03,頭に乗っかる小さな大親友
ここ一〇〇〇年で、ユグドの国は大きく様変わりした。
そもそもからして、実は元々「ユグドの国」などと言う名すら無かったのだ。
この地は、精霊の庇護の元、大自然の中で獣達が野性味溢れるスローライフ時々ハードな縄張り争いを満喫するだけの大陸だった。
……しかし、とあるやんちゃな精霊が一時期、獣達の勢力図のトップに君臨してしまった事で「やんちゃ精霊が頂点。他は皆ひとからげに最下層。皆等しくやんちゃ精霊の子分」と言う非常に極端な図式に。
事実上、やんちゃ精霊による暴力的かつ独裁的完全支配統治が完成したのだ。
そして、これが結果的に良好な進歩をもたらしたと言える。
今まで種族ごとにいくつかの勢力に分かれて生きてきた獣達が「やんちゃ精霊の子分」と言うひとくくりの勢力に集約された事で、種族を越えた群体制――即ち多様性を許容する大きな社会生活基盤が誕生したのである。
……同じ脅威や苦労を知った時、あらゆる壁を越え、心は真に通じ合うものなのだろう。
その後、やんちゃ精霊はある生涯目標を見つけ獣達を解放するが、一度誕生・安定した社会はそう簡単に空中分解などしない。
獣達はやんちゃ精霊に代わる統治者――当然、まともな良識ある者を立て、社会を回していき……ものの数百年で、国家と言う社会形態を形成するに到った。
それが、ユグドの国なのだ。
「~♪」
自分の育て親がこの国を誕生させた事など知らず、緑髪の少年ルークは鼻歌混じりに獣道を軽快に行く。
ただでさえ親友と遊ぶと言うだけでも、ルークのテンションはウナギが空へ舞い上がるほどのアッパー。
それだのに、両手で抱きしめる素敵な木の盾。正式に自分のものとなったお宝。
楽しみに嬉しさを盛り付けられた一日。こうなってしまっては、ルークのゴキゲンなスキップは誰にも止めようがない。
やがてルークは森の切れ目へと差し掛かり、大きな土壁に辿り着く。見渡す限り、左右にどこまでも伸びた大きくて長い土壁だ。
ルークは壁に沿ってそのままスキップして行き、木製の大きな門扉の前で止まった。
「たーのーもー!」
痛快なほどに元気良く、ルークが声を張って叫ぶ。
すると、ゆっくりと木の門が開き、
「おう。その声は、ルー坊か」
地鳴りのような声が響いた。
しかし、ルークは臆するどころか笑顔を満開にして、
「パティおじさん! おはようございます!」
「おうおう。おはようさん」
門を開けてくれたのは、黒灰色の毛並みに覆われた大きな大きな熊。
灰色大熊の――と言う肩書きはもう古い。この熊さんは、一〇〇〇年前、とある精霊と密接に長期間生活を共にしていた事で生理が歪み、【霊獣】へと進化を遂げた灰色大熊。
国家誕生伝説を語れる生きた歴史書、パティパンズ氏である。霊獣と化した事で寿命を始め生態が大きく変化。熊とは思えない背筋の良さで堂々と二足歩行をこなす姿は、体躯の大きさも相まって圧巻である。
「今日の門番さんはパティおじさんなんだね!」
「まぁな。本当は下っ端仕事だが、たまにゃあ良いモンぜ。大体、偉ぶって座ってんのは俺の性じゃあねぇからよ」
パティパンズは数十年前まで政府要職に就いていたが、デスクワークは飽きた&やはり合わないと言う事で引退。
現在はその全盛期から衰える事のない腕っ節を活かし、ユグドの国における最重要国家機関にて防衛責任者を勤めている。
責任者、と言ってもパティパンズは現場主義。
現にこうして下っ端の役目であるはずの門番やパトロール業務にも自らすすんで従事。
有事に備え、その太ましい両腕を派手な彩色が施された木篭手で常時武装している。
右はスライド式で鋭い木刃の大剣が飛び出すギミックを搭載。左にはおそろしく硬い超鋼団栗や散弾刺栗を弾丸とするマシンガンが搭載されている。逸品である。
「にしても……相変わらずかっこいいね! パティおじさん! 特に腕が!」
「ふん、ルー坊、褒めたって何も出ねぇぜ? ……だが、それをわかってても言っちまうんだよなぁ! カッチョいいんだもんなぁ! 仕方ねぇよなぁ!」
元姉貴分に似て単純な性根をしているので、幼な子の率直な賛辞だけでめちゃくちゃ気が良くなる霊獣。それがパティパンズ。
憧憬キラキラお目目で見上げてくるルークへのサービスとして毎度、木篭手の武装展開ギミックを何度もガションガションしてくれる。
