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05,森の力


 ――危険だ。

 ルークもコウもアッゴラも、全員が本能でそう察した。


 戦うべきではない、逃げなければ。

 ただし、それが叶うならば……だ。


 当然、レッドパインとメープルジャムはそれを許さない。

 ルーク達が逃げ出す前に、スピーディに行動を開始した。


「ジャム、いつも通りの速攻だ」

「あいよッス!」


 紅鋼の改人へと変貌を遂げたレッドパイン、その腰部には妙に膨らんだパーツがある。それはある【兵器】の小型製造プラント。

 レッドパインがそこに手をかざせば、秒も経たずにそれが精製され、掌に吐き出される。

 それの正体は――紅い鋼で構築された、妙にボコボコした球体。

 木造兵器が主流のユグドの国では決してお目にかかれない代物。


 その外観から付けられた通称は――【鳳梨型手榴弾パイナップル】。


 レッドパインは慣れた所作で手榴弾の安全ピンを指に掛け、引っこ抜く。そしてそのまま、ルーク達の方へと放った。


「!」


 ルークもコウもアッゴラも、手榴弾など当然ご存知ない。

 だがしかし、明らかに敵意を剥き出しにした恐い輩が放ってよこしたものが、嬉しいプレゼントの類だなんて有り得ないと言う事くらいはわかる。


「警戒されるのは重々承知だ。子供が相手でも、そこまでは侮らない」


 手榴弾は盾を構えたルークの目の前で起爆。

 爆炎は控えめながら、とんでもない爆風を巻き起こすタイプの代物だった。

 凄まじい爆風に乗った手榴弾の破片が、相応の凄まじいパワーを帯びてルークの盾に襲いかかる。


「ぅ、ぎゅぅ!?」

「どぅわッ!?」


 破片の散弾にズガガガッ! と盾を叩かれ、ルークの体にも衝撃が伝う。

 ルークの頭に乗っていたコウは、爆音への驚きでバランスを崩した所にその衝撃がきたせいで大きく後方へと吹っ飛ばされてしまったが、アッゴラがナイスキャッチしてくれたので怪我はしなかった。


「ッ~……!」


 ルークは両腕の不愉快な痺れに幼な顔を歪ませるが、すぐにそんな場合ではないと気付く。

 盾の向こうに見えたからだ。手榴弾の黒い爆煙を切り裂いて、更に黒く、そして輝く巨体が迫ってくるのが。


「ハァーハハハハハハハハッ!」


 トーンの低い大笑いと共に突進してきた黒鋼の巨塊――メープルジャム!

 異様に膨らんだ黒鋼の右拳を大きく振り上げている!


 ――コンビネーションだ、これは!

 レッドパインの手榴弾で牽制した所で、メープルジャムが力任せに突っ込み、押し切る!

 単純ながら、それ故に仕掛けも平易で速攻性が高い! 事前に予防さえされなければあっさりと決まる! そんなコンビネーション!


 現に、ルークは気付いた所で、回避に移る暇は無かった。

 本能的に盾を振り上げられたのも、それがギリギリで間に合ったのも、ただの奇跡。


「ぐちゃぐちゃのジャムソースにしてやるよォ! くらいやがれ――【黒鋼鉄拳ハードスマッシュ】!」


 技名を叫ぶ事で技に気合が乗る!

 即ち、恐ろしくパワーに溢れた黒鋼の巨拳が、ルークに向かって――彼が振り上げた盾に向かって、放たれる!


「――ッ――」


 盾からルークの体へと伝わった衝撃は、先ほどの比ではない。呻きや悲鳴の類など、出す余裕が無かった。

 一瞬の押し合いすらも無く、盾もろともルークの小さな体が簡単に宙を舞う。


 吹き飛ばされたルークは真っ直ぐ弾丸ライナー、元は研究室だった木製の瓦礫の山に突き刺さった。


「る、ルーク!?」


 アッゴラに抱かれたコウが悲鳴のようにルークの名を呼んだ。

 とんでもない吹っ飛び方だった。親友があんな飛び方をしたら、そりゃあ悲鳴も出る!


