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20,殴り合い



 精霊の誕生は、ただの奇跡的現象。

 因果不明、何の変哲も無かったはずの蕾に霊力が溜まり、開花して生まれ落ちる。

 精霊の成長は、ただの予定調和。

 誰に世話をされずとも、丸まって眠っていれば、森の声がすべてを教えてくれるお決まり。


 生まれ落ちて、気付けば精霊として必要な知識ものが備わった状態で、少女は瞼を持ち上げた。

 起き上がって辺りを見渡してみると、そこは湖の畔で太陽を称えるように咲く太陽花ヒマワリ達の中心。


 ――精霊院へ行け。大精霊に会い、名をもらうと良い。


 森の声はそう、事も無げに言った。

 少女には途方も無く遠い道のりで成層圏のちょい上にある精霊院へと必死こいて辿り着き、生まれて初めての疲労困憊に喘ぎながら、少女は名をもらう。


 ――【空に咲く花(シエルフィオーレ)】と。


 シエルフィオーレの生涯の始まりは、精霊としては極めて一般的なものだ。

 奇跡的に生まれ落ち、森の声によって必要な知識を滞りなく授けられ、馬鹿げた木登り(クライミング)を強要された後にもらった名を吟味する余裕も無い状態で命名される。


 ……だが、そこから先が少々違った。


 命名を終えると大概の精霊が、目をキラキラさせながら「将来は自らの庭園ティリトリにしたい」と思う場所を選定し始める。

 庭園ティリトリとは特別な領域だ。一種の結界、ホームグラウンドと言っても良い。自分の庭園ティリトリ内ならば何をするにも調子が良くなるし、霊力の蓄積・反応速度だって跳ね上がる。


 大陸の守護を目的とする精霊に取って、「自身に圧倒的優位な状況で外敵と対峙できる領域」である庭園ティリトリは非常に重要。

 庭園ティリトリにしたい場所を選定し、そこに根を下ろして、周辺環境と自らの霊格を長い時間をかけてゆっくりと同調させ、調整していく。

 その同調が一定の水準を越えた頃合で大精霊様に申告し、承認を得て、正式に自らの庭園ティリトリとする事ができるのだ。


 庭園ティリトリを持つ事が上位精霊の証であり、庭園ティリトリを持つため・維持するために努力するのが精霊らしい事。


 ……しかしシエルフィオーレには、その感覚がよく理解できなかった。

 何故か? 性分だ。単純に、一箇所でじっとしている事ができなかった。変化が無いと言う退屈に、まったく耐えられない。

 なので、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。気の赴くまま。


 その内、威勢の良い獣の縄張りに足を踏み込んでしまった。


「おうおうおうおう! 見ねぇ面の精霊だな! 俺はパティパンズ様だッ! 俺のお気にプレイスを土足で踏み荒らす奴は精霊だろうと容赦しねぇぜ!」

「精霊をも恐れないパンズ兄ィ超かっけぇ!」

「流石はパンズ兄ィ! 一生ついていきますわ!」

「よッ! 俺らのパパ兄ィ!」

「がははははは! 言え言えもっと言え子分共! そして精霊のガキんちょ! テメェは泣いて詫び入れるまで許さな――ごめんなさぃッ!?」

「「「兄ィィィーッ!?」」」


 生意気な獣を一撃でノック・アウト&謝罪させてその頭を踏み付けた時、シエルフィオーレはある感覚を得た。


 ――あ、これ、愉しいかも。


 退屈から逃避する日々の中で見つけた悦楽。

 暴力を振りかざして圧倒・蹂躙・支配する事。ヤンキームーブ。


 そうして始まったシエルフィオーレのやんちゃ生活。

 物騒な獣の縄張りにあえてズカズカと乗り込んでは、縄張りの主の牙を物理的にへし折って踏みつける。「ねぇねぇ君、そう言う暴力的な行為は守護者としてどうかと思うんだ」とやんわり説得にきた一部の精霊達もねじ伏せて黙らせて舎弟にしたり、そりゃあもうやりたい放題。


