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精霊と妖精

 セレストがヒューティリアと出会ってからひと月が経過した。


 冬に収穫出来る作物を育てているとは言え、倉庫にある食料の貯蓄量が心許なくなってきていたある日のこと。


「明日、森の外の村に要りようなものを買いに行く」

「……ふぅん。行ってらっしゃい」


 セレストがヒューティリアに声をかけると、ヒューティリアはびくりと体を揺らしてから目を泳がせ、気の無い返事を寄越す。いかにも自分には関係ないと言わんばかりの様子に、セレストは言葉足らずだったかと思い、改めて口を開く。


「お前の服とか必要な物も買うから、出掛ける支度をしておいてくれ」


 相変わらず師の古着を着用している少女に目を向ければ、ヒューティリアは真っ青な顔をしていた。


「……体調でも悪いのか?」


 あまりの顔色の悪さにそう問いかけると、ヒューティリアはゆっくりと頷く。


 実際の所、ヒューティリアは人里に出ると考えるだけで血の気が引き、吐き気を覚えていた。

 それは偏に故郷で味わった恐怖故のものなのだが、セレストがそのことに思い至るはずもなく。ヒューティリア自身は自覚してはいるものの、それを口に出すことは無かった。


 悪意がないどころか他人への関心すら希薄に思えるセレストなら平気だが、やはりまだ人が恐い。

 村というごく小さな人の群れがどれほど残酷で恐ろしいものなのか身を以て知っているヒューティリアは、自分の故郷と違う村とは言え、人が集う場へ向かうと考えるだけで恐ろしさに身を震わせた。


「今回の買い出しは食料以外だとお前の生活必需品の購入が主目的なんだが……体調が悪いなら仕方がないか」


 そう言いながらセレストはヒューティリアに近付くと手を伸ばし、その小さな額に手を当てた。

 反射的に身を竦ませたヒューティリアに構うことなくセレストは首を傾げながらしゃがみ込み、今度はヒューティリアの手を取って脈を測る。


 一方、手を伸ばしてきたセレストが一瞬だけ自分を強引に馬車まで引きずっていった父親の姿と重なって見え、身を竦ませたヒューティリアは、額に触れた温かい手の感触に目を瞬かせていた。

 恐いと思ったのはほんの一瞬だけで、触れられてみればむしろ安心感で満たされる。

 不思議な気分で目の前の青年を見ると、セレストは難しい表情で唸っていた。


「風邪か……? それにしては熱があるというよりは体温が低い気がするな。脈も速い。真面目に医学を学ばなかったツケがきたか」


 そんなことをぶつぶつと呟きながらヒューティリアの手を放し、廊下の奥へと向かう。リビングにひとり残されそうになったヒューティリアは、慌ててセレストの後を追った。その視線の先でセレストが廊下の突き当たりにある扉に手をかける。

 ヒューティリアはまだその扉の先に行ったことがない。好奇心に背中を押されて駆け寄ると、セレストはヒューティリアを一瞥してから扉を開けた。


 開かれた扉の向こうには、左右に窓がひとつずつ取り付けられている短い通路があった。

 家の裏手側に家と通路で繋がれている小屋があることには気付いていたが、どうやらセレストはその小屋に向かっているようだ。扉は閉めずに奥へと進むセレストに続いてヒューティリアも通路に足を踏み入れた。


「この先の部屋は魔法薬の調合部屋だ。危ない器具や薬品もあるから、俺がいない時は入らないように」

「うん」


 小屋との境目にはもうひとつの扉があり、その扉を開く前にセレストが注意を促す。ヒューティリアは即座に頷いて、セレストに続いて調合部屋に入った。


 カーテンで光を遮られた室内は薄暗く、少し埃っぽかった。雑然とした部屋の中央には大きな机があり、その上にはヒューティリアでは名前もわからないような器具の数々がこれまた雑然と置かれている。

 棚にも干した薬草らしきものが乱雑に置かれており、小さな引き出しが無数に並ぶ壁側を見れば、その引き出しも所々飛び出たままになっていた。


 そんな辛うじて足の踏み場が確保されている室内を見るなり、明らかにセレストの表情がげんなりしたものへと変わった。


「師匠……勘弁してくれ」


 思わずと言った体で額を押さえ深いため息を吐いたセレストは、今日までこの調合部屋に足を踏み入れずにいたことを深く後悔していた。

 師のずぼらさはよく理解していたはずなのに、思いのほか綺麗に片付いていた家やしっかり手入れされていた畑などの様子から、調合部屋も大丈夫だろうと思い込んでいた。

 自分が独立してからは心を入れ替え、マールエルが自力で整理整頓を心がけていたのだろうと感心していたセレストは、やはり師は師のままであったという現実をまざまざと突きつけられ、落胆せざるを得なかった。


「明かりを頼む」


 ぽつりとセレストが呟くと、ぽっと天井近くに光の玉が現れた。

 魔法を使ったのだとヒューティリアが気付く頃にはセレストはしゃがみ込んで、床の方へ向かって「手伝ってくれ」と声をかけていた。

 誰に話しかけてるの? とヒューティリアが問うのを遮るように、突如散らかった部屋の中の物がごそごそと動き始める。


「えっ、何!?」


 驚きの声を上げている間にも、次々と辺りに散乱していた物が本来あるべき場所へと収められていく。セレストも手早く床の上に落ちている物を拾い上げては棚に戻していた。


 その様子を呆然と見守っていると、ふわっと何かが足に触れた。「ひゃっ」と声を上げて退けると、どうやらヒューティリアが踏んでしまっていたらしい紙片がふわりと持ち上がる。

