02,太陽の子
「おはよう。芽吹いたのね」
緑髪の少年が生まれて初めて見たモノは、大きな太陽花の髪飾りをした美しい女性。
「あなたは、【ルーク】」
太陽花の女性はそう言うと、生まれ落ちたばかりの少年を優しく抱き上げた。
「……るー……く……?」
「そう。あなたの名前はルーク。守護者の種……と言っても、まだ何もわからないわよね。難しい話はやめましょう」
細く白い腕が、ふわりと包み込むように柔らかに、されど「絶対に放すものか」と力強く、少年を抱きしめる。
細腕に見合わない物理的筋力を感じる。見た目の端麗さからは想像できない、逞しき腕……それこそ、幾度となく踏み折られても太陽に向いて起き上がる不屈の太陽花を感じさせる腕だ。
「私も、今は素直に喜びを噛み締めたい気分なの。だって、一〇〇〇年……一〇〇〇年も待ったのよ、この日を……! フフ、ああ、ミニミニでムニムニでフニフニでプニプニでモニモニな私の……私のぉ……!」
「…………?」
「あ、お、ォホンッ……だから、ね。あなたも、難しく考えなくていいの」
女性が何かを取り繕うように浮かべたのは、優しい微笑み。
きらきらしていて、あたたかくて、まるで太陽そのもののようだと少年は思った。
「あなたは望まれて生まれてきた。今はただ、それだけを感じていて」
陽だまりの花に包まれて、その種は芽を出した。
大きな大きな大樹となる可能性を秘めた、小さな小さな若葉の芽が。
◆
――ユグドの国。緑の大陸、大自然の世界。
その国土のほぼ全てが森林地帯であり、他所の国なら神木だと崇め立てられるような巨木が掃いて捨てるほどに自生している。
そんなユグドの国には、【陽だまりの園】と呼ばれる場所がある。
苔が這う古びた巨木の根元に広がる、美しい太陽花の庭園だ。
巨木の枝葉が作り出す天然の天井、その隙間から暖かな木洩れ日が差し込み、透き通った湖の底まで照らし出す。幻想的な空間。
「あなたが咲くのは……そろそろ、かしらね」
蕾のひとつを指で優しくなぞり、静かに微笑む美しい女性。大きな太陽花の髪飾りと薄黄色のドレスがよく似合っている。
彼女の名はシエルフィオーレ。若々しく華奢な女性だが、決して侮ってはいけない。彼女は、古くからこのユグドの国を守護してきた精霊の一柱。……今では見る影も無いが、一〇〇〇年ほど前までは森の中で大きなグリズリーを舎弟兼愛車にして乗り回していたファンキーレディである。森の支配者として君臨し、一部では【女帝】と呼ばれて恐れられていた。
陽だまりの園は彼女の領域。
美しく神聖なこの場所には、今日も静穏で優雅な時間が――
「シエル! シエル! ねぇねぇシエル!」
静かな庭園にドタバタと舞い込む、元気の良い声。まだ男女の区別も付けられないような幼な声だ。
「あら、ルーク」
騒々しい声の主は、緑髪の少年ルーク。
嬉しそうにシエルフィオーレに駆け寄るその姿は、母に甘える幼子そのもの。
「どうしたの? 今日は、コウくんの所に遊びに行くのでしょう?」
太陽花を愛でるのを一旦止めて、シエルフィオーレはゆっくりと膝を曲げた。ルークと視線の高さを合わせるためだ。
ドレスのスカート裾が地にすれてしまうが、気にする素振りも見せない。そんな事よりもルークに関わる事の方が重要、と言う事だ。
「うん! だけどね! すごいの拾っちゃったから、まずはシエルに見せなきゃと思って!」
「あらあら、何を見せてくれるのかしら」
セミの抜け殻か、はたまたヘンテコな形に曲がった小枝でも拾ってきたか。
子供が自慢げに拾ってくるもの、おそらく大したものではないだろうと言う予想は立てつつも、シエルフィオーレは優しく微笑み、期待の色を表情で示して見せる。
長く生きた者からすれば、見飽きてしまって、大した価値を見いだせないものだとしても。子供達に取ってそれはきっと、新しく珍しいもの。
そんな大発見の喜びに水を差すのは、無粋でしかないだろう。
どうせなら大袈裟なくらいに一緒に喜んだ方が、みんな幸せだ。
「じゃーん! これ! 見てよ! 木の盾だよ! すごくない!? まるで誰かが作ったみたい!」
ルークが、後ろ手に隠し持っていたものをシエルフィオーレの眼前へと突き出す。
「あら、これは……」