 しかし、


「……うぅぅ……痛いよぅ……」


 ガララ、と音を立てて瓦礫を崩しながら、ルークが立ち上がった。

 頬や膝など節々を擦りむき、ちょっと泣きべそをかいているが……割と平気そうである。


「……あぁん?」


 当然、怪訝そうな声をあげたのはメープルジャム。

 怪力自慢のメープルジャム。気合を乗せた自分の拳を受けて、あんな子供が立ち上がれるだなんて、信じ難いにもほどがあるのだ。


 メープルジャムは少しだけ思案。

 まぁ、単細胞で構築された彼の脳に備えられた思考力は決して高くない。

 即で導きだした結論は、「あの盾が優秀なのと、あとは当たり所が良かったんだろうな。運の良いガキだぜ」。


 だが偶然にしても奇跡にしても何にしても、自慢の拳を耐えられたのは久しぶりの事!

 メープルジャムは黒鋼のフルフェイス兜の口元ごとぐしゃりと口角を歪めて笑う!


「面白いぜテメェ、このガキ野郎! 兄ィ! 少しだけ時間をくだせぇッス!」

「……ふむ。ああ。好きにすれば良い。警備の連中がこの辺に回ってくるまで、まだまだ時間はある」


 弟分がテンションをあげた理由を察し、レッドパインは余計な手出しは無用と判断。腕を組んで待ちの姿勢を取った。


「あざァァッスゥ……!」


 巨大な両拳を叩き合わせて鳴らしながら、メープルジャムがルークへと迫る。

 速攻をかけるつもりなどない、むしろその逆。ゆっくりじっくりと、威圧感をかけながら、行く。


「ぅあ……!?」


 それに気付き、ルークは思わず後退。踵で更に瓦礫を崩しながら下がっていくが……しかし、非情。その小さな背中はすぐに大きな瓦礫にぶつかり、止まってしまった。


 ――恐い。

 さっきのパンチ……すごく、すごく痛かった。

 あんな痛い事をする奴が、近付いてくる。恐い。足が震える。

 当然だ。ルークはまだ戦闘訓練など受けた事の無いただの子供。

 恐怖は感じるし、本能的に逃避願望を抱くのは当然。仕方の無い事なのだ。


「このッ……! ルークに近寄るなぁ!」

「そ、そうだー! 子供になんて事をするんだー!」


 黙って見ていられるものか、とコウとアッゴラが両手を振り上げて走り出した。

 なんと無様な突撃だろう! しかしその行動はルークを助けるため、咄嗟に取った必死の行動! そこには素敵なサムシングがある!


「邪魔だァ! 獣野郎共!」


 だが、現実は非情……!

 メープルジャムが軽く巨拳を振り上げた衝撃だけで、コウもアッゴラも吹き飛ばされ、派手に地面を転がされてしまう!

 コウもアッゴラも動かない。生きてはいるだろうが、そのダメージは大きい。


「こ、コウ! お兄さん!」

「他所の心配してる場合かぁ?」

「ひっ……」

「さぁ……次はテメェだ! その盾、テメェの幸運! この俺っちの拳にどれだけ耐えられるか……楽しみだぜぇ!」


 高い打点からほぼ垂直に振り下ろされる鉄拳。

 震える手でどうにか盾を振り上げたルークだったが、盾ごと地面に叩きつけられた!


「がぅあっ!?」


 どうしようもない筋力差……!

 どれだけ盾が丈夫でも、持ち手であるルークがもたない!


「……う……うぅ…」


 ルークは半ば地面にめり込んだまま、体を動かせない。

 全身の隅々まで痛い。まるで体中の筋肉細胞を丹念にすり潰されてしまったようだと思った。涙と呻き声だけがポロポロと零れ落ちる。


 たった二発の拳。それも、ちゃんと盾で防いだはずだのに。

 その衝撃はルークの体を充分過ぎるほどに蝕んでいた。


 当然だ。

 一発目はまだ、吹き飛ばされる事で多少衝撃が軽減される余地があった。

 だがしかし今まさに受けた二発目は、直後に地面に叩き付けられた……そのせいで衝撃が、ダメージが、ほぼ丸ごとルークの小さな体に閉じ込められる形になってしまったのだッ!

 耐えられるはずが無い……!