「って、おぉう? ルー坊、テメェもカッチョいいもん持ってんじゃあねぇか」
「うん! 見て見て! これね、森の中で拾ったの! ジンジャーおじさんの作品じゃないかって、シエルが! でもね、シエルが許可を取っといてくれるから、僕がもらっていいよって! あとでジンジャーおじさんに御礼を言いに行くよ!」
ルークはパティパンズに見やすいように木盾を掲げて、今朝の経緯を掻い摘んで説明した。
「おうおうおう! そいつぁ良かったなぁ! テメェも立派な装備を手に入れたって訳だぁ! 有望株が爆誕だなぁおぉい! 将来は俺の部下にでもなるかぁ!?」
「お誘いは嬉しいんだけど、僕はシエルを守るから無理かも。ごめんなさい!」
「おう、そいつぁごもっともだ! 気にする事ぁねぇさ!」
かんらかんらと豪快に笑い、パティパンズは木篭手の手首から上を展開。ルークの全身よりも大きな肉球を露出させ、それでふにっとルークの緑頭を撫でた。
「……しかし、姉御がこんな性根の良いガキを育てられるたぁなぁ……庭園も上手く運営してるらしいし……なんつぅか……うん。精霊って変わるもんなんだなぁ……」
「パティおじさん? え、泣いてるの……? 大丈夫? どこか痛いの? お腹?」
「いいや、大丈夫だ。俺ぁずばり健康体よぉ……ただな……ああ……これ以上は無ぇくらいにポジティブな男泣きなんだぜ……!」
「えぇと……よ、よくわかんないけど、嬉し泣き? って事?」
「おう。大の男になったら、テメェもわかる日がくるかもなぁ」
シエルフィオーレに対して憎悪メインの複雑な感情があるパティパンズだが、彼女の現状は泣けるほどに嬉しく思う。
間違っても一〇〇〇年前の日々が再来する事はないだろうと言う確信的安堵が、涙腺を緩めるのだ。
ややあって「いつまでも感慨に浸ってる場合じゃあねぇな」とパティパンズは気を取り直す。
「んで、ルー坊。今日は何しに……って聞くまでもねぇか。テメェがここに来る理由なんざ、ひとつだわな」
パティパンズが防衛責任者を努める国家機関【クレバー・インベンション・グループ】。通称CIG。
ユグドの国の誕生とほぼ同時期に組織された由緒ある技術研究開発機関。獣達がその叡智を研鑽・発揮し、国民の生活に還元するための場所だ。精霊を除くユグド国民の情報を管理している役所的側面も持つ。
まだまだ幼いルークが、大仰な目的でCIGにやってくる訳が無い。
「コウと遊ぶんだ!」
「だろぉな」
土壁に囲まれたCIG敷地内には、所属者とその家族が住む事ができる大規模な居住スペース――と言うか、最早ひとつの街がある。
そこに、ルークの大親友が暮らしているのだ。
「よし、形だけだが入場審査はシマいだ。通りな。許可してやんよ」
本来、外部者がCIG敷地内に入るには厳重な手続きが必要だが……ルークは精霊院所属精霊様の関係者だ。加えて、この少年の善性は防衛責任者であるパティパンズ自身が保証できる。
顔パスで通して問題無い。
「ありがとう、パティおじさん!」
「おう。元気もよしときた。楽しんでこい」
「うん!」
◆
CIG敷地内に入り、ルークは真っ直ぐに居住スペースである街を目指す。
まぁ、街と言っても、他所の大陸にあるような街とはイメージが異なるものだ。
森の中を少しだけ拓き、木製の建物や巨木をそのまま建物にした住居や設備が乱立する場所……と言った感じ。それでも、基本が自然一体の生活であるユグドの国の中では、異質なほどに開拓が進んだ市街地である。
「コウを見つけたら、今日は何をして遊ぼうかなー」
ワクワクしながら、ルークは森の中の獣道を進んでいると……。
「あてッ」
ポテン、と、何か小さくて少し硬いものがつむじに当たった。
「……木の実?」
それは、まだまだ青い小ぶりな木の実だった。
この辺りにはありふれた木の実で、真っ赤に熟すととてもジューシーで甘い。
子供達は垂涎で摘み取っておやつにしちゃう、良質なスイーツ。
……もっとも、熟した旨みの反動なのか何なのか、青い状態だと「死ねない毒」と揶揄されるほどに苦いが。口に放り込まれたら一種の攻撃と認識してしまうレベルである。
「お、ルークじゃん! 遊びにきたのか?」
「へ?」
