04,改人
CIG敷地内には、森が拓かれたポイントがいくつか存在する。
理由は様々だが、その内のひとつが「色々と何が起きるかわからない研究・実験を行う施設があるので、何かの間違いで火の手でも出て森に燃え移ったら洒落にならないから」と言うものがある。
実際、その理由で森から隔離された施設にて、今、爆発が起きた。
医療部門薬学科の特別優等生に与えられる個別研究室。本来であれば木造の立派な建築物だったのだが……無惨に半壊……いや、七割はいっているか。もうもうと黒煙が青空へと向かっていく。
「げほ! げほほっ! げひゅー……参ったねー……どーも」
黒煙の中から姿を現したのは、煤で真っ黒になってしまった白衣に身を包んだ眼鏡の子守熊。
薬学科において「天才的有能と天災的狂気の境界線を反復横跳びする優秀なド阿呆」と恐れられる学生、アッゴラ氏である。
生来元々狂気を秘めていたらしいが、最近は顕著。
研究室を吹き飛ばしたのも、今月はこれでもう四度目だ。これはかつてないハイペースである。
「やれやれ……爆発するよーな調合じゃー無いはずなんだけどねー?」
亀裂が入ってしまった眼鏡のレンズを白衣の裾で拭いつつ、「謎だなー」とアッゴラは可愛らしく小首をひねる。
所作はコアラ相応に愛らしいが、所業の爪痕がえげつない。
「さてー……とーりあえずー……あれかなー……原因不明と言う事はー、論理的に考えてー『運が悪かった』と言う可能性が一番高いしー、仕切り直すために一旦休憩でもしようかなー」
恐ろしいほどにマイペース。森を震わすほどの大爆発を引き起こした直後とは思えないのんびり感。
この決してブレる事のないゴーイング・マイ・ウェイ精神こそが天才を天災たらしめてしまう所以なのかも知れない。
「おっとー……ティーブレイク用のユーカリ茶もユーカリクッキーも吹き飛んでしまったのかなー? 本当に参ったねー」
まったく切迫した様子も無げに笑いながら、アッゴラは傍らの木片瓦礫をひょいっと持ち上げてみる。
爆発で吹き飛ばされてしまったユーカリグッズを探しているようだが、探し方も随分と緩慢としたものだ。傍からでは見つけたいと言う気概が一切感じられない。
と、そんなのほほんとした捜索活動をするアッゴラ氏の背後に、忍び寄る二つの影が。
「見たか、ジャム。スンバラシい爆発だったぞ?」
「まったくッスねぇ、レッドの兄ィ」
「ん?」
全く聞き覚えの無い二つの声に、マイペースの化身であるアッゴラも流石に振り返る。
「……何?」
そして、アッゴラは想定外なその二人に、眉をひそめた。
そう、二つの影は――人間だ。精霊や森霊によく似た形質を持つが、霊術などには全く縁の無い凡庸種族。性質的分類としては猿系の獣に近い。
そして、このユグドの国にはいないはずの種族。
仮に他国からの来訪者だとすれば、CIG敷地内に入る事は極一部の例外を除いて絶対に不可。
その極一部の例外とは、国賓級の来訪者を指すのだが……この二人は、どう見てもそれとは思えない。
片や、赤いコートに身を包んだ痩身の男。赤いコートはボロボロ。しかし「見窄らしい」と言うよりは「荒々しい」と言う印象を受けるボロボロ感だ。
片や、妙にぴっちりとしたタイトな黒服に身を包み、豊満な筋肉をアピールする巨漢。その筋骨は「スポーティ洗練されたムキムキボディ」と言うよりは「アウトローな雰囲気を感じさせる無骨な喧嘩肉の装甲」と言った所。
そして共通点、どちらも浮かべた笑顔が邪悪。
こんな品の無い輩がCIGに立ち入る事を許されるほどの国賓だとは思いたくない。
「誰かなー、君達は……?」
「ああ、私はレッドパインだ」
気取った風に軽く会釈しながら妙に甘そうな名を名乗ったのは、赤コートの痩せ男。
「俺っちはメープルジャムッ!」
これまたやたらに甘そうな名を名乗ったのは黒ぴちの筋肉巨漢。
赤くて細い方はレッドパイン。
黒くて太い方はメープルジャム。
アッゴラは雑にではあるがきちんと記憶する。
「えーと……レッドパイン氏にメープルジャム氏? 失礼な質問かも知れないのだけれどー……君達、何者かなー?」
「別に、構わんよ。お察しの通り、我々は礼を払われるような分際ではない」
「おうよ! 兄ィの言う通り! 俺っち達は泣く子も素直に道を譲る稀代の悪党集団【アバドンゲート】の者さ!」
「……アバドンゲート……?」
聞き覚えの無い組織名だが、二人の口ぶりからしてろくでもない集団だと言う事だけはわかる。
しかし、すると疑問がより深まる。
何故、そんなならず者連中が、CIG敷地内に?
