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人里へ

 翌朝。

 ヒューティリアは目を覚ますなり朝の日課となっている畑仕事を手伝うべく、笛を首にかけて部屋を出た。廊下とリビングを抜け、玄関扉を開けると視界一杯に鮮やかな色合いが広がる。森の朝は段々と肌寒くなってきており、木々の葉にもちらほらと赤や黄色が見え隠れし始めていた。

 そんな景色をしばし堪能してから畑へ向かうと既にセレストがおり、走り寄るヒューティリアを確認したセレストは微かに表情を緩めた。


 畑仕事を終えて朝食を摂ると、これまた日課となっている文字の読み書きの勉強を始める。と言ってもヒューティリアは既にほぼ完璧に読み書きが出来るようになっているため、今は言葉の意味を覚えながら家に置かれている本を簡単なものから順に読み上げているのだが。


 そうして過ごしていると日の傾きを確認していたセレストが「そろそろ出るぞ」と声をかけてきたので、ヒューティリアは本を閉じて書棚に戻す。そのまま自室に戻り、簡単に身支度を整えた。

 支度と言っても家で履いている靴を丈夫なショートブーツに履き替えるだけで、特に持ち物もない。ただ、部屋に備え付けられている鏡に映った自分をじっと見つめると、ヒューティリアは燃えるような髪を器用に結い上げて、スカーフで隠した。

 最後に服に畑の土がついていないことを確認すると、玄関で待っているセレストの許へと急ぐ。


「必要な物があればその都度言ってくれ」

「特に思い付かないんだけど」

「そういうのが一番困る」


 そんな会話を交わしながら家を出て、森の道を歩き出す。

 ヒューティリアはこれから向かう先が自分が捨てられていた方向なのかどうかもわからなかったが、小さな不安はあれど不思議と進む足が止まることはなかった。

 何気なく見上げた青年はすぐ横を歩いている少女を気にかける様子もなく、けれど歩調だけは合わせてくれているようで、ヒューティリアは遅れることなく青年の横を歩き続けることができた。


 道中のほとんどが沈黙の中過ぎていった。

 特に用がなければ口を開かないセレストが話題を振るわけがなく、時折ヒューティリアが自分の知らない植物や動物などを見つけてはセレストに問い、セレストが淡々とそれに答える……といった会話が為される程度。

 それでもヒューティリアは新しい何かを見つけ、それが何であるかを問えばすぐに教えて貰えることが楽しいようで、退屈している様子は見られなかった。




 そうして歩いて行くと、辛うじて道と呼べる道の先に赤や青といった屋根が見え始めた。森の外ではあるものの、どうやら森に接した位置に作られた村のようだ。

 ヒューティリアはほっと胸を撫で下ろす。自分の故郷の村は森から離れた場所にあったので、これから向かう村が自分の故郷とは違う村なのだとわかって安堵したのだ。


 村に入ると、セレストは迷わず村の中心部へ向かった。ヒューティリアも置いていかれまいと後に続く。


「あらぁ、マールエルさんのところのセレストくん! お久しぶりじゃない!」


 村の中心付近までくると、突然中年の女性が声をかけてきた。さっとセレストの影に隠れるヒューティリアにもにこりと微笑みかけると、女性はふたりに歩み寄る。


「最近マールエルさんを見かけないけど、セレストくんが帰ってきてたのねぇ。魔法師団に入団したって聞いてたけど、里帰りかしら?」

「いえ……師匠に呼び出されて、ついでに師団をやめてきました。またお世話になります」


 最低限の人付き合いは辛うじてこなせるようで、セレストは口調を改めて女性に軽くお辞儀をした。

 一方女性の方は「まぁ!」と驚きの声を上げる。


「魔法師団を抜けてしまったの!? 入団するのも大変だって話だったから、セレストくんが入団したって聞いた時は村中でお祭り騒ぎになったのよ〜。……でも、あなたが自分で決めたことですものね。おかえりなさい、セレストくん」


 柔らかい笑顔を向けてくる女性に対して、セレストは複雑な表情を浮かべるばかり。しかしそんなセレストの性格を把握しているのか、女性は気にした風もなく今度はヒューティリアの方へと向き直った。


