17,光と闇
ルークはジンジャージルの言葉を思い出す。
「チ●コを、狙う……!」
普通には逃げられるはずも無し。
牽制して、逃げる隙を作る。
そのために、ルークは背負っていた木盾を取った。
両手で前面に構え、突撃姿勢!
更に、芽能を起動! 全身に緑色のオーラを纏い、森から力を借りてパワーアップッ!
「ヴファ、ヴァハ、ヴァハハハハハハ! ようやく、ようやくだなァ! ここまで前菜をたらふく食ってきた! お膳立ては充分以上に堪能済みッ! 小僧! 最初から全開で来て構わんぞッ!」
「うん!」
ルークは頷いて、地面を蹴ったッ!
容赦はしない、全力全開で、ナラク・シュラクの股間へと突っ込むッ!
「やぁぁああああああッ!」
――が、その突撃は、振り下ろされた黒い腕によって防がれてしまった!
「!?」
ルークが目を剥くのも当然ッ!
芽能を発動したルークの突進は、森全体からエネルギー供給を受けた超威力の突進! それを受ける事は森に殴られるも同義ッ!
ヌトラメロイには例外的に無効化されたが、ナラク・シュラクの半分くらいの体格を誇っていたメープルジャムはひとたまりも無く吹き飛びノック・アウトできた一撃だ!
いくらナラク・シュラクが大きくて強そうでも、少しくらいは吹き飛ばせると思った――だのにッ! ビクとも! しないッ!
「うむ、腕が心地好く痺れている。良い、好い一撃だ。初手でこれならばますます期待が高ぶる……しかし、悪いな。日に二度もそこを強打されるのは、流石になァ!」
どうやらナラク・シュラク……ここに来る前にどこかしらで股間を強打し、「あ、うん。これはちょっと嫌かな、うん」と判断し、股間への攻撃だけは全身全霊本気で防御すると決めていたらしい!
「そォら!」
ナラク・シュラクが腕を振るって、ルークの小さな体を弾き返した!
「うぅッ……まだまだ!」
ルークはくるりと身を翻して着地――と同時に地面を蹴って再突撃ッ!
またも股間を狙う! 執拗な股間狙いッ! 牽制とは何も股間を狙わなければならないものではないのだが……ジンジャージルの雑な教えが、ルークを股間に執着させるッ! 小さな少年を漆黒の股間へと導く!
「ぬゥ!? またしても……ヴァハ! 成程な! ワシと貴様の極端な体格差――その小さな体を活かして低い位置、それも急所に攻めの手を集めるか! 悪くない!」
違う。その少年は歪んだ教育の被害者なだけだ。
「支配者の器と言えど未熟ならば頭も使ってこそッ! それでこそ圧倒・蹂躙・支配のし甲斐があァるッ!」
「くぅッ、また防がれた……! でも!」
繰り返し弾き返されても、繰り返し突撃ッ!
愚直なまでに真っ直ぐに、ルークはナラク・シュラクの股間を狙うッ! 狙い続ける!
ナラク・シュラクもそれを受け続ける! まるでフリスビーを持って来る忠犬をフリスビーごとぶん投げ返しているように愉し気だ!
「やぁあああああああああああああ!」
「ヴァハハハ、ヴァハハハハハハハ!」
短調なルークの攻撃。普通なら数回で「つまらん、馬鹿のひとつ覚えか」と辟易しそうなものだが、ナラク・シュラクにその様子は無い!
馬鹿のひとつ覚え上等、繰り返される水の滴りが岩を穿つ事もある! ナラク・シュラクは期待しているのだろう! 馬鹿のひとつ覚えのその先に相手が辿り着く境地が、如何なるものか!? と!
「ぐうぅぅ……!」
何度飛び込んでも、まるで効かない!
ナラク・シュラクが股間の防御にかける情熱は本気だッ! どこかで相当な痛打をもらったらしい! 精霊にでも股間をド突かれたのか、と思えるほどの信念を感じる!
余りにも手応えがない、完全に防がれている!
ルークは思ってしまう……突破できる気が、しないッ……!
「どうした、足が止まったぞ!? さァ、さァさァさァ! もっと来れば良い! もっと歓迎してやる……もっとも、素通りはさせんがな! もっと愉しもう! あの緑髪の若僧達や精霊のように、最後まで共に、はしゃごうではないかァ!」
「……え……?」
「ん? どうした?」
「若僧達、精霊、って……」
「ああ、貴様をそのまま成長させたような四名の若僧達と、無精髭の中年精霊だが? それがどうかしたのか?」
それはおそらく、周辺を警戒していた先輩達と、ジンジャージルの事。
彼らを指した言葉のあとに、今、ナラク・シュラクは何と言った?