「ふふふ……疑問が顔に出ているぞ、コアラの君……アバドンゲートの情報力をナめてはいけない」
「何だって……?」
まさか――超高度な情報戦を仕掛けて、CIG上層部に何かしらの根回しをしたとでも?
「俺っち達は日々CIGを外から観察し、警備にあたる獣共の行動を必死こいて事細かに調べ上げて更に必死こいて隙を探し、更に更に必死こいて奇跡的にそのセキュリティを掻い潜って来たのさ!」
「ふはははは! 我々の意外と努力家な一面を高く評価してくれるがいい!」
――こんな阿呆共に突破されるようなセキュリティなのか……。
流石のアッゴラもこれには愕然。いざとなれば精霊院からの庇護があるとは言え、少々平和ボケし過ぎではないだろうか。
「まぁ、その辺の見えない努力は今は良い。いずれプロジェクトナニガシ的なドキュメントにする予定ではあるがな」
「そうだぜ! 俺っち達の今現在ナウの目的、わかるか!? コアラ野郎!」
「……知らないよー……と言うか、知った事じゃーないよー……」
興味も無い。さっさと帰ってくれないだろうか、この甘味コンビ共。
アッゴラとしてはもうそれ以上の感想は無い。
「そんなに興味があるってんなら教えてやるぜ、このコアラ野郎!」
「仕方の無いコアラさんだ。ああまったく。そこまで興味ありげにされては、教えてやるのもやぶさかでなし」
「……まー、哀れみ的な優しさで話は聞いてあげるけどー……薬学科より先にまず眼科に行った方がいいんじゃないかなー、君達の場合」
一体、今にも眠ってしまいそうな半目のアッゴラのどこを見て「興味ありげ」と思ったのだろうか。
最早半目と言うのも優しい言い方で、実情はほぼ閉じかかっているのだが。
「いいか、コアラの君。我々は今、優秀な科学者を探している」
「いつだって優秀な人材は必要だよなぁ!? しかもウチの組織は科学と密接に関係があるからよぉ! 優秀な科学者ってのは腐るほどいても腐らねぇ!」
「と言う訳でこうして、ユグドの国が誇る世界屈指の研究機関、CIGに乗り込んだ訳だ」
レッドパインの言う通り、CIGは世界規模で見ても有数の研究機関だ。
この実に阿呆っぽさが滲み出ている二人にしては、良い着眼点だろう。
「……で、僕に何か用なのー?」
「今の爆発、スンバラシい。手始めに君を連れて帰ると決めた」
……何か、色々とおかしく無いだろうか。
「あのー……一応、君達は優秀な科学者を探しているんだよねー?」
確かに、アッゴラは時には優秀な科学者としての要件を満たすが……同じくらいの頻度で、満たさない事もある。
そして、少なくとも、今さっきの爆発は大失敗の証だ。
それを見て、優秀であろうと判断するとは……。
「ああ。何の実験だかは存じ上げないが、中々に見事な爆発だったぞ。相当優秀に違いない」
「兄ィの言う通りだ!」
――……あー、阿呆だ。うん。わかってたけれど阿呆だ。
筆舌に尽くしがたい残念な存在。それがこの二人なのだと、アッゴラは正しく理解した。
「あのねー、言っておくけれど……」
余りの哀れみから親切心がわいたアッゴラは、阿呆に絡まれる身代わり――もとい、もっとシンプルに優秀な科学者を探す事をオススメしようとするが、
「問答無用!」
アッゴラの言葉を遮り、レッドパインとメープルジャムは身構えた。戦闘態勢……暴力をチラつかせる脅しの姿勢!
