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秘密

 セレストに言えない秘密ができてしまった。

 そう思うだけで、ヒューティリアの心は重く沈み込む。

 じわじわと窓から染み込む熱に抵抗しようと魔法で部屋を冷やしているものの、気分が落ち込んでいるせいだろうか。ヒューティリアには部屋の中が暑いのか寒いのか、よくわからなくなっていた。




 マールエルの手記を見た翌日。

 ヒューティリアは気分が優れないと言い、自室にこもっていた。

 一方セレストは、リビングでソルシス著の『子供とのつきあい方』の解読に挑みつつ、弟子のことを気に掛けていた。


(サナさんを呼んだ方がいいんだろうか)


 体調などの不調に関してはセレストよりもよほど頼りになるであろうクルーエ村の女性を思い浮かべ、解読になどまるで集中出来ないまま唸る。

 様子を見るべきか。早めに対処に動くべきか。

 迷っていると、視界の端に銀色の光が映り込んだ。そちらを見遣れば、そこにはクロベルが立っていた。


『ヒューティリアに、精霊の祝福を授けた』


 唐突に、クロベルがセレストにそう切り出した。途端にセレストの表情が険しくなる。


「何故」


 短く問えば、クロベルは真剣な眼差しを返してくる。


『必要だと思ったからだ』


 気まぐれだとか、気に入ったからだとは言わなかった。

 そのことに違和感を覚え、セレストは眉間の皺を更に深くする。


「不調との関係は?」


『……恐らく、あるんだろうな』


 返ってきた言葉に瞼を下ろし、眉間の皺を揉み解す。同時に、頭の中では精霊の祝福を得て調子を崩すなんてことがあるのだろうかと思考を巡らせた。

 しかし物心がつく前に祝福を得ていたセレストに、そんなことなどわかるはずもなく。


「……わからないな。それが体調にどう作用するっていうんだ?」


 思ったことが無意識に漏れ出てしまった。

 するとクロベルはもの言いたげな目で、じっとセレストを見てきた。けれどその口許はきつく引き結ばれ、言葉を発する気配はない。

 必然的に、沈黙がおりる。


『……ねぇ。セレストが声をかけてあげたらどうかしら』

『そうだねぇ』

『それがよさそうだよね』


 重苦しさに耐えかねたのか、森の精霊や妖精たちが声を上げ始める。

 やがてその声はどんどん大きくなっていき、いつの間にかセレストがヒューティリアの様子を見にいくべきだという流れが出来上がっていった。


『ほらほら、早く!』

『近くにいてあげるだけでいいんだから』


 そんなことを言いながら、ヒューティリアの部屋の方へ追い込むように森の精霊や妖精たちがぐいぐいと迫ってくる。


「一体どんな根拠があるんだ」


 気圧されながらも近くにいるだけでいいと言った妖精に問いかければ、『セレストは馬鹿なの!?』『さすがの唐変木だね!』『成長したかと思ってたのに!』と、何故か罵声が返される始末。

 明確な答えが返ってくる気配はなく、このままリビングにいても精霊や妖精たちがうるさいだけだと判断して、セレストはヒューティリアの部屋の前に立った。


 しかし部屋の扉をノックしてみたものの、何と声をかけるべきか考えていなかったことに気付いてその場に立ち尽くす。

 幸か不幸かヒューティリアからの返事もなく、固唾を飲んで見守る精霊や妖精たちの視線に晒されながら、セレストはしばし思考を巡らせた。


(……そう言えば、前にも同じようなことがあったな)


