06,にぎやか☆精霊会議
緑の大陸の中央には、【精霊樹】と呼ばれる巨木が生えている。
樹齢数十万年クラスの木ですら、精霊樹に比べれば若木に思えてしまう。そんなスケール。
天地開闢の頃、大精霊よりも高位の存在とされる精霊【霊神】様とやらがいて、その御仁の遺体がこの精霊樹になったのだとか。
いわゆる神話と言うもので、そこにルーツを持つ精霊樹は言葉通りの御神木と言う訳だ。
そして、精霊樹の幹の天辺――雲すらも遥か眼下とし、星海の領域に片足を突っ込むその場所に建てられた荘厳な木城が、世間に精霊院と呼ばれる場所。
……当然そこまで登るには、精霊が全速を出してもかなりの時間を要する。一部の精霊が「精霊院に顔を出すだけでも面倒臭い」と招集を嫌がるのは、主にこの立地が原因である。
「――ッざけんじゃあないわよ!」
そんな精霊院を揺らす、どすのきいた女性の怒号。
精霊院どころか精霊樹全体が揺れたらしく、精霊樹から一斉に鳥や虫達が逃げるように飛び去った。何かの天災の予兆かと思える光景である(……まぁ、実際。この怒号の主が本気を出せば複数の天災を同時に引き起こせるので、あながち間違いではないかもだが)。
して、件の怒号の発生源は、精霊院の最上階。展望フロアに設けられた通称・星見会議場。青と黒のソラの狭間にある展望フロアに木の円卓が設置されているだけの簡素な造りだ。
この円卓では、庭園を持つ事を許された上位の精霊達がたまに会議を行う。
そして今もまさに、その会議の真っ最中だ。
「介入の必要無し? はぁぁぁあああ!? あんたら長生きし過ぎて脳ミソにコケ生えてんじゃあないのぉぉぉぉお!?」
卓を叩くどころか卓上に立って踏みつけする黄色いドレスの女性。
大きな太陽花の髪飾りに、睨みだけで小動物を殺せそうな眼光、浮きだった青筋で埋まった本来は端麗であるはずの剣幕顔。
元ヤン精霊、シエルフィオーレである。
そう、元ヤン。最近はすっかり落ち着き、お淑やかで、精霊のステレオタイプどころか美しき女神とさえ呼ばれるレベルで立派に精霊していた彼女が――ヤンキー時代でもそうそうなかった勢いでキレているッ!
アンギャアアアアと咆哮しながら口から炎を吐き始めても不思議ではないキレっぷりだ!
「あー……いやね? シエルちゃん。まぁ僕だって、気持ちはわかるんだけれどもね?」
そんなシエルフィオーレに対し、困ったような微笑みで物腰柔らかに対応するのは、赤髪の精霊おじさん。
丁寧に整えられた顎鬚や適度にムキムキな体格はまさにナイスミドルと言った風格。
彼は王厳菩提花の精霊、ダーウィリアム。
上位精霊の取りまとめ役、つまり精霊界隈では現状、大精霊に次ぐ権力者第二位に位置する赤いおじさんである。
「改人結社アバドンゲート――ありとあらゆる基準や前例に照合しても、彼らへの対処は、精霊の管轄じゃあないんだ」
今回の精霊会議、議題は「最近、この大陸で何かわちゃこらしているアバドンゲートとか言う連中がいるんだけれど、どうする?」と言った所。
改人結社アバドンゲート。
ユグドの国の諜報機関から精霊院へ提出されたデータによると、以下の通り。
アバドンゲートはナラク・シュラクと呼ばれる男をトップとする悪の組織であり、最初に存在が確認されたのは緑の大陸・ユグドの国からは遠く離れた黒の大陸・キョクヤの国。
構成メンバーは現在確認できる限りすべて人間。
活動内容は科学施術による生体改造技術の研鑽。および、それによって誕生した改人による反社会的活動。
目的は――不明。
……と言うより、捕縛したメンバー全員が全員、バラバラの目的を掲げていた。中には組織利益のために行動している者もいたようだが……ほとんどは自己の利益を追求して暴虐を働こうとしていたそうだ。
――推し量るに、アバドンゲートの実情は組織と言うよりは、ただの群体。
ナラク・シュラクとやらの下に集合したアウトロー共が、改人の力を手に入れて好き放題に暴れているだけ。
つまり、何を考え、何をするかが、まったく読めない。
まるで、無軌道に放浪する爆弾の集まりだ。
下手に組織としてきちんとしている連中よりも数段タチが悪い。
可能であれば、すぐにでも対処した方が良い。
……だがしかし、結論は、ダーウィリアムが先に述べた通り。
