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幕間 ある王国魔法師団団長の追憶

 王都の春は賑わいの季節だ。

 今年は冬が雪で閉ざされ静寂に包まれていたぶん、春の賑わいがより一層華やかに見える。




 そんな春の終わりを目前にした、ある日のこと。


 久々に休日を得たワースは家族と共に出かけるつもりでいた。

 子供たちもすでに家庭を持っているため滅多に会えないのだが、今日は久しぶりに子供たちが家族を伴って遊びにくる予定になっていたのだ。


 しかしワースが出かけようと提案するなり、妻も子供たちも口を揃えて「ちゃんと休め」と言うので、結局家で寛ぐことになった。

 みんな妻の味方だな、と嘆息しつつ、リビングでのんびり読書に興じる。


 ちなみに妻は現在買い物に出ており、子供たちやその伴侶も妻の荷物持ちで一緒に出かけていたり、自分の子供の相手をしていたりと皆ばらばらに過ごしている。

 折角集まったのにと思わなくもないが、この冬の魔法師団が多忙を極めていたことを皆知っているのだろう。静かな空間でゆったり休めるようにと配慮してくれていることもわかっていたので、口には出さない。



 黙々と本の世界に入り込んでいると、不意に意識が現実に引き戻された。

 読んでいた本の最終頁に辿り着いてしまったのだ。


 立ち上がり、続刊を探したものの見当たらない。どうやら今読んでいたものが最新刊だったらしい。

 残念に思いながら、次はどの本を読もうかと並ぶ背表紙に指先を滑らせる。


 その指が、ある一点で止まった。

 指先で綴られている作者名をそっとなぞる。


 ──マールエル・オーリエ──


 数少ない同年代の師を持つ魔法使いであり、同等の実力を持つライバルとして競い合った女性。

 それと同時に、親しい友人でもあった人。

 脳裏に蘇る姿は、セレストが知るマールエルとは少し違う姿をしていた。

 遠い記憶のため、今となってはその姿もあやふやになり、色褪せてしまっているけれど。語った言葉や抱いた想いは、色褪せることなくはっきりと思い出せる。






 初めて対面したのはワースが十歳、マールエルが十一歳のとき。

 すでに『知の賢者』と呼ばれていたソルシスとともに現れた少女は、王都では注目の的だった。


 ややつり気味の大きな瞳は好奇心を湛えて周囲に満遍なく向けられ、何かを見つけては飛び出して行きそうになるのをソルシスに窘められていた。

 その少女と目が合ったワースは、まるでその場に縫い止められたかのように動けなくなってしまう。


「久しぶり」


 真っ直ぐこちらに向かって歩いてきたソルシスが、笑顔を浮かべた。ソルシスに背を押された少女も一緒にワースの方へと近付いてくる。

 ワースの心臓が破れんばかりに早鐘を打ち始めたが、ソルシスが声をかけたのはどうやらワースの背後にいる老人。ワースの師匠のようだった。


「久しぶりだね、ソルシス」


 ワースの師が応じると、ソルシスは頷きながら「急な訪問で申し訳ない」と謝罪した。


「今日は弟子のことで相談したいことが」

「手紙に書いてあった件だね。僕にわかることなら力になるよ」


 そう請け合うと、ワースの師はワースに「あの子と一緒に勉強部屋に行っておいで」と促してきた。「あの子」とはきっと、ソルシスとともにやってきた少女のことだろう。

 師に向けていた視線を少女の方に向け直すと、ワースと目が合った少女がにこりと笑った。

 途端にワースの心臓が一際強く鼓動を打つ。


「あたし、マールエルっていうの。よろしくね、えーと……?」

「……ワース」

「ん?」


 名乗ってみたもののうまく声が出ず、少女……マールエルには聞こえなかったようだ。

 自分でも理解できない恥ずかしさと顔の熱さを覚えて目線を泳がせたものの、意を決して顔を上げ、首を傾げる少女と改めて正面から向き合う。そして今度こそ聞こえるようにと、声を張った。