「最後、まで……?」
「そうとも。立派で、愉しかったぞ。奴らは動かなくなるまで、ワシと遊び続けてくれた! 好い前菜であった! 圧倒・蹂躙・支配できた事に並々ならぬ悦を覚えたぞ、まったく! この大陸は良い、好いなァ! 来て良かったぞ、小僧ォ」
ナラク・シュラクの狙いは、ルークだ。
だがルークに辿り着くまでに、四名の先輩達と、ジンジャージルを手にかけたと言うのか。
それを理解して、ルークは、血の気が引いた。
「僕の、せいで……?」
ガクン、と膝から力が抜けてしまうのを感じた。
立っていられず、ルークはその場にへたり込んでしまう。纏っていた緑色のオーラも、霧散してしまった。
「む? おい?」
「……僕のせいで……!?」
木盾を握る力も入れられず、顔を上げる事もできない。
――当然だ。
自分のせいで、優しく気さくな先輩達と気怠げだけれどカッコイイ所もある素敵なおじさんが――死んだ。
そんな事実を、幼い子供が受け入れられるはずがない。混乱し、錯乱し、絶望する。立つ事すらままならなくなるのは、当たり前だ……!
「何だ、よくわからんが……どうにも、遊ぶ気分ではなくなってしまったようだな。風邪でも引いたか?」
ナラク・シュラクにはルークの心情の変化が欠片も読み取れない。
それも、実は当然。
だって、ナラク・シュラクは――先輩達もジンジャージルも、殺していない。
彼がここに来るまでに奪った命は、先ほど木っ端微塵にした巨木一本のみだ。
ナラク・シュラクの目的は、圧倒し、蹂躙し、支配する。そう言う暴力的な遊びに興じる事、ただそれだけ。
玩具が壊れるまで、もしくはそれ同然になるまで、遊び倒す。
もしも相手が死ぬより先に気絶した場合……それは例えるなら「玩具が、壊れる前に電池切れになった」状態。
ナラク・シュラクは自分が圧倒・蹂躙・支配したものの生殺与奪の権利を掌握する。即ち、彼の気分次第で殺すし、生かすと言う事。
ただ邪魔な障害物に成り果てたならば処理もするが、愉しく遊んだ玩具が動かなくなったから癇癪で壊すだなんて、勿体無い真似はしない。
だから、先輩達とジンジャージルは多少身体面でダメージは負っているが、命に別状無し――概ね無事である。
……なので、ナラク・シュラクからすると、今の話の流れからルークが心折れる理由が全く以てピンと来ない。
「……うむ。ともかく、これはもう無理だな」
ルークがやる気を失ってしまった理由はともあれ、結果として、ルークはもう「遊び」を続けられる状態ではない。それが現実。
その一事だけがナラク・シュラクに取って重要だ。
「日を改めるとしよう。また必ず来るぞ、小僧。体調を整えておけ」
それだけ言って、ナラク・シュラクは踵を返した。
「ぉお、お? 何か知らねぇけど、帰ってくれる……のか?」
「……ッ……!」
安堵するコウとは対照的に、ルークは酷く表情を歪めた。
――また、必ず、来る。
――また、今日と同じ事が、起きる。
自分を狙う男が、また来て、また、みんなを傷付けていく。
「……嫌だ……!」
「え、ルーク? おい……?」
ルークが、立ち上がる。
その小さな手に、盾を持って。
ルークは震えていた。
ナラク・シュラクが恐い……のではないッ!
ナラク・シュラクを放置すれば、また自分のせいで誰かが傷付く……その未来が、恐いッ! 震えるほどにッ!
ナラク・シュラクは、今ここで倒さなきゃあ、ダメだッ!
だから立った! だから盾を構えた!
そして――光を纏ったッ!
先ほどまでとは比べものにならない、爆発し昂るような、膨大なオーラの量ッ!
ルークの芽能【森絡共然】は、森から「守るための力を借り受ける」ための能力!
即ち、この恩恵で得られるパワーの量は、ルークの「守る意志」に比例するッ!
彼がその時に守ると誓ったもののスケールに比例して、彼が受け取るパワーは増加するのだッ!