 かける言葉を探すつもりが、もうすぐ五年になろうかという過去の記憶を掘り起こす。

 あの時はどうしたのだったか。

 思い出してみて、我がことながら呆れてしまう。しかし今、時を経て同じ状況にあっても尚、次に取るべき行動に変わりはなく。


 今一度扉を叩くべく、セレストは手を持ち上げた。






──────────


◆一日目 冬の月、初旬


 さぁ、今日から私は生まれ変わるのだ。

 代償として支払ったから折よく髪色も目の色も変わっていることだし、気分を変えるにも丁度いい。折角だから色々と改めていこう。


 まずはこれだ。自分のことを「あたし」と言うのはやめよう。手紙や日記に書くときのように「私」にしよう。

 口調も師匠を真似てみようか。あぁでも、あまりあからさまだと知り合いを相手にする時に恥ずかしいから、少し寄せるくらいにしておこう。


 あとは、感情に振り回されやすい性格を何とかしよう。って言っても、これはそう簡単には直せないだろうから、努力目標か。

 まぁでも、この件に関しても「目指せ、師匠!」を目標に掲げていけば大分改善できそうな気がする。

 うん……気が、する。



 そうそう、自分ばかりじゃなくて、師匠の……あぁ、どうしても“師匠”って書いてしまうな。まだ頭の中でうまく切り替えられていないらしい。

 ともあれ、セレストのことも色々考えなければ。

 何せセレストとの関係は今日からもう一度積み上げ直すことになる。同時に、セレスト自身も全てがまっさらの状態だ。それを育てていくのは私なのだから、将来を見据えて早い段階で教育方針を打ち立てなければ。


 ひとつ、これは絶対だと思っているのは、あの悪筆!

 あれだけは絶対改善させる! というか、あんな風にならないよう、文字の形はしっかり教え込もう。

 とは言っても、まだこれは気が早い話だから、いずれそうするとして。

 他には……ああ、そうだ。師匠ってば何かとずぼらで放っておくと衛生的にも健康的にも大変なことになりかねなかったから、身の回りのことは自分でできる子に育てよう。これも絶対。


 他にも考えてはみたけれど、それよりもまずは、この泣いているセレストをどうやって泣き止ませればいいのかから考えないとだめかも知れない。

 弟や妹が小さかった頃の記憶なんてほとんどないし、そもそも赤子の面倒は見させて貰えなかったからなぁ……。ああ、途方に暮れるとは、こういうことを言うのだろうな。




◆二日目 冬の月、初旬


 赤子の扱い方がわからなくてどうしたものかと悩んでいたら、しばらくご無沙汰していたクルーエ村のサナとレグが心配して様子を見に来てくれた。

 ふたりとも私の姿だけでなく、師匠がいなくなったことにも、セレストのことにも(ふたりには師匠は亡くなったと伝え、セレストは拾ったと伝えておいた)びっくりしてたけど、一緒に色々と考えてくれて本当に有り難かった。

 結局、セレストが泣いている理由や諸々の対処についてはクルーエ村の子持ちの人たちの力を借りて事なきを得る。



 そうそう。昨日の夜ふと思い至ったのだけど、師匠は称号持ちだから、居なくなったことを国の方に知らせないとだめなんだった。

 こんな小さな子を連れて王都に行くのはつらいだろうけど、手紙で知らせを出すというのも失礼にあたる。何せ、報告しなければならない相手は国王陛下なのだから。


 さて、どうしたものか……。


──────────




 ヒューティリアは、ぼんやりと手記の続きを読んでいた。

 頭に入っているような、入っていないような。そんな曖昧な意識の中で読み進めているが、不思議とその光景が目に浮かぶようだった。


 そうして読み進めていくと、やがてマールエルが王都にソルシスの死を知らせに向かったという記述に行き当たる。そこには、ワースという人名が登場していた。

 聞き覚えのある名前だなと思ったが、すぐに思い出す。


(この名前は、王国魔法師団団長と同じ名前だ──)


 そう思い至った時。

 コンコン、と、部屋の扉がノックされた。


 一瞬、ヒューティリアは自分が今どこにいるのかわからなくなり、目を瞬かせる。それからゆっくりと手記から顔を上げ、音のした方を振り返った。

 視界に映るのは、何の変哲もない木製の扉。

 その扉が、しばしの間をあけて再びノックされた。


「……ヒューティリア?」


 控えめに聞こえてきた声に、ようやく自分がどこにいるのかを思い出した。

 弾かれたように手記を引き出しの中に戻し、扉に駆け寄る。そして一度深呼吸し、ゆっくり扉を開いた。

 扉の向こうには、どことなく心配そうな表情を浮かべたセレストが立っていた。


「起きていたか」

「うん」


 頷きながらも、空色の髪をじっと見つめてしまう。

 見慣れているはずなのに、マールエルの手記の序章を思い出して不思議な気分に陥る。


(そう言えば、ソルシスさんは真っ白な髪だったって書いてあったっけ。そんなにソルシスさんはお年だったのかな。それとも──)