「それで、こちらのお嬢さんは? はっ、まさかセレストくんの……!」

「違います」


 おかしな勘ぐりをする女性に間髪入れずに否定の言葉を返すセレスト。一方ヒューティリアは目線を合わせようとしてくる女性から逃げるように、セレストの体を盾にする。


「師匠がまた拾ったんです。拾った挙げ句にこの子を置いて自分はどこかに姿をくらまして、俺にこの子を魔法使いとして育てるようにと言ってきたんです」

「あらあら。マールエルさんらしいと言えばマールエルさんらしいわねぇ」


 うふふ、と笑いながら女性はヒューティリアと目を合わせるのを諦めてセレストに向き直った。


「その子のお名前は?」

「ヒューティリアです」

「あら、可愛らしい! 『森の中のヒュー』と同じね!」

「そこから名前を拝借したので」

「……え?」


 女性は笑みを消した。


「あら……? ちょっと待って。つい聞き流しちゃったけど、さっきマールエルさんが拾ったって言ってたわね? もしかして、この子……」


 視線をヒューティリアに移した女性の表情は、憐れむような色をしていた。それを敏感に感じ取って、ヒューティリアは反射的に女性を睨みつける。


「……そう。これくらいの年頃の女の子が、そんな目にあったら人が恐くなっても仕方がないわね。でも、セレストくん。あなたひとりでこの子を育てるのは難しいんじゃないかしら?」


 至極真面目な表情で問いかけてきた女性に、セレストは同意の頷きを返した。

 今日までは何とかなっていたが、この先も何事もなく過ごせるとは限らない。自分では解決の糸口が見えないような状況に陥った際に、相談できる相手が欲しいと考えていたところだったのだ。


 セレストの肯定の意志を確認するなり女性は素早い動きでヒューティリアに近付き、がしっと両肩を掴む。

 咄嗟にヒューティリアは身を引きかけたが、それは適わなかった。肩に触れる手の温かさに、何故か身動きが取れなくなる。


 一方、女性は突然のことに目を白黒させているヒューティリアの背後に立ち、セレストに向かってこう宣言した。


「ちょっとヒューちゃん借りるわよ! 女の子にはね、必要な物が一杯あるんだから!」

「あぁ、それは助かります。そいつに聞いても必要な物が思い付かないとか言ってきて困ってたところだったので」

「まぁ! なら私に任せて頂戴。さぁ行くわよ、ヒューちゃん!」

「これ使って下さい」


 勢い込んで雑貨屋に向かおうとする女性に、セレストはヒューティリアの生活必需品を買うために用意していたお金を手渡した。女性は手に乗った重みに一瞬驚いていたが、すぐに使命感に燃えた頷きを返す。

 そうして半ば強引に女性に引きずられていくヒューティリアを見送ると、セレストは別の方向へと歩き出した。




 その様子を物陰から覗いている小さな影がふたつ。


「ねぇ、グラちゃん。魔法使いのお弟子さんだって!」

「ソーノ、いい加減ちゃん付けはやめてくれ」

「だってぇ……」

「ま、しょうがないか。それよりも、確かに魔法使いって言ってたよな」

「言ってた言ってた!」

「いいなぁ、魔法使い……」

「グラちゃんずっと魔法使いになりたいって言ってたもんね」

「だって格好良いだろ、魔法使い! 母ちゃんがまたおせっかいしてたから、後で色々聞いてみよっと」

「わたしも聞くっ!」

「よし、じゃあ母ちゃんが帰ってきてからな。それまでは、尾行するぞ」

「尾行……!」

「静かに、気付かれないようにするんだぞ」

「わ、わかった……!」


 影たちは頷き合うと、青年の後を追って物陰を移動し始めた。




「ヒューちゃん美人さんだからきっとこれ似合うわよぉ! あっ、こっちの服も素敵!」


 服も取り扱っている雑貨屋で、女性は次々と服を取り出してはヒューティリアにあてがって似合う似合うと連呼した。

 女性の勢いに圧されてされるがままになっていたヒューティリアも、段々とこの女性に悪意がないことを理解し始めていた……ものの、やはりその勢いに負けて一言も声を発することができずにいる。


「セレストくんが充分すぎる資金を用意してくれてるから、ここは思い切り使わせてもらっちゃいましょう! あ、でもヒューちゃんはまだ成長期だから、ぴったりすぎる服を買ってもすぐ着れなくなっちゃうわね。多少身長が伸びても着られる服にしましょう」