「……あぁ? おいおい……楽しみだっつった途端にノック・アウトかよ」


 イモムシ程度の身じろぎすらできずに泣くだけのルークを見下ろして、メープルジャムは心底残念そうな声を漏らした。


「お前が怪力過ぎるんだ、ジャム。気は済んでいないだろうが、ここまでだろう。もうやめてやれ」


 と、ここでレッドパインが腕を組んだまま、メープルジャムを言葉で制止する。


「ルークくんは心身ともにもう駄目だ。子供を殺さなくて良いのならば、それが一番良い」


 お前だって、泣きじゃくるだけの子供を殴り潰す趣味は無いだろう。

 と、レッドパインは付け加えた。


「やれやれ……兄ィは本当に優しいッスねぇ。んじゃあ、コアラ野郎を回収してひとまずズラかりまスかぁ」

「そうだな。ああ、それとついでに、そこのハムスターも連れて行こう。敷地内にいる獣と言う事はCIG関係者だろう。優秀な科学者としての素質があるかも知れない」

「こっちのガキはどうしまスか? ってか、今更なんスけど、こいつ何スか? 人間……はこの大陸にゃあいないんスよねぇ?」

「見たところ、エルフだろう」


 この大陸にいる知性体は、精霊か獣かエルフの三択だ。

 精霊だとすれば幼体だとしてもこんなに弱いはずがない。そして猿系の獣にしては獣感が足りない。

 消去法でエルフだろうと判断するのは妥当。


「放っておけ。エルフ連中は精霊に比肩するほど霊術に精通しているとは聞くが、科学文明には疎いらしい。我々とは需要が違う」

「了解ッス」

「……ぅ……」


 このままでは、コウとアッゴラが連れて行かれてしまう……!


 悪の組織の、悪の改人に、連れて行かれる。

 それが具体的にどう言う事なのかは想像もできないが、しかし、絶対に駄目だと言う事だけはわかる!


「……シ、エルが……言って、たんだ……!」


 シエルフィオーレの言葉を思い出す度に、ルークは思う。「頑張らなくちゃ」と。

 心身ともに限界を越えてぐちゃぐちゃだとしても、それでも、それをどうにかできてしまうほどの何かが湧き上がるのだ。


「友達は……大切な、存在ものだって……!」


 満身創痍。細胞単位で限界を越えてなお、ルークが立ち上がる。


「大切なモノは――絶対に守らなきゃ、駄目なんだッ……!」


 シエルフィオーレの教えは、いつだって実にシンプルだ。

 だからこそ、純粋な彼の心に響き、そして大きな活力になる。


「だからッ! 僕の友達に! 酷い事をするなぁぁぁぁぁ!」


 ルークが吠える。ボロボロと涙を流しながら、鼻水まで垂らして。それでも、潤んだ瞳で真っ直ぐにメープルジャムを睨み付けたッ!

 大切な友達を守るために、乗り越えなければならない障害から、絶対に目を逸らさない……!


「……へぇぇ……面白過ぎるじゃあねぇか、ガキ野郎」


 コウとアッゴラの方に向かっていたメープルジャムが踵を返し、またしてもルークと対峙。


 メープルジャムは先ほどとは違い、今度は全力疾走でルークへと突撃ッ!

 予想外に立ち上がり、更に気迫充分に吠えた少年――否、小さな男に、英雄的であると賞賛しても良いほどに気味の良い小兵に、テンションが上がったのだ!

 ぎっしりの玩具箱を前にして、飛びかからない子供などいない! メープルジャムは今、そんな心境!


 故に黒鋼の巨体は全速で走り、そして飛びかかったッ!


「三発目ぇァ! 耐えられるかよ!?」

「僕は、守るんだッ!」


 ルークはもう、一歩も退かない。

 この大陸の守護者の一柱として、皆を守る。シエルフィオーレ達のように。


「じゃあ、耐えられなきゃあだよなァ! ハァーッハッハッハハ! ハハハハ! 耐えて、みろやァァァ!」


 鉄拳が、来る。

 あの耐え難いほどに重く、強烈な拳が。


 ――それでも、守るんだッ!


黒鋼ハードォ……鉄拳スマッシュゥゥゥッ!」

「ああぁああああぁぁあああッ!」


 雄叫びの交差。

 黒鋼の拳と、木の盾が衝突する。

 盾を通してルークの小さな体を駆け抜ける衝撃。それは、ルークの足元の土を吹き飛ばすほどの物。


「……んなッ……!?」


 だが、ルークは倒れないッ!

 歯を食いしばり、小さな足で、踏ん張り続けている!


