12,すれ違い
「「ぐあああああああああああああああああああッ!?」」
絶叫と共に、レッドパインとメープルジャムの甘味コンビは壁を何枚も突き破り、やがて勢いが和らいできた所で頭から厚い壁に突き刺さって、止まった。
「……ふむ。これは、奇っ怪な」
と、コーヒーカップを片手につぶやいたのは、濃い隈が特徴的な小柄男、ダークゾニス。
レッドパインとメープルジャムが突き刺さった壁は、ダークゾニスの執務室のものだ。突然飛来して壁のオブジェになった部下二人を見れば、そりゃあ「奇っ怪」と言う感想も漏れるだろう。
「おやおやおや。明らかに別格な改人さんがいますねぇ? ツォーツォツォツォ!」
レッドパイン達が突き破ってきた穴から妙な高笑いと共に入室したドピンク紳士、スケルッツォ。
「何か騒がしいと思えば、来客でしたか。見た所、精霊様とお見受けしますが……ふむ、これは喜ぶべきか、嘆くべきか。我々アバドンゲートはついに、精霊様に対処していただける程度には悪名高くなったのですね」
ダークゾニスは大して慌てる様子も無く、デスクにコーヒーカップを置き、ひょいっと卓上に跳び乗った。
「付け上がらないでもらえるかしら」
スケルッツォから少し遅れて、太陽花の髪飾りに火を灯す精霊、シエルフィオーレも入室。
その手には、誰かの一部なのか、何かの一部なのか、判別が付かないほどに炭化した物体を掴んでいたが、握り砕いて塵にした。
「私達が出てきたのはね……ある精霊の暴走を未然に防ぐためよ。誰の事かは、聞かされていないけどね」
そう、実は、アバドンゲート征伐作戦の承認にあたり、最大の決定要因となったのは、アバドンゲートの何かではない。
アバドンゲートの存在が、行動が、覚醒させてしまうであろう化物の発生を防ぐ――それが、本作戦承認の決め手になった。
「ほう? 精霊の暴走……少々興味深い響きで――」
ダークゾニスは一旦言葉を切って、跳んだ。
刹那の判断がその身を救ったと言って良い。ダークゾニスが跳んだ刹那の後に、彼が立っていたデスクは消えた。
消えたと思えるような瞬く間に、塵ひとつ残さず焼き払われた。
その攻撃は炎ですらない。ただの余熱だ。シエルフィオーレが睨みつけた些細な眼筋の動きで、揺らめいた髪飾りの火から放たれた余熱。それだけで、デスクが瞬間的に焼失した。
「…………これは…………ふむ。ああ、成程。確かに、納得の脅威です」
先ほどのシエルフィオーレの発言に対し、ダークゾニスは頷いた。
そりゃあ、精霊院も動くだろう。こんな爆弾があるのでは。
――ルークが二度に渡って危害を加えられた事で、シエルフィオーレの荒れ方は凄まじいものだった。
その余りにも恐ろしく悍ましい、邪霊へ堕ちる寸前まで怒りと怨念に駆られたシエルフィオーレの有様を見て、精霊院は決断した。
……もし、これ以上アバドンゲートがルークに危害を加え続ければ、シエルフィオーレは確実に理性を失う。
その時、彼女は自分を制止する全てを破壊してでもアバドンゲートを滅ぼす事だけに己の全てを傾けるだろう
下手すれば精霊樹をも焼却しかねない精霊が、激怒に駆られて怨念のままに全霊の術式を振るえば――どんな天災が起きるか、想像したくもない。
大陸の危機どころか、世界規模の危機すら発生しかねない……と。
これが、精霊院がアバドンゲート征伐に向けて動き出した最大の理由である。
ちなみに、シエルフィオーレは「アバドンゲートに対して怒り狂っている精霊がいる。その者の暴走を抑えるためにも、アバドンゲートへの対処は急がなければならない」程度の説明しか受けていない。
それに対するシエルフィオーレの感想は「その精霊とは仲良くできそうな気がするわ」。そりゃあ仲良くできるだろう。同一存在だもの。
