『臙脂の手記 〜最後の頁〜』
その日の夜。
ヒューティリアは自室の机の前で長いこと立ち尽くしていた。
しかし大きく息を吸い、ゆっくり吐き出すと表情を引き締め、意を決して引き出しに手をかける。その勢いのまま一息に引き出すと、中に収められているもの──臙脂の装丁が施された手記をじっと見つめた。
ようやく引き出しを開けることができたものの、手記に触れるのが恐いような気持ちがどうしてもある。しかし同時に、読まなければならないという気持ちもあって。
(あたしの予測が現実かどうかなんてまだわからない。何を恐がることがあるの)
そう何度も自分に言い聞かせてみるものの、もし自分が予測していることが現実であった場合……それについて手記にはっきりとした記述があった場合、自分がどう感じるのか、自分がどうなってしまうのか、まるで想像がつかない。
ただただ、それが真実であると知らされるのが恐い。
(あたしと、マールエルさんの関係……)
同じような過去を持つ者同士。
よく似た容姿を持つ者同士。
(時繰り魔法を使った代償として髪色と瞳の色が変わってしまったって話だったけど、本当はどんな色だったの?)
エインの姉は、鮮やかな赤髪だったと言っていた。
もしエインの姉がマールエルなのだとしたら──
何度となく繰り返してきた逡巡。
思考が再び振り出しに戻りそうになった瞬間、ヒューティリアの中で限界まで張り詰めていた何かがふつりと切れた。
(──もうっ! うじうじ悩んでても仕方がない!)
それまで迷っていたのが嘘のように、さっと臙脂の手記を手に取ると素早く椅子に座る。
そして栞を頼りに最後に読んだ頁を開き、気合いに満ちた表情で続きを読み始めた。
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◆17年と289日目 秋の月、初旬
セレストに、もう教えられることは何もないこと、好きな時に独り立ちしていいということを伝えると、セレストは静かに「そうですか」と言った。
何故かそれで会話が終了。
で、いつ出てくんでしょう? なんて聞けるわけがなく。
何だろう。どうしたらいいんだろう、この状況。
いや、積極的に出て行って欲しいとは思ってないんだけど、出て行くつもりならこっちにも覚悟がいるし、残ってくれるならそれはそれでそう言って貰いたいというか。
参った。
とりあえず王都には行って貰うとして。
それを皮切りに出て行くか残るか聞いてみるとか?
うん、もうそれしかない。そうしよう。
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そのあとに続く頁ではひたすら「今日も話を切り出せなかった」という旨の記述が中心となっており、ようやく事態が動いたのは23日後のこと。
ヒューティリアは、なかなかセレストの意志を確認できなかったマールエルの心情に同調しつつ、続く記述に視線を落とす。
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◆17年と312日目 秋の月、中旬
ようやくセレストに、魔法書の原稿を王都に届けて欲しいと頼みこむことに成功。
ついでとばかりに今後どうするのか問いかけてみたところ、「師匠の意見があれば聞きますが」と言われてしまった。
ちなみにセレスト自身の意向は? と聞いてみたけれど、迷っている様子で考え中だと言う。
困った。
森の守護者としては後継者が居た方が有り難い。けれど、セレストは余りにもこの森の外のことを知らなすぎる。
まぁそれを言ったら私もそう変わらないのだけども。
それでも、もっと外の世界を見てきて欲しいという気持ちがどうしてもあって。
私はセレストに、一度森の外に出てみるように提案した。
それでどうしても外に馴染めなかったり、やっぱりこの森がいいと思うようなら戻っておいでと。
とりあえず五年。森の外で生活しておいでと。
セレストも思うところがあったのか、私の提案を受け入れてくれた。
ただ、森を出るのは春になってからにするらしい。今すぐ森を出れば冬前に王都に辿り着けるだろうけど、そんなすぐに身辺整理なんてできないもんね。
