エスカレーター
夏のホラー2020 駅 参加作品 その2
(もう一作投稿しています)
男は走っていた。
長くて狭い動く階段を。
上から下へと流れる、その銀色の金属を、下から上へと男は駆け登っていた。
「まて、コラァ」
随分とガラの悪い怒声を上げながら、男は下りエスカレーターを逆走していた。
草臥れた黒ズボンに、洗い晒しの茶色い綿シャツ。スニーカーも薄汚れ、髪もボサボサ、無精髭の男だ。
周囲は目を合わせようとしない。男が近付くと、身を強張らせて通り過ぎるのを待った。
男は半ば程まで、その長いエスカレーターを数段飛ばしで大股に登ると、手摺に手を掛けた。と、見る間に、ヨレヨレのくせに長い脚で、仕切りを跨ぎ越えて上りエスカレーター側に侵入した。
「ひいっ」
大きな旅行鞄を、ひとつ前の段に乗せていた、小柄な老婦人が、取手をもつ指先に力を込めて身を縮めた。
「おらァ」
男は乱暴に手を伸ばす。やや爪の伸びている骨張った手で、登って行く1人の若い女性の背中を掴んだ。
女は、酷く驚いた顔で振り向いた。
「とっとと成仏しやがれ、この悪霊!!」
男は、もう一方の手を擦りきれたポケットに突っ込む。そして、皺の寄った御札のようなものを取り出すと、女の端正な顔を目掛けて勢いよく突き出した。
女は、ふわりと浮き上がって避けた。
白地に緑の大きな花柄模様が散るワンピースが、女の動きにつれてふわっと揺れた。黒く長い艶のある髪は、さらりと流れた。
「てめェ!!」
男は怒鳴って飛び上がった。
「キャーっ」
エスカレーターに乗る人々から、悲鳴が上がった。
男が持つ御札のようなものは、あと一歩、幽霊女に届かなかった。
男は、悔しげな顔をして、エスカレーターを上りきった先のホームへと着地した。
「ちょっとあんた、なんで幽霊掴めんのよ」
幽霊女が抗議する。
「はあっ?除霊師なんだから、当たりめェだろっ」
目線を合わせて喚く男は、ふと動きを止めた。
「ん……??」
男は、マジマジと幽霊女を見る。
「あれっ?お前、別人かよっ」
「はっ?なに?」
幽霊女が、キッと眉を吊り上げる。
「ちょっと、邪魔なんですけど」
「あ、すいません」
神経質そうな、眼鏡の中年サラリーマンに押し退けられて、除霊師の男は、少し脇に寄る。
「そんで、何だお前」
「あんたこそ何よ」
2人は改めて言い争う。
「俺は除霊師だって」
「別人て何よ」
幽霊女は、不満そうに男を睨み付けて来た。
「ここのエスカレーターに、悪霊が出んだよ。そんで、お仕事」
「フーン。間違いなんじゃないの?どうせ、厚化粧のオバサンとかでしょ」
幽霊女は、鼻で嗤った。
男は、機嫌が悪そうに問いかけた。
「で、何やってんだよ、ここで」
「見れば解るでしょ。エスカレーター乗ってんの」
「そんだけ?」
「そ」
一瞬、間が空いた。
「何お前、エスカレーターから落ちて死んだとか?」
「まさかぁ。このエスカレーターが開通直前に死んじゃったから、乗りたかっただけよ」
「じゃあもう、充分乗ったろ?さっさと成仏しろ」
男は、呆れた顔で再び御札のようなものを構えた。
「えー、まだ、足りないー」
男は、毒気を抜かれたような顔をして、幽霊女を諭すように話し続けた。
「お前、死んだ時いくつよ」
「見たまんまだけど?」
「他に未練あんじゃね?」
「無いけど?」
「何で死んだ」
男は、次第に尋問口調になっていった。
「さあ?わすれた」
幽霊女は悪びれない。
「はあっ?……って、悪霊退散っ!!」
男は突然話を切って、今ドアの閉まった電車に向かって走り出した。思わず男の目線を追った幽霊女は、
「あーッ!あんたッ!ゆるさんッ!」
と叫んで、男を飛び越えて電車に突撃した。
そのまま車輌の壁をすり抜けて、中から見るからに恐ろしい悪霊女を引摺り出して来た。
髪はザンバラ、目は薮睨み、手足は痩せこけ、煤けた白いワンピースを着た、青白い幽霊だった。
「おっさんッ!コイツ!コイツよッ!ホームでいきなり取り憑いて来て!あたしを心臓発作で殺したのッ!今思い出したッ!コイツ、コイツのせいでッ!エスカレーター乗り損ねた!完成、楽しみにしてたのにッ!赦すまじッ!さあッ早くッ!やっておしまいッ!!!」
エスカレーター幽霊は、興奮して捲し立てた。
「それで、未練は無いんだな?」
男はもう一枚、しわくちゃになった御札のようなものを取り出しながら訊く。
「おうよッ!」
幽霊女がニカッと笑うと、それを合図に男は、御札のようなものを握りこんだ拳でダイナミックに幽霊女2人を殴り飛ばした。
悪霊女の断末魔が、呑気な発車メロディーに重なる。
ホームで、悪霊退治を物珍しそうに見学していた乗客達は、やれやれ終わった、とばかりに歩き出した。
「ありがとッ!バイバイ」
エスカレーター幽霊女は、清々しい笑顔で消えて行った。
完
最後まで読んで下さり、
有り難うございましたッ!