聞き慣れた小さな声と共に、またしてもルークの頭に落下物。
今度のは、先程の木の実よりも少し大きく、もふっと柔らかかった。
「あ、コウだ!」
「しししッ! 確かにオイラだい!」
落下物の正体は、小さな金毛倉鼠。その手には食いかけの真っ赤に熟した木の実。
葉っぱで自作した少々不細工な帽子がトレードマーク。
ルークの手乗りサイズ親友、コウくんである。
あれ、何でこんな所にいるの? とルークが訊く前に、コウはあるものに気付いた。
「おろ? ルークよう。おめーが抱きかかえてるそれは何だよ?」
「あ、これ? うん、コウにも見せようと思ってたんだ!」
疑問はひとまず置いといて。ルークは木盾を誇らしげに持ち上げ、頭に乗ったコウにもよく見えるようにする。
「見て! かっこいいでしょ!? この縁の模様とか!」
「うおおおぉぉぉぉ!? 何だおめーそれ!? うらやましっ! つぅかヤベっ、超かっけ!」
「でしょ!? かっこいいよね!? 超だよね!?」
「ああかっけぇ、すげぇかっけぇ! もうすげぇすっげぇかっけぇ!」
「こうやって構えると……っぽくない!?」
ルークは盾の内にある取っ手を両手で持ち、前面に構え、中腰の防御姿勢を取る。
拙いものの、まぁ、ものすごく贔屓目に見れば……盾兵っぽくなくもない。
「うぉおおおおおおお! っぽい! すっげぇぽい! ぽいぽいぽいっておめー! ちょ、ちょっとオイラにも持たせてくれよ!」
「いいよ! ……あれ、でも……持てる?」
コウはルークの掌に握り込めるサイズだ。
ルークでも両手でどうにか構えられる盾なんぞ、構えるどころか持ち上げる事すら不可能。
「うっ……だよなぁ……くぅっ! この極上ミニマムボディがここに来てネックになるとは……! 小さい体が憎い!」
「残念だね……でもさ、コウの体って良いよね。僕に取ってこんな小っちゃなクッキーでも、コウに取ってはこーんな大っきいクッキーになるって事でしょ? 盾は持てなくても、それはとっても良い事だと思う」
「……そうかぁ? ……そうか。ま、みんな違ってみんな良いって事だな! しゃあねぇ、盾は諦めるか!」
コウもルークと同じ幼子。立ち直りはおそろしく早い。
「あ、ところで、コウは何でこんな所にいたの?」
と、ここでルークはようやく、置いていた疑問を思い出した。
街からは割と距離がある道の真ん中……ルークの歩幅でもそう感じるのだ。コウの歩幅で考えたらかなりの距離だろう。
何の目的も無く、こんな所をうろちょろしていたとは思えない。
「お、そうだった。すっかり忘れて木の実を取るのに夢中になってたぜ」
コウは手に持っていた木の実を急いで完食……しようとするが、体が小さいのでそこそこ時間がかかる。
少しして木の実を食い切り、コウは盛大にゲップ。
「げぷぅ……オイラ、ちょいとアッゴラの兄ちゃんに用があったんだ!」
「あっごら?」
「薬学科の学生さんだよ。オイラの幼馴染で兄貴分なんだ」
CIG敷地内には、未来の職員養成を目的とした教育施設も存在する。
学科は多岐に渡り、その内のひとつが「病などの身体的不調に対抗する技術」の研究・開発者育成を目的とする医療部門、薬学科。
「優秀な学生さんらしいんだけどよー……最近、無茶苦茶に難しい薬の調合実験ばっか挑戦して――」
――その時。
少し離れた場所で、大きな爆発音が上がった。
割と距離があるはずだのに、衝撃でルーク達がいる場所まで木々の葉がざわざわと揺れている。
「……ああなるんだってさ」
「お、お薬って爆発するの……?」
「普通はしないと思うぜ」
ふぅ、とはコウが呆れ溜息。
「今朝、兄ちゃんの母ちゃんから世間話でそれを聞いてよ。一応、幼馴染の弟分としては……苦言を呈しておくべきかなって思ってさ。善は急げって事で向かってたんだ。……今日は間に合わなかったみたいだけども」
「危ないもんね」
「だろ。つぅ訳でオイラは行くけど、ルークはどうする? 街で待っとくか?」
「うーん……ついてく!」
「うし、じゃあ行くか」
コウは少しだけルークの頭をよじ登り、その天辺にあぐらをかいて座る。
ルークとコウが一緒に行動する時の定位置、マストポジションと言う奴だ。
「行くぜ、ルーク! 薬学科にレッツゴーだ!」
「おっけー、コウ! レッツゴー!」