 思考の彼方に意識が飛びかけたところで、ひたりと額に心地良い温度が押し当てられた。焦点を合わせてみれば、セレストがヒューティリアの額に手を当てている。

 こうしてセレストがヒューティリアの体調を心配して額に手を当てるのは、一体何回目になるのだろうか。


「熱はないな?」

「大丈夫。ちょっと、ぼーっとしてるだけだから」


 淡く微笑んで答えれば、セレストは益々心配そうに眉をひそめた。


「食欲は?」

「……あまりないかも。でも大丈夫だから」


 夏バテかなぁなどと言ってみたものの、返ってきたのは沈黙だった。

 見上げてみれば、セレストは複雑な表情を浮かべて考え込んでいる。


「セレスト?」

「──わかった。とりあえず、今日はもう休め」


 ヒューティリアの呼びかけに、セレストは諦め混じりのため息をついた。

 明らかに納得していない顔。しかしそのまま踵を返し、リビングへと戻っていく。


 その後ろ姿を見送りながら、ヒューティリアは思考の渦に沈み込んだ。

 クロベルは、手記を読み終えればソルシスとマールエルの身の上に起きた出来事をヒューティリアに教えた理由がわかると言っていた。

 同時に、手記を読み終わるまでセレストに手記を見られないようにしてくれ、とも。


 実際ヒューティリアも、セレストが実は時繰り魔法で赤子に戻ったソルシスなのだと本人に知らせるべきか迷っていた。

 迷い、答えが出せなかったからこそクロベルの要求を受け入れた。


 けれど。

 クロベルの言葉を別の形で捉えてみたらどうだろうか。


 クロベルが敢えてヒューティリアに例の件について教えたのは、それが何らかの形でヒューティリアにも関わり合いのある出来事だからではないか、と考えることもできる。

 そしてその答えは、手記を読み終えればわかるのでは、とも。


 同時に、セレスト本人にではなくヒューティリアに知らされた理由がわかりさえすれば、セレストに話すべきか否かの判断材料も見つかるのではないか。クロベルは、そういう意味も込めてあのように言ったのではないかと、希望的観測ながらも結論付けることができる。


 ヒューティリアはいつの間にか俯けていた顔を上げた。そして、「セレスト」と、師の名を呼ぶ。

 呼ばれたセレストは足を止め、ゆっくりと振り返った。ヒューティリアと目を合わせつつ、怪訝そうな表情を浮かべる。


「あの……あのね。もしあたしが、セレストに秘密を持っていたら、嫌?」


 唐突な問いに、セレストは目を瞬かせた。

 それからしばし考え込み、首を左右に振る。


「誰だって、他人に言えない……言いたくない秘密のひとつやふたつ、持っているものだろう」

「セレストも?」


 返された答えに思わず問いを重ねると、セレストは小さく肩を竦めた。


「何をもって秘密と判断するかによるな。俺は秘密にしているつもりはないが、敢えて言う必要がないと思うことは黙っている。それを秘密にしているのだと言われたら、秘密を持っているということになるんだろう」


 何ともセレストらしい内容に、ヒューティリアは吹き出して笑った。

 確かにセレストは、不要だと判断すると話してくれないことが多い。精霊の祝福や妖精の祝福に関しても、結局きちんとした話をしてくれたのは風の精霊だった。


(敢えて言う必要がないと思うことは黙ってる……か)


 ヒューティリアは心の中でセレストの言葉を反芻する。


「そっか」


 何だか心が軽くなった気がした。

 本人に自覚があろうとなかろうと、やっぱりセレストは、ヒューティリアが迷った時や困った時には必ず導きの言葉をくれる。

 それがどんなに嬉しくて、有り難いことか。


「あぁ、安心したら何だかお腹が空いてきちゃった」


 さっきまで空腹など感じなかったのに急激に空腹感を覚えて訴えれば、セレストが安堵混じりの笑みを浮かべて廊下の端に寄り、先にリビングに行くよう促してきた。

 促されるがまま、ヒューティリアはセレストの横を通り抜けてリビングに向かう。

 そこには、心配そうな顔でこちらの様子を見守っていた精霊たちと、クロベルの姿があった。

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