「もう誰も……お前に傷付けさせるもんかァァァァ!」
みんな、守る。みんな、みんなだッ!
ナラク・シュラクからッ、みんなをッ、守るッ!
ルークの咆哮に、森が応えたッ! かつてないほどのパワー収束量ッ! メープルジャムを吹っ飛ばしたあの時の何十倍か、とにかく多いッ!
「…………ヴァハッ」
ゆっくりと振り返ったナラク・シュラク――その表情は、満面の笑みッ。こちらもかつてないほどの笑みッ!
「ル、ルーク!? おい、まさか……やる気なのかよ!?」
「大丈夫、コウも絶対に守ってみせる! リリンだって、シエルだって、みんな、みんな、みんなみんなみんなァァァァァ!」
「ヴァハハハハハハハハ! 良い吠えだ、小僧ォッ! 皆を……すべてを守るときたか! 途方も無き理想――好い強欲だッ! それでこそ! 多くを強く欲してこそ、支配者の器よォ!」
据え膳、たまらんッ!
そう言わんばかりにナラク・シュラクは唾液塗れの厚い舌で唇を舐めたッ!
日を改めるのは中止ッ。今ここで、再開する構えッ!
ルークに取っては、信念を込めた全霊の、守るための戦いッ!
ナラク・シュラクに取っては、ただただ愉快な遊びッ!
両者共に本気ッ!
「来い、小僧ォ! 歓迎だァァ!」
「ううぅうぅううあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
咆哮と共に、ルークは跳んだ――いや、これは、飛翔ッ!
守る意志の具現とも言えるルークの咆哮に応えて、森からのパワー供給が更に爆発的増加! それによりルークが纏うオーラも爆発的に弾け、ルークの体を噴射したのだッ!
狙うは――引き続き、ナラク・シュラクの股間ッ!
ナラク・シュラクも承知の上ッ! 今度は両腕を交差させて、防御ッ!
緑色の流星となったルークの突進が、ナラク・シュラクの漆黒の腕壁と、衝突するッ!
ルークが、止まった――が、まだだ! まだ、緑の光と漆黒の闇の押し合いは続いているッ!
絶え間なくオーラが爆発的増加を繰り返し、ルークを噴射し続けるッ! ナラク・シュラクがルークを弾き返そうする力に拮抗しているッ!
「ああああああああああああああああああああああ!!」
「ぬゥ、おォお!? おおおおおおおおおおおおお!?」
ルークの咆哮に合わせて、驚きつつも狂喜するようにナラク・シュラクも吠えたッ!
拮抗ッ、拮抗しているッ! ナラク・シュラクの本気の防御に、ルークの突進が、拮抗しているッ!
「ヴァハ、ヴァハハハハハハハ! これだからッ、これだから格を同じくする支配者と遊ぶのは、やめられんのだァァァ! 貴様もそう思うだろォ!? なァ、小僧ォ! 貴様も打ち震えているはずだァ! ワシと遊ぶ事への興奮と、『もしもこいつを倒せたら』と言う想像にィッ!」
「全然、思わないよッ!」
「なァにィ……!?」
「僕は、ただ恐くて震えているだけだッ! 守れない事が、とっても……恐いんだ!」
子供らしからぬほどに、強い意志を宿したルークの目。だが、その目からは今も、ポロポロと涙が溢れ続けているッ!
「僕がお前を倒したいのは、お前がみんなを傷付けるからだ! 僕はお前が、大嫌いだッ!」
「ヴァッ……!?」
「僕だけじゃあない……聞けよ、森の叫びを!」
ルークに集められた力は、森の力。
森が、ルークの意志に応じて貸してくれる力。
貸す貸さないの主権は森側にある。それでも貸してくれると言う事は……森も、ルークの意志に同調していると言う事!
即ちルークが纏う激しい光は、森が放つ、拒絶の叫びでもあるッ!
「みんな、お前なんか嫌いだ! お前は、悪い奴だ! その悪い心を改めるまで、お前はこの森に入っちゃあ、ダメなんだぁぁあああ!」
「ぐゥ、おおおおおおおおおおおおおおお!?」
拮抗が、傾く。緑の光が、漆黒の闇を拭い、喰い込むッ!
「ここから……この森から、出て行けぇぇぇッ!!」
駆け抜ける、緑光の一筋ッ。
ルークの突進力が、ナラク・シュラクの踏ん張る力を越えたッ!
「ヴァ、ァ、ああああああああああああああああッ!?」
緑光の疾駆に飲み込まれ、ナラク・シュラクの巨体は森を抜けたッ!