「俺の名前は、ワースだ」


 今度は聞こえたのだろう。

 マールエルは眩しいほどの笑顔を浮かべて、「よろしくね、ワース」と手を差し出してきた。




 マールエルは自分の初恋の相手だったのだと、こうして思い返してみて自覚する。

 将来美しくなるであろう容姿に惹かれたのか、きらきらと輝く好奇心一杯の瞳や快活な性格に惹かれたのか、今となってはもうわからないが。




 ワースが自分の気持ちを自覚しないまま、月日は流れた。

 ソルシスは弟子との向き合い方に悩んでいるようで、定期的に王都を訪れてはワースの師にアドバイスを貰っていた。

 その度にワースとマールエルは再会し、共に過ごすうちに段々と互いの性格がわかるようになり、実力もわかるようになり、魔法の腕を競うようになった。


 そうして過ごすこと五年。

 ソルシスが王都を訪れることが、ぱったりとなくなった。


 ワースが自らの師から聞いた話によると、ソルシスが足を悪くしてしまい、王都まで通うことができなくなってしまったのだという。

 ソルシスもだが、ワースの師も高齢の域に入りつつある。今後は手紙のやり取りで済ますことになったそうだ。


 ワースは落ち込んだが、最終的には会えないものは仕方がないのだと諦めをつけた。

 ここに至っても自分の気持ちを自覚していなかったワースは、マールエルと疎遠になり、もう会うことはないと思うことで、無意識に抱いていた気持ちに蓋をして心の奥底に深く深く沈めてしまった。

 こうしてワースの初恋は、人知れず……本人にすら気付かれず、静かに消えていった。




 ワースが二十歳を迎えた頃、ようやく師から免許皆伝を与えられた。

 ようやくと言っても、師を持つ魔法使いとしては早い方なのだが。


 独り立ち後は弟子時代に知り合った王国魔法師団団員の伝手で魔法師団に入団し、縁あって現在の妻と出会い、結婚した。

 マールエルが再び王都を訪れたのは、ワースが独り立ちしてから五年が経った頃……ふたり目の子供が生まれた頃のことだった。



 その日、マールエルは申し訳なさそうな様子で旧友を訪ねてきた。その腕に、小さな赤子を抱きながら。

 しかしワースが驚いたのは赤子のことだけではない。マールエルの髪と瞳の色が、別人のように変わっていたことにも驚いていた。


 色々と問い質してみれば、赤子は拾ったから育てることにしたのだと言う。そしていずれ弟子にするのだと、どこか寂しげに微笑んだ。

 今回はどうしても王都に来なければならない用事があって来たのだが、不意にソルシスが頼りにしていた王都の魔法使い……ワースの師のことを思い出したのだという。

 訪ねて来たマールエルを歓迎したワースの師は、マールエルが抱えている赤子を見て、弟子も今正に子育て中だからとワースを訪ねてみるよう勧めた。


 その判断は間違っていない。

 話をしている途中で泣き出したマールエルの拾い子にマールエルが狼狽えていると、すかさずワースの妻が出てきて何故泣いているのかを確認し、マールエルに指示を出す。

 ワースが女性ふたりのやり取りを眺めていると、話が終わるまで赤子は預かるとワースの妻が請け合い、マールエルを客間に通した。もてなしはワースに一任して、マールエルの拾い子と共に子供部屋の方へと引っ込んでいく。