「いいかい? 我々精霊院の力は確かに万能に等しいかも知れないが、決して万能そのものじゃあない。日常的に何でもかんでも首を突っ込んで、いざ総力を集めなければ解決できない大事件が起きた時に対応する準備が足りない……なんて事になったら、目も当てられないだろう?」
言うなれば、精霊とは最終兵器。
最悪のケースに備えられるように、その活動には常にゆとりを持たせる方針なのだ。
故に、精霊院は滅多な事では動かない。
アバドンゲートの改人については、正直言って個々の戦力は大したものではない。
それなりの訓練を積んだ兵士なら充分に制圧できるし、霊獣クラスが出張れば片手間の一瞬で片付けられる。
アバドンゲートに対して精霊院が動く――わかりやすく言えばそれは、野犬狩りに大規模軍隊を派遣するような話なのだ。そんなデタラメな話があってたまるものか。
だから、精霊は動かない。
「どうにか……納得、してもらえないかな?」
ダーウィリアムの言葉に出席精霊の大半がうんうんと頷く。
元シエル組メンバー(かつてはパティパンズの如く舎弟扱いされ、色々と理不尽を味わった哀れな精霊達)ですらも、シエルフィオーレの方を気にかけつつおそるおそるダーウィリアムに賛同と言った様子。
「ッ……」
理屈としては、シエルフィオーレだって理解はしている。
だが、感情的な納得は全くの別問題だ。
「だからッ! 別に兵隊よこせなんて言っていないでしょう!? ハナっからこっちは私単独で潰しに行くつもりだってのよ! あんたらは形だけでも精霊介入を許可すりゃあ良いのよ!」
ああ、あのシエルフィオーレがッ!
一応とは言え暴力を振るう大義名分、体裁を整えようとしている!
この場に集まった精霊の中で、スケルッツォを筆頭に一〇〇〇年前までの彼女を知る精霊達はもうその成長ぶりに感動を隠せない。
元シエル組の連中に至っては、感涙し嗚咽を我慢している者まで。
「それも駄目だよ。精霊院が動く、と言う事実だけで民達に不安を与えてしまう。いたずらに民達へ精神的負荷をかけるなんて、守護者の名折れになってしまうだろう?」
先にも述べたが、精霊は最終兵器だ。
精霊が対処しなければならない相手がこの大陸にいる……それだけで民には多大な不安になるだろう。
もし仮にシエルフィオーレを出動させて、アバドンゲートを壊滅させられたとしても、万が一、一人でも残党を逃がしてしまった日には最悪の最悪。
民達は「精霊が対処するような怪物の生き残りが、どこかに息を潜めている」と言う不安の中で、生活しなければならなくなる。
逆に言えば、精霊が動かない事こそが、平和と安寧の象徴に成り得るのだ。
「ああ言えばこう言う……!」
「それが会議と言うものだからね」
ダーウィリアムは徹頭徹尾やわらかな物腰でシエルフィオーレを諭し続ける。
「先に言ったけれど、ルークくんを傷付けられ業腹の極致である君の感情は理解するよ、シエルちゃん。僕が君の立場だったのならば、きっと君と同じ提案をしただろう。……しかし、どうか冷静に考えて欲しい。我々の存在意義は【守護】だ。最も重要視すべきは、外敵を完膚無きまでに痛め付けて駆逐する事じゃあない。可能最大限に民の心身を尊重しつつ、速やかに問題を解決する事こそが最優先だ。その最善手を考えた場合、やはり精霊院は動くべきじゃあないんだよ」
「……ッ……でも……!」
「あー……ではでは、この辺りでこのスケルッツォより提案がございます」
と、ここで挙手したのは、シエルフィオーレの隣で静かに座していたドピンク紳士・スケルッツォ。
ここまでやたらに静かだったのは、流石の彼も会議の場では空気を読む――とかではなく。
彼の余談(曰く「脈拍のようなもの」)は会議の妨げでしかないので、会議に入る前には必ず「必要な発言と判断されるもの以外は一切発言できなくなる」と言う彼のためだけに開発された特殊霊術【沈黙は花】による制限を課すのが精霊院の慣わしだからだ。
つまり、この場におけるスケルッツォの発言に無駄は無い。
とすれば、その提案を門前払いにする道理は無い。ダーウィリアムはこくりと頷いて発言を許可。
「して、その提案に入る前に、スケルッツォが明日使える雑学を皆様にお届けいたしましょう」
――ん? なんだって?