そしてそのまま、小高い丘の崖面へと叩き付けられるッ!
まるで横薙ぎの隕石でも直撃したかの如く、崖面に巨大なクレーターが刻み付けられ、崩壊が起きたッ!
崖が崩れる間際、緑色の光が離脱。
ルークだ。ナラク・シュラクを壁に叩き付けた後、最後に一蹴りを加えて跳んだのだ!
崖崩れからの脱出はできたが……芽能の性能を限界突破で引き出したルークの小さな体は負荷でボロカスッ。
そのまま、ルークは地面に受身無しで落下し、ごろんごろんと派手に転がった。
「っ、うぅ……や、やった……の……?」
途切れかけの意識。手をついて上体を起こす余力も無いが、ルークは崖の方を見た。
膨大な土砂に埋もれて、ナラク・シュラクの腕だけが見える。力無くだらんと垂れていた。
これは、ノック・アウ――
「ヴァハッ」
――土砂が、弾け飛んだ。
その光景に、ルークは何かを叫びたかったが、ただコヒュッと喉が妙な音を鳴らしただけで終わってしまう。
「ヴァハハ……ヴァアアアアハハハハハハハ!」
……ナラク・シュラク、健在ッ……!
いくら何でも、しぶと過ぎるッ! 両腕がへし折れた風ではあったが、それも笑っている内に修復してしまったッ!
「そうか、そうかそうかそうかァ! ワシは、ワシの配下は勘違いをしていたようだなァ! 小僧ォォォ!」
上機嫌の極みッ。そんな調子で、ナラク・シュラクは吠え叫ぶ!
「貴様の力は、支配などではなァい! 今の一撃に触れて理解したぞ! それは、共に在る力! 共に事を為す力! そォれが貴様の力の本質ゥ……! 良ィ、好ィ、イイィィものだァ、それはァ……悪辣な分際でも理解するぞ! この身は闇に在っても……否ァ、闇に在るからこそ、素敵な輝きとは目を焼くほどに輝かしィ!」
素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい!
狂ったように、ナラク・シュラクは賞賛する……が、不意に、それは止まった。
「――だァが、要らんな」
急に、落ち着いたッ!
「ワシには、ナラク・シュラクには……そんな素敵な輝きは要らん、要らんのだ。ワシが求めるのはより愉快な圧倒・蹂躙・支配……同じ支配者を支配すると言う快感がワシの悦楽。森羅万象を照らす黎明ではなく、万物万理を飲み込む暗黒の力こそがワシの足元に敷き詰めるべき石なのだよ。……イイものを見せてもらったがァ……期待はハズレたな」
ナラク・シュラクに取って、善とは「輝かしくて素敵なもの」。
ナラク・シュラクに取って、悪とは「どす黒くて素敵なもの」。
見てくれが正反対に違うだけで、貴賎は無いものと認識しているのだ!
そして、彼はあくまでも「個人的嗜好による取捨選択」として、善よりも悪を優先するッ!
――善を否定せず、むしろ賞賛しながら、それでもなお悪を肯定する破綻者ッ!
それが、ナラク・シュラク! 狂気的理不尽を具現するこの男の快楽追求は、基準となるべき道理からして狂っているッ!
「主菜だと思っていたものが、前菜とそう変わらないものだった……うむ、まァ、多少は残念だが、これはこれでヨシとする他にあるまい。ワシは、絶望を味わう訳にはいかんのでな」
ナラク・シュラクが、一歩、踏み出した。土砂を踏みしだいて……ルークの元へ、向かう!
「まだ意識はあるな。動けるか? もう動けないか? 試そう。貴様のような性質は、追い詰めれば追い詰めるほど、新たな何かが出てくるものだ。今はそれを、せめてもの慰み的な愉しみとする」
――続ける気だ。
ナラク・シュラクは、もはや指の一本も動かせないルークを相手に、続ける気だ。
少し嬲って、ルークがもう完全に動けない事を確認すれば、諦めて帰るだろう、が……もう、その「少しの嬲り」に耐えられるだけの余力も、ルークにはないッ……!
そしてナラク・シュラクは、別に相手の生死に特別な拘りを持たない。
勿体無いのでわざわざ殺しはしないが、わざわざ生かすために手を焼く事も無い。
図らずも死んでしまったとしたら、多少残念。その程度の感覚。細心の注意など払わない。
このままでは――ルークは、きっと殺されるッ……!