 大精霊様が「まぁ、様子を見てあげましょう。たまにはああ言う子がいてもいい」と言う謎の寛容さを見せたため、格上の精霊達が本格的にお説教に出向く訳にもいかず。

 ――確かに結果的に見れば……このシエルフィオーレの暴虐によって、大陸の獣達は文明的に大きく発展していく事にはなるのだが――結果オーライの精神にもほどがある。


 そんなこんなで無軌道にやんちゃの限りを尽くしていたシエルフィオーレにも、転機が訪れた。


 精霊院で始まった、ヴィジタロイド育成計画。

 あるドピンク紳士の口車に乗せられて、幼体ヴィジタロイドとの触れ合い体験会に参加した彼女は鮮烈な衝撃を受けた。


「か、かわいい……!?」


 むちむちで、ぷにぷにで、むにむにで……ああ、意味がわからない。何だろう、この生き物は。

 ぽってり膨らんだほっぺに指を押し付けると、例えようのないもちもちしっとりふんわり感……!

 更に、ほっぺに押し込まれた指を小さなお手手ではしっと掴んで「これなんぞ?」と不思議そうな顔をして、しまいにゃあ掴んだ指をぱくっと咥えてひとしきりちゅうちゅうと吸った後に「……これじゃない」と微妙に悩ましい顔をする始末。


 目と目が合った瞬間に、にへらっ、と微笑みかけられた日には、もう抗いようもあるはずがない。

 シエルフィオーレは幼体ヴィジタロイドの拉致を試みたが、流石に阻まれた。


 ヴィジタロイドの育て親になる正攻法はひとつ。庭園ティリトリを持ち、上位精霊として認められる事!


「上等……やってやるわよ!」


 こうしてシエルフィオーレは、成した。普通の精霊が数千年かけて形成する庭園ティリトリを、たったの一〇〇〇年で。

 死に物狂いか、とも思える鬼気迫る努力の賜物であった。


 そうして生まれたのが、陽だまりの園。

 シエルフィオーレに取って、すべてが有利に働く場所。

 この世界で最もシエルフィオーレに適した、迎撃領域。



   ◆



 まるで絵画のように微動すらしない太陽花ひまわりの原から、空へと駆け抜けていく一筋の陽光――否、陽色の炎柱。

 轟轟と燃え盛りながら晴天を突き上げ、宇宙の暗闇まで裂いていく。猛烈至極。もしもこれが普通の炎だったならば、余熱だけで大陸ひとつが丸裸の焦土と化しても自然の摂理。


 日常茶飯事と書いて「ファンタジー」と読む精霊界隈でも「現実のものとは思えない」と評される規格外、シエルフィオーレの最大火力が庭園ティリトリによるポジティブ補正によって更に昇華された一撃。


 こんな一撃をモロに受けて、存在を保てる者などいるはずがない。

 ナラク・シュラクを葬ったも同然……のはずだのに、シエルフィオーレの表情は険しい。


「……チッ」


 不機嫌極まる、と言わんばかり、シエルフィオーレの大きな舌打ち!


「ヴァハハハハハハハハハ!」


 豪快な地鳴りを伴う高笑いと共に、炎の柱が内側から爆ぜたッ!


 ――ナラク・シュラク……健在ッ!

 全身のあちこちが燃え盛っているが、燃えた端から修復している!

 バリバリ燃やされながら、モリモリ修復……! それを繰り返しながら、ナラク・シュラクは豪咆大笑ッ!


「良い! 好い! 初撃から死にかけたぞ! ヴァハハハハハ! 今までの遊びはなんだったのかと問いたくなるような馬鹿げた火力だな、貴様!」


 ナラク・シュラクが全身の筋肉をパンプアップ! 衝撃で、その漆黒の皮膚を焼き燻っていた炎も吹き飛ぶ!

 黒衣が焼き払われスッポンポンな漆黒ボディを晒しているが、ナラク・シュラク――まったく気にしていない!


「……………………」


 ――どう言う事?

 シエルフィオーレは眉を顰めた。ナラク・シュラクの全裸が不快だから、ではない。

 疑問だ。彼女の炎は「彼女が指定した特定の概念を焼き尽くす炎」……本来、浴びればただの火傷では済まない。燃やして欠損させるのではなく「そもそもそこに存在していなかった事にしてしまう」。修復など当然不能、存在単位で焼失させる炎撃……のはずなのだが……やはりナラク・シュラク、道理が通じていないッ!