 メープルジャムは意味がわからない! 見物に徹していたレッドパインも兜の奥で目を剥いた!

 先程まで、メープルジャムの一撃ごとにいちいちブッ飛んでいた少年が、何故ッ!?


「僕は……僕は守るんだ……!」

「! な、こいつ……薄ら光ってやがる……!?」


 その僅かな視覚的変化に、メープルジャムはようやく気付いた。


 ルークの全身が、淡く緑光を帯びていた!

 蛍火めいたそれは、まるでルークの体に巻きついて支えているように見える!


 何かがヤバい! 戦闘特化した本能でルークの変化に危険を察知したメープルジャムが拳を引いて数歩バックステップッ!


「ッ! 何かを守る時にのみ爆発的な力を発揮する……ま、まさか! ルークくんは……!」

「な、何か知ってるんスか、兄ィ!」

「あ、ああ! 私はてっきり、その子はエルフだろうと思っていた……誤解だった、それは! 噂だけは聞いた事がある……! ルークくん、君は……【ヴィジタロイド】か!」


 ヴィジタロイドッ! それは、守護者の名称!

 ユグドの国が建国される前から精霊院で始まった一大プロジェクトの中核となる存在! 霊術によって植物から生み出された、【擬似精霊デミ・ニンフ】とも呼べる代物!

 その肉体は、守護を目的とした行動を取るために最も適した調整を施され、成長する! まさしく植物のようにすくすくと!

 そして、いずれは精霊戦力にも匹敵する守護者となる!


 それが、ヴィジタロイド!

 そう、何を隠そう。レッドパインが察した通り――ルークもその一体なのだ!


「守るんだぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ルークの咆哮に呼応して、彼を包み込む緑光が爆ぜた!

 涙も鼻水も吹き飛ばして、緑のベールで守護者の顔を包み込む!


 ――ヴィジタロイドには、特殊能力がある!


 通称【芽能グロリア】ッ!

 この能力が目覚める事を【発芽】と言う! 通常、成熟したヴィジタロイドのみが発芽できる!

 ちなみに、ヴィジタロイド個々の性質によって発現する能力の内容は異なる!


 今、ルークはその芽能グロリアを発芽したのだ!

 本来は成熟したヴィジタロイドのみが許される領域だのに!?

 何故そんな事が起きたのか?


 決まっている!


 守るためだ!

 大切な友達を、守るために!

 常識など蹴り飛ばして、そのために必要な力を無理矢理に引きずり出した!


 そして、ルークは直感的に理解した!

 この力は――自らの底から湧き出すものではない!

 この不思議なパワーは――外からそそがれている!


 それに気付いた時、声が聞こえた!


『ルーク。耳を澄ますのだ。君は我々に属する植物より生み出された。元々、我々の一部。我々の声を聞き、そして、我々と共に在る権利を有する』


 またしても、ルークは直感的に理解する。

 これは――【森】の声!


『名を与えよう。君の芽能グロリアは【森絡共然シェイクハンド】! 我々を感じ、我々と共に在る力! この大陸に生きる者同士として、共に守るための力!』


 森が、森を構成するすべての植物が、ルークの意志に応え、力を貸してくれているッ!

 その力の賃借を行うためのパイプを造り出す芽能グロリア、それをルークは発現したのだ!


「うぅぅああああああああああああああああああああああああああ!」


 ルークの咆哮は守る意志の具現!

 それが放たれる度に、ルークを包む緑のオーラが猛然と盛る!


 オーラの爆発に乗って、ルークは跳んだ!

 盾を前面に構えて、盾突撃バックルラッシュ

 元々、ルークの盾は盾面の中心に打突攻撃を目的とした突起が備えられたバックラーシールド! この攻撃方法はかなり有効!

 標的は当然、守るために退けなければいけない害――メープルジャムッ!


「反撃だぁ!? ますます面白ぇ! 俺っちの拳がただ殴るためのものだと思ったら、大間違いだぜぇ!」


 ルークの変化に最初は面を食らっていたメープルジャムだったが、すぐに「とにかく面白くなったって事だな!」と現状をあっさりと受け入れ、順応!

 ルークの突進に対してメープルジャムは、自身の前面に特徴的な巨大手甲を交差させて防御体勢を構築した!