 それを見送ると、マールエルは感心した様子で閉じられた扉を眺めていた。


「ワースの奥さん、頼りになるね」

「ああ。子育てに関しては俺の出番がないくらいだ」


 ワースが肩を竦めると、くすくすとマールエルが笑う。

 マールエルの動きに合わせて揺れる髪の色がどうしても気になって、ワースは改めて問いかけた。


「それで、その髪の色と目の色は一体どうしたんだ?」


 問われたマールエルはぴたりと動きを止めて目を泳がせる。


「あ、あぁー。まぁ、その。うん。ワースも、魔法の失敗には気をつけてね?」


 マールエルがそれだけ言って黙り込んでしまったので、しばしの沈黙を挟み、ワースは嘆息した。


「つまり、魔法に失敗したと」

「そう」

「普通の失敗の仕方ではないな?」

「そうだね」

「詳細は言えないか」

「……そうだね」


 もう一度短いため息を吐き出し「わかった」と、全く納得はしていないがこれ以上追求しないことを受け入れた。


 その後マールエルはワースの妻から赤子の扱い方を教授され、ワース宅を去っていった。

 知の賢者ソルシスの死が国中に知らされたのは、その翌日のことだった。




 更に五年の月日が流れた。

 空色の髪の少年を連れたマールエルが、再び王都を訪れた。その手に、後に魔法書の原文となる紙束を持って。


 マールエルが持ち込んだ紙束は、ワースが所属する王国魔法師団へと回されてきた。

 内容を精査し、問題なければ本として店頭に並ぶことになるという。


 魔法師団の誰もが、書かれた内容に釘付けになった。

 当たり前のことが書かれている。しかし、当たり前だと思い、無意識に行ってきたことが文字としてわかりやすく記されている。

 読んだ者全てが絶賛し、出版された暁には是非手元に置きたいと太鼓判を押した。


 そうして世に送り出されたのが『書の賢者』マールエルの手による一冊目の魔法書となった。


 以降、マールエルが紙束を持ち込み、魔法師団での精査を経て本になり、世に送り出される……ということが幾度となく繰り返された。

 そうして気付いた時には、マールエルは『書の賢者』『ソルシスに続く偉大なる魔法使い』と呼ばれるようになっていた。






 様々な記憶が蘇り、しかしマールエルが登場する記憶が、独り立ちして王都を訪れたマールエルの弟子、セレストと再会したあの日よりも前に途切れていることに気付く。


(そういえば、最後に会ったのはいつだったか)


 記憶を掘り起こせば、最後に会ったのはセレストが独立する前年のことだった。

 そろそろ自分の弟子が独立しそうだと。もう少しでこれで最後にしようと思っている魔法書の原文が書き上がると。そして最後に、弟子が独立したら魔法書の原文を持たせて王都に行かせるからちょっと面倒みてやってよ、と。寂しそうに笑ったマールエルの顔が思い出される。


 しかしその笑顔も、すぐにくしゃりと歪む。

 寂しいと泣くマールエルをワースは静かに見守った。

 初めて見るマールエルの涙に何故か、養い子を連れてくるようになってからみせるようになった寂しげな笑顔が重なって見えた。



 別れ際、マールエルは「さようなら」と言った。

 もう会えないのだろうと、漠然と思った。

 だからワースも「さようなら」と返した。




 あれからもう九年になる。

 セレストは王国魔法師団を抜け、今はかつて自分がそうであったように、マールエルに拾われた子を弟子にしていた。

 他人にあまり興味がなさそうなセレストだが、弟子のヒューティリアとはうまくやっているようだ。それはムルクからも伝え聞いている。


 ふと、一度見かけただけのヒューティリアの姿を思い出す。その姿は、最も古い記憶にあるマールエルの姿と重なった。


 すっかり色褪せてしまった出会った頃のマールエルが蘇ったような錯覚を覚えて、首を振ったとき。


「団長!」


 家の外から大きな声が聞こえてきた。

 切羽詰まったような声に聞き覚えがあり、ワースは急ぎ声の主を出迎えに向かう。

 玄関扉を開けるとそこには肩で息をしている魔法師団副団長が立っており、ワースの顔を見るなり真っ青な顔色のまま、震える手で一通の手紙を差し出してきた。


「へ、陛下より、至急こちらを団長に渡すようにと」

「陛下から?」


 休日に国王から急ぎの連絡。

 自然と険しい表情になりながら周囲に人がいないこと確認し、封を切る。


 取り出した紙面に視線を走らせたのは一瞬。

 ワースの体から、力が抜けた。


 らしくなく地面に座り込んだワースに、副団長が駆け寄る。しかし今のワースには、立ち上がる気力などあるはずもなく。


(マールエル……)


 目を閉じ、真っ白な紙面に書かれた短い文章を頭の中で繰り返す。




 ──『書の賢者』マールエル、死亡の知らせあり。




 やはり、という思いと、何故、という思いが、ワースの思考を埋め尽くしていた。

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