18,小さな勇者
「ゃ、やいやいやいやい!」
「ぬ?」
動けないルークに迫るナラク・シュラクの前に走り込んだ、小さな、とても小さな影。
手製らしい少々不細工な草帽子を被った金毛の倉鼠――コウッ!
「こ……ぅ……?」
「ほォう……豆粒小僧、何やら、好い目をしているなァ……」
ナラク・シュラクはその無数の瞳でコウの目を見た!
おお、何と弱々しく滲んだ瞳だろう! 号泣一歩手前ッ! だのに、中々どうにもどうしてッ! 強さや凄みと言ったものを感じるッ!
輝きだ、これはッ! ナラク・シュラクが賞賛し、愛でながらも己には不要とした輝きッ!
ルークがナラク・シュラクを吹き飛ばした際にみせたものと同種ッ!
「や、やい……りゅ、る、ルークに……ここ、これ、これ以上! 酷い事したら、オイラが承知しないぞ!」
傍から見れば、馬鹿げた話だ。
ナラク・シュラクは成熟したヴィジタロイドや精霊と比較しても倍以上の巨体。ルークと比べれば六から七倍ッ。
そんな巨漢に、ルークの頭に乗っかって問題にならないような小さき者・コウが対峙するなどッ!
ちっぽけな獣から見れば、ナラク・シュラクはとんだ大怪獣だッ!
だのに、コウが握り締めているのは、小石ッ! ナラク・シュラクでは摘むのにも苦労しそうな小石を武器にしている!
「だ、ダメ、だ……コウ……逃げ、て……!」
「ッ……オイラにだってなぁ……意地が、ぅうう……意地があぶんばよぉぉぉぉ!」
後半、ついにコウの涙腺は崩壊し、声が濁ってしまった。だが、決意は濁らないッ! コウは退かないッ!
――いつだって、そうだった。
レッドパイン&メープルジャムの時も、ヌトラメロイの時も。
親友の危機に、自分は何もできなかった……!
いつもいつも、情けなく転がされて、あっさりノック・アウト!
苦しむ親友を、まったく助けられなかった!
きっと、今回もそうだ。ナラク・シュラクはこれまでの連中とは次元が数段違う。
これまで以上に、何の役にも立てないだろう。
だったら、親友を見捨てて良いのか。どうせ何もできないから、何もしないのか――断じて否ッ!
何もしないで親友を失うくらいなら、命を張ってでも奇跡にすがるべきだと、コウは考えるッ!
――それが例え、どれだけの恐怖を伴う挑戦だとしてもッ!
「うう、うああああああああああ!」
小石を強く握りしめて、コウがとててててッと走り出した! ナラク・シュラクへ、果敢とすら言えない無謀を以て、突撃ッ!
「ヴァハハハハ! まったくこの大陸はどこまで愉快かッ! 好いぞ、豆粒小僧ッ! 相応で歓迎してやろうッ!」
ゴキゲンに喜び笑い、ナラク・シュラクはぐりんと上体を回す形で振るった!
遠心力で、その細長い触角が鞭のようにしなり、足元の地面を強打ッ!
触角に叩かれて弾け飛んだ土くれの散弾が、コウへと襲いかかるッ!
ルークが受けたならば「あいたッ」くらいで済む、ちゃっちい攻撃。何のダメージにもならない、せいぜい嫌がらせどまりの一撃。
だが、コウのスケールでは充分な脅威ッ!
「ぅだぁ!?」
土くれが直撃し、コウは派手に後方へと吹っ飛ばされたッ!
持っていた小石を落っことしてしまうッ!
顔面に喰らったため、鼻血もぶぱっと吹き出たッ!
「ぴみゅ、ぁ……うぅ……血、だ、血が……ぅうう……」
真っ赤な血が滴る鼻を押さえて苦しそうに嗚咽しながら、コウはプルプルと起き上がった。
そして――ナラク・シュラクの方へと向き直るッ!
まだ、やる気ッ!
土くれと一緒に飛んできて傍らに転がっていた小枝を握りしめて、槍のように構える!
勿論、訓練など積んでいないので不格好ッ! それでも構えた! 笑いたきゃあ笑えと!
「ヴァハハハハハハ!」
笑われた! だがしかし、ナラク・シュラクの笑い声は嘲笑ではない! 素晴らしいと褒め称える笑い!