 その黒鋼の鎧、きっと、大層なものだろう。

 さぞかし上等なのだろう。ものすごく堅牢なのだろう。


 だが、関係無い。


 今、ルークの体にみなぎるパワーは、森の力。森のすべてが、ルークに力を貸している。


 つまり、ルークの体当たりは――森の拳も同然ッ! 森が、メープルジャムに殴りかかっているのだ!

 少々ご立派上等なだけの鎧で、この大自然の猛威を受け止められるものかッ!


「がああぁぁぁッ!」


 ルークの荒ぶる咆哮ッ!

 駄目押しに更なるパワーをそそがれたルークの盾突撃が、メープルジャムの黒鋼の鎧を完膚なきまでに粉砕するッ!


「ぐ、ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 鎧を砕かれただけでその一撃のパワーは消化され切らないッ!

 メープルジャムの巨体がド派手にぐるんぐるんと回転しながら薙ぎ飛ばされ、巨木に背をめり込ませて止まった!


「……ぎ、ぁ……ば、ばが……なぁっ……!?」


 白目を剥いて血を吐き、メープルジャムはガクンと首を落とす。

 完全なる気絶――完全なるノック・アウトッ!


 ルークの勝ちだッ!


 ……が、しかし、無茶が過ぎた感は否めない。

 ヴィジタロイドの発芽が成熟を迎えてからなのは、未熟な体では充分に芽能グロリアを扱う体力が無いからだ。


 元々満身創痍だったルーク。加えて未熟な体で芽能グロリアを使用したとあれば、その反動は強烈至極!

 メープルジャムを吹っ飛ばした勢いのまま、ルークはろくな受身も取れずに何度もでんぐり返しをしながら地面を転がっていく。

 やがて回転が止まり、うつ伏せになったルークもまた、完全に気を失ってしまっていた。


「ッ……まさか……ジャムを倒すとは……!」


 この場でただ独り、健在無事なレッドパインは戦慄を言葉にしつつ、腰部へと手をやった。

 かざした手に、その場で精製された手榴弾が転がり込む。


「ヴィジタロイド……都市伝説の類だと思っていたが……実在した挙句、幼体にしてこの強さ……! 危険だ……アバドンゲートがこの大陸で活動するにあたり、確実な脅威ッ! この場で排除して……」