それはまさしく、木の盾だった。ルークの小さな手では両手で持つ必要があるが、本来ならば片手で扱う想定の小ぶりな木製円盾。中央には打突による攻撃転用を目的とした突起――いわゆるバックラーシールドと呼ばれるものか。
とても精巧なネイチャーパターンの装飾が施されており、一種の芸術品のように感じられる一品だ。
しかし、所々に苔が這っていた痕跡が見て取れる……自然の中に相当期間放置されていたのだろう。
「器用な仕事……でも、『完成したからもう要らない』とばかりにポイ捨てされたって所かしら……きっとジンジャージルが趣味で作った木工作品ね」
「え、ジンジャーおじさんの……?」
シエルフィオーレの言葉に、ルークの幼な顔が曇った。
ルークは先程の発言からして、この盾が誰かの作品だとは思っていなかったのだろう。
きっと、自然の中で朽木が奇跡的にこうなったと、それを運良く僕が拾った。ならこれは僕のものにしても良いよね。そう喜んでいた……と言った所か。
そんな事が有り得るはずがないじゃあないか、なんてのは、長生きした連中の無粋な常識。幼い子供に通用する訳も無し。
それはさておき。
ルークは「持ち主がいるとわかった以上、当然、返さなきゃいけない」のだと判断し、「せっかく見つけたお宝を手放さなければならない」と言う口惜しい気持ちになったのだ。
それを瞬時に察したシエルフィオーレは、ルークの柔らかな緑髪の頭にそっと手を添える。
「ルークは、例え口惜しく思っても、ちゃんとジンジャージルにその盾を返すつもりなのね?」
「……うん。だって、誰かのものを盗っちゃうのは、悪い事だもん……」
「良い子。あなたは間違っていないわ。……でも、今回に限っては、その必要は無いと思うの」
「……え……?」
「今回に限っては、ね」
あくまで特例中の特例である事を前置いて強調しつつ、シエルフィオーレは続ける。
「ジンジャージルは趣味の工作物に頓着しない。ただ手が寂しいと言う理由でやっているだけらしいから。現にその盾、随分前に打ち捨てられてしまったもののようだし。あなたが拾ってもらってしまっても、文句なんて言わないわよ」
「ほんと!?」
ぱぁっ、と、ルークの表情に陽が昇る。
本当に笑顔が似合う子だと、シエルフィオーレも釣られて笑みを濃くした。
「ええ。一応、私の方からジンジャージルに伝えておくわ。あなたなら言われなくてもわかっていると思うけれど、次に彼に会ったらちゃんと御礼を言うのよ?」
「ありがとう、シエル! ジンジャーおじさんにもたくさんたーっくさん御礼を言うね! 一〇回くらいが良いかな!?」
「一回で良いと思うわ」
「わかった! 一回だけにしとく!」
「よし、素直は良い子の証。よろしい。こちらこそ、相変わらずの笑顔を見せてくれてありがとう。ルーク。さぁ、コウくんにその盾を見せてあげると良いわ」
あなたと一緒で、そう言う格好良いのが好きでしょう? あの子も。
そう言って、シエルフィオーレはルークの頭を撫でていた手を放し、そのまま「いってらっしゃい」と手を左右に振った。
「うん! いってきます!」
「ええ、気を付けて」
元気に走って行くルークの小さな背中。
それを見て、シエルフィオーレは満足気に目を細める。
「……きっと、あの子の瞳に映るこの世界は、さぞかし輝いているのでしょうね」
美しい太陽花に語りかけるような、柔らかな声。
ルークの瞳には、きっとこの世界の何もかもが光に満ちて見えているのだろう。だって、彼の瞳には一点の曇りも無いから。
世界のあらゆる物、森羅万象・万事万理が――そう、その辺りに生えている雑草の一本ですら、きっとこの太陽花と同じくらい尊く美しい存在として見えているに違いない。
「純粋な瞳、優しい心。あの子はただの戦士ではなく、立派な【守護者】になれる」
ただ戦う者ではなく、守るために戦う者に。
ルークがそう育ってくれる事が、シエルフィオーレの望みだ。
「――ツォツォツォツォ。いやぁ、【森の女帝】がすっかり【太陽花の女神】ムーブですなぁ」
「げっ。スケルッツォ……!」
良い感じの雰囲気でしみじみしていたシエルフィオーレの傍らに、空からストンと舞い降りたドピンク紳士。
濃桃色薔薇の精霊紳士、四白眼不気味スマイルが売りのスケルッツォである。
「相も変わらず露骨に嫌そうな顔! ぶちゃい子になっていますよぉシエル嬢! そんな顔を見せられては、そりゃあもう大爆笑! ツォツォツォツォ!」