と、スケルッツォ以外全員が頭上に?を浮かべた。
「ツォツォツォ! 皆様はご存知でしょうか? アバドンゲートの改人達は虫をモデルにしているのだとか! 虫と言えば代表格はやはりカブトムシ! んん、男の子ならば嫌いな者はいないと喝破して差し支えない昆虫でございますねぇ! 当方も大好きですよぉ! ツォツォ! 目に入れるのは流石に痛いですがぁ、食べる分には割と。してしてこのカブトムシなのですが、『夏の昆虫』と言うイメージとは裏腹、暑さにはめっぽう弱く――」
「――ッ――スケルッツォくん、まさか【沈黙は花】を解除したのか君はァァァ!?」
ダーウィリアムの悲鳴めいた問いかけに、スケルッツォは不気味な笑みを濃く、一層不気味にした。
「ツォッツォッツォッツォ! 質問にお応えしましょう議長殿! ええ、はいッ! 喋る事とはつまり生きると言う事! 生を掴み取るためならばこのスケルッツォ、容赦はいたしませぇん! 大精霊様が監修し開発された特殊霊術すらも破ってみせましょう! そしてみせました! はい拍手! あら、そんな歓迎の雰囲気ではない? ではセルフロンリーでクレァップ・ヘンズッ! そして勝ち誇るように大爆笑をツォッツォッツォッ!」
捲土重来スケルッツォ。
この余りにも想定外にして最悪の事態に議場は騒然。
まだ要求が通っていない現状、ここで話の腰を折られて困るシエルフィオーレに取っても、この事態は好ましくない。
「えぇい! 黙っていなさい、ドピンク頓痴気ッ! 今はあんたの饒舌に付き合っている場合じゃあないのよ!」
「いつもながらツレない事を言いますなぁ、シエル嬢。まるで大シケの海のよう。そりゃあ釣れないッ! はい! 当方今ウマい事を言いましたよ! ヒヒィーンツォツォツォツォ! ご褒美のキャロットはいくつほどいただけますでしょうか!?」
「ああそうですかッ! ニンジンが欲しけりゃあ、たらふくくれてやるわよぉぉぉぉッ!」
マジで今はこいつに構っている時ではない。
そう判断したシエルフィオーレはスケルッツォを黙らせるべく、怒号と共に術式を起動。その手に陽の炎を顕現させ、スピア状に収束。朱色の円錐形――見方によっては確かにニンジン。
「不味い! シエルちゃんがマジギレ入ったッ!?」
元々キレやすい上に、先ほどまでの甲論乙駁によるヒートアップも手伝ったのだろう。
シエルフィオーレは本気でスケルッツォを殺りにいく気だ。それも、周囲への被害を考慮できる冷静さが残っているとは到底思えない形相。
「ひぃぃッ!? あの顔は昔のシエル様だぁぁ! もう駄目だぁ! アタシ達の平和は終わったんだぁぁッ! あの日々が帰ってくるんだぁぁぁ!」
「ひああああああああああッ!? 嫌だぁ! もう戻りたくなぁい!」
「あひぃ、あひぃぃぃいいいいいッ!」
「ヤッタァァァァー! シエル御姉様カムバックきたァァァ! ハァァピネェスァ!」
「おいやべぇぞ! 元シエル組の発作まで始まりやがったッ!」
「久々に見た気がしますねこれ……」
混沌ッ!
「スケルッツォの方も喋るのをやめるつもりがないぞ!? 抑圧し過ぎたんだ!」
「やめるのを待ってたら寿命の方が先にキちゃうわね、これは……! 両方今すぐ腕ずくで止めるわよ! スケ公がやかましくて邪魔なのは当然、昔のシィちゃんならともかく上位精霊の精霊力でヤンキームーブされたら……下手すると精霊樹がもたない!」
「ッ、致し方ない! シエルちゃんとスケルッツォくんを止めよう!」
阿鼻叫喚の中、ダーウィリアムの号令にて全員が臨戦態勢。
「全員、多少手荒で構わない――と言うか、生半可で止められる組み合わせじゃあないッ! 大陸の守護者としての実力、面目躍如の時だッ!」
ダーウィリアムを筆頭とするまともな精霊達が冷静に事を収束させるべく動き出す最中。
喋りを抑圧されていたスケルッツォとルークの件で思考に余裕がないシエルフィオーレの暴走は、互いにヒートアップを重ねていく。
「ツォーッツォツォツォツォツォッ! やだ、シエル嬢の愛、熱過ぎ(比喩とかでなく)!? こんなに熱い愛を向けられるとは、当方なんだかんだ愛されキャラですねぇ! まぁ当方ほどの愛嬌があれば仕方無しと言う見方もありますが……困っちゃうったらスケルッツォ!」
「うるさいってのォォォォォ死ねウルァアアアアアアアアアッ!」
――この後、スケルッツォが本題に入り「シエル嬢は、アバドンゲートを放置する事でまたルークくんに危害が及んでしまう可能性を恐れているとみました。ええ、まぁ、可能性としてはゼロでは無し。では今後、万が一にも同様の事件が起きてしまった場合に備え、未熟なヴィジタロイドにも自衛用最低限の装備を支給、遊戯をおり交ぜた『自衛および避難行動の洗練を主目的とした訓練』を実施するのはいかがでしょう?」と提案するまでに夜は明け、精霊院の木城は八割くらい燃えた。