「どうにもあのビッグなビックリマン様、【霊術殺し】とでも表現すべき体質をお持ちのようですねぇ……冗談にしても趣向が悪い……!」


 シエルフィオーレの疑念に答えるようにそんな感想を漏らしたのは、上空で合掌しながら佇んでいたドピンク紳士、スケルッツォ。珍しく、特徴的な笑い声が無い。かろうじて笑顔に分類される口角の角度を保ってはいるが、もう苦渋の色がまったく隠せていない。


 それもそうだ。彼は今、とんでもない作業に追われている。


 スケルッツォは現在、ナラク・シュラクとシエルフィオーレの戦闘余波から大陸を守るため、「空間の固定」と言う超高度な霊術の結界を大規模で展開中だ。これは、維持し続けるだけでも狂気の沙汰と言って良い。


 そんな大層な結界が……ナラク・シュラクの一挙手一投足ごとにズタボロにされていく!


 ――ナラク・シュラクは、存在そのものが異質。この世のあらゆる理法を侵す! そんな理を越えた生理を持っている! その漆黒の巨体は、天然の【霊術殺し】としても機能する!

 故に、ナラク・シュラクの動線をなぞって、結界がグズグズに解れていくのだ!


 つまり、シエルフィオーレの炎が本来の効力を失い掻き消されてしまったのも、それが原因!

 シエルフィオーレの炎が保有する霊術としての側面が、ナラク・シュラクの存在に破壊されている!


「そう。とりあえず、まともに理解できるような理屈は持ち合わせていない理不尽の塊って事だけは理解したわ。それなら、その理不尽ごと殺す」


 霊術殺し、だからどうした。殺す事には変わらない。


「殺す!」


 シエルフィオーレは物騒でしかない掛け声で四肢に炎の鎧を纏った!

 一手で足りないならば、二手・三手を重ねれば良い! 単純な焼却攻撃が意味を成さないと言うのであれば、焼却しながら殴る蹴るの暴行を加えるのだッ!

 燃え滾る炎の鎧とは裏腹に、シエルフィオーレの思考はクールにしてクレバーッ!


 ――殺せるまで、殺すッ!


 足の炎を爆ぜさせて、シエルフィオーレは跳躍――いや、その勢いはもはや飛翔ッ!

 速力、光をも置き去りにして残像の尾を引くほどッ! シエルフィオーレは陽色の流星になって、ナラク・シュラクに襲いかかるッ!


「ヴァハッ!」


 ナラク・シュラクが両目を大きく見開いた!

 シエルフィオーレの速力に驚いたのではない。その速力に反応するために、目に力を入れたのだ! 視る力を全開にしたッ!


「殺すッ!」

「さっきからそればかりだな! 物騒な精霊だ! 嫌いではない! むしろ好い!」


 迎撃ッ! ナラク・シュラクは漆黒の手刀を振るい、飛びかかってきたシエルフィオーレを迎え撃とうと試みた!


 だが甘いッ!

 シエルフィオーレは元ヤンッ! ハッキリ言って、接近戦ケンカのプロフェッショナルだ!

 相手に暴力を叩き込むための心得は充分以上に持ち合わせている!


 ナラク・シュラクの手刀射程に入る寸前で、シエルフィオーレはもう一度、足の炎を爆発させた! 爆発の衝撃に乗って、上へ――縦方向への爆速移動ッ!

 それだけではない! 爆発が起きれば当然、爆熱を纏った爆風が四方八方へと拡散するッ!

 爆熱爆風は爆発的勢いの爆速を以て、大きく見開かれたナラク・シュラクの目へと吹きつけるッ!


「ヴォアッ!?」


 ナラク・シュラク、「これは堪らん!」と当然の悶絶と共に目を覆ったッ!


「殺す」


 一方シエルフィオーレはくるくると華麗に縦回転しながら舞い踊りつつ落下――そのまま、ナラク・シュラクの頭に燃える踵落としを叩き込んだッ!


「ぎぺッ、ヴオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」


 踵落としのインパクトがナラク・シュラクの首筋肉をブチブチと裂き壊しながら、更に引火ッ!

 まさしく首の皮一枚と数本の神経線維でつながっていたナラク・シュラクの頭が炎上するッ!


「アギ、ァバ、グアアアアアッ!?」


 ナラク・シュラク、かつてない悶絶ッ!