爽やかな朝に会いたくない精霊ランキング第一位の面目躍如か。早々に鬱陶しい。
「やーやー、しかし【庭園】の管理もすっかり慣れたものですねぇ? 養育者資格取得のための条件だったとは言え、シエル嬢がここ一〇〇〇年で見違えるほどに精霊然としてくれて、当方、嬉しさの余り大爆笑! ツォツォツォツォ!」
スケルッツォが美しい太陽花の庭園に向けて拍手を送る。
嫌味たらしくも聞こえるが、生来そう言うクセのある喋り方の男だ。彼にそのつもりは無いだろう。おそらく。
「……そちらこそ相も変わらず唐突に現れて……何の用かしら? まさか昔話をしに来たと言う訳でもないでしょう?」
「はい勿論。昔話はどうでも良い! 当方は常に今を生きておりますので! いつだって最新のスケルッツォ・トークを皆々様にお届けいたしたく! ナウッツォなーう!」
はいはい、とシエルフィオーレは適当に流す。もう慣れたものである。
「で、結局、何をしに来たのよ?」
「んー……実はですねぇ、当方の最新の日課は『一〇〇〇年の悲願が叶い、ようやく授かったルーきゅんにデレデレで骨抜きな元ヤンなシエルママの姿を見て笑い転げる事』であるからしましてぇ! ツォーツォツォツォ!」
「面構えやコーデと一緒で悪趣味ね」
「思わぬ冷静な反撃ッ! いやぁ! これは一本取られましたな! はい一本プレゼント」
スケルッツォが差し出してきたドピンク色の薔薇を一応は受け取りつつ、シエルフィオーレは溜息。
「はぁ……早く本題に入りなさい。あーだこーだ言いながら、どうせちゃんとした用件があるのでしょう?」
飄々とし過ぎていて非常に鬱陶しい男だが、無意味に飛び回る無能ではない。
スケルッツォは大なり小なり目的を持って動く。余談が多いだけで。鬱陶しいほどに。
「おやおやおやのスケルッツォ。当方の事をよく理解してくれていらっしゃる。しかし少々張り合いがございませんなぁ。落ち着くのは悪い事ではありませんが、ややお淑やかになり過ぎでは? 馬脚が見える素振りも無し。チャイルドセラピー恐るべし」
「馬並みってほどじゃあないけれど、足が見たけりゃあ踏んでやらなくもないわよ。あくまでお上品にね」
「ややッ、流石にイラついてきましたね? ノンノン。いくら悪趣味で名の通ったスケルッツォとは言え、そう言った趣味はございませぇん。と言う訳で踏まれる前にこちら、回覧板でございますぅ」
「回覧ひとつ回すだけでこの会話量か……」
「オトクですねぇ!」
「………………」
回覧の主旨は「明日、精霊院にて緊急の精霊集会を行う」と言うものだった。
「……随分、急ね。かーっ、面倒くさ」
「思わぬ所で元ヤンの名残が出ていますぞー。そんな露骨に嫌そうなぶちゃい子顔は当方にだけ向けてくださいな。……あらやだ、今のセリフ、妙に純情乙女っぽくないですかぁ!? 『その顔は私にだけ見せてよう』的な! 当方そちらの才能があるやも知れません! どう思いマスか!?」
「そちらってどちらよ……」
「ヒロイン」
「死になさい」
「寿命とあれば」
何十万年先の話よ……とシエルフィオーレは辟易。
「さて、小気味好い余談はこのくらいにして……何やら、最近この大陸で妙な動きをしている方々がいるそうでして。それの対応に精霊が出張るべきか否か、を審議するのだそうですよ」
「審議、ねぇ……どうせまーた『精霊介入の必要性を認められない』で終わりでしょうに」
たまによくある事、と言う奴だ。
精霊院の精霊達は、この大陸の守護者だ。精霊の存在は大きい。
そのため精霊が率先して防衛活動に就く事は「精霊が動くような大きな害の存在」を市民に認識させる事になる。要するに、不安を煽るのだ。
よって、たまに舞い込んでくるこう言った案件の大抵は「精霊は動かず、ヴィジタロイドによって編成された騎士団もしくは市民達の自衛戦力によって解決される事が望ましい」……と言う結論になる。
森で思う存分に拳を振るえてた頃が懐かしいわ、とシエルフィオーレは時勢を感じる。
……まぁ、一〇〇〇年前当時のパラダイムにおいても、彼女のやんちゃ行為は精霊院に取って非常に悩みの種だった訳だが……。
「ツォツォツォツォ。ま、我々が徒労な集会を催すのも一種、平和の証左です。むしろ、そうなる事を祈りましょう。以上、スケルッツォから朝のお報せでした☆」