「……僕も、年貢の納め時ですね……」
シエルフィオーレの戦力を的確に推し量り、ダークゾニスは「やれやれ」と溜息を吐いた。
だが、その諦めムードとは裏腹に、腰を落として腕を振り上げて戦闘態勢。
ダークゾニスは第一級改造人間、モデルは【縛鎌祈虫】。
彼の両腕は振るう事で異様に伸び、見た目以上の射程を誇る。そして、その手刀は捕らえた相手を決して逃がさない。じわじわと万力のように締め上げて、確実に切断する。
霊獣くらいなら難無く狩れるだろうが……果たして、精霊相手にどこまで通用するか。掠り傷くらいは付けられるだろうか。未知数だ。無理な気もする。
しかし、冷静沈着なダークゾニスにも意地がある。
それは美学とも言えるだろう。
彼は、殊、力における闘争で、負けを認める訳にはいかないのだ。
――ダークゾニスが改人になった理由は、憧憬。
ダークゾニスは元々、非常に賢明でありながら、実に実直な男であった。真面目が過ぎるほどの生真面目っぷりで、コツコツと努力して積み上げて、真っ当に、優等に、潔白に、そして懸命に生きていた。
だが、彼が積み上げてきたものは一瞬で崩れ去った。
理不尽な悪虐に晒され、全てを奪われた。
そして、ダークゾニスは目にする。
自分から全てを奪った憎き悪虐を無惨に踏み潰す、更なる悪虐の存在を。
ああ、あの男こそが真の悪にして、真の理。
彼こそが、真の道を示してくれた救世主。
そうだ、そうなのだ。
悪党が悪虐を尽くして、何が悪い。
悪党が悪虐を尽くすのは必理。余りにも当然の事ではないか。
何せ、悪虐を尽くす者をこそ悪党と呼ぶのだから。
であれば、悪いのは、悪党の悪虐――当然の現象を傍観するしかない弱者の方ではないか?
当然の事に対処できず、這いつくばって嘆くばかりなど、醜悪にもほどがある。
弱いと言う事は、悪党よりも悪だ。
弱者とは、この世において最悪の存在なのだ。
――強く在りたい。あの男のように。
例え悪党になってでも、最悪からの脱却を強く渇望した。
あの男を解析し、あの男に近付く理論を構築し、技術を確立し、研磨しよう。
そうして、ダークゾニスは人体改造術――改人を生み出す術を得た。
つまり、ダークゾニスと言う改人が有する戦力は、彼が人生のドン底で見出した真理・希望の具現である。
戦いに負ける事は、それを全否定される事。
戦わずして負けるなど、論外も甚だしい。
無抵抗に踏み潰され、ただ嘆くだけなどと言う「弱者の極みめいた振る舞い」は、絶対にしない。
だからダークゾニスは、手刀を構えた。
――しかし、それと同時に、パァンと手を叩き合わせる音が響いた。
「……!?」
動けない。
ダークゾニスが振り上げた手刀が、次の瞬間には床を蹴りつけようとしていた足が、ピクリとも動かせない。
「術式起動【不朽の情熱】。ツォツォツォツォ……申し訳ありませぇん。何やらアナタにはアナタなりに背負っているものがあるようですがぁ……まぁ、当方には関係無いお話と言う事で、固定させていただきましたぁ! 残念・無念・しかして当然ッ! 我々、敵対者ですし? 故にあしからず、ご了承くださいませ!」
「……固定……!? まさか……事象の固定……!?」
ダークゾニスは自身に降りかかった現象とスケルッツォの言葉から、彼が合掌と共に発動した霊術の詳細を推測、看破した。
そう、事象の固定。
今、ダークゾニスは固定されてしまった。「手刀を構えて臨戦態勢のダークゾニス」と言う事象で、固定されたのだ。
臨戦態勢で固定されてしまえば、もうそこから先、戦闘行動には移れないのは道理。
「……ッ……!」
まさか、望む望まないに関わらず、戦わせてすらもらえないとは……!