 当然だ! 首から上には口がある、目がある、鼻がある、耳がある、加えてナラク・シュラクには鋭敏な感覚を備えた触角もある――即ち、顔面を炎で包まれると言う事は、敏感な粘膜を一切合切まとめて焼かれると言う事ッ!

 粘膜を包む水分が沸騰し、焦げ付くッ! そんなの、当然に激痛! 想像を絶する痛みだろうと容易く想像できる!


 そしてこれまた当然、ナラク・シュラクの阿鼻叫喚に同情するシエルフィオーレではない!


「殺す!」


 体に纏った炎を更に爆発させ、体の回転方向を横向きへ修正。肘鉄による一撃を、悶え苦しむナラク・シュラクの横腹へッ!

 肘鉄のインパクトで漆黒の皮膚とその下にある血肉と骨を吹き飛ばして、体内へと炎を流し込むッ!


「!!!!!!!!!」


 もはや、ナラク・シュラクに悲鳴は無い!

 顔面を丸焼きにされながら、腹肉を抉り取られ、臓腑へ直接極熱を流し込まれる――そりゃあ声も出ない!


 だが、まだ動いている!


 次だ、とシエルフィオーレは炎の拳を振りかぶった――がッ!


「なッ――」


 回し蹴りッ! 漆黒の皮膚に覆われた丸太のような足が、跳ね上がってシエルフィオーレを強襲ッ!

 シエルフィオーレは予想外の反撃に目を剥きつつも対処ッ、炎の壁を展開したが――突破された!

 炎の壁を突破した際に炎上しながらも、ナラク・シュラクの足はシエルフィオーレの横腹へクリーン・ヒットッ!


「が、ふッ……!?」


 シエルフィオーレは聞いた。耳の内側に響く鈍い粉砕音!

 腹の中が掻き混ぜられ、押し上げられた胃の内容物と内蔵出血の熱が、喉を焼きながら口から溢れ出るッ……!


 シエルフィオーレが血反吐と火の粉を撒き散らしながら横薙ぎに吹き飛ばされ、何度もバウンドして転がっていく!


「シエル嬢!?」

「……ッぐ、るっさい! 結界に集中してなさいッ!」


 炎を爆発させて身を翻し、シエルフィオーレはどうにか受身を取って着地。すぐに立ち上がる。


 ――直撃モロったけど、致命傷は……無い。


 冷静に腹の中身の感触を確かめる。

 腹部の臓器を酷く痛めつけられ出血もあるようだが、破壊までは至っていない。中ダメージ、とでも評価する所か。

 シエルフィオーレは冷静に自身のコンディションを把握しつつ、喉奥に残っていた血痰を吐き捨てて口周りを雑に拭った。


「ピファ、ヒ、ポ、ァ、ァァアアアヴァハハハハハハハハハハハ!」


 頭部と臓腑に纏わりついていた炎を振り払い、首と腹部の損傷を修復完了。

 元通りになったナラク・シュラクが、ゴキゲンの極致と言った具合で笑いあげる!

 シエルフィオーレに「さっきから殺すしか言わないな」と苦言を呈したナラク・シュラクだが、そっちはそっちでずっと笑ってばかりだ!


 ……だが、それも仕方無いだろう。

 シエルフィオーレをひたすらに駆り立てるのは、無尽の殺意!

 ナラク・シュラクをただすらに満たすのは、極上の期待!


 ――あの子の害になるこの男の存在を認めない。絶対に殺す。

 ――ああ、これだけの強者! 圧倒・蹂躙・支配できたならばどれだけの愉悦かッ!


 そして互いに理解した!


 この相手には、全力全霊を尽くす他に無い、とッ!

 シエルフィオーレは全ての霊力を肉体機能の強化と炎に回し、ナラク・シュラクは一切の加減を捨てた!


「精霊の女――素晴らしいなァ、貴様はァァァ! 今日遊んだ中では文句無しの最高ッ! 今まで遊んだ相手の中では、祖父に次いで貴様が二番目に愉しいぞ! 良い、好い! 好いぞォォォォ! 滾り漲るゥ!」


 ――今まで、ナラク・シュラクは遊び相手に合わせて、あらゆる力を抑制セーブする事で、長く愉しむように努めてきた。

 だが、シエルフィオーレとのこの遊びは違う! 全霊でいかなければまともに応酬する事すら難しい次元の強敵ッ! 気を使わなくてもそう簡単には壊れないだろう玩具ッ! それがシエルフィオーレッ!