「尊敬すら抱くぞ、豆粒小僧ッ! その小さな体で、矮小な力で、ワシのような強大の支配者に挑む! どれだけの勇気が要る!? どれだけの覚悟が要る!? ワシが貴様であった場合、果たしてそんな事ができるか……いいや無理だ! 貴様のその勇姿を支える感情を、ワシは持ち合わせないッ! 持ち合わせるつもりもない! ワシと言う支配者にすらできない事を、貴様はやっているのだ!」
「くッ……そんなベタ褒めしてくれんなら、ご褒美に退いて欲しいもんだぜ……!」
「ヴァハハハ! それは無理な相談だな! 貴様のような奴と遊ばずして帰るなど……勿体無いッ!」
小気味好い素敵な奴を見つけた。ならば圧倒・蹂躙・支配して帰るッ! それがナラク・シュラクのモットーッ!
くわっと一際開眼して、ナラク・シュラクが――跳んだッ!
「せェいッ!」
「どわぁ!?」
着地……と言うより、地面への強烈なキックッ!
振動で大地が揺れ、コウはすっ転んで後頭部を打ち付けてしまう!
だが、コウには痛みに喘ぐ暇などない!
ナラク・シュラクが来る! 指を一本だけ立てて、コウへ向けて振り下ろした! 指突ッ!
「ひわぁああああ!?」
コウは鼻血と涙を撒き散らしながらゴロゴロと転がって、漆黒の指突をどうにか回避ッ!
ナラク・シュラクの追撃は続く! 頭を振るい、触角で空を裂いて突風を飛ばす!
転がっている所を突風に追い打たれ、コウの小さな体は高く宙を舞い、ボササッと音を立てて木枝に引っかかった!
「ぎゅぅ……め、滅茶苦茶だ、あの真っ黒……!」
わかりきっていた事だが、余りにも生物として能力に差があり過ぎる。
と、ここでコウは目の前にあるものを見つけた。それは木の実だ。まだまだ青い木の実。真っ赤に熟せばとても甘く、おやつにベスト。しかし、熟していないと……。
「……これだ……!」
成熟した思考ならば、こんなくだらない手は思いついても実行しないだろう。
だがコウは子供で、今は何をどうしてでも奇跡的勝利をもぎ取りたいと言う願望がある!
だからコウは青い木の実を房ごともぎ取って、両手に抱えて枝の上をとててててッと走り出した!
「ヴァハッ、何かを企んでいるのかァ? 面白い!」
枝上を駆け回るコウの気配に気付き、そしてその足音が逃走を選んでいる風でも無い事を察知したナラク・シュラクは、あえて木々の下へと入った。
――さァ、どこから、何を仕掛けてくる?
「やぁああああ!」
コウが、跳んだ!
ナラク・シュラクの頭の上に、乗るッ!
「ぬッ! ヴァハ!」
来たか、さて、何を――そう問おうとして開いたナラク・シュラクの牙だらけの口に向けて、コウは両手に抱えていたものを投げ入れた!
それは、先ほどもぎ取った未熟な青い木の実ッ!
「もァ」
突如口に放り込まれた木の実、ナラク・シュラクは本能的に噛み潰したッ!
木の実を噛み潰せば、当然、果汁が拡散する……未熟な木の実の、青々しく苦々しい果汁が、弾けるッ!
特に、今コウがナラク・シュラクに食わせた木の実は酷いものだ!
熟せば子供達が垂涎で摘み食べるジューシースイーツだのに、青い状態だと「死ねない毒」と揶揄されるほど!
つまり――メチャクソ苦いッッッ!
「ァヴェバッ!?」
あのナラク・シュラクですら! 思わず奇声と共に吹き出すほどに! 苦いッ!
「ゲルァ、ゴボボハ!? ヅァ、ノ、ィア!?」
悶絶ッ! 至極悶絶! ナラク・シュラクが巨体をきりきり舞いさせている!
「おぉう!? 思ったより効いてる……!?」
ナラク・シュラクが舞い始めた衝撃で地面に落とされたコウは、予想以上の成果に目を丸くした。
……そう、実は偶然にも、奇跡的に!
コウはナラク・シュラクに取って最大の弱点を突いていたッ!
ナラク・シュラクは肉体的にものすごくタフネス、痛覚にも強いッ!
それは天性の部分も大きいが……これまでの生で積み重ねてきた耐性もある!
そしてナラク・シュラク――実は重度の偏食家ッ!
己が気に入ったものしか食べないッ!
支配者だもん! 誰に強制されて好きでもないものを食べる必要があると言うのか!
故に、苦いものには手を付けない、誤って口に入れてしまってもすぐに吐き出し、慣れようとすらしなかった!
だから、このコウの一撃は苛烈! 余りにも鮮烈にして痛烈!
吐き出したくとも、口腔いっぱいに広がり付着した一〇〇%濃厚果汁の余韻はそう簡単には拭えない!