おっと……とアッゴラは剣呑なものを感じた。
この二人、確実にド阿呆だが……その肉体や殺気は本物だ。実にならず者らしく、知性は控えめでも暴力性は盛んなのだろう。日常においてはマヌケの権化だが、荒事に関してはプロフェッショナル! 途端シリアスになる奴だと見た。
これは……不味い。
アッゴラは戦闘に長けた獣ではない。むしろその対極に等しい。
警備部に緊急時のコールサインを送る装置は――爆発で吹き飛ばしてしまった。
先の爆発で警備部が様子を見に来てくれれば幸いだが……日頃の行いと言う奴で、「またあのコアラか……」と呆れられているため、緊急で来てくれる可能性は低い。
「さぁ、怪我をしたくなかったら、おとなしく……」
「やいやいやいやいやい!」
突然、投げ込まれた声。
走り込んで来たのは、頭にハムスターを乗っけた緑髪の少年――ルークとコウだ。
「おめーら! アッゴラ兄ちゃんに何するつもりだ!」
「そうだよ! 何か酷い事しようとしてるように見えたよ!」
危険な実験をするお兄さんを止めに来てみれば、そのお兄さんが何やら物々しい男達に絡まれている!
こんな場面に出くわして、声をあげずにいられるものか。
と言う訳で、ルーク&コウはアッゴラと甘味コンビの間に滑り込む。
そしてアッゴラを守ると言う意思表示も兼ねて、ルークはその手に持っていた盾をレッドパイン達に向けて構えた。
今朝偶然に入手した盾だが、とてもタイムリーに役立っている!
「コウ……と、誰だかわからない少年?」
「……何だ、君達は」
一瞬「え、警備がきちゃった?」とビビったレッドパインだったが、すぐに平静を取り繕い、安堵と同時に覚えた疑問を投げかける。
「僕はルークだよ!」
「オイラはコウだい! そっちこそ何者だぁこのヤロー!」
「中々に元気の良き事……義理は無いのだが、こうも元気が良くてはこちらも名乗らざるを得ないか……私はレッドパインだ」
「俺っちはメープルジャムだぜ!」
「両方ともなんて美味しそうな名前なんだ!」
ルークは「わぁ」と子供らしい笑顔を浮かべたが、コウにぺちっと頭を叩かれて気を取り直す。
「っとと……美味しそうな名前に騙される所だったけど、おじさん達、今酷い事しようとしてたでしょ!? 駄目だよそんなの!」
「駄目だよ、などとは言われずとも百も承知なのだよ、ルークくんとやら。我々は悪の組織なのだからね」
「そうだぞおのチビ野郎!」
「あ、悪の組織ぃ……!?」
その恐ろしい響きに、ルークの頭の上でコウがちょっぴり後ずさりしてしまう。ルークもごくりと息を飲んだ。
成体ならば笑ってしまいそうだろうが、子供に取ってはとんでもなく強烈な響きなのだ、悪の組織。
「我々のヤバみはよく理解できているようだな。賢しい子供達だ……では、退きたまえ。元気良く賢しい子供を手にかける理由も趣味も無い」
「そうだぜ! さっさと失せな! 兄ィが優しくて良かったなぁおい!」
「……ッ……だ、駄目だよ! このコアラのお兄さんは、僕の大事な友達のお兄さんなんだ! だったら僕に取っても大事だから!」
ルークは吠え、盾を構える腕と大地を踏みしめる足に力を入れる。
どちらも小さく細い子供の肢体。だが、そこに宿した気概は本物だ。