 そしてナラク・シュラクは気付いたのだ。

 自分が何故、同格の支配者を相手として求め、圧倒・蹂躙・支配すべく努めてきたのか。

 今まで、「ただ愉しければそれで良い。理屈など知らん」と興味すら持たなかった、その理由!


 ――ワシは、全力を出して遊びたかったのだッ!


「ヴァハハハ、ヴァハハハハハハアアアアアアアアッ!!」


 何の気兼ねも無く、腹の底から声と気力を振り絞り、全力を滾らせて肢体を振るう――今まで経験できなかった、言いようのない興奮と爽快感ッ!

 想像するだけで垂涎、素晴らしいッ! 愉快、愉快ッ、愉快ッッッ!!

 ナラク・シュラクは何の迷いも無く予言できる、「ワシはこれから、愉快の極みを味わう事になるだろう」とッ!


「行くぞ、精霊の女! ワシは今、ここで! かつてない本気を出す!」

「知らないわよ。殺す」

「ああ、殺す気でくれば良いッ! それでこそ帳尻も合うのだろうッ! ヴァハハハハハハハ!」


 ナラク・シュラクの黒い皮膚にビキビキと筋が浮かぶ! とんでもない量の力み筋! 明白に全力全開!


「ヴァハハハハハハハハ!」


 走る、ナラク・シュラクッ!

 その速力、黒い流星ッ!


 対するシエルフィオーレ、爆発に乗って飛ぶ!

 こちらもさながら流星、陽色の流星ッ!


 ――衝突ッ!

 ビッキビキにパンプアップした漆黒の拳と、陽色の炎に包まれた拳が衝突ッ!


 火花どころか雷鳴が散るッ!

 スケルッツォの結界が無ければ、その衝撃余波で大陸規模――いや、半球規模で天候に影響が出ただろう驚異的な衝突だったと言う証左!


 雷鳴の刹那、両者が互いに後方へと吹き飛ばされたッ!

 共に、繰り出した拳を負傷ッ! シエルフィオーレの拳は割れて血を吹き、ナラク・シュラクの拳は炎上ッ!


「ヴァハハ……!」

「殺す……!」


 互いに後方に吹き飛ばされても、互いに一歩も退かないッ!

 両者ほぼ同時に体勢を立て直し、そしてほぼ同時に突進ッ!


 またしても衝突、今度は額同士で、即ち頭突き合いッ!

 だがこれはシエルフィオーレが不利! 額には炎を纏っていなかったが故に、単純な膂力勝負になり――そこはナラク・シュラクに軍配が上がってしまった!

 頭突き勝負で力負けしたシエルフィオーレが、大きく仰け反ってしまうッ!


「がッ……!?」

「ヴァハハハハ!」


 吠え立てるように笑い上げ、ナラク・シュラクが追撃ッ!

 即座に体勢を立て直そうと上体を振り上げたシエルフィオーレの顔面に、その顔よりも大きな漆黒の拳を突き刺すッ!


「!」


 シエルフィオーレもやられっぱなしで終わるはずがない!

 鼻っ柱を殴られておきながら一瞬も怯む事無く、ナラク・シュラクの手首をガシッと掴んだ!

 当然、炎の鎧に包まれたシエルフィオーレの手に掴まれたナラク・シュラクの手首は炎上ッ!

 だがしかしナラク・シュラクも怯まず、拳を振り抜いたッ!


 鼻血を撒き散らしながら吹っ飛ぶシエルフィオーレ!

 手首から肩まで炎に焼かれるナラク・シュラク!


 痛み分け……に見えたが、ナラク・シュラクは即座に炎を振り払い、修復……!


「……チッ……!」


 シエルフィオーレは鼻からどくどくと噴出して顔面にべっとり貼り付いた血糊を拭う素振りすら見せず、足に纏わせていた炎を爆発させたッ! 爆破の衝撃を利用し、空中で身を翻しつつ、ナラク・シュラクへと空を滑って再突撃ッ!


「殺す! 殺す……殺す!」

「ヴァハハハ! ヴァハハゲルブアッ」


 ナラク・シュラクが笑っている途中なのも当然お構いなし。

 シエルフィオーレは陽色に滾るの外装を纏った肘で、ナラク・シュラクの顎を思い切り打ち上げたッ!