 思わず目で追うと、紙片は宙を移動し、机の上の書類がまとめられている一角へと舞い降りた。


 あっという間に散らかった部屋が片付き、飛び出していた棚の引き出しも綺麗に戻される。


 そうして一通り片付くと、何事か理解できずにただただ眺めていたヒューティリアの周りにぽわぽわといくつかの光が現れた。

 この光は見たことがある。精霊が自発的に発光しているときの光だ。


「精霊……?」

「精霊もいるが、妖精もいる」

「妖精!?」


 ヒューティリアの問いに答えながら、セレストは書棚から一冊の本を取り出して椅子に座った。ぱらぱらと頁を捲って目的の項目を探し始める。


「毎日菓子を作ってるだろう。そもそもあれは妖精たちへ協力を仰ぐために作っているものだ」


 セレストの言葉を聞いて、そう言えば以前そんな話を聞いたなとヒューティリアは頷く。


「精霊もだが、妖精もみんながみんな人間に協力的なわけではない。だが、中には困った時に力を貸してくれる者もいる。そういった妖精たちとの間に日頃から信頼関係を築いておけば、手を貸して欲しいときにこうして力を貸してくれる」


 信頼関係。

 その言葉にヒューティリアは小首を傾げた。音楽を聴かせたり菓子を与えることが信頼関係を築くことになるのだろうか、と。

 そうは思うものの、自分もすっかりセレストのライアーの音色や菓子の美味しさに魅了され、その人柄が無害であることも相俟って信頼を寄せている自覚があったので、そういうものなのだろうと納得することにした。


「精霊たちも妖精たちも、あんたのことが好きなのね」


 ヒューティリアの何気ない一言にセレストは本から視線を上げ、少女を見遣るなり目を瞬かせた。


「そんな風に考えたことはなかったが……」


 そうつぶやいたセレストの耳に、くすくすと笑う声と共にからかうような声で『うん、ぼくたち、セレストのこと好きだよ!』『うんうん、わたしたちセレストのことがだーい好きよ!』という言葉が飛び込んで来た。思わず顔をしかめるセレストに、精霊や妖精の声が聞こえていないヒューティリアは失言だっただろうかと口を噤む。


『ふふふ。この子、賢くていい子だねぇ』

『セレストと違ってわたしたちの気持ちを理解してくれるだなんて、貴重だわ』

『だよね! この子になら力を貸してあげてもいいかも』

『ねぇ、セレスト。そろそろ笛じゃない楽器にも触らせてあげたら?』

『お菓子作りも教えてあげてよ! そうしたらぼくらもこの子に力を貸してあげてもいいよ!』


 次々と語りかけてくる精霊や妖精たちの声を、セレストは煩わしそうに手で払う。


「ちょっと黙っててくれないか。今はあいつの体調不良の原因を調べるのが先だ」


 セレストがそう告げた途端に、室内に集まっていた精霊や妖精たちが一瞬にしてヒューティリアの周囲に集結した。

 突如周囲を光で満たされたヒューティリアは、あまりの眩しさに目を瞬かせる。


『体調悪いの〜?』

『どれどれ』

『ちょっと体温低いけど、そういう体質なのかも知れないよ?』


「脈も速いだろう」


『どれどれ』

『いやいや、これは今びっくりしてるから速いだけでしょ?』

『安静にさせてから測らないと意味ないよー』


 わいわい騒ぐ精霊や妖精たちの声に、セレストは嘆息して本を閉じた。


「全く集中できない」


 そう零しながら椅子から立ち上がり、ヒューティリアの前までやってくると目線を合わせるようにしゃがみ込む。じっと覗き込んでくる新緑色の瞳をヒューティリアも見返した。


「まだ調子は悪いか?」

「えっ、ううん。大丈夫」


 否定するも、セレストはヒューティリアの額に手を当て、難しい顔で首を横に振った。


「買い出しは俺ひとりで行くから、今日明日はとりあえず大人しく寝てるように」

「えっ……やだ、あたしも行く!」


 人里に行くのも恐いけれど、それを拒否するとこの家にひとりで残されるのだと気付くなりヒューティリアは慌てた。ひとりで残されるのもまた、少女にとっては耐え難い恐怖だった。森に置き去りにされ、全てを諦めた絶望が蘇る。

 ひとりであの恐怖と向き合うくらいならセレストと共に人里に向かう方が幾分かましなように思えて、ヒューティリアは必死にセレストの袖を掴んで一緒に行くと主張した。


 そんなヒューティリアの様子にセレストは困惑する。

 さっきは青い顔をして行きたくなさそうにしていたのに、もう大丈夫なのだろうか?


「……わかった。なら、明日はお前の体調をみて問題なさそうなら村に行く。食料もすぐに底をつく訳じゃないし、何日か先延ばしにしても問題ないだろう」


 考えてもわからないことを考えるのはやめて、最善策と思われる案を提示する。

 するとヒューティリアの表情がぱっと明るくなった。青ざめていた顔もいくらか血色が良くなったように見える。


「大丈夫! 明日ちゃんと支度するから」


 そう宣言するなりヒューティリアはぐっと拳を握り込む。

 その様子を眺めながらセレストは、子供の考えてることはよくわからないな、とため息を吐く。そして手に持った本はそのままに、ヒューティリアを促して調合部屋を後にした。


 そんなふたりを、精霊や妖精たちが微笑みを浮かべながら密やかに見送っていた。

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