……いや、できるか。あの子、ちょっと物を持たな過ぎってくらい部屋が片付いてるし。
じゃあどうして敢えて先送りにするんだろうと考えた時、思い浮かんだのは何とも私自身に都合のいい理由で。
そうだったらいいなぁと思いつつ、セレストと過ごせる残り僅かな時間を、大切に過ごさなければと思った。
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ここから先は、穏やかに日々が流れていたのだろう。
手記の日付が飛び飛びになり、ちょっとした日常の記録がぽつりぽつりと続いて行く。
しかしそれも、18年と107日目、春の月の初旬で一旦途切れる。
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◆18年と183日目 夏の月、初旬
ここしばらくクルーエ村で重病人が出たり、珍しく害獣の群れが現れたりとバタバタしているうちに、あっという間に春が終わってしまっていた。
セレストも旅立つことができずに色々と手伝ってくれていたけれど、今日。つい先ほど、無事に旅立っていった。
つい過保護なことばかり言ってしまったけれど、セレストも私の性格をよく知っているからか面倒くさそうにしながらも受け答えしてくれていた。
まぁ、最後には黙り込まれてしまったけれど。
最後に手を握ったときに感じた、いつの間にか私より大きくなっていた手の感触が今も残っている。
あんなに小さかった手が、今はもう、あんなにも大きい。
この気持ちをどう表現したらいいのかわからないけれど、嬉しいような、寂しいような。複雑すぎる。
それにしても。
おかしいな。いつもうるさくしているのは私で、セレストは常に静かだったのに。
どうしてか、セレストがいないこの家がとてつもなく静まり返っているように思える。
ああ、そうか。
セレストがいないから、私がうるさくしようがないのか。
寂しいなぁ。
森の精霊や妖精たちから「自分たちがいるよ」って言われた時には寂しくないなんて口走ってたけど、やっぱり寂しいものは寂しい。
セレストがいなくなって、クロベルもいなくなって……。
私は、これからどうしたらいいんだろう。
なんて一瞬思ったけれど、よく考えたら私はこの森の守護者なんだから、すべきことは決まってる。
これからもこの森を守り続けて、もしかしたら帰ってくるかも知れないセレストのためにも平和な状態を保たなくちゃ。家も綺麗にしておかなきゃだ。
精霊たちに音楽を聴いてもらって、妖精たちにお菓子を振る舞って。
そうそう、クルーエ村にも顔を出して、困りごとがないか聞いたりして。
何だ、やることは沢山あるじゃない。気を抜くには早かった!
でも今日はこのまま感傷に浸っていよう。
頑張るのは明日から。
うん、そうしよう。
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「…………あれ?」
ヒューティリアは目を瞬かせながら、続く頁を捲った。しかし捲れども捲れども、白紙の頁が続くのみ。ついに裏表紙にまで辿り着いてしまい、拍子抜けしてしまう。
「え? どういうこと?」
クロベルはこの手記を読み終えれば、どうしてヒューティリアにこの手記を見せたのか──ひいては、ソルシスとセレストが同一人物であるという真実を知る必要があったのかがわかると、そう言っていた。
けれど。
(全っ然わかんないんだけど……!)
当初警戒していた、ヒューティリアとマールエルの間にあるかも知れない繋がりについて何も記述されていないことには安堵したが、それ以上にあるべき情報がないことに脱力する。必要以上に身構えていた分、肩透かし感も大きい。
(ちょっとぉ、クロベル〜)
ここ数ヶ月の緊張感や精神的疲労感。それを思うとどうしても原初の精霊に恨み言のひとつも言いたくなる。
ヒューティリアは眉間に皺を寄せながらしばし白紙の頁を眺めると、すくっと椅子から立ち上がった。手記は改めて引き出しに戻し部屋を出ると、家中を歩き回ってクロベルの姿を探し回った。
しかし、一体どこに隠れているのか、その姿も気配も見つけることはできなかった。