 燃え移った炎が、ナラク・シュラクの首から上を包むッ!


「グアアアアア!?」


 先に説明した通り、顔面を焼かれるのは恐ろしいほどの苦痛ッ!

 しかしナラク・シュラク――二度目の痛みだから多少は慣れたとでも言うのか、絶叫しながらも拳を振るった!


 シエルフィオーレの腹に、漆黒の拳が直撃ッ!


「ッ……ぁ――ぶぅッ!」

「何……!? ぐゥ!?」


 シエルフィオーレは腹を殴られた衝撃で口の中に溢れ返った血を、すかさず噴射ッ!

 精霊の品格とか知った事ではないと言わんばかり、ヤンキー殺法「血の毒霧」である!


 ナラク・シュラクの顔面は絶賛炎上中だが、その炎は「シエルフィオーレが指定した概念だけを燃やす炎」!

 つまり、シエルフィオーレが燃やしたくないものは燃えず、炎の中を素通りできるのだ!


 ナラク・シュラクの眼球に、血の散弾が襲いかかるッ!

 ただでさえ焼かれて再生してを繰り返す激痛の渦の中にある眼球を、凄まじい勢いを帯びた無数の紅い飛粒つぶてが撃ち抜き、抉ったッ!


「ぺッ……殺す!」


 口の中に残った血反吐もぞんざいに吐き捨てて、シエルフィオーレはナラク・シュラクの太腿に全力の足刀ッ!

 炎で漆黒の皮膚を焼き払い、足刀の鋭さで肉と骨を断つ!

 眼球を潰されて悶える最中に足を勢いよく斬り落とされたとあれば、流石のナラク・シュラクも転倒は必然ッ!


「ぬッ……!」


 背中から豪快に転がったナラク・シュラクの上に、シエルフィオーレが飛び乗るッ!

 馬乗り――マウントポジションッ! ヤンキーに取って、理想の形ッ! これ以上はない優位!


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!」


 シエルフィオーレ、両拳を構えて放つ、放ちまくるッ!

 未だに炎上中のナラク・シュラクの顔面を、乱打、乱打、乱打ッ!


「ゴゥアッハァ!」

「!」


 悲鳴と笑い声が混ざったナラク・シュラクの咆哮!


 ――シエルフィオーレのラッシュのほんの僅かな切れ目。そこを的確に突いて、ナラク・シュラクは燃え盛る頭をぐりんと大きく振り回した!


 マウントポジションを取られている現状、多少首を振り回しても頭突きは届かない――が、ナラク・シュラクには触角がある! 細く長い、鞭のようにしなる触角だ!


「んの……!?」


 シエルフィオーレは必要最低限の身の捻りで触角を躱すが、どれだけ小さな動きだろうと、一瞬、ほんの僅かには重心がブレる! それがナラク・シュラクの狙い!

 ぐわっとその巨体をシエルフィオーレを巻き込む形で一気に転がして――まさしく逆転ッ!

 一瞬のブレを突いて、マウントを逆転させた! 巨体を使って、シエルフィオーレを地面に抑え込む!


「なッ」

「ヴァハハハハハハ!」


 笑い声の衝撃で顔面を包んでいた炎を吹き飛ばし、ナラク・シュラクが拳を振り下ろす! 逆襲の皮切り……かと思いきや!

 シエルフィオーレ、首を捻って躱した! 漆黒の拳が、固定されているはずの草土を吹っ飛ばして地面に深々と突き刺さるッ!


「かぁッ!」


 シエルフィオーレ、すかさず短い咆哮!

 開かれたその口の奥には、チカッと閃光する獄炎!

 シエルフィオーレ、口から炎――いや、その勢いと収束された一筋形状は、光熱線レーザービーム


 陽色の光熱線で、ナラク・シュラクの顔、右半分を吹き飛ばしたッ!


「づァ……!?」


 口から光熱線と言う想定外な一撃を受けた事と、顔面を半分吹き飛ばされた痛みと衝撃、ナラク・シュラクの意識は当然シエルフィオーレから逸れる!


 その隙をおとなしく見守るはずもなし。シエルフィオーレはもう一発、口から光熱線を放射ッ! 今度はナラク・シュラクの腹を撃ち抜き、その衝撃でナラク・シュラクの巨体を浮かせたッ!