何せ、今のルークを突き動かしているのは、彼が心底から敬愛する精霊・シエルフィオーレの教えだ。
大事な存在は、死力を尽くして守らなければならない。じゃないと、必ず後悔する。
そう、教えられたのだ。
「……ふむ。元気良く賢しい上に、立派ときたか……悪党の分際でも、これを踏みにじるのは心が苦しいな」
――だが、仕方無い。
レッドパインはそうつぶやいて、少しだけ右の袖をまくった。
そこには、
「ぅわっ……痛そう……」
ルークが思わずそう零してしまうのも無理はない。
レッドパインの右手首には、形だけを見れば腕時計に見える紅い金属物が埋め込まれていた。それも、周りの肉が赤紫色に腫れて傷んでいる……無理矢理、埋め込んでいるのだ。
「へッ、流石は兄ィ。やると決めりゃあ、ハナから容赦無しって訳ッスか。なら俺っちもだ」
レッドパインの所作から何を察したのか、メープルジャムがそのパツパツタイトな黒い上着を軽くめくる。
バッキバキに割れた腹筋の丁度中心には、黒鋼の宝玉がこれまた無理矢理に埋め込まれていた。
そんなグロテスクなものを見せて一体、何をどうしたいのか。
ルーク達がそんな疑問を覚えた時、
「――変身――」
レッドパインの静かなつぶやき。
それ呼応して、彼の右腕に埋め込まれていた紅鋼が眩い光を放ち始める。
「変ッ! 身ッ!」
続くメープルジャムの叫びに、同様、彼の腹に埋め込まれた黒鋼が激しく輝く。
「まぶしッ!?」
「わぁ!? な、何かすごく光ってる……!?」
「ッ……な、何だー……!?」
紅と黒、手で目を庇わずにはいられないほどの二色の閃光。
ルークとコウは盾に顔を隠し、アッゴラはルークの影と自身の手で目を覆うが、それでも目を開けていられないくらいに眩しいッ!
何の嫌がらせなの!? とルークが思い始めた丁度その時、紅と黒の発光が止まった。
「その立派な志に敬意を払い、せめて礼節ある正式な名乗りをしよう。なぁ、ジャム」
「うッスァ!」
「……ッ……!?」
ようやく光の拘束から解放されたルーク達の目の前には、信じ難い光景が広がっていた。
――変身、していたのだ。
レッドパインの痩身を紅い鋼の鎧が包み込んでいる。
フルフェイスの兜にはこれまた紅い鋼でできたまるで昆虫の触角のような二本の角。
シュッとしていて非常にスマート&クールと言った所。
メープルジャムの巨体も同様に鎧を装着。
ただしこちらは黒鋼の鎧で、かなり首周りが太く頑強な作りになっているのと、手甲がやたらに膨らんでいるのが特徴的。こちらにも触角のような二本角。
元々ずんぐりむっくりした男だったが、ずんぐりむっくり感に更に拍車がかかった。
「改人結社アバドンゲート所属。第二級改造人間、モデル【榴弾射虫】。レッドパイン」
「所属同じく! 第二級改造人間! モデル【堅殻鎧虫】! メープルジャムだぁ!」
きっと、平時だったならば。ルークもコウも、アッゴラだって、その意味不明なほどに鮮烈な変身現象と、結果として顕現した勇ましい姿に対して、大いに興奮した事だろう。
しかし、三者の頬を冷たい汗が流れる。
……何せ、目の前にいる格好良くて強そうな紅鋼と黒鋼の怪人…否、改人は――明確な外敵なのだから。