「アアア、アアアアアアァァッ!?」
ナラク・シュラクは元々狂気に溺れたような感性の男だったが、発狂したように叫ぶ!
「す、すげぇ……」
あの木の実、間違っても青い奴は食わないようにしよう。
そう誓いつつ、コウは駆け出した。ルークの元へだ。
「おい、ルーク! 今の内だ! ダメもとだったけど何かすげぇ効いた! 今なら逃げられるかも知れねぇ!」
「ぅ、コゥ、は……す、ごいや……」
「おう! オイラも自分でびっくりだい! でも今はそれどころじゃあねぇから!」
「でも、ごめ、ん……動け、ない……コウ、だけでも……逃げて……!」
「はぁぁ!? んな事できるかバーカ!」
えぇい、やったらぁ! とコウは鼻息をフンッと出して鼻腔内の鼻血を排出。気合を入れて、ルークの手首を掴み――引っ張るッ!
「んごぉぉぉおおおおおおお! 動けぇぇぇえええええ!」
キェェェッと奇声を上げながら、コウは一生懸命、ルークを引っ張った! 意地でも一緒に逃げるのだッ!
しかし無情なほどに体格差ッ! ルークの体は微塵も動かないッ!
「ふにゅうううううぉぉおおおおおおおおおおお………………あ」
ルークとコウを、黒い影が包む。
……ナラク・シュラクの影だ。どうやら、ひとしきり悶絶して、平静さを取り戻した様子。その表情は、口の端から悶絶の痕跡である涎を垂らしつつも、相変わらずの極上スマイル。
「ヴァッハァ……まったく、一杯食わされたぞ、豆粒小僧……! してやられた! 痛快なほどになァ!」
「あ、あのう……ご、ゴキゲンついでにー……このまま見逃してくれたりとかー……」
「無理だな!」
気持ち良いくらいの爽やかさで否定するナラク・シュラク。
ですよねー、とコウは泣く。
もう一度、同じ手……は通じないだろう。
先ほど股間を必死に守っていた事を鑑みるに、口の防御を堅めるはずだ。
「さァ! 豆粒小僧! 次はどんな手を使ってくる!? ことごとく受けてやろうではないかッ! 股間への痛打と妙な木の実を口に放り込まれる以外はな!」
「う……!」
もう、何も思い付かない。絶対絶命。
――そう思った、その時だった!
ナラク・シュラクが、消えた。
否、消えたと思えるような速度で、吹っ飛ばされたッ!
木々をへし折る巨大な黒い砲弾と化して、ナラク・シュラクは凄まじい距離を凄まじい勢いで飛んでいくッ!
「なッ……」
呆然とするコウとルークの前に、ナラク・シュラクを蹴り飛ばした何者かがスタッと着地。
それは、黄色いドレスを身に纏い、大きな太陽花の髪飾りをした女性だった。
太陽花の精霊にしてルークの育て親――シエルフィオーレだッ!
その表情は、無ッ!
「あ、あんた、ルークの……」
「……し、える……?」
ルークに名を呼ばれた瞬間。先ほどまでの無表情が嘘だったかのように、シエルフィオーレの顔に笑顔が咲いた。まるで太陽が弾けるような破顔だった。
「ルーク、たくさん頑張ったのね」
心配よりも、叱るよりも、まず先に、そう言ってあげるべきだと判断したらしい。
心配すればルークは「シエルに心配させちゃった……」と沈むし、叱るのも同様。
今、肉体的にズタボロの状態で精神的に追い込むなど、愚の骨頂だろう。それでは教訓ではなくただの嫌な思い出で終わってしまいかねない。
だから今はとにかく、褒める事にした。
「コウくんも、たくさん、頑張ってくれたのね」
ボロボロのコウを見て、シエルフィオーレは察した。
この子はきっと、動けないルークを守るために、あの巨大な怪物と戦ってくれたに違いない、と。
コウが時間を稼いでくれたから、シエルフィオーレは間に合ったッ!
微笑んでしゃがみ込み、ルークとコウの頭を、優しく、温かく、撫でる。
「ルークもコウくんも、少しだけ、ここで待っていて」
そう言って、シエルフィオーレは立ち上がり、歩き出した。
ルークとコウに背を向けた瞬間に、その表情は笑顔から無へと切り替わる。
――余りにも強すぎる感情は、表情にならない。表情筋が追いつかない。
ただその胸の中で、地獄の底が如く燃え盛る。
何の準備運動か、指の骨をパキポキ鳴らしながら、シエルフィオーレは静かに言った。
「あいつ、ブッ殺してくるから」