 拘束が緩まったシエルフィオーレはナラク・シュラクの下から体を引き抜いて被マウントポジションから脱出!

 引き抜いたまま揃えた両足を突き出しながら地面を手で叩いて飛び、ドロップキックの要領でナラク・シュラクの腹を更に追撃する!


「どぅっはァ!?」


 炎を纏ったドロップキックを受けて全身が炎上しながら、ナラク・シュラクの巨体が吹き飛ばされる! そしてそのまま、湖の中へ!

 本来、空間ごと固定されている湖の水面は地面も同じ。沈む事は無いのだが……ナラク・シュラクと言う名の炎の塊は、ドッポォンと重い着水音を立てて高い水柱を吹き上げながら、水底へと落ちた!

 ナラク・シュラクの霊術殺し体質故だろう。


「ッ、ぐ……ッ……!」


 シエルフィオーレは立ち上がろうとして、喀血!

 ここまで、ナラク・シュラクの規格外な攻撃を何発かもらった……肉体的ダメージは勿論――どうやら「魂」へのダメージも、大きい……!


 ナラク・シュラクは、霊術殺し。触れるだけで霊術を削ぎ、蝕み、破壊すらする。

 霊術とは言わば丁寧に加工された霊力の塊であり、霊力とは魂から代謝されるものだ。

 霊術=霊力を破壊する肉体で蹴りや拳を叩き込まれれば、そりゃあ魂も破損するだろう!


 シエルフィオーレが受けた損傷は、外観から察せるよりもずっとずっと激しいのだ……!

 正直、もう、立つ事すら難しい!

 証拠に、シエルフィオーレが四肢に纏っていた炎も徐々にしぼんでいき……ついには消えてしまった!

 意識を保つのがやっとの状態で、霊術を行使できるはずも無し!


「……クソが……!」


 今更ながら精霊としていかがなものか……そんなセリフを血と共に吐き捨てながら、シエルフィオーレは大地に手をついて息を整える事に専念する。


 ――彼女が手をついた草は、曲がらない。固定されている。スケルッツォは結界を維持し続けているからだ。


 上空にいる彼なら、見えている。透き通った湖の水底が、見えている。そこで何が起きているのかを、見ている。そんな彼が、まだ、結界を張り続けている。


 これが意味する所を察せられないほど、シエルフィオーレは馬鹿ではない。

 早く息を整えて、霊術を再使用できる程度に霊力を回復しないと――


「ヴァハッ」


 ザパァ、と音を立てて、漆黒の腕が水面を貫き、岸を掴んだ。

 固定されているはずの草を潰しながら、漆黒の腕が、這い、そして、引き上げる。

 炎を完全に振り払ったナラク・シュラクを――!


「……!」


 ひとつ、異変があった。

 ナラク・シュラクの顔面、頬の肉が少し焼け落ち、白い牙が露出したままになっている。

 よくよく観察してみれば、触角も片方短く焼け落ちてしまっているし、体のあちらこちらに火傷の痕跡もある。


 ――再生、しきれていない!


「ヴァハハ……どうにかこの程度には修復できたが、流石にやられ過ぎたか……体力の消耗が酷いな、これは……ご覧のザマだ。ヴァハハハハ!」


 陸に上がったその漆黒の足は、若干だが、不安定。まるで酔っ払いのようにフラフラ。

 それでも、声を張って笑う余力はあるらしい。


「……ッ……!」


 シエルフィオーレ、まだ息切れ気味だが――この好機は逃さないと、気合を振り絞って立ち上がった! ナラク・シュラクに劣らないくらい、足元がおぼつかない!


「ヴァハハハ! お互い、酷い有様だなァ……! 互角――これが互角! 本気のワシと互角! つくづく好いぞ、貴様! 惚れたァ!」

「黙れ、うるさい。殺す」


 互いに精も根も底が見え始めた、そんな状態でなお、シエルフィオーレとナラク・シュラクは対峙する!


「さァ……最後まで、最後までだ! まだまだ遊び尽くそうではないかァ!」

「……ブッ殺す」


 両者同時に、地を蹴った。

 もう霊術も再生もクソもない……ここから先は、単純明快な殴り合いだ!


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