 そんなことを言いながら服のみならずハンカチなどのちょっとした物から何から何まで、ヒューティリアに好みを聞きながら用意していく。更に雑貨屋店主に値切り交渉までしてくれた。

 店主も値切りには全力で応戦していたものの、最後は気前よくおまけで髪飾りをひとつ持っていっていいと言ってくれたので、今は女性が意気揚揚とヒューティリアの髪飾りを選んでいる。


「そう言えばヒューちゃんは、綺麗な深紅の髪なのねぇ。どうして隠すの?」


 髪飾りをヒューティリアにあててはこっちがいいか、やはりそっちがいいかと悩んでいた女性が、不意にそんなことを問いかけた。

 ヒューティリアは思わず身を固くする。

 占者にこの髪色を持つ娘が災いを呼ぶと言われたことが、今でもヒューティリアの中で重く燻っているのだ。無意識に人に見られたくないという心理が働いていた。

 そしてそれを誰かに説明するのは、ヒューティリアには難しかった。話したら嫌われる。またあの冷たい目で見られるのではないかと思うと、恐くて仕方がない。


 そんな心情が現れていたのだろうか。

 微かに震え始めたヒューティリアの頭を、女性は柔らかく撫でた。


「話したくないこともあるわよね。ごめんなさいね、嫌なことを聞いてしまって」


 どこまでも優しい声に、ヒューティリアはぶんぶんと首を左右に振った。

 女性はそれ以上その話題には触れず、瞳と同じ色だからきっと似合うわと言って、水色のガラスがあしらわれた髪飾りを選んでくれた。




 そこそこの荷物量になったところでこれ以上は持ち帰れないだろうと判断した女性は、ヒューティリアを連れて村の中心部へと戻っていく。

 村の中心部には既にセレストが戻っていて、背負ったリュックには目一杯何かが詰め込まれていた。


「あらぁ、そんなに大荷物じゃこっちまで持って帰れないかしら」


 困ったように女性が手元の荷物を見遣る。


「いえ、大丈夫です。色々とありがとうございました」


 そう言ってセレストは荷物を受け取ると、女性に礼を言う。女性は「いいのよぉ。私も楽しかったわ」と笑顔を見せて預かっていた資金の残りをセレストに手渡した。


「今度師匠に代わって魔法薬を作ることになったので、何か困りごとがあったら遠慮せず言って下さい。今回の礼も兼ねて、力になりますので」


 魔法薬は高価だ。

 作るにも売るにも国の許可が必要で、値付けにも国が定めた決まりがある。

 僅かでも決まりを破ると厳しい指摘が入り、最悪の場合は魔法薬を扱うこと自体を禁止されたり、牢屋に放り込まれることもある。


 値段のみならず作り手や売り手までもが国から厳しく管理されているが故に、魔法薬はあまり裕福ではない村人たちからしたら縁の薄い薬なのだ。

 だが、重い病に効く薬というものは大抵魔法薬の中にしか存在しない。

 気軽に医者に罹れない村人たちは軽度の病が重篤化しやすく、そんな村人たちからしたら喉から手が出るほど欲しい薬がいくつか存在していた。


「お気持ちだけ頂いておくわ。今日は私が勝手におせっかいをしただけだもの。あっ、そうだヒューちゃん! 私の名前はサナよ。もしセレストくんに相談できないようなことで困ったことがあったら、いつでも相談して頂戴ね!」


 中年の女性、サナはそう自己紹介して自分の家がどこにあるのかをヒューティリアに説明すると、挨拶もそこそこに「夕飯の支度をしなきゃ!」と慌てて帰っていった。


 その後ろ姿を見送り、セレストは受け取った荷物の重さを確認する。

 ずしりと腕にくる重みから充分な必要品は買えたのだろうと判断すると、ヒューティリアを促して村の外へと歩き出した。


「よかったな」

「えっ、う、うん」

「サナさん、強引だけどいい人だから」

「……そうだね」


 どこか浮かない様子のヒューティリアに首を傾げながら、セレストは空を見上げた。いつの間にか遠くの空が茜色に染まっており、のんびりしていると家に着く前に夜になってしまいかねない。


「少し急ぐぞ。夜になると昼間大人しい獣たちも活発になる」

「うん」


 ヒューティリアは頷くと、何度か村の方を振り返りながら、来る時よりもやや早めの歩調で歩き出したセレストの後を追いかけた。

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