これが、精霊の霊術ッ! 百聞は一度の体験にもまるでおよばないとは言うが、これは余りにも想像以上ッ!
ダークゾニスの鉄面皮が苦悩でぐしゃりと歪む……!
「……ちょっと、手出ししないでもらえる?」
眉をぴくりと跳ねさせて、シエルフィオーレが不機嫌な視線でスケルッツォのニヤけ面を刺す。
しかしスケルッツォは涼しい不気味笑顔を崩さず、
「いやいやいやんのシエル嬢! この御方、どう考えてもただの改人に非ずんば! とあれば、首魁ナラク・シュラク、またはそれに近しい幹部でしょう! そんな重要人物を目の前でみすみす消し炭にさせたとあっては、流石に当方が怒られてしまいますよう!?」
「知った事じゃあないわね。さっさと術を解きなさい」
事象の固定をされていては、対象を破壊できないから――と言う訳では無い。
シエルフィオーレの精霊力は、スケルッツォよりも格段に上だ。霊術の技量はともあれ、彼の霊術の効果を薄める事はできる。
つまり、シエルフィオーレは、固定された状態のダークゾニスをそのまま吹き飛ばすなんて荒業も普通にできる。
それをしないのは、ヤンキー時代の本能だろう。
他者がお膳立てした舞台など不要。喧嘩は頭から尻まで己の拳で行う。
スケルッツォが拘束した改人を殴り飛ばすと言うのは、本能の次元で染み付いたヤンキープライドが許さない。
「…………く、くくくく……くはははははははは!」
つい今さっきまで悶絶するような表情を浮かべていたダークゾニスが、手刀を構えた姿勢で固定されたまま、大口を開けて突然の高笑いッ!
ヤケクソ入った――訳ではない。ただただ、ダークゾニスに取って笑える事があったので、彼は笑った。実に自然な現象だ。
「おやおや? 一体、何が可笑しいのでしょうか? 確かにこのスケルッツォ、存在そのものが諧謔的と言えばその通りですが……」
しかし意図せぬ笑いを得るのは少々不気味、と、スケルッツォは笑みを崩さないままやや警戒を強めた。
「この僕が、僕ごときが、ナラク・シュラク? またはそれに近しい存在であると? 笑える……笑えますよ。精霊と言えど、所詮はその程度も測りかねる器量ですか」
目元の隈までシワがよって歪むほどに口角を裂き上げて、ダークゾニスは笑った。
愉快だ。実に愉快。今、自らが悪党になってでも貫き通そうとした「強く在りたい」と言う願望を踏み躙った精霊共の底が知れたからだ。
だってそうだろう。
また、あの時の再現だ。
自分から全ての尊厳を奪った悪虐非道が、あの男の更なる極悪非道によって踏み潰される事が内定したも同然なのだから。
「断言しましょう。貴方達は、あの男――ナラク・シュラクには、絶対に勝てない」
「ふぅん。じゃあ、そのナラク・シュラクってのはどの辺りにいる訳? もしも燃え残ったら生首をデリバリーしてやるから教えなさいよ」
「んん、シエル嬢! 精霊が誰かにものを尋ねる文言としてそれは如何なものでしょう!? 至極今更? そりゃあごもっとも! ツォツォツォ!」
「残念ながら、今ここにはいませんよ。このアジトには、ね」
「はぁ? 留守って事?」
仮にも一犯罪結社の首領が白昼堂々とお出かけとは、呑気なものだとシエルフィオーレは呆れかけて、悪寒を覚えた。
「……答えなさい。あんたらのボスは、今、どこにいるの?」
「ん? シエル嬢?」
ヤンキー丸出しの物騒な表情から一転、何かとても焦っているような表情でダークゾニスに詰め寄るシエルフィオーレ。
その異変に、スケルッツォも何か嫌な予感を覚える。
――まさか。
「慌てなくても、きっと、すぐに……ええ、すぐに戻ってきますよ――小さな【獲物】を仕留めてね!」