「排除されるのはテメェだ、ゴルァ」


 重い。そんな表現がよく似合う低音の声が、レッドパインの独り言を遮った。


「……え……」


 声と共にレッドパインの背後に現れたのは――両腕を派手な木篭手で武装した、大きな大きなそれは大きな灰色大熊グリズリー


 CIGの防衛責任者、霊獣・パティパンズ氏だ。


「け、警備の熊……な、何で、この時間帯、警備の者は……」

「明らかに火薬による爆発、それに続いて迫真の雄叫びが何度か。……流石に、駆けつけない訳がねぇだろうが」

「あ」


 それもそうだ。


「まさか、侵入者とはなぁ……あー……この俺が防衛の指揮を担っておきながらよぉ……オチたもんだぜ……自分で自分が情けねぇ」

「くッ……!」


 相手はユグドの国における最重要機関を守護する獣。

 決して侮れない。しかし、恐れをなして無抵抗で捕まるのは美学に反する、とレッドパインは手榴弾を握った手を振りかぶった。


 が、手榴弾の安全ピンを抜く暇は与えてもらえなかった。


 音を置き去りにする横薙の熊パンチが、レッドパインの顔面に直撃。

 レッドパインは紅い残像の尾を引きながら飛び、巨木にめり込んでいた弟分メープルジャムの隣に頭から突き刺さった。

 だらりと垂れた紅い足からして、確認するまでもなくノック・アウトだろう。


 パティパンズは霊獣だ。精霊と獣の中間存在。

 多少肉体をイジった程度の人間では、勝目などあるはずも無い。


「……頼むぞおい……!」


 レッドパインを一瞥もせずに、パティパンズは祈る心地でコウとアッゴラの元へ駆け寄った。

 二名とも、意識はないが大した怪我はしていない。まずは一安心。


 次に、ルークの元へ。


「……ぱ、てぃ……おじ、さん……?」

「おう、意識があったのか。……すまねぇ。俺が呑気をこいてたせいで、無茶させちまったみてぇだな」


 コウやアッゴラとは比べものにならない容態だ。全身を酷く痛めつけられているのが一目でわかる。

 パティパンズは速やかに木篭手を外し、柔らかな毛並みの太腕で、力無く転がるルークを抱き上げた。


「おじ……さん……僕、守れ、た……?」

「! ……ああ、テメェは守ってくれたよ。不甲斐ねぇ俺の代わりに、完璧にな。ありがとう、ルー坊。謝るより、こっちが先だったな」

「ぇへ、へ……やった……僕……守……」


 声が掠れ消え、最後のあたりは何を言っているかわからなかったが、ルークは安らかな笑顔で寝息を立て始めた。


「……ったく……ついさっきまでただのガキだと思ってたのによぉ……やっぱり、姉御が育てた子ってか。流石過ぎるぜ、本当にもう」


 パティパンズは無力感と罪悪感を抱きつつも、小さな英雄の愛らしい寝顔に対する前向きな感動が勝ってしまい、少し笑ってしまった。

 そしてその笑顔は、少しずつ力無いアンニュイな色を帯びていき。


「――さて、指を何本ツめたら、姉御に許してもらえっかなぁ……」


 ルークはシエルフィオーレの溺愛の対象。

 そう、一〇〇〇年前、森を暴力で牛耳り、パティパンズに対しても暴虐を尽くしていたあのシエルフィオーレの。

 そんなルークが、自分が防衛を担う領域で、自分のマヌケさ故に傷付いた……。


「思えば、充分に長生きしたよなぁ。俺も」


 発言が完全に死期を悟った者のそれである。


 ルークの驍勇に震えつつ、予想すらできないシエルフィオーレの激昂にも震えるパティパンズであった。



   ◆



 夕暮れの頃。陽だまりの園。


「シエル、ただいま!」

「おかえ――」


 体中包帯だらけ、木杖をつきながらピョンピョコとこちらに駆けてくるルークを見て、シエルフィオーレは手に持っていた木製のじょうろを落とした。開いた口がふさがる気配が無い。声にならない絶叫を現在進行形で狂ったように吐き続けている……そんな感じの阿鼻叫喚な表情で、固まる。


「る、るるるるるるるるる、ルーク? え? ルーク? ちょ、ルーク? ルーク?」

「うん! ルークだよ! ただいま!」

「ぁ、うん、おかえり」


 おそらく「おかえり」を言うまで何度だって「ただいま」を言い続けるだろうルークに、シエルフィオーレは戸惑いの極致ながら一応対処。


「ルーク? ねぇルーク? そ、その怪我は一体、何? え? ちょっと待ってパニックが大洪水なんだけど? ルーク? 大丈夫? 大丈夫よねルーク? 死なない? 死なないわよね!? 駄目よ!? 生き返って! イヤァァァァァァ!?」

「うわッ!? し、シエル!? 大丈夫だよ!? 僕、死んでないし死なないよ!?」


 シエルフィオーレは半狂乱でありつつも決して加減を間違わずにルークを抱き寄せた。


「ぃ、医者、医者ァ! クリムピースの所に行きましょう! 今すぐに!」

「大丈夫だよぅ。ちゃんと治療は受けてきたから……それより、聞いてよ、シエル! 僕ね、頑張ったんだよ! 友達を、守ったんだ!」

「……守った……?」

「うん!」


 ルークの言葉に、シエルフィオーレはしばらく呆気に取られていた。

 だが、抱き寄せた彼の純粋な喜びに満ちた笑顔を見て、恐慌状態だった精神に落ち着きを取り戻せた。


「…………そう、頑張ったのね」


 冷静になれば、ルークの現状と発言から大体の事は察せられる。


 危ない事をしてはいけない。本来ならば、まずはそうキツく叱るべきなのだろう。

 だがしかし、傷付いた痛みを嘆くより、守り抜いた喜びに身を震わせる……とても楽しそうなルークを見ていたら、そんな気分にはなれない。


 抱き寄せた手を回してルークの頭を撫でながら、シエルフィオーレは微笑みを浮かべる事にした。


 まずは褒めてあげよう。

 そしてじっくり、きちんと話を聞いて、駄目な所は注意してあげればいい。


「ルーク。そのお話、詳しく聞かせてくれる?」

「もちろん! あのね――」




 ――緑の大陸にて芽吹いた、小さな芽。

 その芽が大きな大きな樹へと成長し、立派な守護者となるのは――まだまだずっと、先のお話。



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