道筋は見えている。
今日も一日頑張ろう。
2日目の早朝、そんな思いを胸に抱き、新庄は会場に足を踏み入れ。
――状況を弁えず騒ぐ愚か者に天誅を
物産展に反対するテロリストの作った爆弾で、同僚、イベント協賛スタッフ、時間前から集まっていた多くの客とともに、その命を奪われた。
「貴方達には、異世界を救っていただきます」
そしてそこで殺された人たちとともに、異世界へと召喚された。